無題
長いです。長いです。盛大な捏造。長いです。あんまり笑えないやつです
これまで出会った多くの人間に少なくとも一度はその美しさを褒め称えられ、異性はもちろん同性からも絶えず"告白"を受けていたにも関わらず、彼は驚くほど自分に無頓着だった。彼には常に自分の容姿より気にかけるべきことがあったし、そのような見た目でリーダー性を得たり注目を浴びたりすることを好まなかった。彼は己の内に在る思いでもって市民に挑みたかったのである。また、このような文句で彼らに訴えかけていた。市民よ、僕の手をとり、共に戦ってくれ。彼は革命家たるもの市民と同じ目を持たなければならないと強く信じ、己が"地に足の着いた"存在であることを望んだ。ゆえに彼は天使と形容されるを嫌ったのである。
彼はひもじい空きっ腹を知らず、腹の底から震えるような寒さを知らず、紙とインクを切らしたことがなく、それでいて人肌の温もりに包まれたことがなかった。近くには彼と同じく裕福のうちに育った子供が沢山いたが、彼のような子供は一人も居なかった。暖炉の火に当たることは許されたが、母の腕に抱かれはしなかった。彼は両親に毎日会っていたが、父の齢も母の生まれもよく知らなかった。それは野原に生まれたが蝶を知らず、海に生まれたが船を知らないかのようだった。幼い頃にどうして人は死ぬのだろうと考えたが、何故自分が生きているだろうとは考えなかった。彼はそういう人生を送ってきた。ゆえに、彼の内には矛盾が存在するのである。
彼は祖国を愛していた。しかし稚児を目にしたとき何よりもまず心に浮かぶのは愛ではなく憐憫の情である。極めて純粋に「可哀想だ」と、「何とかしてやらなければ」と感じるのみだった。彼にとって市民とはただ祖国の民であった。祖国の民と思えばこそ、守らねばならんという意識が生まれてくるのであり、市民を家族のように思えば思うほど、なぜか擁護精神が漠然として見えてくるのだった。それもそのはず、彼は家族がどうあるべきか、他人の家庭から学んでいた。或いは書物からそれを得ていた。彼は"革命を"と常から唱え続けた。しかし彼の頭に浮かんでいた場景は、幸福そうな母子が並んで歩く街路や、家族が寄り添って暮らすささやかだが暖かい家ではなかった。彼に見えていたのは、腹を空かせて道行く人々に慈悲を求める子供の居ない街路であり、家のない人々が役人に追い立てられることのない街であった。友人のコンブフェールやプルヴェールは、前者の方を見据えているらしかった。彼はそれをよく理解していたが、どうしても上手く想像出来なかったのである。街が、人が、家族の愛で、いっぱいに溢れる様を。
それは恐らく彼にとって只一つの欠陥であり、皮肉にもそれが彼を天使のような男として印象づける、一つの要因にもなっていた。彼のいう祖国への愛とは、まさに友愛のことなのである。だからこそ彼は自分が自分であるというのみで人から愛されることを多いに不審がるのだった。
「やあ、アンジョルラス、僕も今来たところだ。昨日はよく眠れたかい?」
「ああ、おはようクールフェラック、勿論」
「ははは!嘘言え、寝不足きわまりないという顔をしているよ」
「からかうな」
ミューザン珈琲店に着くなりさっそくそう声をかけられ、気のいい友人に肩を叩かれながら奥室へ向かう。クールフェラックはいつも、彼の気難しくひそめられた眉を見てそう茶化すのである。しかしアンジョルラスにとって気を許した仲間からの些細な冗談は、決して不快なものでない。失礼な男だと言わんばかりの口ぶりに対して、目尻にうっすらと浮かぶ面白がったような調子は、当然クールフェラックの目論見通りだった。彼らは心持ち小気味良い足取りで奥の部屋にたどり着き、クールフェラックはレディーファーストとでもいうかのように大仰な仕草で扉を開け、軽く小突かれたが、愉快そうに笑っていた。
「そうだアンジョルラス聞いてくれ、さっき表である浮浪少年に会ったんだがな」
「ああ」
「僕の見知った奴だったもんで、何をしてるんだって声をかけたら途端にこう、しー、とやるんだ」
人差し指を立てて唇に当て、ぎゅっと顔をしかめてみせるコミカルな動作に少し興味を引かれたのか、額へ流れてきた前髪をゆっくりとかきあげ、彼はほうと相槌を打った。
「奴は小さいから、靴屋の棚の影に隠れるようにして……ああ、いや、小さいとはいうが、あいつは近頃いやに背を伸ばしてやがるな。まだ顔もちっこくて体つきもひょろっとして、華奢で小柄な女のように見えなくもないが、もう10をとっくに過ぎたからってやっこさん一人前を気取ってさ、おい、ここらで禿げ頭を見かけなかったか?ちょいと野暮用を頼まれてな、とかなんとか言うようになったんだ。ほんの12やそこらのガキのくせして、なかなか面白い奴だろう?今度君も会ってみるといい。とは言っても奴は家を持たんから、運に任せるべきかな。まあともかくそこに隠れながら、何か面白いものを見ているようだった」
ニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべながらそこまで言い終えると、彼は肩を竦めてくくっと笑い、実に滑稽な身の隠し方だったから、僕はそこらに彼の可愛い娘でも居るのかと思ったね、と可笑しそうに付け足した。それから、そしてねここからなんだが、と続けようとして見事なまでに失敗した。丁度その時、ほぼ怒声ともとれるしゃがれた大声がアンジョルラスを呼んだのである。二人は一瞬驚き、アンジョルラスの肩は僅かに揺れたがすぐに目を伏せ、シワのよった眉間に手を当てながらため息をついた。一方クールフェラックは特に気分を害するでもなく、からからと笑って話し相手を譲る手振りを見せた。極めてうざったるそうに、彼が口を開く。
「手短に」
「午後の挨拶から始めても?」
「省け」
「それじゃ、昨晩君と別れてから今君と出会うまでに僕が何を考えていたか、それについて話そう、君と関係のあることばかりだが」
「それも省け」
「すまない、それが本題だ」
不満の色濃いため息は彼の苦悩から吐き出され、透明のなかにじわりと広がる、同時にあらゆるものへ染み込み、果ては酔っぱらいの脳みそまでを包んで、そのうち見えなくなった。その酔っぱらいは幸福に満ち足りた微笑みを浮かべた。呆れつくし、うんざりした、迷惑がっている所作も、天使のものであればこそ美しく儚い。この狂信者にとってのそれは、まるで実ったばかりの美しい花が陽光を吸い込み損ね、日陰ばかりのこの世の憂鬱を嘆かんと、柔らかに、細く、気高く、しなやかな首を振るかのようだった。美しいものは儚く、儚いものは美しい。そこまで考えて目の前に意識を戻した頃には、薫るようなため息のあとなど微塵も残っておらず、彼の感ずるべきものは、ただ冷ややかな眼差しのみとなっていた。誤魔化そうとして曖昧に微笑むが、彼の瞳の冷たい色はますます深くなる。もはや手遅れに違いなかった。ひとまず退散とばかりに後ずさる。やはり本題も省かざるをえなかった。
「ああ、麗しい君、残念だ。しかし邪を知らずに咲き誇る花は日陰にあれど美しい、なお美しいのだ。君は無垢で、僕を軽蔑するその瞳にさえ純をたたえている、まさに君は…いや、僕の言葉で形容すべきでなかった。許したまえ。なんと美しい男だろう」
「たわけ者め。答えろそれは何という戯言か。からかっているつもりならば覚えておけ、全くの、無駄だ」
「からかうだって?この僕が?そして君をか?まさか!双方に人違いだと教えてやろう!」
男は腹を抱えて笑った。その滑稽な様を友人たちが笑っていた。部屋はごく軽快な色に塗られていた。しかし柔らかな金髪から覗く白い真面目な眉間には、いよいよ深いしわが刻まれる。さて、ここで酔いどれ男はいくつかの義務を負う。まずそのしわに気付いて紳士に深く腰を折り、彼が奪った貴重な時間について二言三言詫び入ったのち、泣き崩れながら酒を大いに飲み干して天使の盛大な顰蹙を買い、大袈裟に別れを惜しみつつすごすごと自分のテーブルへ帰らなければならない。何故なら彼はそれをほぼ毎日繰り返しているからである。彼は実に哀れな男で、もっとも救いようのないことに、彼自身それで満足を感じているのだった。
「やあ、グランテール君見たまえ、君の天使のご機嫌がよろしゅうない」
「それは由々しき事態だ、僕はこれから町に繰り出して酒をたらふく飲んでこよう」
「なるほど名案だな!君はよく分かってる、そうすりゃ彼は清々しい顔で立派な演説を始めるだろうよ!」
「おい、僕もそれを見たい」
「やれやれ本末転倒とはまさに」
友人たちの陽気な笑い声に包まれたグランテールは、もちろんここを出る気など更々なかった。それでいつもの儀式、つまり先に述べた一連の所作を順にこなしていった。
さて事態は暗転を迎える。ここまでが日常、つまりここからが非日常である。さあテーブルへ戻ろうというときになって、開く筈のなかった口が開いた。それは、おい酒樽と言った。言われた酒樽は固まった。ついに本気で怒らせたかと思われる声音だった。彼は、天使の耐えきれる耐えきれないぎりぎりの境目で躍り散らすを楽しんでいた。あくまで楽しんでいた。それがどうしたことだろうか。彼は尺を間違え、火に注ぐ油が少しばかり多かったか、あるいは知らずに何か地雷を踏んづけたか、ともかく彼はなにかしらのへまをやらかしたようだった。彼の心中と同じく、一瞬にしてその場の空気も強ばる。先頭に立つものは、良くも悪くも、色を塗り替える力を有するのだ。
「なんだい」
「僕は、君の、何だ」
グランテールはすぐに答えようとしなかった。一瞬考える素振りをみせ、真剣な眼差しでもってこう言った。
「そんなことは決まってる、唯一無二の存在だ」
「何故」
「僕は君だけを信じている」
「だから何故」
埒が明かないというように仲間たちは首を振り、何人かは外へ出た。他のものはむやみに音を立てないようつとめた。口笛を鳴らそうとするバオレルをボシュエが必死に止めていた。クールフェラックは口許が緩んでしまうのを何とか抑えようと手元にあった紙束を引き寄せ、それに目を通し始めたが、酷く慌てたプルヴェールに引ったくられた。それは彼の一番新しい詩集だった。しかし、頼む読ませてくれと必死に頼まれ、優しい彼はやむを得ずそれを渡したあと、あまりの羞恥に両手で顔を覆っていた。
「君は、理由が欲しいのか?僕に厚く信仰される理由が?」
「質問を質問で返してくれるな」
「不条理はほどほどが好きさ」
詩集の一番最初にあったのは春ののどかな調子を謳っていて、次のもまた同じようなのが続き、そこまでふむふむと唸っていたクールフェラックだったが、その次のは情熱的な恋の唄だった。顔を伏せるプルヴェールへ聞こえよがしに、なかなか興味深い詩をかくもんだと小声で呟いたのち、その詩中に自分のよく知る人物の名前を見つけ、閉口した。
「どうして僕なんだ」
「どうしてもだ」
「見た目か」
「それもある」
「嫌いだ」
「待てそれだけではない」
「述べよ」
「聞きたいというのか?アンジョルラス、君、今日はもう帰って寝た方がいい」
「なんだって?君がそれを言うのか!ますます気にくわない」
プルヴェールは固まってしまった彼の手から力なく詩集を抜き取り、それを丸めて動かない頭を弱々しく叩いてから、ばかやろうと耳元で囁いた。クールフェラックは上ずる声で、感動した、素晴らしい詩だと言った。
「いいから早く言いたまえ」
「なんだっていうんだ……」
憔悴しきった顔で、グランテールがぽつぽつと彼に好意を寄せる所以を呟き始めた。余程混乱していたのか、"柔らかい陽の光に包まれる金の髪"の次に"演説中僕と目が合うと必ず一度睨み付けてから見てない振りをするところ"と言ったあとで"風邪に吹かれて乱れた髪を押さえるときの物憂げな眼差し"など、外見も内面もばらばらに、心に浮ぶまま口に出していた。アンジョルラスはいっぱいいっぱいな彼を静かに見つめたまま、一切反応を示さなかった。そのうち彼は泣きそうになって訊ねた。
「まだ、まだ聞くのか」
「ああ、無くなるまで」
「それはプロポーズだ」
訳が分からないという顔をされて、グランテールは自虐的に微笑んだが、正確には微笑もうとしたが、気力を使い果たしていた彼は笑い損ね、ただの痛々しい表情を作るに留まった。帰りたいとさえ思っていた。
「どうしてプロポーズになる」
「無くならないんだから永遠に言い続けなきゃならないだろう。そしたら僕はずっと君のそばに居ることになる、ああもう分かっただろう、分かってくれ、頼む、いいか、僕はな、君にどう思われようと、ああそうだ、どう思われたって、君が君である以上、君がアンジョルラスである以上はどうしようもなく、本当に、延々と君を想い続ける運命にある、ずっと君に美しい麗しいと言い続ける運命にある、それを疑うというんだったらもう、なんだ、僕をずっと側に置いとくんだな!帰っていいか!」
「待て」
言いつつ出口へ向かっていた彼は、その一言で戻らざるをえなかった。もうすでに自分でも訳が分からなくなって、感情制限など皆無で、無性に気持ちが高ぶって、しかしすっかり真っ赤になっている顔をアンジョルラスに見せるわけにいかず、震えながらちんまりと俯いていた。本当にこの場から一刻も早く抜け出したかった。この部屋に居てそう思ったのはこれが初めてであるなど、もはや言うまでもないだろう。
「もう一度言ってくれ」
「………なに?」
「今の言葉を繰り返してくれ」
絶望的な要求を突き付けられ、本当に正気かと疑いつつちらりとアンジョルラスの顔を盗み見ると、驚くほどに真剣な表情である。そして、彼の頬も、おそらく僅かに紅潮していた。
しばし沈黙が横たわる。
「おい、グランテール、聞こえて」
「愛してる」
次の瞬間、彼はもうそこに居なかった。
不思議なことに、あれほど美しいアンジョルラスが誰かに"愛してる"と言われたのは、その一度きりである。今、彼はそれを思い出してクスリと笑った。グランテールが動揺し、赤面しているのを見たのもその一回を除いて他にはない。若さゆえだったのかもしれない。今は変に余裕ぶるのが腹立たしい。思い立って部屋の隅にいる彼に、口の形だけで"愛してる"と言ってみると、ニヤニヤしながらなんだいとたずねてくる。酒臭いと返しておいた。
いえー!mgですいえー!読んでくださっていえー!ありがとうございえー!有り難う御座います。
このやらかした感は墓場まで持っていきますね~うっははすっげえ捏造しちまったヒヒイン
麻婆豆腐丼食いながら書いてたんでなんか辛い作品になったようななってないような
ともかくここまで読んで頂いて、ほんと、ありがとうございました。mgでした。