もっと、もっと、金平糖
どこかの昔話の眠り姫は、百年の夢を見たらしい。もっともそれは童話だから出来ることであり、平均寿命が百年を越えることのない、魔法使いの居ない世界の僕等には到底真似できないことだけれど。
でも、それでも、この眠り姫の夢がどんなものなのかはとても興味があった。
いや、童話に語られる眠り姫ではなく、二十歳を越えても未だに砂糖の甘い香りを纏った従姉妹のお姉さんのことなので、そんなに沢山の浪漫はないかもしれないけれど……。
中学二年の僕よりも六つも年上の青葉は、とても変わった女性だった。
いや、幼稚園や小学校の僕にとっての異性のイメージは、キャンキャン喧しい同級生ではなく、気まぐれにふらりと現れる青葉に支配されていたので、青葉が変わっていると気付いたのはごく最近だったけど。
僕の膝に頭を乗せ、なんの不安もなさそうに、穏やかに眠る青葉の顔を見詰める。
大学生の青葉の春休みは、すごく、長い。二月にこっちに来たと思ったら、四月の八日まではウチにいるらしい。
一昨年の小学生の僕だったら、もっと背景には無関心だったと思う。本家という言葉の意味も、じいちゃんばあちゃんがいること、ぐらいにしかおもっていなかったし、青葉が長いお休みの度にウチに来るのは、どこか当然と言う様な気分でいた。
そう、中学の夏休みまでは……。
中学一年の夏休み。海の日が終わってすぐにウチへと来た青葉は、玄関先で僕を抱きしめて……泣いた。
顔をくしゃくしゃにして泣く青葉に、僕は何もできなかった。
でも――。
確かにその表情は、可愛いとは程遠いものだったのかもしれないけれど、表情の崩れた君が好きだと強く思った。他の、誰にも見せたことのないであろうその泣き顔が、とても、愛おしく見えて。
その日、僕は眠る青葉にずっと付き添っていた。
青葉の両親が不仲であり、青葉の父親が少し問題のある人だと聞いたのは翌日だった。
それが切っ掛けとなったのか、それ以前からもそうだったのかは……記憶が曖昧なので定かじゃないけれど、でも、その日以降、青葉は僕の膝の上で眠ることが多くなっていった。
僕の青葉に対する気持ちは、きっと、皆、知っていたと思うけれど、僕を子供だと思っているのか、誰もそれを注意する大人はいなかった。
でも――。
「あーおば」
呼びかけても返事はない。
本人曰くのっぺりしているという、色白で凹凸の少ない顔が僕の目の前にある。後頭部に左手を沿え、軽く顔を上げるけれども、起きる気配はない。
ちゅ、と、軽く額に口付ける。
僕と青葉は春休みだけれど、家の大人は皆平日ということで出払っている。
「ん……」
と、軽く右路議した青葉の左手を右手で握り締める。解けないように、恋人ツナギで強く。そして、そのまま額から目尻、頬、唇の端へと徐々にキスする位置を下げていく。
青葉は、食べ物の好みが子供っぽい。僕よりも。
額や頬に降らせたキスはそうでもないけれど、唇の端に少し強く口付けると、あからさまい砂糖って感じの甘い香りと――味がした。
キスをしても、この眠り姫の目は覚めないらしい。
でも、僕の膝の上でなら、この世界のどんな苦悩も忘れて眠れるというのなら、それはそれで得難いことなんだと思う。
でも、同じ場所に生きているのだから、僕だけが現実にいるのは、どこか苦痛だった。
「あーおば?」
もう一度呼びかける。
僕の左手を握る青葉の左手の指に、少しだけ力が込められた。
どこかの昔話の眠り姫は、百年の夢を見たらしい。そして、丁度百年目に訪れた王子のキスで目覚めたらしい。
でも、僕は百年も待てるような性格ではないし、仮にそれが出来たとして、おじいちゃんとおばあちゃんになってから恋愛をするのはもったいないと思っている。
だから金平糖を銜え、青葉の唇を目掛けて――。
ぐっと、眠り姫と繋いでいた右手を強く引かれ、軽く唇を舐められたと思ったら、金平糖は眠り姫の口の中に納まっていた。
カリ、と、奥歯で金平糖を割る音が響いた。
甘い香りがさっきよりも増した気がした。
「起きたの?」
「最初から、起きてたよ?」
うん、うん、と、お互いにうなずき合う。
僕たちの関係に、どんな名前を付ければ良いのか分からないけれど、僕達以外の世界の全てが消えてなくなって、このまま夢の世界に沈みたいと思った。
膝の上の青葉の前髪を、軽く左に流す。
青葉は、真っ直ぐに僕を見て――。
「もっと、もっと、金平糖」
僕は、苦笑いでカラフルな金平糖を加えて青葉の唇に顔を寄せた。
夢の中では、ふたりで同じ、甘い幻想にひたっていたいと思いながら……。