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悪魔の乗りし船  作者: 最勝寺蔵人
本編
18/41

17 (ウェイ)

 イーギエが珍しく冗談――いや本人にとっては本心だったのだろう――を言った後、食事会は解散となった。

 船員たちの交代がやって来たからだ。ウェイたちも食器を返さないと、次の人たちに食事をよそえなかった。

 慌ただしい解散の中、ウェイは乗客たちに、後から話を聞きに行くから自室で待っているように伝えた。もちろん、彼らは不審がった。

 気軽に話すだけなら、相手を束縛する必要は無い。だから、尋問しに来る、と思われたに違いない。そこまで考えると自然に、昨晩の人死(ひとし)にが連想される。そして、自殺で決着したのではなかったのかという疑問まで浮かぶ。

 ウェイは、あらためて、自殺の原因について知っている事は無いか、テオの身元について何か知っている事はないかを詳しく聞きに行く、と軽く説明したが、信じられたという手応えはなかった。スーのような若い娘ならいざ知らず、船とはいえ町を離れて旅をするような連中だ。怪しさに対する警戒心があって当然だ。

 とりあえず、スーには自室に戻り、部屋にこもっているように言い聞かせた。いくら正体不明の殺人犯でも、白昼堂々と犯行を犯すとは思えない。「闇夜の悪魔」なのだから。それなら、部屋にいればひとまず安心だ。

 アリと少し話し、イーギエが見張りの尋問から始めたいとわかると、食事を始めた船員たちに声をかけて、その手配も手早く済ませる。

 今やウェイは、船員たちにとって悪役だった。船長に逆らっただけでなく、女を独り占めしている自惚れた強欲者として、彼らの目に映っているのだろう。

 それは仕方ない。昨晩の行為の代償だ。客室の壁は薄い。イビキが聞こえるくらいなので、何をしていたかは隣に筒抜けだっただろう。露骨にその事について嫌みを言ってくる者もいた。乗客でも、ストンウェル氏は、今朝初めて会った時に、冷やかしてきた。これは悪意がなかったので苛立ちはしなかったが、スーが隣に居る時だったので止めて欲しかった。実際、スーはどう返したら良いか分からず、俯いた。

 スーが居ないならば、多少きつく当たられても気にならない。嫌みの酷さは上流階級の社交界の方が上だ。それに、ウェイに比較的好意的な船員たちもいた。一緒に歌を歌った連中だ。彼らもあの時ほど、ウェイに好意を抱いていないが、視線に悪意を感じるほどではなかった。だから彼らを頼って、昨晩見張りの者に繋いでもらい、彼に食事が終わった後、みんなで借りている部屋に来るよう伝えた。甲板長の許しがあれば、という返事だったので、それもさっと済ませる。甲板長もまた、ウェイに敵意を持っていたが、仕事と感情を別にできる人のようだ。船長からの許可が出ているなら、八半刻くらいなら呼び出してよいと、淡々と答えた。

 手はずを整えて、部屋に戻り、見張りが来る前に、どんな内容を聞くつもりかイーギエに確認を取ると、自分で聞くから話す必要が無いと拒絶された。船員たちに冷たくされるのは平気だったが、イーギエからの嫌がらせは頭に来る。ウェイは最初の尋問相手を呼ぶ手はずを整えた。だから尋問の目的を聞く権利はあるはずだ。

 だが、ウェイは言葉を呑み込んだ。この仕打ちが「女にうつつを抜かしていたから」だとわかったからだ。これまでの付き合いから、イーギエは尋問内容を仲間内で確認し合ったに違いなかった。その場にウェイが居なかったのが悪い、という言い分だろう。

 だが、改めて考えたところで、スーを一人にしておくことはできなかった。やり直せるとしても、やはりウェイは打ち合わせをすっぽかす。つまり、これは受け入れなくてはいけない痛みなのだ。

 ウェイは気持ちを切り替えて、客の受け入れ態勢について、話を変える。静寂の香は、まず船員が来るから炊かない方が良い。火気について注意されるからだ。その後の乗客たちは、呼びに行った方が良いのか、皆で行った方が良いのか。これにはアリが、押しかける方が良い、と主張した。荷物を検められるからだ。その意義はあるとは思ったが、単に金目の物がないかを調べたい欲求による意見のようにも思えた。ウェイは、部屋が狭い、と反対側の意見を述べる。反対の立場ではなく、欲に流されすぎていないか、冷静に判断してもらう為に手綱を引いたようなものだ。

 結論が出る前に、呼んでいた見張りが訪問してきた。ウェイが扉に向き直ると、アリは移動を始め、パースが扉を引き開ける。

 現れたのは確かに昨晩見張り塔から降りてきた男だった。ウェイは笑顔で目の前の空きに座るよう促す。

 ウェイたちの配置はこれまでと同じだ。ウェイは部屋のほぼ中央、ただし今回は扉の方を向いている。イーギエは左後ろの隅に座っていた。パースは左前の扉の脇に座っていて、アリは右後ろで、振り返って確認しなかったが、おそらく立っている。この船員が襲ってくることはないとわかっているだろうが、相手が座らない限り、自分から座らない。そういう性分なのだ。しかし、この態度は相手を警戒させてしまう。実際、船員は部屋に足を踏み入れただけで、座るのをためらう素振りを示した。

 だけど、彼が目を向けたのはアリの居る側ではなく、イーギエの居る方向だった。視線の高さを確認し、ウェイは遅れて気付く。この船員が怯えているのは、イーギエの光る杖だ。荒野の支配者のメンバーにとっては、暗い中イーギエが杖を光らせてくれるのは当たり前の事だったので、意識すらしていなかった。

 改めて考えるとこの明かりは便利だった。今はスーと過ごすようになったので、明かりの魔法がない不便さが良くわかる。ウェイにも光源としてホタルの術はあるが、明るさでは劣るし、光り続ける時間も短い。対して、イーギエは、自身が起きている間ほとんどずっと明かりを灯せる。それがいかにすごいことなのか、ウェイはよく理解している。面と向かって褒めるつもりはないが。

 ウェイは船員に笑顔を向ける。怖がっているのはわかるが、明かりを消すわけにはいかない。外で日は照っているが、ここはほとんど暗闇だ。そして闇は恐怖を増大させる。

 その時、パースが扉を閉めた。退路を断たれた形になった船員が、ビクリと体を震わせ後ろを向く。

 開けさせた方がいいのだろうか、とウェイは考える。閉めなくてはいけない理由は、話す内容を他に聞かれたくないからだ。聞き込みをする場合、相手に先入観を与えるべきではない。ここで聞いた話が洩れると、次に聞く相手の話が変わる可能性があった。犯人が嘘をつくのにも、他の人が何を話したか知っていれば、それに沿うように嘘を作りやすい。だが、それ以前に、怖がって話を聞き出せなければ意味はない。ここは妥協した方がいいかも知れない。

 ウェイは、イーギエの方を向く。身振りで開けさせるべきかと聞くためだ。イーギエが難色を示すのはわかっていたが、怖がって口を開かないのなら仕方ないと考える可能性があった。が、思わぬ援護が反対側から出される。

「てめえのためだ。てめえはしょうじきに話しただけってつもりでも、ツレはチクったと思うかもしれねえ。でも、そもそも何を話したか聞かれてなければ、てめえで何とでもごまかせるだろう」

 ウェイがアリに微笑むと、アリは左手の人差し指をピクリと動かす。ウェイのお礼と賞賛に対して、大した事ではない、と示している。

 船員に向き直ると、その顔から恐怖が薄れていた。アリの言われた内容をじっくり考え、納得したように首を縦に振った。そこで、すかさずウェイが座るように促すと、一旦動きが止まりはしたが、ゆるゆると座り始める。

 その動きを見ながら、ウェイはこの船員が幾つくらいになるのだろうと考える。

 ウェイは、年齢を見抜くのに慣れていた。ただし、これまで考えさせられた対象は貴婦人ばかりだ。この時、答える数は実際の年齢より下回らなくてはいけない。

 例外として少女からの問いには、逆に大人びて見えるように答えることが喜ばれる。ただし年相応だとわからせる事が本人を守る事に繋がる場合もあるので、正確に答えたこともあった。いずれにせよ、少女から聞かれる機会は少ない。

 大人の貴婦人からの問いには、その場に侍女しかいないのか、他の貴婦人もいるのか、で読み違える幅が変わる。前者であれば、十近く若く答える事が喜ばれる。しかし、後者であれば、例え同席しているのが実の姉妹であっても、大きく間違えてはいけない。二三歳が適当で、大きくても五歳に留める。そして、より力が強い方を読み違え幅が大きくしなくてはいけない。

 これらの工夫は、女性が幸せになって欲しい気持ちから発しているが、下手をすれば社交界から排除されない危険なものだ。だからこそ、直に正解することはなくとも、相手の実年齢を見抜く能力は重要なのだ。だからウェイは、この能力に長けている自負があったが、問われる事は好きではなかった。いつも「いくつに見えるかしら?」という微笑みの向こう側に、抜き身の剣を向けられている緊張を感じるからだ。

 しかし、ウェイのいわば窮地で鍛えられた眼力は、船員相手にあまり役に立たなかった。ウェイが年齢を推し量る際に注意するのは、肌、皺、指先、そして言動だった。

 船員の肌は日焼けして、質が分かりづらかった。皺は多いのだが、これは日焼けによる副作用とも考えられた。貴婦人たちはその害を知っているから、過剰なまでに日に当たる事を嫌う。船員の指先は傷だらけで荒れている。これも、おそらく実年齢より上に見せる要素でしかない。貴婦人たち相手ではほとんど気にしない、というか、対策されているので考慮しても無駄な点も、船員相手の年判断の足を引っ張る。髪と歯だ。

 目の前の船員の髪には白いものが混じっていた。これは四十を過ぎたことを示すものなのか。それとも肌と同じように、常に日光と潮風に晒された結果なのか。ウェイには判断がつかなかった。

 船員は前歯が何本かなかった。歯抜けもまた人を老けさせる。歯が抜けた人そのものはありふれている。だが、貴婦人ではあり得ない外見だった。歯がなければそこに目立たない差し歯を入れる。さらに、常に扇で口元を隠し、見えなくさせている。

 年を取れば体の何所かしらに痛みを抱えてしまう。さらに動きも緩慢になってくる。しかしこの船員は、腰か膝かに痛みがあるようだが、動きは遅くない。これも判断が難しい。

 こうなれば直接聞くのが早い気もする。貴婦人相手では禁じ手だが、船員が年に関して気にしているとは思えない。だから失礼に当たらないはずだが、おそらく聞いても無駄だ。ほとんどの一般人が自分の正確な年齢を知らないからだ。十までなら数えられる者は多いが、それ以上は、教育を受けた者か、金勘定が必要な仕事をしている者に限られる。

 もたもたしていた船員がようやく座り終えると、ウェイは仲間を含めて改めて名を名乗り、相手の名を聞く。

「そ、それは本当の名前じゃなきゃいけねえのか?」

 船員の怯えた目がイーギエの方へ向き、すぐ床へ下がる。

 なるほど、とウェイは心の中で頷く。船員は、いわゆる真名(まことな)について警戒しているのだ。魔術、特に呪いについて、名前を知られることが呪術の対象になる要素として必要だ、と一般に知られている。

 あいにく、半端な魔術知識しかないウェイは、その一般認識が真実かどうかわからない。ただウェイが扱える術には、相手の名が必要となるものはない。イーギエから漏れ聞いてきた魔道に関する知識や、半端ながらも魔道士して活動してきた経験などから、精神に関わる術であれば、名前は有効な要素ではないか、と考えられる。実際そうなのかはイーギエに聞いてみないとわからない。しかし、嫌みの雨と引き換えになるに違いないので、そのつもりはない。少なくとも今は呼び名が欲しいだけだ。

「いえ、あだ名でいっこうにかまいませんよ」

 イーギエに確認を取らなかったが、後ろから舌打ちは聞こえなかった。

「じゃ、じゃあ……サンボンアシだ」

「なるほど……サンボンアシさんですね。よろしくお願いします。では、初めに繰り返しになりますが――」

 さらっと流して質問を始めようとしたが、イーギエが引っ掛かった。

「待て! なぜ三本足だ。もしかしてお前はミュータントだったのか?」

 サンボンアシには名前と違い三本目の足は見当たらない。それでイーギエは、切り取るなりしたのではないかと考えたのだろうが、答えは本人から聞く前からウェイにはわかっていた。上流階級では上品さを求められるが、非公式の場では下品な話がかなりあった。その手の会話が、下町の酒場と違うのは、直接的な表現ではない点だ。三本足は上流階級が好みそうな表現だった。案の定、サンボンアシが言いにくそうに説明し、イーギエは途中で苛立たしい声で遮った。振り返らなかったが、アリはニヤニヤしているだろう。アリはこの手の話が好きだ。

 ウェイが改めて昨日状況について聞くと、サンボンアシはボソボソと話し出す。話した内容は昨日のままだ。

 下で音がして、テオ氏が出てきたのを見た後、月が隠れて暗くなり、しばらくしてから誰かが落ちる水音がした。それから、仲間に大声で伝え、月が出てきて、見張りたち以外の船員たちが現れ、その後ウェイたちがやって来た。犯人らしき人影は見かけていない。

「ちょっと待て」聞いた内容を紙に記していたイーギエが頭を上げる。「他の見張りと言ったな。貴様以外にも見張りがいたのか?」

「へ、へえ。ドウカさんに、ウシ、あとサンカクです」

 これもあだ名のようだ。すんなり出てきたことから、船員たちは普段からお互いあだ名で呼び合っているらしい。

「合計四人か」イーギエがおそらく残り三人分のあだ名を書き記す。「皆が上に居たわけではないだろう。そいつらは何所に居た?」

 つっかえながらサンボンアシが説明を始める。

 夜の当番は四人で、その四人が交代でマストに上り見張りをする。交代は四半刻から半刻毎。上から声を掛けることが、交代のきっかけとなる。

 そこでまた、イーギエが止めた。四半刻から半刻では担当時間が倍異なる。その大雑把さが気になった、というか、我慢ならなかったらしい。

 しかし、そこを指摘されてもサンボンアシには何が悪いのかわかっていない。一回分の持ち回りで、それぞれの担当時間に差が出るだろう、というより具体的な指摘にも、「はぁ」と答えるだけだ。彼からすると、それが当たり前なのだ。

「だったら、皆が楽をして四半刻で回そうとするだろう。それでいいのか?」

「あ、それでしたら、あんまりみじかいとおこられます。とちゅうでおこしたって、よけいにおこられるから、下のものはたいていギリギリまでがまんします」

 この返事で、ウェイは理解した。サンボンアシが自覚していなかった前提として、夜番の者の間の上下関係があったのだ。

「いや、そうだとしても、当番時間を四等分していなければ、二周目三周目が回らない者が出てきて――」

「だから、下っぱからはじめて、古いやつはあとになるんじゃないのか?」

 アリが横から口を出した。サンボンアシは助けを得られて、そちらを見るとガクガク頷く。

「だが、それでは不公平だろ」

「世の中そういうもんだろ」

 アリが肩をすくめて言い足さなくても、イーギエは理解し始めていた。周りに訴えているというより、一人でぼやいている口調になっていたからだ。

「船員さんたちは、イーギエが調整してくれる月光(がっこう)石を持っていませんからね」

 ウェイのフォローにイーギエは少し気を良くした。

 そもそも夜に時間を計るのは難しい。町中に居たとしても、多くの市民が時計として頼りにしている鐘の音は、夜に鳴り響かない。広場や裕福な者の庭にある日時計も、当然夜は使えない。

 持ち運びできるかどうかも重要だ。持ち運びできる時計と言えば砂時計になるが、あれはせいぜい半刻が限度だ。それに壊れやすいので、旅に持ち出す物ではない。

 そうなると、夜に時間を知るには、月や星の動きから読むしかない。しかし、その知識や技術がある者は少ない。

 荒野の支配者たちも、夜の見張り交代が落ち着くまで時間が掛かった。ウェイとマコウが星を読めたので、その前後に人を挟むことで一応ある程度公平に休息を回せた。

 そのうち、イーギエが月光石を用いる交代法を考えた。

 四つの月光石に同じだけの魔力を注ぐと、発光する長さも同じとなる。だから当番となった者は、自分の月光石を叩いて明かりを点け、それが暗くなり、叩いても明るく戻らなくなったら次の者を起こす、という方法だ。これは、早くに起こされがちだったウェイたちにとっては助かる方法だった。星が読めても、曇りや雨の日には、勘に頼るしかなかったので、その点でも役立った。

 だが、この方法は準備が難しい。ウェイでも、手にした月光石に魔力を充填する事はできる。だけど、複数の月光石に同じ程度という調節はできない。目隠しをして水を注ぐような感じに似ており、入った量を把握できないのだ。これに加えて、イーギエは日の出までの時間を等分して、それに相当する量の魔力を充填する。この感覚も、どれくらいの魔力消費でどの程度月光石が持つのか、ウェイには見当も付かなかった。

 この芸当をもはや当たり前にやってのけるイーギエだからこそ、サンボンアシの説明が素直に理解できなかったのだろう。

「まあ、それもそうか。時間を計る(すべ)がない者は、無駄が生じても仕方あるまい」

 満足げな顔のイーギエに、少し腹が立ったウェイはチクリと付け足す。

「もっとも月光石も、完全に同じ時間を示すわけではありませんから。多少のばらつきがあるものです」

 自分の技術にケチを付けられたイーギエの顔が一瞬で曇る。しかし、ウェイの言ったことは真実なので言い返してはこない。

「で、あんたは何回目の見はりだった?」

 アリがサンボンアシに聞く。ウェイとイーギエのぶつかり合いに慣れているから、面倒が起きる前に話を進めたのだろう。気を利かせて済まなかったとウェイは反省する。

「その夜で、ってことですかい? それなら二回目で。じゅんばんなら二人目でさあ」

「……事件があったのは何刻だ?」

 イーギエから言われてウェイが考える。イーギエも自分で調べることができていたはずの情報だが、起きたばかりの鈍った頭では星空を眺めて確認はしていないのだろう。とはいえ、ウェイも意識して確認はしていない。昨晩、月が出てきた時に見上げた角度を思い出す。

「夜の第二になる前でしたね。一半といったところですか」

 昼、太陽が一番高く上った時が第一刻。そこから一日を十二に分けた一つが、長さとしての一刻となる。だから、半日過ぎた夜中は第七刻となる。しかし、実際には、十二刻まで数えず六刻ずつ区切って表現する方が一般的だ。その際、刻数の前に、朝昼夜などとわかりやすいように付ける。

「……それなら、むしろ半刻近くで回していた計算になるな」

 イーギエが指をクルクル回す。意味が伝わってないので、ウェイが「続けて下さい」と伝える。

「そのまえにちょっといいか?」

 アリが割り込んできた。もちろん、拒む理由はない。

「そもそも、あんたら、何を見はってんだ?」

「それは……いちばんは、船です。いかりを下ろしてますが、波におされて、りくに行きすぎないように見張ってます」

「もし、陸に近づいたらどうする?」

 イーギエが疑問をぶつけた。

「その時はみんなを起こして、立てなおします。暗い中、帆を張って。潮でそれだけ流されることはまずねえですが、いちおう舵もきりなおします。いずれにせよ、もしこの船が座礁しちまったら、船長は誰かを殺すでしょうね」

「ん? 誰かに責任をなすりつけるということですか?」

 ウェイには、話が急に跳んで繫がらなかった。すると、船員ではなく、アリが笑ってこたえた。

「金貨何千枚もスっちまうんだろ。そりゃあ、だれかを殺したくもなるぜ」

「……かんしゃくの発散ですか」

 それで人殺しをするとは、やはりウェイには理解できない相手のようだ。

「海賊はどうなんだ?」

 アリが聞いた。

「ああ、もちろん、それもありまさあ。けど、この船、陸からじゃ見えないくらいに遠くにとめてますんで、まずおそわれませんね。少なくともあっしが乗ってからは一度もありやせん」

「いや、りくじゃなく海だぞ。海賊」

「ああ、もしかして、同じような船に乗ってる海賊ですか? そいつらはここらにはいませんよ。もっと東の海です」

「じゃあ、ここらの海賊ってどういうヤツなんだ?」

 アリが、まるで今後の参考になると言わんばかりに身を乗り出す。

「それが、さっき言った小舟にのって、おそってくるれんちゅうでさあ。夜のやみにかくれて、ちかくまできて、縄をかけて乗りこんでくるんです。おっかねえれんちゅうですよ。でも、もし海賊の一人の目がよくて、りくからはなれた船を見つけ出すとしても、ちかづくには明かりをつけなきゃムリです。そうなりゃこっちからイッパツでバレちまいます」

「なるほどな。それだけ めんどうだったら、そもそも船をねらおうとは思わねえな」

「もういいのか?」

 イーギエがアリに聞いた。

「ああ、いいぜ。ベンキョウになった」

 次にイーギエはサンボンアシに話しかける。

「他には?」

「へ、へえ。……で、でも、もう はなすことはありませんが……。だんなたちが出てきて、あとは同じです」

「同じではない。貴様が気付いた事と、我々が気付いた事は自ずと異なる。そもそも視点が違うではないか!」

 イーギエに睨まれてサンボンアシは首を竦める。

「何か気付いた事はありませんか?」

 ウェイの問いにも、サンボンアシはぶるぶると首を振る。後ろからイーギエが舌打ちするのが聞こえた。ウェイはサンボンアシに笑顔を向けたが、感想はイーギエに近かった。サンボンアシは早く去りたいからか、深く考えようとしていない。

 仕方ない。ウェイはあまり気が進まないが、うまく話が聞き出せない時にとる手法に切り替える。本来であれば香を焚いた方がいいのだが、今からでは間に合わないし、そもそも火を焚く行為が禁止されている。しかし、代わりにここは静かな閉鎖空間だ。杖の明かりがあるが、明るすぎるわけではない。始めれば、おそらくイーギエが気付いて明かりを控えめに落とすだろうから、できなくはないはずだ。

「ではもう一度、昨晩の様子を思い浮かべながら考えて下さい。……目を閉じて」

 言ってから先に目を閉じる。数拍して薄目を開けると、まだサンボンアシは目を閉じていなかった。警戒心が残っているようだ。ウェイは相手の目の前でゆっくりと開いた手を閉じて、目をつぶることを促す。サンボンアシがそれに従うと、ウェイは話を続ける。

「ここは夜の見張り塔の上です。雲が出ている時、辺りは真っ暗闇。月が出ても、船は薄闇にぼんやり黒く浮かぶだけ。風は強く、波のせいも相まって足場は揺れます」

 サンボンアシの体がゆらゆらと揺れる。昨晩の様子を再現しているのだ。

 ウェイが、自身に催眠術の才能があると気づいたのは、荒野の支配者の仲間になってからだ。ただし、自分でもどうやってその能力を使えば良いのか良く解っていない。何となく目安がわかるだけだ。相手の緊張をほぐし、思い出させたい場面を独特の口調で語る。そうすると相手は、自分の記憶を上手く掘り起こせるらしい。気をつけるべき点は、描写をあまり深くしすぎない事だ。詳しい描写であればあるほど相手は深く記憶の森に入っていくが、事実と間違った箇所があれば、その違和感から相手は急速に覚めてしまう危険があった。

「死んでしまった乗客、テオさんが来たのはどうやって知りました?」

「音だ。のぼる音が先にきこえる。あのときはくらかったが、音はきこえた。いや、まて。その前に……」

 目を閉じたサンボンアシが小さく首を捻る。何か思い出すようにも、何かに耳を傾けているようにも見えた。が、そのまま、続く言葉はない。

「その前に何がありましたか?」

「……何でもない。」

 ウェイは眉を寄せた。何もなかったわけではないはずだ。サンボンアシは自身の記憶の森の中を歩いている状態だ。だから何かを思い出したに違いない。それを伝えてこないのは――

「何でもいいのですよ。ありのままに感じたことを教えて下さい」

「……音がした」

「音ですか? どんな音でした?」

「のぼる音だと思った。でも、下を見てもだれもいなかった」

 緊張が走った。ウェイだけでなく、アリもイーギエもこの話に注目しているのが感じ取れた。謎だった犯人に繋がる情報かもしれない。

「暗かったからですか?」

「ちがう。月は出ていた」

「……ではなぜ姿が見えなかったのでしょう?」

「ききちがいだった」

 ウェイの肩から力が抜ける。感じたことを掘り起こすだけで、それが事実とは限らないのだ。

「それか、のぼりかけてやめたか」

「なぜ、止めたのでしょう」

「べんじょにいった」

 ウェイは小さく息を吐いた。誰かが甲板に出て用を足そうと思ったが、トイレを使おうと考えを変えただけ。いかにもありそうな日常的な行為だった。

 肩を竦めながら、アリを振り向くと、意外にも満足した顔をしていた。イーギエに目をやり小さく頷く。どうやら、ウェイのいない間に何かに発見があって、それが今の話に繋がったのであろう。そこまではわかるが、完全な理解は後で聞き出さないとわからない。

「次に男が出てくるまで、どれくらいの時間があった?」

 イーギエの問いにサンボンアシは答えない。おそらくそもそも聞こえていないのだ。これまでもこの状態になった相手は、ウェイの言葉にだけ耳を傾ける傾向があった。他の人の声が届かないことはないのだが、大きな声は覚ましてしまう危険があった。それをわかっていて、イーギエの声は小さかった。ウェイに対して、そのように聞け、と言ったのだ。

「トイレ――」言いかけて、すぐに言い直す。相手の語彙に合わせた話し方というのも、覚まさせないコツだ。「便所へ行った音を聞いた後、テオさんが出てくるまでどれくらい時間がありましたか?」

「それほどなかった」

 振り返らなくともイーギエが不満そうな顔をしているのがわかった。でも、これ以上は掘り起こせなかった。理由はわからないが、数を意識させると覚めやすかったからだ。自然に転がり出たのならいいが、サンボンアシが何拍だと意識していなかった以上、詰めるのは難しい。いちおう、サンボンアシの中では同じ場面を繰り返させてみる。

「便所へ寄った音がしてからどうなりました?」

「しばらくしてまた、上る音がした」

「テオさんですね?」

 サンボンアシが頷く。

「何か普通と違った点はありましたか?」

 サンボンアシが目を瞑ったまま俯いて体を左右に揺らす。下を覗き込んでいる様子にも見える。

「くらくて見えない」

「音は?」

「歩き回っている音がした」

 歩き回る……。小便の為に出てきていたなら、近くの縁に進むだけで良い。

「不自然とは感じませんでしたか?」

「いや」

 感じたまま話しているので、理由は積極的に話さない。だいたいいつもこんな傾向だ。

「なぜ、そう思ったのですか?」

「夜空を見上げに出てくる客はおおい」

「暗いのにか?」

 イーギエが疑わしそうに言った。ウェイはそれを伝える。

「月が出ていない暗い夜空を見上げるものなのでしょうか?」

 サンボンアシが顔を上げると首を傾げた。眉間に皺が寄っている。まずいと感じたウェイは、すぐさま彼の閉ざされたまぶたの上に片手をかざす。

「しーっ。そこは暗い見張り塔。潮の匂いがします。風は強い。……寒いですか?」

「ああ、さむい」

 サンボンアシが体を震わせて、ありもしない毛布を体に巻き付ける動きをした。

 うまくいった。

 先ほどの質問は、相手に考えさせすぎた。ウェイの催眠術は、感じたことを語らせるだけで、考えさせることはできない。この半端さが、この技を使いたくない一つの理由だった。催眠術師に教わった技ではないので、何をどうするべきかという技術を未だに良く解っていない。この技は相手に記憶の森を歩かせるものだとイメージしているが、ウェイ自身も暗い森を手探りで進む不安な気持ちにさせるのだ。

「空を見上げるのに良い場所を探していたのかもしれませんね」

 ウェイの言葉に、サンボンアシが頷く。先ほどサンボンアシを覚醒させかけた棘は、それらしい理由で納得させて、きちんと抜いておく。

「また月が出た時、テオさんはどこにいましたか?」

「さくのそばだ。たぶん、そこからおちた」

「それからどうなりました?」

「またくらくなって、男がおちた」

「なるほど。ゆっくり進めてみましょう」

 ウェイはわざと相手に聞こえるくらい、深呼吸をする。サンボンアシの呼吸もそれに合わせるようにゆっくりになる。

「落ちる前に、何か変化はありましたか?」

「音がした」

「どういう音ですか?」

「声だ。みじかい……おどろいたような声」

「それから?」

「へんな音」

「変? どのように変でした?」

「ガバッゴボッ……あわがわれて、きがぬけたみたいな音」

 ウェイは気になったが、何の音かわからなかった。しかし、立ち止まるとまた目覚めそうな気がして、同じペースで進める。

「それから?」

「……おちた水の音」

「続けてください」

「なかま、よんだ。『だれかおちたぞー』」

 サンボンアシが突然片手を口に当て声を大きくした。ウェイはびっくりしたが、その驚きが表面に出るのは抑えられた。サンボンアシ自身の様子は変わらない。思い出している記憶の中でも叫んでいたからだろう。ウェイは驚きを静めると、変わらない落ち着いた声で語りかける。

「仲間たちはどうしましたか?」

「くらくて見えない。でもうごきはじめた音がする。……『そっちだ!』」

 右下を指差しながらまた声が大きくなる。が、先ほど大きくはない。実際そうだったのか、何か別の要素のせいなのかはよくわからない。

「月が出た。みんなが出てきた。甲板長も出てきた……」

 サンボンアシの動きに落ち着きがなくなる。キョロキョロ首を回し、まぶたがピクピクと動き始め、口はパクパクと開いたり閉じたりする。しかし言葉は出てこない。

 ここまでか。ウェイはそう思うと、左手を肩の高さへ上げる。

 これまでも、似た様子を示す者はいた。その共通点から考えるに、どうも記憶の中での展開が早すぎて言葉にするのが間に合わない状態だと、こうなるらしい。

 開いた左手の甲は、イーギエへ中止を伝えるメッセージだ。様子から、覚醒しかねない状況だとわかっているはずだが、事前に通知しておかないと、後でうるさい。だが、予想外にイーギエではなくアリから、待ての呼び掛けが入る。

「犯人のすがたを見かけなかったが聞いてくれ」

 確かに聞く価値のある質問だ。しかし、ウェイは直接伝える前に、一拍おいてそのままの文言で良いか考える。いや、良くない。自殺と説明したのに犯人という言葉は合わない。

「船員ではない姿が見えましたか?」

 船員が犯人の場合、見つからないことになるが、短い時間で他に適した表現は見つけられなかった。

 サンボンアシが身を捩りながら、見回す。無理をさせているようだ。記憶の景色から特定の相手を探させているからだ。

「い、いない。見つからない」

 サンボンアシがけいれんし始めた。限界だ。

 ウェイが催眠術を使いたくない大きな理由がこれだった。相手の精神に負荷をかけすぎてしまうのだ。手探りでできてしまった技なので、負担の和らげ方は良くわからない。このまま無理に続けると、相手がなかなか覚めなくなる事態を招きかねない。ウェイは右手をサンボンアシの耳元へと伸ばす。その時、サンボンアシの動きが止まった。

「あんたが上ってきた。……目つきのわるい男も一緒だ」

 アリがふっと笑うのが聞こえた。目つきがわるい男と言われた事への自嘲だ。サンボンアシの呼吸はゆったりしだした。聞かれた質問に対しても、彼なりに答えられた事で圧迫が和らいだのだろう。しかし、これ以上はウェイたちが着いた後、つまり知っている出来事だ。

 ウェイがサンボンアシの耳元でパチリと指を鳴らすと、サンボンアシの体がビクリと震えて反応する。

「ほら、じっくり思い出すと、意外にも覚えているものでしょう?」

 大きく息を吐くように告げると、サンボンアシは深呼吸をしてから目を開けた。それからパチパチと数回瞬きをすると、にんまり笑う。

「ほんとうだ。それになんだかすっきりした」

「それは良かったです」

 ウェイは本心から言った。される側になった事はないので実感した事もないが、この術は適度なところで切り上げると晴れ晴れした気持ちになるらしい。貴族たちが運動するのに似ている。適度な運動は心と体をリフレッシュするが、やり過ぎると疲労が残ってしまう。

「他には?」

 ウェイが聞いたのは後ろの二人だ。

「いや、とりあえずは良いだろう。次は……ドウカという奴を呼んでこい」

 イーギエからのメモした紙を見ての指示だ。偉そうな言い方にサンボンアシが反射的にムッとしたが、イーギエの方を見ると急に弱気になった。

「へ、へえ。じゃあ、これで」

 パースが扉を開け、サンボンアシは出て行った。次の船員が来るまで少し間がある。ウェイは再び閉じた扉に背を向けると、仲間と簡単な確認をしておくことにした。

「やはり、犯人の姿はなかったですね。あまり収穫にはなりませんでした」

「ふん、あの男が気付かなかっただけかもしれん」

 イーギエがウェイに対して否定的な意見を言う。ウェイはムッとしたが、サンボンアシなりの真実を引き出した点については文句がないようだと気付くと、今のところはその評価で満足するように自分に言い聞かせる。

「べんじょの話はなかなかよかったと思うぜ」

「ああ、そういえば、トイレに関して何かあったようですね。何ですか?」

 そこでウェイは、トイレの窓を使った出入りという手段について聞いた。意外な手立てに気づいたアリに感心するが、すぐに疑問が湧く。

「でも、その方法、難しそうですね。アリならできると思いますが、他にできる人はそういないでしょう」

「おまえがいるだろ」

 アリが笑った。

「ええ、まあ。私もできるとは思いますが、たぶん」

 言いながら、もしそうするなら汚れるのが嫌だなと思う。もちろんこれまでも他に手立てがなければ、汚れなど気にせずやってきた。

「まあ、船乗りならできるんだろうが」

 アリの付け足しにウェイは引っかかる。

「……不審な影を船員ではないと決めたのは間違いでしたかね」

「んー」

 曖昧な返事をするアリに対して、イーギエの意見は意外なものになった。

「あれはあれで良い。もし乗組員の犯行だとしても、あの男の認識では犯人は、そこに居るべきではない異常な存在として映らない。どのみち掘り起こせない」

「はあ」

 文句が言われると思っていたウェイは気が抜けた返事しか出なかった。イーギエもらしくないと思ったのか、気まずそうに咳払いをする。

「ともかく、次の乗組員に聞けば何かわかるかもしれん」

 そこで一旦会話が途切れ、黙ったまま次の船員を待つがなかなか来ない。

「そういや、あれもよかったな。音からして、やっぱりのどをさされたんだぜ」

「え? あの気が洩れた音ってやつですか?」

「ああ、のどから血といっしょに気がぬけたんだろ。ガバッ、ってさ」

 ウェイはレイピア使いだ。剣が細い分素早く振れるが、重さを活かした威力はない。だから相手の急所を狙う攻撃が主体になる。これまで数え切れない人数の賊の喉を突いてきた。その時の様子を目を閉じて思い出すと、倒れる敵の多くは喉を押さえて、口から血を吹いていた。その時に、アリの言うような音がしていた気もする。たいてい、倒せたと見届けると次の行動に移っているので、印象にない。耳は、周りから別の敵が迫ってないかを探っているから、かもしれない。

「ん? 自分で喉を突いた時と誰かに刺された時では音が変わるのか?」

 イーギエはアリの言葉を別の角度で捕らえていた。そういう話をしていなかったが、ふと疑問に思ったのだろう。そして、その疑問はアリにも悩ましいものになる。

「いや、そういうことじゃなくて……。うーん、どうなんだろ? やっぱちがうんじゃねえか? 自分でやった方はなんかこうグッという感じがするな」

 ウェイにはアリの説明は良く分からなかったが、アリは違いがあると感じているのはわかった。少し考えて、そこを掘り下げても意味がない事に気付く。実際に違うか試すわけにはいかないし、そもそも動機からテオが突然自殺したとは考えられないからだ。

 結局次の船員、ドウカが来たのはそれからさらに数百拍経ってからだった。当然、イーギエの機嫌はとうに悪くなっていた。引き出せた情報が多くなかったのも、不機嫌を加速させた。

 ドウカには催眠術は効かなかった。見た感じベテラン船員のようなので、ありえるだろうと予想できた結果だった。催眠術がかかりにくい相手の一番は、警戒心が強い事だが、次に抵抗される相手は、心に何らかの根っこが張っている人だ。

 このドウカは船員として、経験が長いことに誇りを持っており、いつも自分で判断し行動しているのだろう。そういう者には、ウェイの催眠術は通じにくいのだ。

 ドウカは見張りの役割や決まりについて教えてくれただけで、事件についてはほとんど新しい情報を知らなかった。

 イーギエの苛立ちは幾らか落ち着いた。ドウカがテキパキと受け答えしたからだろう。次に、ウシと替わってもらう。

 新しく来たウシは、見張りとしてはあまり役に立たない人材らしかった。催眠術には掛かったが、漫然と見ているだけで特に記憶に残った場面が引き出せなかったからだ。

 イーギエはとっととウシを追い払い、次にサンカクを呼ぶ。サンカクはある種の期待を持って迎えられた。ウェイの事前の調査で、臨時に雇われた船員の一人、つまり闇夜の悪魔である可能性のある船員であり、昨晩テオ氏の物と思われるダガーを渡してきた男だったからだ。

 しかし、すぐにうまく聞き出すのは難しいとわかった。怯えすぎているのだ。パースがこれまでどおり扉を閉めると、サンカクはびくりと目に見えて震え上がり扉を振り返った。アリはおどおどした態度に苛立って、「シャキッとしろ!」と怒鳴ったが、これが逆効果になるのはおそらく怒鳴ったアリさえ知っている事実だ。

 こうなると催眠術も役に立たない。そもそもこちらの声が、聞こえているだけで、届いていないのだ。

 すぐに「知らない」「関係ない」「オレは悪くない」と言い訳し、話がなかなか進まない。それを宥めながら、なんとか事件前後の話を聞き出したが、サンボンアシ以上の情報は得られなかった。マストの上で見張りをしている以外の見張り役は下で寝ていたからだ。ただし、このサンカクははぐれ者なので、他の者と少し離れていたらしい。

「ひろった小剣はどうした?」

 アリが睨みつけるとまたサンカクはおどおどして答える。

「あ、あ、あれは、し、知りません。お、お、オレは、や、やってない」

「んなこと、聞いてねえだろ。いつ、どこでひろったか、聞いてんだ。ったく、ドブネズミのガキの方がまともに答えるぞ」

 ドブネズミ。家に住めず道端で寝起きする者を示す蔑称だ。しかし、きっとアリには不幸な彼らを見下げているつもりはないだろう。アリ自身がドブネズミ出身だからだ。

「そんなウダウダ言ってたら、衛兵のヤツらになぐり殺されるぞ」

 さらりと言う内容が怖い。サンカクは脅されている怖さを感じているだろうが、ウェイが恐ろしいのはそういう現実が存在する事だ。かわいそうだと思うが、ウェイにできることは大してない。こういう時、自分が無力だなと思う。いや、権力があったとしても、貧しい彼らをどうしてあげればいいのか、全くわからない。

 昔は、施しという短期的な解決策をし、満足していたところがあった。ある時そこをペイルトンに痛烈に批判された。アリもその場にいて「今日のそいつらはたすかるが、明日のあいつらはたすかるわけじゃない」と言われたのはショックだった。アリにはずっと施し続ける無限の富などない。どこかで切り捨てないと、自分も沈んでいってしまう。そして、ウェイにはそこまで付いていける心はなかった。いや、あったところで、結局彼らのためにはならない。

 あの時ウェイは本気で泣かされた。自分の無知や無力に、世界の非情さに。今は、そこから目を背けて生きているだけだ。

 とはいえ、ウェイに全く力がないわけではない。飢えている少年に一切れのパンを与える事。それは問題の根本的解決にはならないが、ないよりかはましだ。そして今、路上で生活する子どもたちほど弱くはないが、目の前で怯えて困っている人を助けることもできる。

 正直なところ、ウェイもまたサンカクのはっきりしない言動に苛々していた。だが、アリのドブネズミ発言が、ウェイの中で優しさを呼び起こしてくれた。

「アリ、言い過ぎですよ」

 アリの不満は消えてなかったが、少なくともそれを吐き出すのは止めてくれた。ウェイは次にサンカクへ語りかける。

「サンカクさん、アリもあなたを罰しようというわけではないのです。落ち着いて、体験したことを話してください。その内容が気に入らないなどで、あなたに切りつけたりなどしませんから」

 サンカクがずっと床に落としていた視線を上げ、上目づかいでウェイを見る。もちろん、先ほどの言葉で急に落ち着いたりはしない。でも、その一歩にはなったようだ。

「あ、あれは、落ちた人を見つける時、あ、足に当たって……ひ、ひろった」

「どこでだ?」

 アリの物言いは変わらずきつい。サンカクはびくりと震えて口ごもる。

「ど、どこって……」

 死体の発見時、サンカクは死体の近くで拾ったと答えていた。だから改めて聞かれていることに困惑しているのだろう。しかし、あの時の答え方は、ウェイの発言にすがっていただけだ。正確ではない可能性もあった。そして、今アリが聞いているのは、正確で詳細な場所だ。

「船の上のどの辺りか、と聞いています。中ほどですか? それとも、縁近く?」

「そ、そ、それだったら、中、い、いや、へ、へりちかく」

 ウェイはさっと右手を上げる。手のひらはアリへと向けている。素早く行動したので、アリが「どっちだ」と言い出す前に制することができた。アリは脅すつもりはないのかも知れないが、彼の発言は多くの一般人を緊張させてしまう。

「縁からどれくらい離れていました? 一歩ほどでしたか?」

 サンカクが指を立てる。

「に、に、二歩だ」

「……大股か?」

 イーギエの問いにサンカクはガクガクと頭を縦に振る。

 船の横幅は、広いところで大股十数歩。縁から二歩の距離は、中央から考えれば、所によっては一歩の差が有るか無いかだ。すぐに答えにくいくらい微妙な距離と言える。同時に、テオ氏が落ちる時に自然にダガーが抜け落ちたと考えるのも、微妙な距離だった。

 ダガーは転がりにくい形をしているので、普通に考えれば、大股一歩の範囲内に落ちる。これより、ダガーは意図的抜かれてから、持ち主の手を離れた、と考える方が自然になる。さらに踏み込むなら、ダガーが落ちていた地点で襲われた可能性があるとさえ言える。

 しかし、縁から大股二歩の距離なら、鞘から偶然飛び出ししまった後、甲板に落ちきる前に手足に当たって跳ね飛ばされた、とも考えられる。

 結局、判断しづらい微妙な位置と言える。

「前か後ろかはどうだ?」

 イーギエの問いに、サンカクは首を傾けながら答える。

「ど、どちらかというと、せ、せ、船首よりです」

 イーギエの表情を確認しなくても、二人の認識にずれがあるのを感じた。ウェイはイーギエの望んでいると思われる観点について伝える。

「船全体で、と言うより、人が落ちた地点から見て、どちらなのでしょう?」

「お、お、お、落ちた ちてん?」

 これは伝わっていないのではなく、自問し思い出す過程に呟いた言い方だ。実際、すぐにサンカクが答える。

「せ、船尾、です」

 テオ氏が海を向いて立っていたと仮定した場合、船尾方向は左側になる。ダガーを差していたのは右側、船首側だ。となると、ダガーが落ちた際、テオ氏は海ではなく船の中央側を向いていたのかもしれない。しかし、血の跡はテオ氏が海を向いている時に血を出したと示していた。この違いにはどういう意味があるのだろう。

 他の仲間も同じように考えているのか、一斉に押し黙る。サンカクからすると、それほど意味のある発言ではなかったと感じていたようで、沈黙に対して緊張し身を捩る。

 気にする必要は無いと声を掛けようとしたところで、先にアリが疑問をぶつける。

「あれ? おまえ、小剣をもって出てきた時、ぎゃくから出てきたよな?」

 ウェイも思い返す。確かに、そうだ。サンカクの態度が急に乱れた。アワアワ言葉になってない言葉を呟き、アリやウェイをちらりと見ては床に視線を落とし、落ち着きがない。露骨に怪しい動きだ。だけど、ウェイはサンカクを疑う気持ちが湧かなかった。その時の彼の立場になって考えると、落ちた客の確認に右往左往しただろうし、増えてくる船員に流されるように移動させられたはずだ。だから、ずっとダガーを拾った場所にいた方がむしろ不自然だし、いつどこへいたのかもはっきりしないだろう。

 それならそれで、「わからない」と言えば良いのに、そう言うとマイナス印象を抱かれると思い、慌ててしまっているのだろう。その態度が余計に怪しまれる事には気付いていない。かわいそうなので、助け舟を出す。

「その後、色々あったから、いつどこにいたかはもうわからないですよね?」

 猫背になっているサンカクが見上げるようにこちらを見つめ、ガクガクと首を縦に振る。差し出した手にすがられている感じだ。

 問題ないかとアリへ振り向くと、長めの瞬きが返ってきた。問題ないという事だ。が、開いた目の色からはさらにアリの心の声が読み取れる。アリはサンカクのことを嫌っている。

 このままではアリがサンカクに苛々をぶつけて、それにサンカクが萎縮するという悪循環を招きかねない。大した情報も引き出せないようなので、切り上げた方がよさそうだ。そう思っていたが、イーギエは違った。

 「貴様は臨時雇いらしいな。この船で働いていない時は何をしている」

 そうだ。気弱な態度から自然と除外してしまったが、サンカクは闇夜の悪魔として活動できる候補の一人だった。

 「そ、それは……」

 それからも一苦労だった。言い訳がましいサンカクをなだめて安心させながら、聞き出せた内容は、彼が複数の船の臨時船員として働いているという事だった。ただし、掘り下げてみると、そうやって船員の仕事が得られる期間があまりない事がわかった。そのままでは飢えてしまうので、港で荷運びや船の整備員としても働いているそうだ。

 しかし、仕事がない日も多い。

 船員といえば立派な職業で、多少危険ではあるが、収入のある者として見られる。だが、サンカクはそうではなく、厳しい生活を強いられているようだ。

 心配になり、疑問にも思ったウェイが聞く。

 「船員さんとして、色んな船でやっていける技術があるなら、どこかの船で正規の船員として働けないものなのですか?」

 これに対する答えを聞いて、ウェイはいたたまれなくなった。

 「お、お、おれはドモリだから、み、みんなからバカにさ、されて――」

 「そんな事はありません!」

 つい大きな声を出してしまった。サンカクが目を開いてウェイを見上げる。

 言った後で、そう思ったのはウェイの認識に過ぎず、世間ではやはりサンカクの主張が主流だろうと気付いた。だから、ウェイは言葉を変える。

 「いえ、そうであってはならないんです! たとえ少しくらい話すのが詰まったところで、貴方の船員としての技は変わらないはずです。それを正当に評価しない、世間の方が間違っているのです!」

 この手の怒りはずっとウェイの中でくすぶっていた。女性に対する扱いや待遇などもひどい。弱者が不当に虐げられているのを世間はもっと気付いて、より善くすべきなのだ。

 この想いが爆発すると、これ以上サンカクに話を聞く気がなくなった。本人が嫌がっているなら、苛めているのと変わらない。

 「もういいですか?」

 言った相手は、目を白黒させているサンカクではなく、仲間だ。アリからは鼻で笑ったような息が聞こえた。呆れているのだろう。だが、「ああ」と同意が得られる。

 問題なのはイーギエだ。彼は何かとウェイに嫌がらせをしてくる。しかし、ここは押されるわけにはいかなかった。ウェイに対する嫌がらせなら慣れているが、それに巻き込まれるサンカクがかわいそうだ。既に甲板長から許されていた八半刻はとうに過ぎている。ただでさえ立場の弱いサンカクがさらに苛められる口実を与えてしまうことになる。

 ウェイは対決を覚悟して、イーギエに振り返る。しかし、予期していた睨みはなかった。イーギエは視線を落としてもみ上げさすっていた。何か考えている最中だ。数拍後、顔を上げると面倒臭そうに呟く。

 「まあ、いいだろう」 

 拍子抜けしてしまった背後で、サンカクのお礼が聞こえる。

 「あ、あ、ありがとうございます」

 サンカクが頭を下げる先はおそらくウェイ個人なのだろう。

 「いえいえ、私は何もしていませんよ」これは正直な気持ちだ。「では、お仕事頑張ってくださいね」

 ウェイはパースに手を伸ばし、扉を開けるように指示する。サンカクは今までとは打って変わった素早い動きで部屋を出て行った。パースが扉を閉め、しばし沈黙が下りる。

 「悪い人ではなさそうですね」

 やや気まずい沈黙を破ったのはウェイだ。もちろん、沈黙の理由の幾ばくかがウェイの独断決行への非難だからと自覚していたからでもある。

 「あの人は殺人鬼というより、むしろかわいそうな犠牲者です」

 「かわいそうか……それだけなら、きたないとおりにたくさんいるぞ。かっぱらいから人殺しまでする、悪いヤツらだがな」

 アリの言葉はウェイに刺さった。社会の犠牲者という立場は罪のない聖域などではない。ウェイの憐れみは、所詮窮地に立ったことがない者の一方的な見方でしかなかった。

 「でも、まあ、あいつが人殺しかと言われれば、オレもちがうと思うがな」

 続くアリの発言にウェイは救われる。そもそもアリはウェイを批判したのではなく、単に事実を述べただけなのだろう。

 「根拠は?」

 イーギエの問いにアリは肩を竦める。

 「さあな。ただ、そこまで図太くないと思っただけだ。そんなふりをしているかもしれないが……いや、ちがうな。ただのビビリだ」

 「フン。被害者のダガーを持っていたから何かわかるかと思ったが、何も得られなかったな」

 不満げなイーギエは、役に立たない目撃者として不要だったらしい。これならサンカクはまた尋問相手にされることもないだろう。

 「次は乗客か」

 「どなたから始めます?」

 みんなの意見を聞こうと思ったが、アリが当たり前だというふうに断言する。

 「そりゃあ、あのごついヤツにきまってるだろ」

 やはり、そうなるか。犠牲になったテオと同室の男性。犯人でないにせよ、何らかの情報を持っているに違いない。

 と心の中で同意したら、アリは全く別の理由だったと判明する。

 「早くしねえと金目の物はぜんぶ取られちまってるぜ」

 「よし、そこから始めるぞ」

 アリの意見が効いたとは思えないが、イーギエが腰を上げた。

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