まるで君は夢の中のあの子みたいだね
第三話「まるで君はあの夢の中の子みたいだね」
四月。春。春というと、昔、あの公園にある大きな桜の木の下で。
桜の木の下に建つあの橋の上で。
小さな、女の子と見間違うくらい可愛い男の子とした約束を思い出す。
こことは違う遠くの町。アメリカへ行ってしまう。
でも、私はあなたから離れたくない。でもお母さんの言うことは絶対だったから。
小さな未熟な子どもでもそんなことくらい分かってたから。
私は最後の抵抗として、あなたと誓いをした。
根拠もない自信を胸に持っているように演じて。
もう一度会える気がするから。
だからもう一度ここで会おうと誓った。
今思うと、なかなか、小学生の頭では思いつかないような、思い切ったことをしたものだと思った。
その頃からまあまあ頭良かったんだな。私。
でもその頭の良さが、今こうして、故郷に戻ってくる理由を生んでしまったのかもしれない。
心に宿った、この一つの、大きな大きな闇。この闇さえなければ、私はこうしてこの街に戻ってくることはなかっただろうし……。
でもこの闇がなければ、私は苦しんでないわけだし。
まあ皮肉なことだけど。
そんなことを考えながら、私は初めて身に纏う、制服を着た。
早めに起きておいて正解だった。
なにせ初めて着るものだし。すごい手間取った。
時計を見ると、すでに時計の短針は七を。長針は四十を指していた。
「やばい~!急げ急げ!今日こそはあの公園に、あの場所に行かなきゃならないんだから!」
と発しながら急いで学校へ行く支度をし、朝ご飯を食べ、歯を磨き、そして学路へついた。
・ 2 ・
ああ、ここだ。
すぐにわかった。あの男の子との、思い出の場所。
夕ヶ丘公園。その広大な敷地には、動物園や広い池。釣り堀が設置されており、平日、休日祝日を問わず多くの人がこの公園を訪れる。
その広大な公園の中の隅端に、まるで、そこだけ切り取って、かわりにファンタジー小説の一部を入れこんだみたいに、神秘的で、でもどこか物寂し気な場所がある。
なんでか、数多くの人で溢れるこの公園で、そこだけは毎回、人がいない。
恐らく、ここに来たことがあるのは、ここ数年じゃ一人もいないのだろう。
小さな小川と、小さな橋以外の場所には雑草が生え放題だし、桜の木は手入れさえもされてなかった。
ここだけ、公園の敷地の隅端で、なおかつ道も敷かれてないからだろうか。もう誰も目に止めて無いようだった。
でも、私はここが好き。
あの子と、もう一度会う誓いをした、この場所が大好きで仕方がない。
……正直、ここで彼を待ち続けても無駄だろう。
誓い、とは言ってももう何年も前の話だし、しかもお互いに小学生だったのだ。
本気だったのは私だけで、彼は、そんな言葉の意味を本当は理解していなかったかもしれないし。
ただ聞き流していただけで、また明日もここにきっと来るだろうと待ってたかもしれないし。
待ってたとしたら、数回ここにきて、もう来ないと分かれば、もう二度と来ることもないだろうし。
全ては私の独りよがりで、片思いなだけかもしれないし。
卑屈になっちゃいけないことはわかってても、心のどこかでもう無理だろうと否定している自分がいた。
でも待ち続けなければ。それが、誓い、という形で約束をした、私の責任なんだろうし。
待つこと数十分。学校が始まる時間までは、まだ余裕がある。
あと少し、あと少しだけ待っても誰も来なかったら、また明日にしよう。
まあ、半ば諦めかけていた。
「はあ……。私も、つくづくバカまじめだな~。そんな、昔にした約束なんて、もう忘れちゃえばいいのに」
そんな独り言を呟いていると、急に、大きな風が吹いた。
その瞬間、桜の花は舞い、小川の水は踊り、私の黒い髪は大きくなびいた。
見惚れていた。
それと同時に、誰かからの視線を感じた。
ゆっくり振り向くと、その視線の先には。
私と、同い年くらいだろうか。
すらりと伸びた、百七十はあるであろう長身。男の子とは思えないほど白くて、透き通った肌。少し暗めで、黒よりの茶髪。
まるで女の子に見間違えてしまいそうなほどの小さな顔、童顔。
確信はない、でも、まるで似通いすぎている。
そう、あの時、この場所で、再開の誓いをしたあの男の子に。
春野 蓮君に。
こんなことがあるのだろうか。こんなにも早く、突然に。
アメリカから帰ってきたその次の日に、こんな運命めいたことが起きることが。
でもなぜだろう、嬉しさと同時に、違和感を感じた。
まるでその子は、私が誰か、分かっていないようだった。
なぜここに立っているのか。その理由が、はっきりしていない様だった。
どうして?覚えていなかったのか?あの誓いを。
でも、ならどうしてここに、私の目の前にこうして現れたのだろう。
それに、話しかけるとして、そう話しかけたらいいのだろう?
もし彼がその誓いを忘れているのなら、どうやって話しかければ。
そして時間だけが過ぎていき、まるで、木々や草花のコンサートのように、木々や草花がこすれ、鳴り響く音だけがその場を流れていた。
話しかけられず、お互いに視線を合わせたまま、時間だけが過ぎていき、そして、ついに歩き出した彼は。
私の横を通り過ぎ、そのまま、走り、駆けて行った。
・ 3 ・
「じゃあ私が、入ってきてって言うまで、ここで待機していてね」
と先生に告げられた私は、あの誓いの場を出て、学校へとついていた。
待っている間も、ずっと彼のことを考え続けていた。
なぜ私はあの時、彼に話しかけることができなかったんだろう。
もう、あの機会を逃せば一生、会えるチャンスはないというのに。
なのに私は、話しかけることができなかった。
それに、彼もまた、考え込んでいたようで。その末、話しかけることなくその場を去った。
なぜ、話しかけてくれなかったんだろう。きっとなにかしら、思うところはあっただろうに。
彼が昔から変わってなかったとしたら、まあ女の子に自分から話しかけるのは無理なことだったんだろうけど。
そんなことを考えていると、先生に、
「じゃあ入ってきて~」
と言われたので、私はそのまま教室へと入った。
転校は一度経験したことなので慣れている。
こういう場合、大抵自己紹介するものだ。ないところなんてないとは思うけど。
見慣れない、同い年の人たち。見慣れない、制服姿。
大きく深呼吸してから、私は、
「初めまして、皆さん。葉月夜空、といいます。小学二年生の頃から、最近に至るまで、アメリカのオハイオ州と言うところに住んでいました。日本語は話せますが、何上久しぶりなことなので、不自由あると思いますが、どうかよろしくお願いします」
と自己紹介をした。
やった!うまく言えた!
そう思うと、どこか安心できて、視野も広がったように見えた。
その時だった。
心臓が跳ね上がるのがわかった。
一瞬にして、涙がにじんでいくのがわかった。
こちらに向けて、一人だけ、一際輝く目線を感じたのだ。
そして、その目線の先には。
あの男の子が。
誓いの場で出会った、もう二度と出会うことのないはずの、あの男の子がいた。
パチパチパチ、っと鳴り響く教室の中で、まるで、彼と私の。
二人だけの時間が、止まったような気がいた。