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『1』

 真っ黒な視界。

 ふっと一瞬感じた浮遊感が消えた途端、(まぶた)に光が差し込んできた。

 僕はゆっくり目を開ける。すぐ目の前にアスファルトの地面が広がっている。

 これが人間だったら地面に寝そべっているような、そんな近さ。

 ただ、寝ているわけではない。


――でも直立してるわけでもないなぁ……。この状態を表す的確な言葉は……なんだろう?


 そんなことを考えながら、地面についていた右手を恐る恐る顔の前に持ち上げてみる。

 上げた右手(右前足?)は白い毛皮に覆われて、ピンクの肉球もしっかりついている。


――まさに猫の手だ……。


 指の上の方に力を込めると、隠れていた爪が伸びてくる。


――おおう、ウルヴァリン!!


 目の前にあったブロック塀に爪を立てると、四本の白い筋がくっきりと刻まれた。ガリガリ削る感触は少し気持ちがいい。

 くるっと塀に背を向ければ、庭木の向こう、古びた民家の窓ガラスに映る猫の姿と目が合った。

 右の前足を挙げて、体を捩じってこちらを見る茶トラの猫。手足の先は白い。

 僕は右手を体の前に降ろして、一歩窓ににじり寄る。窓に映った猫も同じ動作をする。

 威嚇(いかく)するようになーおと一声鳴くと、向こうも口を開けて鳴くような仕草を見せる。


――嗚呼(ああ)、吾輩は猫である……。間違いようも無い……!!



 *



 時はほんの少しだけ(さかのぼ)る。


 暑くもなく、寒くもない。

 明るくもなく、暗くもない。

 広いのか狭いのか、白いのか黒いのかもよくわからない。

 何も感じない不思議な空間に僕は立っていた。

 いつからここに居たのかの記憶も定かでない。

 分かることは、この感覚の曖昧(あいまい)な空間の中で、ただ一つ輪郭(りんかく)のはっきりしている存在は正面に立っている少女だけ、ということだ。

 少女、否、そこらのアイドルが裸足で逃げ出すような美少女はやや物憂(ものう)げそうな表情で、手に持ったタブレット端末のようなものを覗き込んでいる。

 黒い端末に絡む真っ白な細い指、肩のあたりで切り揃えられた銀のような淡い紫のような色素の薄い髪、少し眠たげな大きな瞳、そして微妙に初音ミクめいた露出度高めの不思議なコスチューム。

 小柄でやや発育は物足りないが、


――それも含めて完璧(パーフェクト)だ。ナイス、ナイス、ベリィナイス。


 状況の不自然さも忘れて、ただただ少女を眺めている。と、少女が手元の端末から目を挙げた。


「スズキケン」

「ひひふっ!? ひゃ、はいっ!!」


 急に目があって超ビビり、自分の名前を呼ばれてさらにビビる。

 おかげで僕の返事は完全に裏声になったが、そんな挙動不審を気にすることなく、少女は淡々と続ける。


「あなたは死にました。つい先ほどです。ご愁傷(しゅうしょう)さまでした」

「あ、はい……。そうなんですか……。え? 死んだ?」

「はい、死にました」


 表情を動かさずに少女は頷く。


「えっと、……誰が?」

「……質問は本来受け付けていないのですが、特例でお答えします。あなたです」

「あなたって、僕のこと?」

「はい、そうです。スズキケンです」

「あー……、鈴木健は死にましたか」

「はい、そうです。死にました。享年は19歳と4ヶ月12日です。死因は交通事故。平凡ですね」


 なんだろう、この「平凡ですね」はとても心に痛い。人としての尊厳とかそういうものがすごく(しいた)げられているような……。

 ただ、そもそも、


「交通事故って言われても、全然記憶に無いんだけど……」

「強烈な痛みを伴う記憶は人格に影響を与える可能性があるため消去してあります。希望の場合には記憶を再度付与することもできます」


 すごいなーという感想しか出てこないのは、何もわからない状況で感覚がマヒしているからだろう。


「記憶の付与を希望しますか?」

「ん……っと……」


 未だに混乱しているけれど、もし本当に自分が死んでいたとするなら、せめて自分の死に様くらい覚えていたほうがいいような気がしないでもない。


「それじゃあ、お願い――」

「なお、記憶を付与する際にはその記憶を追体験する形になるのでご注意ください」

「――要らないです」


 それ、もう一回交通事故に()うのと変わらないですよね? 


「記憶不要、と。では時間も押しているので話を続けます」

「あ、はい。なんかすんません……お手数かけて……」


 思わず謝ってしまう小市民な僕。

 けど、こんなんで押してるてあんた普段どんだけ流れ作業やねんと思わず変な訛りで毒づく僕。


「若くして死んだあなたには二つの選択肢があります」


 少女がそう言って手元の端末にそっと触れる。


「一つは魂のリサイクルです。リサイクルする場合、対象として人、犬、猫、それ以外の何らかの哺乳(ほにゅう)類、何らかの爬虫(はちゅう)類、何らかの両生類、何らかの鳥類、何らかの魚類、何らかの節足動物、上記以外の生物、以上のどれかから選ぶことができます」


 少女の手の動きと言葉に合わせて、僕の周囲に透き通った門のようなものが次々と浮き出てきた。

 門にはそれぞれシンボルと思しきものが入り口部分に描かれている。男性用トイレを彷彿とさせる人の図形、猫と言われればなんとかわかる図形、あとは魚あたりが辛うじてわかるけれど、それ以外はかなり混沌とした形をしている。……犬はどれだ?


――いやいや、確認すべきはそんなことではない。


「あのー、これってつまり転生ってことですよね?」

「はい、そうです。あなたは転生することができます」


 転生!

 普段は現実逃避の産物でしかないそれが、この非現実的な空間で非現実的な美少女に言われることでひどく現実的なものとして立ち上がってくる……!

 いいじゃないか、いいじゃないか。転生。


「つまり、これからチート能力を授かって異世界で魔王を倒したり、超絶美少女のエルフっ()とキャッキャウフフしたり、或いはむしろ良き魔王となって魔物娘(もんむす)のハーレムを築いたり――」

「発言の意図と内容と言語がよくわかりません。繰り返しますが、あなたは転生先をこれらの門から選ぶことができます」


 ザックリと切り捨てられる。意図と内容はともかく、めちゃめちゃ日本語だったんですけど。

 ともあれ、異世界やらチートやらは抜きにしても、生まれ変わることが出来るんならそれは幸いと言うべきだろう。

 向かって左側に浮かび上がっている、微妙に歪んだ男性トイレのドアのようなちょっと残念な見た目のそれをくぐれば、僕は新しい僕へと生まれ変われるに違いない。


「えっと、じゃあこの門を通ると新たに人として、……ん?」


 言いながら気づいたけれど、男性トイレ的ドアの真ん中に『under construc(工事中)tion』の記述が見える。

 さらによくよく見ると左上にアイコンっぽいバッテンがついていて、通れない感が満載である。


「はい、そうです。人として生まれ変われることができます。ただ、現在少子化が進行しているため、人への転生は制限されています。残念ながら、スズキケンの生前の徳と業では利用できないようです」

「なんだよそれ! 徳と業ってなに? そういう隠しステータス良くないでしょ!? 見えないカオスフレームばりに厄介だよ!!」


 至ってナチュラルにキレた。


「安心してください。あなたは幸い人以外のすべての門を利用できます」

「いや、そこに安心の要素も幸いの要素も無いんですけど」


 人以外の門……、造形の崩れた猫的な何かと、ややキュビスム入ってるけれど魚はわからないでもない。他は――この毛玉から糸がフリーダムに伸びてるように見えるのは鳥なのか? すると、となりの猟奇的なダルマっぽいのはカエルで両生類? ……犬はどれだ?

 というか、人以外となると、そもそも転生の魅力自体ほぼなくなるのでは?


「そういえば、二つの選択肢があるって言ってましたよね?」

「はい、そうです。二つ目の選択肢は魂をリサイクルせず、廃棄することです。スズキケンの存在は消え、無となります」

「……」


 究極の選択すぎる……。


「先ほど言った通り、時間が押しているので、これ以上迷う場合はこちらでランダムに決定した門へ強制転移させます」

「えっ!? ちょ、ちょい待って!! いや待ってください!!」


――この美少女は鬼畜だ。


 考えろ、考えるんだ鈴木健。僕はどうやらもう人として生きることは無理らしい。なら人以外の生き物として少しでも幸せな来世を過ごすにはどうしたらいい?

 その他生物と節足動物はヤバいものになる来世しか考えられない。脳みそがあったら超ラッキーくらいの感じだ。魚類も幸せとは程遠い。

 爬虫類両生類は苦手だから自分がなるのを想像したくもない。

 残るは、犬か猫か、その他哺乳類か、鳥か。

 ここは――、


「ハイッ!! 決めました!! 決めましたからね!!」

「そうですか。では、転生先の門へ進んでください」


 僕は門に向けて一歩踏み出す……その前に、


「あの、念のため確認なんですけど、この門に描いてあるのって猫なんですよね?」

「猫ですが?」


 言外に「それもわからないの?」というニュアンスをにじませた、少し不機嫌そうな声。

 あー、この絵描いたのこの人だな……。


「あ、その、念のため聞いただけなんで、別にわからなかったわけじゃないんで、あの、ごめんなさ……」


 謝りかけた僕の背中に何か大きな力がかかって、門の方へ勝手に体が運ばれていく。


「えっえっえっ!?」

「スズキケン、希望『猫』、と。はい、それでは快適な来世をお楽しみください」


 目の前でブサイクな猫の絵が割れてドアが開く。開いたドアの向こうに広がっているのはただ一面の漆黒の闇。

 その中へまるでゴミクズのようにポーンと僕の体は放り投げられた。


――ちょっと、いくらなんでも雑過ぎない?


 それが不思議な世界での、僕の最後の記憶である。



 *



 経緯はあまり良くなかった。非常に事務的で雑だった。

 しかし、と僕は考える。


――猫もなかなか悪くはない。


 ブロック塀の上に乗っかって両前足を前に突き出し、両後ろ足を後方に伸ばして、うなーっと体全体を反らせる。おまけにしっぽもピンと突き立てる。とても気持ちがいいものだ。


 窓ガラスの前でポーズを取るのに飽き、四つ足歩行もなんとかスムーズにこなせるようになって、驚異の跳躍力と着地力をある程度把握した僕はいそいそと周囲の探検に乗り出していた。

 猫の身体能力はすさまじい。

 ジャンプや登攀(とうはん)だけでなく、狭いスペースへ入り込むことも自由自在。身体を動かしてるだけで楽しくなる。

 やろうと思えばベランダにぶら下がってる下着を取るのも自由だし、そもそも視点が低いから路上に寝ているだけでスカートが覗き放題ですらある。惜しむらくは自身が猫化してしまったせいか、どんな幼げな縞パンにも、かわいい女子中学生にも全く興奮を催さないことだ。


――少しだけ虚しい。


 ともあれ、探索である。

 猫の身体を活かして塀を進み、いそいそと屋根に登る。

 周囲はこれと言って特徴の無い住宅街。日本であることは間違いない。地元の街並みに似ていなくもないけれど、住所表示の地名は聞いたこともない名前。

 庭に()っている蜜柑の丸さや、そこらを這っているアリンコの動きに心を惹かれながら進んでいくと、視界が開けて大きな幹線道路に出た。

 道路の存在には車の音で気づいていたけれど、実際に見ると4車線は迫力がある。なにせ、今の僕の体長はせいぜいが30cmくらいで、くりくりと愛らしい目をした茶トラの猫に過ぎないのだ。


――車、マジ怖いんですけど……。


 人間のサイズ感にすれば、時速60km程度で一軒家やら雑居ビルやらがビュンビュン目の前をカッとんでる状況である。渡れんの? これ。……本当に? という気分になる。

 ただ、戻ったところで延々と住宅街が続くだけだろう。それに対して、渡った向こうはちょっと賑やかそうな気配がある。駅でもあれば、ここがどこかもわかるかもしれない。

 見渡しても歩道橋は見当たらないので、近場の信号のたもとでちょこねんと座り込む。そのままぼーっと歩行者用信号を眺めていたところに、


「ねえ、そこのアナタ。ネコになり立てでしょう?」


背後からそんな声がかけられた。


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