面倒臭がりな私は『なろう小説』以外を書く事が難しいのかもしれない
あくまで個人の主観です。
小説ではないと揶揄される事の多い『なろう小説』です。
曰く「人物描写が薄っぺらい」とか。
曰く「風景描写がないから背景がさっぱり思い浮かばない」とか。
曰く「SS(セリフだけで展開されるショートストーリー)でしかない」だとか。
果ては「こんな小説もどきが本屋のスペースを占めているのが腹立たしい」だとか。
「『小説家になろう』内だけで盛り上がっているのは構わないが、一般にも受けていると勘違いするな」だとか。
まあ、書籍化している『なろう小説』の多くが、扇情的な格好をした女の子が表紙の場合が多いので、ポルノと見間違うと思われても仕方がない面はあります。
看板娘と言われるように、可愛い女の子で客の関心を買う行為は昔からあった商売のテクニックではありますのでどうでもいいとして、『なろう小説』のレベルは本当に低いのでしょうか?
私は低いと思います。
問題は、それが何だというのか、でしょう。
小説を高尚なモノと思いたい人には『なろう小説』は苦々しいモノなのでしょうが、小説はただの娯楽、暇つぶしだと思っている人には一般小説とか『なろう』だとかはどうでも良い事です。
これでも私は宮部みゆきさんや遠藤周作さんが好きで、いわゆる一般小説と呼ばれる作品ばかりを読んできました。
『なろう』を読み始めたのは数年前で、読んでいた期間もそう多くはありません。
書き始めてからは他の作者さんの作品は、ブックマークしていたモノでもエッセイ以外は殆ど読んでいない筈です。
そんな私が宮部さんの作品と比べる事自体がおこがましいのですが、自身の作品のレベルが低いのかどうかと聞かれたら間違いなく低いです。
ですが書く事さえも暇つぶしですのでそれで全く構わない訳です。
文章力を上げようとはそこまで思いません。
展開や構成などはまだまだ全然駄目だなぁとは思いますが。
その理由ですが、あくまで自分の場合だけですが、面倒臭がりというのが一番なのではと思います。
宮部みゆきさんの作品を読む時でも、人物描写とか風景の描写なんかを平気で読み飛ばすのですね。
そんなの(と言うと作者さんには申し訳ないですが)はどうでも良く、早くどうなるのか知りたいというのか、先に進みたいというのか。
会話は全部拾いますが、余計だと思ってしまう描写は飛ばすのですね。
だから推理小説などは読めません。
特に叙述トリックを駆使した作品などは全く駄目です。
地の文は軽く目を通すだけなので、トリックに気づける筈がないのですから。
全ては面倒な事が嫌いだからです。
一々細かい所まで読むのが億劫なのです。
ストーリーを追えればいいんじゃね?と思ってしまう。
キャラが何を着ていようが気にならないというか。
部屋においてある小物なんてどうでもいいというか。
だから地の文で延々と描写されていても邪魔だと感じてしまう。
さっさと進めと思ってしまう。
全ては面倒臭がりな性格のせいです。
なので読むにはSSくらいが丁度良い。
書くにしても長々とした人物描写は無理だったりします。
ヒロインの髪型とかその日の服装とか、ストーリーに関係なければ別にどうでも良くありません?
恋愛モノだったら主人公の関心を惹く為のヒロインの努力だとかを表現出来ますが、冒険モノに必要なのかなぁと思ったりします。
だからオメェの作品は人気がでねぇんだよ、ですか?
そういう事なんですかねぇ・・・
でも、無理してやってもボロしか出ないと思うのですね。
趣味の一環なので、苦行に感じる事まではしたくないと言うか。
ちょっと考えましたが、自分は小説家には向いていないのかもしれません。
漫画の原案というのか、ストーリーを考えるだけの方が向いているのかもなと。
いっそSSを書いている方がサクサクと書けるのかもしれない。
会話の前に誰が喋っているのか書けるSSは楽ですよね。
誰が喋っているのか一目瞭然とする為だけに、語尾にニャだのデスノだのと、そんな奴がいる訳ねぇだろと思いながら書く必要がない。
登場人物が多い自作の場合、特にそれを痛感します。
次はキャラの少ないモノにしたいです。
『なろう系』と揶揄される事の多い『小説家になろう』の作品ですが、世の中には私のような面倒臭がりが意外と多いんじゃないのかなと。
凝った表現だとか精緻な描写だとか、まどろっこしいと感じていた人が多かったからこその『なろう』の人気なのではないのかと。
暇つぶしにそこまでの時間と熱量を使いたくない、でしょうか。
書いていると暇つぶしを超えているなぁとは思いますが・・・
バランスの問題、作風の違いでしょうか?