20 (ペイルトン・イーギエ)
次の尋問相手は魔道士だ。
ペイルトンは、得られた情報を紙に記しながら、期待していた。いや、期待するしかなかった。これまで得られた情報が、犯人や犯行に繫がりそうではなかったからだ。
アツゴウは傭兵、ストンウェルは家具商人として、話す内容に説得力があった。
犯行時刻に二人とも寝ていて、何らかの有力な情報を提供されなかったのも誤算だった。これに関しては、イビキをかいていたという魔道士も同じだろう。だが、魔法であれば、イビキの音だけを残して、本人が別に行動することは可能だ。
ただし、ペイルトンはできない。幻音の術は、ずっと精神統一していればできるかもしれないが、自身が別に行動しながら、音だけを残せるのは幻術師と呼ばれる連中になる。
幻術師なら、ペイルトンが魔道士単独の犯行は不可能と判断したこの事件の、何らかの抜け道に気付くかも知れない。この魔道士こそが犯人と解明すれば、道筋は簡単だが、そうでなくても糸口になってくれれば良い。
そういう期待を持って訪問したが、その期待は早々に薄れる。そもそも、まともに話を始めるのに難がある状態だったからだ。
扉を閉めきって開けようとせず、ウェイの呼び掛けにも答えなかった。だが、隣のストンウェルが言うには、在室しているのは間違いないらしい。
「昨日もこんな感じだったんですよ」
自室から顔を出し、ストンウェルが肩を竦めた。
「今朝から食事に出て来て、元気になられたのかな、と思ったら、逆戻りです」
「やはり体調が悪かったのでしょうか」
心配するウェイに、ストンウェルがニヤニヤ笑う。
「いやいや、心当たりはあるでしょう?」
「わたしが?」
驚き不思議がるウェイから、ストンウェルはアリへ顔を向ける。
「アリさんなら、おわかりでしょう?」
アリは答えなかった。憮然とした表情で扉を叩き、大きな声を出す。
「おい、いるのはわかってんだ。ここを早くあけろ! 早くしねえとブチやぶるぞ!」
「ちょっと、アリ!」
慌ててウェイがアリの腕を掴む。アリは一応止まったが、面倒臭そうにウェイに説明する。
「ビビってんだよ」
「え!」
ウェイは、ベショが応えない理由がそうとは思っていなかったようで、一旦止まる。
「だったら、なおさら、おどしたらダメでしょう」
「それに、勝手に扉を壊すのもどうでしょうか」
ウェイとストンウェルが続けて諫める。
「だったら、どうすればいいんだよ」
「……またの機会にしますか?」
「それじゃ、逃げどくじゃねえか。気に入らねえなぁ」
アリとウェイが言い合っている間も、ベショの扉は開く気配がない。仕方ないので、杖をウェイとアリの間に入れ、場所を空けるように左右に振る。扉の前に立つと、もう一度杖で扉を叩いてから、語りかける。ただし普通の言語ではない。
「我、望む。汝、扉を開放せよ」
「魔法を使うんですか?」
廊下に出かけていたストンウェルが、また自室に引っ込み、頭だけを出した。
ペイルトンはそちらをちらりと見たが答えなかった。代わりにウェイが説明する。
「古代魔法王国語です。……たぶん」
ウェイが断定出来なかったのは、さすがのウェイも古代魔法王国語が喋られないからだ。しかし、部屋の中にいる魔道士なら、理解しているはずだ。
「昨晩の事件は不可解なり。その咎人として、魔道士が疑われり。汝、無実なりしや、其を証明すべし」
返事はない。周囲の目は、語りかけている最中はペイルトンに集まっていたが、語り終えると扉に向かい、しばらくするとまたペイルトンに戻ってくる。その時、扉の向こうから弱い声が聞こえる。
「わ、我、無実なり」
返ってきたのも古代魔法王国語だ。
「是より、其を査問せん。汝、扉を開放せよ。拒みしは、不信を招かん。蛮族は常に、魔道に不信なり。汝、魔道士として、不信を摘む義務あり」
古代魔法王国語に、非魔道士に相当する単語はない。不能者は、魔道士であるはずなのに使えない者になる。最初から魔法を使う立場にない者は蛮族なのだ。
「……諾なり」
ガサゴソと部屋の中で音がし、扉が開いた。出入り口近くに陰気な顔をしたベショが立っていた。
「どうぞ」
日常語に戻って、そう言うとベショは右足を下げて、中へと入る隙間を作る。が、そこをアリが通る前にまた、右足を戻す。
「前にも聞きましたが、あなたたちは本当に依頼を受けてこの船に乗ったわけではないですよね?」
アリがベショへ顔を近づける。
「しつこいな。たまたまだよ」
ベショが顔を背けているところに、さらに付け足す。
「それとも、何か、しらべられたくないもんでもあるのか?」
「べ、べ、別に、そういう事はありません」
あからさまに動揺を見せると、ベショは振り返り右のベッドへと歩く。アリが自分の目の横で人差し指を立てると、それを倒してベショの背中を示す。
怪しいから注意しろ、というサインだ。示されなくともそうするつもりだが、意思統一を確認する意味はある。ペイルトンとウェイが無言で頷く。
「まずは名前と所属を聞かせてもらおうか」
ベショの向かい側の空のベッドに、アリ、ウェイ、そしてペイルトンと並んで座った後、ペイルトンが聞いた。
「ドンカ・ベショ。……『銀盤の水鏡』所属」
予想外の答えだった。ハイマーの魔道士ギルドの名称は知らなかったが、銀盤の水鏡なら知っていたからだ。それはかつてペイルトンも所属していた、プルサスの魔道士ギルドの名称だ。
自ずと次の問いは決まる。
「プルサスの魔道士が、何故この船に乗っている?」
「そ、それは……」
ベショは口ごもると、下を向いた。しばらく待つが、また話し出しそうにない。
「王都の魔道士ギルドにご用ですか? お知り合いが居られるとか?」
助け船を出したウェイを、アリが余計な事を、と言いたげな横目で見る。ウェイは日常会話では良い聞き手かもしれないが、尋問では相手を追い詰めない展開に流しがちなので、確かに邪魔だと感じなくもない。ただし、この助け船が、おそらくウェイ本来の意図とは違い、相手の気を緩めて本音を転がり出させる効果も、少なくとも過去には幾度かあった。
「は、はい、そうです。魔道士ギルドに用があったんです」
予想どおり、ベショはウェイの投げ渡したロープに掴まる。現段階ではこれが功を奏したかはわからない。
「何の用だ?」
聞きながらペイルトンは、本当は用などないだろう、つまり目的は別にある、と予想していた。
魔道士は閉鎖的だ。別のフロアの魔道士に接触する機会すらほとんどないのに、別の町の魔道士に話すことなどまずない。だから、そのような者がいるとしたら、使者として公式な立場の者くらいしかないだろう。
しかし、ベショは魔道士ギルドの使者に見えない。敢えて別の町の魔道士ギルドに連絡を取らなくてはいけないくらいの事態なら、用件は重いはずだ。それなら、一人で遣わされず必ず護衛が付く。ベショにはその護衛が居ない。
秘密の任務を帯びた密使であれば、目立たないよう一人で行動するのはあり得る。その際、より安全で人目に付かない船を使うのは理に適っている。だが、それならもっとましな人材が選ばれるであろう。この男の挙動不審さは秘密の保持に全く向かない。
いや、もう一つ可能性があった。それは内通者だ。王都の月光の塔と、プルサスの銀盤の水鏡の両ギルドは、昔から仲が悪い。お互いを滅ぼそうという意思はないが、相手より先んじたいという雰囲気はかなり支配的だ。しかし、この観点でも、やはり人材面での適性という点が噛み合わない。
「それは、……イーギエ師と同じです。移籍願いです」
ベショだけでなく、仲間二人の視線もペイルトンに向けられた。
確かにペイルトンは、銀盤の水鏡から月光の塔へ移籍した。そして、その困難さも体験したからこそよく知っている。
「口で言うほど簡単ではないぞ」
「ええ。わかっています」
すぐに答えるあたり、わかっていないと思う。だが、過去のペイルトン自身もわかっていなかった。それに比べると、ペイルトンという前例が出来ている分、大変だという思いが薄れるのは当然だ。
「お知り合いなんですか?」
ウェイの問いに、ペイルトンは、何故だ、と目だけで返す。
「移籍についてご存知だったので」
言われてみればそうだ。自明の事実は他人も知っていると思いがちだが、そうではない。これについては、ペイルトンより先にベショが答える。
「いえ、お会いしたのは初めてです」
「じゃあ、なんでしっていた?」
アリの鋭い問い方に、ベショはたじろぎながら答える。
「そ、それは、もちろん有名だからですよ。……銀盤の水鏡出身のイーギエ師が、荒野の某という遺跡……遺跡ハンターの一員という事実は、同じ銀盤の水鏡の者として、誇り高いです」
アリはベショを冷ややかに見つめる。ペイルトンも同じく、ベショの話を鵜呑みにしてはいない。
おそらく銀盤の水鏡でペイルトンの名が知られているのは事実だ。しかし、それが「誇り高い」とは受け止められていないだろう。それはベショが、荒野の支配者という名を覚えていない事にも表れている。遺跡ハンターと呼ばれたが、実際そのような仕事はほとんどしたことがなかった。
これらのベショの態度がうまく繕われていたとしても、ペイルトンは銀盤の水鏡で、自分がもて囃されていない事を知っていた。そうでなかったら、在籍していた当時、周囲の態度がもっと温かかったはずだ。
そういった感情があるから、ペイルトンは細かな点を批判する。
「今はもう、貴殿も元銀盤の水鏡所属だろう」
「あ、そうでしたね……ハハハ」
もちろん面白くないので誰も笑わない。
「でも、同じ魔道士ギルドなら顔くらい合わせているのかもしれませんね。あ、もしかして、ベショさんは近頃プルサスに来られたのでしょうか?」
気まずい雰囲気を払うかのようにウェイが明るく言った。
顔を合わせていないのは、ペイルトンが銀盤の水鏡から抜けた後に、ベショが入ってきたからだという推理だろう。もちろんこれは、魔道士ギルドの移籍が簡単ではないという事実を、ウェイが知らないから浮かんだに違いない。移籍を連続している者がいる珍しさより、同じ魔道士ギルドに所属しながら、お互いを認識していない可能性の方がずっと高い。それほど魔道士ギルドは閉鎖的な集団だし、ペイルトン自身も関心のない相手の顔をいちいち記憶していない。言い換えると、本当は顔を見ていた可能性があった。
そこまで考えたところで、一つ疑問が浮かぶ。弟子となってからは、所属先が違えば交流はないのが自然だが、見習い時代はみんなまとめて読み書きなどを学ぶので、名前は知らなくてもお互いの顔くらい覚えているのが普通だ。
「幾つだ?」
「え、年齢ですか? 四十歳です」
四十。ペイルトンより、二つ若い。しかし、それなら見習い時代一緒にまとめられているはずだ。派閥ができるので、全ての見習いたちと知り合えるわけではないが、それこそウェイの言ったとおり、顔を見るくらいはしたはずだ。しかし、こんな男は居なかった。……いや、居たのだろうか?
ペイルトンは急に自信が無くなった。子供の頃から人付き合いは悪かった。覚えている自信はないし、なにより年月が見かけを変えている。これは自分の身にも言えることだ。
「もしかして、編入者か?」
魔道士の弟子となる主な経路は、見習い期間を経る道だ。しかし、それ以外の道もある。特に、都市部に住んでいないが魔術的資質があると判断された地方の子供は、魔道士ギルドに送られ、短い見習い期間を経て、もしくはその期間すらなく、弟子として引き取られる。それが編入者だ。
「あ、はい。どうして、それを?」
ペイルトンは答えなかった。
編入。それこそがペイルトンにとって、荒野の支配者として活動を始めた理由だった。
見習いから弟子へと昇格する際、新弟子はどこかの部門に所属することになる。この部門は、月光の塔ならフロアと呼ばれ、銀盤の水鏡ではクラスと呼ばれる。それに付随する言葉も両ギルドでは異なる。月光の塔では、専門とする領域の名が付けられる。例えばペイルトンは今、博物学のフロアマスターだ。一方、銀盤の水鏡ではマスターの名がクラスに付く。もしペイルトンが銀盤の水鏡のクラスマスターなら、クラス・イーギエを率いることになる。
この特徴は、代替わりの時に違いが顕著になる。専門領域が明示されている月光の塔なら、研究方針は変わらない。同じ志の者が継ぐからだ。しかし、銀盤の水鏡は、こちらも方針が変わらないのがほとんどだが、クラス名が変わると同時に内容が変わることが起こりうる。
どちらの制度も良い点と悪い点がある。
ペイルトンが月光の塔で受け入れられたのは、荒野の支配者としての活躍が、見聞の広さを自ずと証明していたからだ。だから、それまで博物学フロアに所属していた魔導師からすると、待ち行列に横入りしたかのような出世ができた。だが、一方で、フロア名に縛られてしまう結果も生んだ。今でこそ博物学の奥の深さを知り、更なる研鑽を積もうと考えているが、昔は別の興味が強かった。銀盤の水鏡なら、クラスマスターになれば、その方向変換が可能だった。
ペイルトンが弟子になる際、密かに望んでいたのは古代魔法王国の技術再現を研究する部門だった。しかし、弟子にそんな選択権などない。ペイルトンが引き取られたのは、呪文研究を進めるクラス・エックだった。
だから、弟子時代から魔道士になってしばらくは、ずっとクラス・エックを抜けることを夢見ていた。
編入は弟子として行われるのが大半だが、魔道士となった以降にも、少なくとも建前上は自分の意思で、所属先を選ぶ編入経路が存在した。しかし、現実には、そのような異端者は嫌われる。編入するならそれなりの理由がいるのだ。だから、ペイルトンは、荒野の支配者として、新しい遺跡や古代魔法王国時代のアーティファクトを発見し、その勢いを借りて、かつて希望していた魔法王国時代の技術復古を研究するクラスに編入するつもりだった。
「どこのクラスへ編入された?」
「……クラス・マイゼンです」
ベショの答えに、思わずペイルトンは繰り返してしまう。
「クラス・マイゼン!?」
クラス・マイゼンこそ、かつてのペイルトンが所属したいと望み、叶わなかった対象だった。なるほど、先ほど荒野の支配者を遺跡ハンターと呼んだのも、クラス・マイゼン出身なら有り得る。
弟子時代のペイルトンには分からなかったが、今の地位に就いたからこそ、違う魔道士ギルドとはいえ、弟子の受け入れ体制がどういう内情なのかを予想できる。おそらく弟子は、有能だと目されている者から、有力な部門が引き抜く形になっている。
クラス・マイゼンは人気もあり、ギルド内での発言力も大きかった。一方で、クラス・エックは弱小だった。
つまり、自覚していたとはいえ、ペイルトンは見習い時代の自分の実力を評価されていなかった事になる。しかし、ベショは編入ながら、マイゼンに入ったのだから、将来有望と目されていた存在ということになる。
「マイゼンを蹴るか」
ペイルトンは呟きながら考える。一番に浮かんだのは、クラスに居られないほどの失態をしでかしたという理由だ。しかし、そんな人材なら月光の塔で受け入れたいと思うフロアはなかろう。これは移籍する本人も知っているから、ここで聞いても答えないだろう。
他にあり得る事態は、マスターとの不仲だ。マスター・マイゼンは、ペイルトンが弟子になる頃、今のペイルトンくらいの年齢だったはずだ。つまり、今は老齢に達している。年を取れば、気難しくなる人は多く、それに起因する諍いから、ベショは出たいと考えたのかもしれない。
「きのうのことはいいのか?」
アリに言われて、ペイルトンは魔道士事情に傾いていた会話の流れを修正する。
「ふむ……。事件発生時、寝ていたらしいが、それは朝までか?」
「はい、朝までぐっすり」
寝ていたのでは、犯行時刻に気付いた事などないだろう。他に聞くべき情報は、本人の活動地域と内容についてだったが、これはプルサスの魔道士ギルドとわかっている。
「犠牲者との面識は?」
「いえ。一目会ったことすらありません」
そうだ。ベショは昨晩の食事に出て来なかった。だから、確実に顔を合わせる機会はなかった。故意に殺害するなら相手の確認くらいすると思われる。それがないのは犯行に無関係だからか、はたまた、犯行の臭い消しなのか。
さらに、魔道士だからこそ尋ねられる質問内容として、魔法が犯行で使われた可能性について、議論できた。しかし、真っ正面から聞くのは躊躇われた。自分が無能だと言っている気になるからだ。
ペイルトンが攻め方に悩んでいると、先にアリが切り開く。
「あんた、イビキをかいていたらしいけど、それって魔法でごまかせるんじゃないのか?」
「え?」
ベショは分からないという顔をした。意味が分からないわけがないので、分からないのは質問の意図だろう。
「ま、ま、まさか、私に罪をなすりつけようとしているのですか?」
ベショが慌てながらベッドの端をまさぐる。震える手で寝かしていた杖を拾うつもりなのだろう。だが、座っていたはずのアリの方がずっと早かった。片膝をつく形で腰を浮かし、抜いた短剣をベショの喉元に突き付ける。
「おっと、おかしなまねはすんなよ」
「ひっ!」
ベショは体を硬直させると、悲鳴にならない悲鳴を上げた。すぐに、ウェイが溜息交じりに声を掛ける。
「すみませんね、お邪魔しながら失礼な真似を。大人しくしていただけるなら、危害を加えるつもりはないですから、落ち着いていただけますか?」
ベショが助けを求めるように目だけを動かして、ペイルトンを見る。同じ魔道士としての助けてほしいのだろうが、ペイルトンの仲間なのはアリたちの方だ。当然ベショに手を貸すわけがない。顎を動かして、ウェイへ答えるように促す。
ベショは目を白黒させながら、一応ウェイに返事をする。
「は、はい」
「アリ」
ウェイがアリの肩を触り、アリは短剣を鞘に戻す。
ベショはそう思わないだろうが、この展開はベショの自業自得だ。魔道士に限らず、慌てて武器を持つ輩は危険なのだ。聞く耳を持たずにそれを振るう可能性が高い。そういう意味では、剣士のアツゴウと、商人のストンウェルは慣れていた。こういう遭遇では、冷静さがいかなる鎧よりも安全な防護となり得るのだ。
「わ、わたしはやってない!」
ベショの訴えに、アリは肩を竦める。
「はいはい。カンゴクの中じゃよくきく話だな」
「ほ、本当なんです。信じてください!」
ペイルトンも当然ベショの訴えを無視する。信じろと言うだけでは話が進まない。納得に足る証拠なりを提示されなくては、考慮する前提に至らない。
「……は! まさか、本当はあなたたちが……」
信じてもらえない理由を些か飛躍しすぎたようだ。ベショは震える手をまた杖に伸ばしかけて、止まった。アリが冷ややかな目を向けながら、それで良いと頷く。
「大丈夫です。わたしたちは犯人ではありませんし、貴方が犯人だと決めつけたわけではありません。ただ、いくつか聞きたい事があるだけです」
ごくりと唾を呑んでから、ベショが口を開く。
「どんな事ですか?」
ウェイは答えずにペイルトンを見た。釣られて、ベショもこちらを見る。
悪くない流れだ。これなら、聞いてやる事で相手を安心させる、という口実ができたので、魔術的な問題についても話しやすい。
ペイルトンはまず昨晩の状況を説明し始める。ただし、その場にいた者が分かった内容に留める。仲間で確認し合って分かった情報は折り込まないよう注意する。
一人の乗客が、月が出ていない暗闇で喉を切られて殺された。ここでアリから、「突かれた」かもしれないと注釈が入った。死体は海に落ちたが、数十拍後に月が出た時には、周りに怪しい人影はなかった。階段を下りた者もおらず、暴露甲板上にも隠れていた者はいなかった。不可解な事から魔法の関与が疑われたが、暗い間に呪文は聞こえなかった。
一通り聞き終えると、ベショは両手を腹のあたりで組んで考え込む。思考を始めると、怯えていた雰囲気は消える。魔道士らしい集中力だ。
「呪文が聞こえなかったのが、肝ですね」
しばらくして呟いた注目点も、魔道士らしかった。
「そうなると、あるいは――」
何か言い掛けてベショが、言葉を呑み込む。口にする前に、合わない内容と気付いたのかも知れない。そうだとしても、勿体ぶられているようで腹立たしい。
「何だ? 何か思い付いたなら口にしろ」
「え、えぇ。……呪文が聞こえなかったとすると、エンチャント系かと思いまして」
付与魔術。物品に魔力をする技術だ。煙幕魔術もペイルトンの杖明かりも、付与魔術に属する。ここに至る見解は、既にペイルトンも得ていた。魔道士としては、やはりここに落ち着くのが道理と言うことなのか。
ペイルトンはそう考えて納得しかけたが、ベショはさらに続ける。
「具体的にどういう物かは想像がつきませんが、殺された方がそれと知らず、コマンドワードを発してしまい、エンチャントアイテムが暴発というか起動して、その方を傷つけてしまった、とは考えられませんか?」
ペイルトンはしばし考えさせられる。彼だけでなく、アリもウェイも黙っていたが、そちらは理解しきれないからだろう。
すぐに浮かんだ解答は、ありえる、だった。だが、付与魔術について入口まで考えておきながら、自分がさらに奥に踏み込めなかった事が腹立たしかった。自然と、この説にケチをつけたくなる。
「しかし、被害者は魔道士ではなかった」
煙幕にせよ、ペイルトンの杖にせよ、魔術の発動には、呪文を一から唱えるに比べれば少ないながらも、魔力の消費が必要だ。魔術的な技術もいる。
「いいえ、そうとは限りません。アーティファクトの中には使用者の魔術的素養に関係なく発動可能な品がかなりありますから」
ペイルトンは、相手の得意分野に踏み込んでいるのは理解していた。それでも、いやそれだからこそ、相手に得意顔をさせたままにするのが、我慢ならなかった。
「本当にそうなのか? 古代魔法王国時代の支配者層は皆魔道士のはずだ。それも今の魔道士に比べて格上の。それなのに、魔力を必要としない魔道具を作成する意味があるのか?」
「……それは一般的にはそうです。しかし、末期は特に、魔力の少ない者たち、いわゆる不能者が生まれる率が高くなっている事を示す文献が複数見つかっています。一説にはこの流れが古代魔法王国の大崩壊を招いたと言われています。そういった不能者や準不能者が、まともであることを偽装するために、それらのアーティファクトを必要としたのかもしれません」
ペイルトンは閉口する。話された内容は知らなかった情報だった。いや、正確には、「魔道士の数が減って、魔道システムを維持できなくなった」という大崩壊説は知っていた。だが、それは数ある大崩壊根拠説の一つでしかなく、その時の社会的問題として考えた事がなかった。
自分の子供が不能者だと知った親は、有力者であればなおさら、それを隠蔽するために、魔力消費を必要としない魔道具の作成をさせるだろう。それが大崩壊で喪われなければ、確かにアーティファクトと言われる品になる。
ペイルトンが考えていると、ウェイが口を出してくる。
「古代魔法王国時代についてはわかりませんが、貴族の方々には、自分の力を使いたがらない傾向があります。一人で馬に乗れる方でも、馬車として曳かれることを好みますし、極端な方は輿で運ばせることまでしますね」
自分の権力を誇示させるという面で、魔力消費を必要としない魔道具が作られたという説だ。ここでベショの肩を持つ意見を言われるのは癪だが、許容するしかない。逆に、こちらが負けだと確定しているのに無理に助勢されると、より惨めになる。
「コシってなんだ?」
付いていけてなかったアリが聞いた。それにウェイが答える。
「馬車の荷台に、四本の長い棒がとびだしていて、それを力持ちが持って人を運ぶ乗り物ですね」
「ああ。ミコシのコシだったのか。……でも、それで旅はできねえな」
「普通は町へ出る時ですね。一応、馬車すら嫌う人は、それで旅をしてしまうそうですが、そんな機会は滅多にないでしょうし、あったとしても、輿には車輪が付いた物を使うと思いますよ」
話は逸れてしまったが、そのおかげで、ペイルトンがベショの説に反発している雰囲気が和らいだ。それに乗じて、ペイルトンも同じ側の説を一つ上げる。
「付与魔術師として考えた時、使用者の魔力を必要とするかしないかの作製技術は、後者の方がずっと高い。その技術力の高さを誇示する意味は出てくるな」
ベショがなるほどという顔で頷く。どうやら面子は保てたとペイルトンが思った時、ウェイがさらに付け足す。
「そういえば、似た品が既に存在していましたね。ここの船員さんたちも使っていました」
何かについて思い付いたはずだが、それが何かは言葉にしなかった。気になるが、ペイルトンはウェイに負けた気になるので聞けなかった。好奇心と矜持との狭間で悩んでいる間に、ベショが聞く。
「それは何です?」
「月光石です」
『月光石?』
ペイルトンとベショの声が重なった。
すぐに、ウェイの言うとおりだと分かった。魔力を充填する者こそ必要だが、使用者は、魔術的な技術などなくとも、明かりを発せられる。
「あれって、アーティファクトなんですか? エンチャンターが作っているのではないのですか?」
ベショがペイルトンを見上げた。
ペイルトンもそう思っていた。そう思っていたからこそ、古代魔法王国時代の遺物と思わなかったのだ。
「奴らは単に調整や充填をしているだけだったのか」
ペイルトンは呟いた。
魔道士は秘密主義だ。同じギルド内でも別の部門が何をしているかわからない。発言からするに、ベショも同じらしい。
月光石が古代魔法王国時代の遺物なら、付与魔術部門はその事実を隠蔽していることになる。わかりやすく言い換えるなら、古代魔法王国の実績を、自分たちの実積として周りに思い込ませていることになる。これは、マスター会議で懲罰を与えるべきか議論しなくてはいけない問題だ。
しかし、ペイルトンの中の冷静な部分が、この考えに水を浴びせ掛ける。
付与魔術部門が月光石を作製していないという証拠はないのだ。月光石は、魔道士でない者までが所持している普及を考えるに、かなりの総数があるはずだ。それを全て発掘品でまかなうのは無理があるだろう。もちろん、古代魔法王国時代の月光石の方が品質は高いという違いはあり得るが、現代でも生み出せる技術が伝えられている、と考える方が自然だ。王都やプルサスなどと違う場所の付与魔術部門が、一様に秘密を守っているとも考えにくい。それに、もし付与魔術部門が、古代魔法王国時代の月光石を再充塡して売っているとしても、その再充塡作業を生産と認識すべきかどうかという定義の問題があった。これらについて考えると、懲罰会議を開くべき案件ではなかったという結果に落ち着きそうだ。
ペイルトンが考えている間、ベショも考え、異なる視点の意見を言う。
「そういえば、遺跡で見つかった月光石は、いつもクラス・カセンが引き取ってくれますね。それに加えて、毎日大量に使用済みの月光石が持ち込まれていますから、新規生産せずやりくりできていても不思議ではありません」
ベショの意見は、ペイルトンと反対に落ち着いたようだ。ペイルトンはそれに反対するしない以前に、ある点が気にかかる。
「ちょっと待て。お前は古代魔法王国の遺跡に潜った経験があるのか?」
「え?……まあ、クラス・マイゼンですから。何度か」
直後に浮かんだ感情は、羨ましいだった。それはすぐに怒りを伴う嫉妬に変わる。自制しようと床を見つめると、アリがベショに話し掛ける。
「イセキにはおっさん一人で行くのか?」
「い、いえ。遺跡調査専門の護衛を雇います。遺跡ハンターの方々ですね」
「どういったヤツらだ?」
「えーと、名前は確か『赤毛の……』」
「『赤毛のキツネ』か?」
「はい、そんな名前でした。いつも遺跡の調査時には彼女らにお世話になっています」
「へえ。あの女ギツネ、まだおっ死んでいなかったか」
アリが自分の右頬をさすって笑うと、ウェイがそこに加わる。
「ラモーラさん! 懐かしいですね。彼女たちもまだ解散してなかったんですね」
アリが鼻で笑う。
「カイサンって。あそこは下っぱを使いすてだっただろうが」
「あれ? そうでしたっけ」
「あーあ、またこれだ。女しか見ていねえ」
ウェイとアリとのやりとりに、ベショが躊躇いがちに加わる。
「えーと……。確かに、メンバーは替わっていると思います」
「ほら、みろ」
アリがウェイの肩を叩く。ウェイはわかったと言うかのように目を伏せた。
ペイルトンは『赤毛の狐』とやらを知らない、もしくは覚えていなかった、ので黙って聞いていた。が、話が逸れて行き、自分を置き去りにされたくもないので、杖を突く。
「よし。テオがエンチャントアイテムの罠に掛かったと仮定する。そのためには何が必要だ?」
言ってから、仲間に聞いても仕方がなかった事に気付いた。魔法については、ペイルトンより詳しい者が居ないからだ。ベショは考慮できるだけの知識があるはずなので、そちらに聞いた体をとってもよい。が、真っ先に答えたのはアリだった。
「でも、あの男がだれかから、えたいのしれない物をもらうかね?」
そのとおりだ。そもそも、罠に掛けるという前提に無理がある。
が、ペイルトンが同意したその意見を、崩したのはアリ自身だった。
「いや、気付かれないように、もたせるっていうか、引っかけるのはできるか」
それを受けて、ペイルトンはさらに具体的に考える。喉を切る、ないし、刺す効果をあげるには、その魔道具は喉に密接しなくてはならないだろう。……首輪。家畜ならいざ知らず、人でそんな物を装着している者はまずいない。こっそり着けるのは不可能だし、騙して装着させるのも無理がある。
「致命傷を与えるには、魔道具を首に装着させなくてはならない。これは無理だな」
「ネックレスやペンダントでも、ダメなんですか?」
ウェイに聞かれたが、ペイルトンは答えられなかった。どちらも首回りの装身具ということは分かるが、詳細にどう異なるかは知らなかったからだ。過去にそれらを見聞きした事例を思い出して、定義の再確認をしようとした時、殺されたテオが首から巡察騎士の証であるメダルを下げていたのを思い出す。
あれはどうなったのだろう? 一目で金目の物と分かるから、放置はされていないはずだ。そうなると、船長が取ったか、あるいは犯人が盗んだかも知れない。アリの話によれば、あの金のメダルを奪うだけの目的で人は殺されうる。闇夜の悪魔がテオを殺した動機は、それなのかもしれない。
そう考えたが、今、仲間に話すことはできなかった。ベショが邪魔だからだ。
「シカケつきの首輪と言やぁ、ドレイの首輪で、下手に外すと毒針がとびだすやつがあるらしいな」
すぐにウェイが顔をしかめる。
「そんなひどい事をしている人が居るんですか!? そもそも奴隷が公に許されていませんし、その奴隷に首輪をするなんて! 信じられません」
奴隷身分が建前上なくなったのは、ペイルトンが生まれる前に起きた、宗派を超えた司祭たちが結束して運動した結果らしい。詳しく調べたことはないが、貴族側が暴動を恐れた譲歩だったのだろう。
だが、社会的に奴隷的立場は変わらず残っている。ペイルトン自身、弟子時代は奴隷に等しい扱いを受けてきた。魔道士の弟子はほとんどみんなこの経験をしているが、弟子を抜ければ奴隷扱いから解放されると分かっているから我慢できる面もあった。そう考えると、生涯奴隷という立場は確かに、暴動を起こしたくなるものかもしれないと思う。
「少なくとも、そう言っておけば、かってに首輪を外してにげるドレイは少なくなるよな」
言い出したわりに、アリはその仕掛け付き首輪の存在を完全に信じていないようだ。
しかし、古代魔法王国時代にそのような魔法装備は有り得たと思う。古代魔法王国の貴族たちは、蛮族を同じ人と思っていなかった。だから、人語を解する家畜として、首輪を着けさせられている奴隷はいただろう。その首輪が、致命的な品であることも、彼らが好みそうだ。
「そうだな。コマンドワード一つで装着者の命を奪う装身具が実在した可能性は高い。しかし、そうだとしても、アリの言った疑問が残る」
「どうやってテオさんにそれを着けさせたか」
ペイルトンはウェイに頷いて続ける。
「そう。そして、それをいつ回収したか」
「うーん、では、私が提案した方法は難しそうですねえ。……なるほど、動機はわからないまでも、みなさんが自殺と一旦決着された意味が今、納得できました」
本当はそこまで考えて自殺と言ったわけではなかった。むしろ、自殺しない目的があったと知っている。しかし、その背景を知らない者が自殺という説で納得するのは、ペイルトンたちにとって好都合だ。ベショが安心したついでにもう一つ聞いてみる。
「プルサスといえば、今、連続殺人事件が起きているらしいな」
途端に、アリとウェイから視線を浴びる。言葉が無くともわかる。踏み込みすぎじゃないか、という批難の目だ。
だが、ベショは、アリたちの変化に気付いた様子もなく、考え込む。
「はいはい、居ましたね。……ナントカの悪魔とかいう」
「闇夜の悪魔、でしたっけ?」
ペイルトンへの批難をさっと切り替えて、ウェイが正解を、ただし自信なさげな演技を加えて、提示した。
「はい、それです! 闇夜の悪魔!」
声が大きくなったのが気になった。この部屋はペイルトンたちの部屋と違い、音漏れの対策がなされていない。周りの者に聞こえてしまう。
ペイルトンは今更ながら、仲間たちの批難が正しかったかな、と思った。
「……して、それが何か?」
反応を見るのが目的だったのと、質問についての反省をしていたので、ペイルトンの反応は遅れた。が、それが不自然と思われないように、アリが話を継ぐ。
「へえ、今はそんな殺しがおきてるのか。くわしく聞かせてくれよ」
ベショにこちらを不審がっている様子はない。請われたとおり、話し出す。
「私も詳しくは知りません。ですが、暗くなると危険だから一人で歩くな、という話が広まっていますね」
「一人でなくても危険じゃないのですか? 噂では、衛兵の一団が襲われたとか」
ウェイの指摘に、ベショはハッとした顔になる。
「そう言えば、そういう話がありましたね。なかなか、お詳しい」
「すいません。噂話が好きなもので」
会話の流れとしてはまずかったが、やりとりは笑顔だ。怪しまれてはいない。ウェイはうまくやったようだ。
「確かに一人でなくても危ないのかも知れませんが、個人的には日が落ちてから外を歩くことはないので、危ない目には遭ってませんよ」
ということは、このベショも独身なのだろう。家族のある魔道士は、日が暮れると帰宅するが、独り身の魔道士はそのままギルド施設内に住んでいる者が多いからだ。
「そんなヤツじゃ賞金首なんだろ? そいつについて何かしらねえか?」
アリも賞金稼ぎとしてうまく質問したので、ベショは疑う素振りは見せない。
「うーん、先ほど話したとおり、詳しくは知らないのですが、そう言えば、一時期、魔道士ギルドの仕業ではないか、という噂が流れましたね」
「ん? 銀盤の水鏡が、か?」
これは意外な話だった。
「ええ。と言っても、おそらくギルド内だけで、民には広まってないと思いますが。ギルド内でも、その後で、どうも無差別に殺害を行っているようだから偶然なのだろう、となりましたが」
「待て。そもそも、なぜ銀盤の水鏡が関与しているという話になったのだ?」
「それは、殺された貴族の家臣がクラス・ラビーと揉めていたそうです」
「クラス・ラビー?」
銀盤の水鏡時代、ギルド内の事情に疎い方ではあったが、ギルドに所属するクラス名はさすがに全て知っていた。しかし、ラビーは聞いた覚えが無い。
「ああ、そうか。クラス・ラビーは、新しいマスターですからね。魔法薬の部門です」
「マスター・ホウエンの代替わりか」
「ええ、そうですね」
ペイルトンは、自身の所属クラスの次に関係があったのが、ポーション部門だ。マスター・ホウエンの先代は、マスター・イーギエ。ペイルトンの母親だった。
「貴族がからんでるなら、借金の取り立てで、もめたんじゃねえか?」
アリが見解を述べた。確かに、この手の揉め事は金銭が関係するのが相場だ。しかし、ペイルトンには腑に落ちない点があった。
「だが、ポーション部門はギルド内でも有数の収入源だ。そこが貴族に金を借りるとは考えにくい」
「だったら、たかられたんだろ? みかじめ料やらなんやらで」
アリは良くある話だという調子だったが、それは個人や小規模の団体ならではの話だ。プルサスの魔道士ギルドには力がある。それを脅すなら、貴族は領主級でなければ難しいだろう。
「その貴族は領主だったのか?」
「いえ、違ったと思います。公爵ではなく、辺境の……爵位は覚えていませんが」
そうだろう。公爵の家臣であれば、もっと話が大きくなっていたはずだ。国中に御触書が出回って、荒野の支配者にもきっと声が掛かっていただろう。
しかし、これ以上掘り起こせる内容ではなさそうだ。そう判断し、流そうとしたところで、ベショの「辺境」という言葉が引っかかった。そこから、かつてギルド内の母の部屋を訪れ記憶が蘇る。
八半刻も掛からずに行き来できたのに、ペイルトンが母の居室を訪れた機会は数えるほどしかなかった。見習い時代は、母親に甘えているとからかわれるのが嫌で、弟子時代は自由になる時間が少なかったからだ。魔道士に成れてからは、もっと顔を出すことはできたのだが、その時にはあまり会いたいと思わなくなっていた。
小さい頃に一緒だったという認識しかなく、思い出はほとんど残ってなかった。そんな相手の会話は自ずとぎこちなくなったからだ。
それでもペイルトンなりに、母には敬意と感謝の念があった。だからこそ、機会は少なかったが、特に用がないのに会いに行ったのだ。
普段窺い知ることのできない他の部門の内部はそれなりに興味深いものだった。調合室では、民が想像しがちな「魔女の大釜」が実際に並べられ、煮られていた。しかし、正真正銘の魔女である母の居室には、大釜はなかった。あったのは卓上の小ぶりな釜だ。母はそれで、新しいポーションの研究を行っていた。大釜は、考えてみれば当たり前だが、販売の為の量産用途だった。
研究はみんなそうといえるが、新しいポーションの開発もまた、手探りで進むしかないようだった。新規のポーション開発は言うに及ばず、既存ポーションの改良も、霧の中を這い進むものだったらしい。調合の割合を変えたり、新しい素材を加えたりして試し、記録を取る。これらの作業は、魔導師でなければ許されない。知識と経験が足りなければ、危険なポーションを作り出しかねないからだ。
そんな話を聞いて、やはり自分には向いてないな、と当時のペイルトンは思った。だからと言って、何が自分に向いているのかは良く分からなかった。
だが、部門としての権力の部分は、ポーション部門の方を羨ましいと思った。ペイルトンの所属していたクラス・エックは、単独での活動より、他部門と協力して活動する方がメインだった。古文書研究を主とする部門と古代魔法王国時代の呪文の復元を進めたり、付与魔術部門とマジックアイテムの開発に携わったりした。ただし、いずれの場合も、クラス・エックの方が立場が弱かった。クラスマスターの権力的な差を反映していたのだろう。特に、二大収入源の一つと目される付与魔術部門相手では、エックの魔道士が付与魔術部門の弟子と同等に近い扱いを受けた。エックの弟子だったペイルトンはさらに下層の存在となった。
しかし、クラス・イーギエは、もう一つの二大収入源であるポーション部門だった。母があちこちで陰口を叩かれているのは知っていたが、それを面と向かって言える者はおそらく居なかった。
だけど、扱える力が大きい事は担う責任も重い事を意味する。母によると、ポーション部門は確かに入ってくるお金は多いが、出て行くお金も多いと言っていた。特に、素材となる薬草の確保が一定せず大変だったらしい。
それで、母のクラスマスターとしての晩年、ペイルトンは討伐の旅のついでに集めた薬草を母に届けた事があった。さほど珍しい薬草でもなかったが、母はたいそう喜んでくれた。母はペイルトンが荒野の支配者として活動している事には否定的だったので、あの時ようやく許してもらえたと思った。思えば、あれ以来、植物の区別に気を向けるようになり、今のペイルトンの地位へと至る一歩になったかもしれない。
「素材だな」
母に関する記憶が数拍の間に去来し、それに掘り起こされた答えだ。
「え?」
ベショが分からないと言う顔で見てくる。確かに、記憶の海から上がりきっていない時の発言だったので、説明不足だった。
「ポーション部門と揉めていたという、辺境の貴族の争点が、おそらくポーションの素材。素材となる薬草の供給を止めるか、価格の上昇を押しつけてきたのだろうな」
「はぁ……しかし、クラス・ラビーは独自に菜園を持っていますよね」
「それでまかなえる量は一部だ。特定の環境でなければ育たない薬草も存在する」
「なるほど。そういうものなのですね」
「ま、どうせ、ギルドにちょっかいかけてたヤツは、ピンハネをねらってただけなんだろうがな」
「え! そこまで分かるんですか?」
ベショの驚きはペイルトンも同じだ。アリの説明に耳を傾ける。
「だって、もめていた、っつたろ? つまり、今はもめてないってことだ。だから、貴族がマジでおどしてきたわけじゃねえってことだろ」
理論として整理された話し方ではないが、言いたいことは分かったし、筋は通っていた。貴族の家臣が私腹を肥やそうとしていたが、殺されたことで、その陰謀が潰えた。
この推理は、連続殺人の裏に何らかの意図が隠されている観点を露わにしてくれた。無差別に見えて、何か共通点があれば、そこから犯人の特定に繫がるだろう。ただし、船上にいる現時点では動きようがない。
「他には?」
「いえ……。それは、昨日の事件についてですか? それとも、闇夜の悪魔についてですか?」
一旦返事をした後、ベショが疑わしそうに確認してくる。
どちらもなのだが、闇夜の悪魔への関心は過度に意識されるべきではない。どうしようか、と躊躇っていると、ウェイが聞き返す。
「どちらかであれば、何かあるのでしょうか?」
うまい切りかえしだった。ベショはしばし考えてから答える。
「……い、いえ」
ちょっと踏み込みしすぎたかも知れない。ならば、ここで深く考える前に立ち去るべきだ。
「そうか、では何かまた聞く機会があるかもしれないが、今のところはこれでよいとしよう」
一方的に言い切ると、ペイルトンは部屋を出た。




