お婆ちゃんの話
婆ちゃんの影響って孫に大きいですよね。某巨大掲示板の住民も婆ちゃんっ子が多いし(どうでもいい
「婆ちゃん、ちょっと訊きたいことがあるんだけどいいかな?」
学校を終え帰宅した俺は、玄関まで迎えに出てきてくれた婆ちゃんにそう言った。婆ちゃんは不思議そうな顔をしたが、すぐに優しい笑顔で頷いてくれた。
「いいよ。空ちゃんとお話出来るからねぇ。お婆ちゃんに分かることなら何でもお話するよ」
「ありがとう。とりあえず居間に行こう」
俺は玄関で靴を脱ぎ、居間に向かう。婆ちゃんも後に続く。
「ふぅ……それで、何を訊きたいんだい?」
「あぁ……えっと……」
俺は湊の話を思い出す。五年前、神隠しに遭ったという話を。そして婆ちゃんに尋ねた。五年前、神隠しに遭った少女について。
「神隠しねぇ……えぇ、確かに五年前にそんな騒ぎがあったねぇ。空ちゃんより一歳年下の女の子が。ちなみにその子の祖母はお婆ちゃんのお友達でねぇ、数年前に亡くなってしまったのよ」
「……」
知らなかった。婆ちゃんも関わりがあったのか。まぁこの街の田舎な部落では近所付き合いがかなり親密にあるし、分からなくもないが。
「女の子の名前は……そう、湊ちゃんだったわね。急に消息を絶ってしまった日の数日後に、森の中心部にある祠の前で倒れてるのが発見されていてねぇ、それはもう大騒ぎになったもんだよ。古い歴史の中でも神隠しに遭って戻ってきた人間は、片手の指で数えられるほどしかいないとまで言われてるくらいだからねぇ」
「その時は酷く衰弱していて、すぐに病院で治療。それで不思議なことに……その子は記憶が無くなっててねぇ。覚えていたのは自分の名前と家族のことだけ、他の人や昔の出来事なんかは全部忘れちゃってたのよ」
「……」
湊の話の通りだった。
でも、俺は腑に落ちない所がある。
「婆ちゃん」
「ん?」
「神隠しは……本当に在り得るの?」
俺は知りたかった。たとえ湊の失踪や帰還、記憶喪失の話が多くの人を驚かせたとして。神は本当にいて、神隠しは本当にあるのか。
婆ちゃんは少し何かを考えたような顔をした後、静かな声で言った。
「『森羅』は……この街は神様に守られているからねぇ……そして、何が起きても不思議じゃない……昔、神様と生活を共にした先人達は皆こう言うわね。『神様は神様を信じる人の前に現れる。そして、神様と心を通わせた人間には幸福が訪れる』と。でも今では神様を信じる人も少なくなってきてねぇ、信じているのはお年寄りや神隠しに遭って帰って来た者くらいかしら」
この街に神はいる。しかし、人前からは姿を消してしまっている。それは自分達の存在を信じる人間が少なくなり、誰かと心を通わせることなく自分達の姿や存在が風化していくからなのかもしれない。
どんな原理で、どんな風に神がいて、なんて理屈は関係ない。これは信じるか信じないかの問題なんだ。非現実的だと分かっていても、神の存在を信じ尊ぶことが出来る者の前に神は現れる。
そういえば姉ちゃんは神頼みをすることが多かった。しかしそれは自分で努力を怠ってただ願いっぱなしなわけではない。むしろ、色んな面で姉ちゃんは努力をする人だった。そんな姉ちゃんの前になら、神が現れてもおかしくはないと思う。
「でもお婆ちゃんは、空ちゃんが一番神様の存在を信じているんじゃないかと思うけどねぇ」
「……俺が?」
「えぇ。空ちゃん、お父さんとお母さんが亡くなってからいつも空を見ていたり森を見ていたりしていたでしょ……澪ちゃんがいなくなってからは、森に入ろうとしたこともあったねぇ」
「そういえば……そんなこともあったなぁ」
俺の姉である夜風澪はまだ帰ってきていない。確かに見つかっていないが、死んだと決まったわけでもない。俺はずっとそう思って、姉ちゃんがいつか帰ってくると信じていた。
「まぁ、空ちゃんが本当に神様を信じているなら……またいつか神様がこの街にやってくるかもねぇ」
婆ちゃんはそう言って微笑んだ。
今日この話を聞けて俺は良かったと素直に思う。湊にも感謝しなきゃな。
「湊だって帰って来た……なら姉ちゃんも」
「そうだねぇ。お婆ちゃんも、澪ちゃんがいつか帰って来るって信じているからねぇ。……そういえば空ちゃん。湊ちゃんのこと知っているのかい?」
「あ、うん。なんというか……久々に出来た……『友達』……かな」
婆ちゃんはその言葉を聞くととても嬉しそうに笑って、何度も頷いた。
「そうかい……そうかい……良かった、良かったねぇ……」
婆ちゃんは少し泣いていた。そうだ、俺は今まで他人と関わろうとしなかった。婆ちゃんはそのことが気がかりだったのかもしれない。ずっと心配をかけていたことを知って申し訳なく思う。
「そういえば、お父さんとお母さんのお葬式の時に……空ちゃん、あの子と遊んでいたっけねぇ……」
「そうなの!?」
俺は予想外の言葉を聞いて驚いてしまう。そして巡らせた、七年前の葬式の日の記憶を。
――そういえば、なんとなく誰かと遊んでいた記憶があるかもしれない。それは姉ちゃんじゃない、と思う。多分犬も一緒だったはず。湊、確か犬が大好きだって言ってような。
「色々とお手伝いをしてくれていた澪ちゃんに、空ちゃんの傍にいてあげてって言ったの。しばらくして様子を見に行ったら、空ちゃんが湊ちゃんやワンちゃんと遊んでいてねぇ……その様子を、澪ちゃんは嬉しそうに眺めていたわねぇ」
俺は湊と出会って一緒に遊んでいた。そのことを思い出した途端、電撃が走るように昔の記憶が映像になって頭の中に流れてくる。
葬式の日、泣いていた俺を心配したのか話しかけてきた女の子。犬種は分からないが大きめの犬と一緒にいた。そして、しばらく俺を慰めてくれた後に言った。『一緒に遊ぼう』と。それから、しばしばその子と遊んだりした。俺のことは確か『お兄ちゃん』なんて言って慕ってくれる可愛い子だった。俺は確かその子のことを、犬と一緒にいる上に雰囲気が犬っぽい子だったからか『わんこ』と呼んでいた。今思えば笑えてくる。
俺は一度出会っていた、そして不思議と惹かれている。白狼湊という少女に。
「不思議な巡り合わせだと思って、湊ちゃんのことを大事にね」
「……そう……だね」
けれど、俺はすぐに気がつく。俺と湊が出会ったのは七年前。その二年後、五年前に湊は神隠しに遭い――記憶を無くした。当然、俺と出会って一緒に遊んだことは覚えていないだろう。
なんだか急激に空しくなってくる。本当は思い出さない方が良かったんじゃないかとまで思えてくるような、謎の虚無感に襲われる。
「思い出しても……意味ねぇじゃん」
「空ちゃん。たとえ記憶が無くなってるとしてもね……きっとあの子はいつか思い出せると思うよ。人は大切な記憶を簡単に無くしたりはしないんだから。あの子、凄く楽しそうに空ちゃんと遊んでいたじゃない」
ポツリと呟いた俺に対する婆ちゃんの言葉。そうだ、俺は何を馬鹿なことを。
昔に出会っていたと知ったこの喜びが一方通行だっていいじゃないか。相手が覚えて無くてもいいじゃないか。俺と湊が出会っていて、仲良くなれたことは事実なんだ。だったら、またそんな風に仲良くなれる。それに、今の俺は今の湊を見ている。
この時、ふと思い出す。俺のあの言葉に対する湊の返事を。
『俺ともっと一緒にいてくれないか?』
とっさに出たのがあんな台詞で少し恥ずかしいが湊はちゃんと答えてくれた。
少し恥ずかしそうに、俺から目を逸らして。もじもじと恥らうようなその表情に、正直軽く心臓の鼓動が早まった。
『僕も……空弥さんともっと一緒にいたいです……』