第二節「灰色狼の約束」
月の真夜中。
雪の野に倒れ伏すマーニと赤子。
その傍らで四肢を構える灰色狼のハティに白き女神が静かに頷きます。
「灰色狼のハティ。貴方の望み叶えてあげましょう。しかし、その為には貴方たちにも、やって貰わねばならない事があります……」
「やらなければならないこと?」
「この荒れ果て、枯れつくした世界。昔、ここも豊かで平和な土地でした。しかし、あの長い戦争で、すっかりと変わり果ててしまいました。
大地を焼け野原にし、そして、海や空までも燃やし尽した炎は、私たちの世界を隔てる壁までも焼き払ってしまったのです。
このまま行けば、全ての世界は枯れ果て、やがては消えてなくなってしまうでしょう……」
「しかし、フェンリル皇帝は、聖女や魔法剣士らと共に死んだと聞きました?」
「確かに。それで世界は元に戻るとも思われました。しかし、そうはなりませんでした。
黒き帝国が完全に滅ぶまで、戦が続くうちに世界は壊れてしまったのです。
それはフェンリルが幾つもの異世界を強制的に繋げたことで、その長き間に多くの魂の移動が行われてしまったからに他なりません。
”魂の不可侵”が犯されたことによって、次元のバランスが狂ってしまったのです。
戦が終わり、その殆んどは元の世界へと戻って行きました。
しかし、その強い執着によって動けなくなった者。
あるいは、呪い人となって残った者。
そして、彷徨いとなってしまった者。
彼らも帰る事を望んでいます。
ただ、彼らを元の世界に返すには、彼らと契約を結ばねばなりません。
その為には、彼らが忘れ去った、隠されてしまった”血筋の紋章”を探すのです。
この私との約束が果たされた時。
世界はバランスを取り戻し、元の形へと分離され、それぞれに本来の姿を取り戻すでしょう。
そうして、あなたたちも望み通り、安住の地と安らかな時を得ることができるのです……」
「私の望み……」
「戦以降、私の力も弱まっています。私も僅かに残された”VANILLA-FIELDS”を守るため、”守護の眠り”に就かなければなりません」
「分かりました。この世界を元の姿に戻す為。安住の地と安らかな時を得る為。私は貴方との契りを交わしましょう」
「ありがとう。多くの生けるものが貴方達に期待してます……」
そう言って、弱くも優しい微笑みを浮かべる女神。
彼女は静かに右手を天に翳すと、ゆっくりと返した掌をハティに差し出します。
すると、彼女の掌から装飾の額縁を銀色に輝かせる一つの鏡が現れました。そして、霞のようにハティの傍らに滑り届きます。
それは”白き愛の女神”の国”VANILLA-FIELDS”に住む妖精のひとり、アイス・キュロスが姿を変えたものでした。
宙に浮いたままハティの肩口で鏡は静止すると、次に女神は微かな吐息をハティに吹きかけます。
その息吹はハティを撫でるように流れ巻き消えると、彼の前足、その右肩に炎のように赤く光る華の文様を浮かび上がらせるのでした。
その鏡に映った焼印のような文様に驚くハティ。
「こ、これは?」
驚くハティに女神が答えます。
「それは貴方の血筋の紋章。灼熱の地、”紅華の紋章”……」
そして、女神は眠るように倒れ伏す少女マーニの右頬を差します。
そこにはハティ同様、白く輝く羽の文様が浮かび上がっていました。
「彼女の頬の痣は、風の天使”白羽の紋章”……」
その女神の言葉を聞き、何かを思い出し掛けるように目を細めるハティ。
「紋章……。どこかで見たような気がする。いや、知っている。私はこれを知っている。何故? 何故、私は……」
そう言って、必死に何かを思い出そうとする彼に女神が促します。
「赤子の掌を御覧なさい」
もやもやとした霧のような面持ちで、促されるまま赤子の掌を見るハティ。
「右と左、それぞれの掌に華と羽の紋章が……」
「そう、元々あなたたちは同じ国の人間。その魂を持って生まれてきたもの。深い縁で結ばれているのです」
「私たちが……」
「何れ全てを思い出す時が来ます。それまでの間、あなたたちの魂を私の力で新たな器に繋ぎとめます。
そして、私の国。その都”VANILLA-TREE”へと招きましょう。
そこにある白亜の塔から、そこからなら、この壊れた世界”RUINOUS-WORLD”の全てを見渡すことが出来ます。
そして、そこにある”野原の書”が、あなたたちの行く手を指し示してくれるでしょう。
さあ、懐かしい故郷を、想い出の場所を、共に取り戻す旅へ出かけましょう……」