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夏の空の下で僕達は笑う  作者: ヨハン
『彼方』
12/15

未知なる空間

「これは……」


 森に一歩足を踏み入れると、世界が変わった。

 右も左も木があり草がある。体を包み込むひんやりとした空気に、木の葉の何とも言えない香り。

 森そのものが生命の塊であると、生きていると再認識する。


「……」


 一歩一歩足を進める。次第に周囲は草木が生い茂る。あまりにも暗いので空を見上げた。確かに木々の間から空は見える。しかし、その空には灰色の雲。きっともうじき雨が降るだろう。

 森は物静かで風も吹かず気味が悪い。森の沈黙を破るのは俺の足音だった。きっと立ち止まったら感覚が狂う、そんな気がして俺は歩き続ける。

 しばらく歩き、周囲の木は古く太い大木が多くなってくる。もしかしたらもう何千年も生きているような大木。

 古代の森を俺は知らないが、きっとこんな感じだと思う。

 木々の間隔が少し広いここまでくればもう大丈夫だろう。俺は立ち止まる。


「……リコ!」


 そして神の名前を呼ぶ。

 次の瞬間耳鳴りがしたかと思うと、頭の中に直接声が聞こえてくる。


『森は空弥を導いているから……そのまま歩いて』


 どうやら道は間違っていないらしい。

 よし、もう少し頑張るか。






「わっ……!」


 急に視界が開き、開放感のある空間へ辿り着く。

 目の前には地の底がはっきり見えるほどに澄んだ純度の高い水の広がり。僅かな反射する光さえも少し眩しいと感じる。例え難い神々しさを感じさせると共に、ここは神秘で穢れの無い未知の空間であることが分かる。

 ここがきっと森の最奥部なのだろう。泉の中心には少し大き目の陸地と神を祀る祠があった。その陸地へ渡る橋などは一切存在しない。

 簡単に言えば、穴が開いたドーナツ状に泉は広がっている。そしてその中心には陸地と祠があった。

 

「リコ、いるのか?」


「……うん」


「っうお……」


 まるで最初からいたかのように、リコは祠の上に座っていた。気がつかなかった。

 そして今でもこの幼女が神様だなんて思うのは少し難しい。


「幼女……」


「心を読むな……」


「神は人間の心を読めるから」


「そうか……」


 まぁ、余計な話はもうしなくてもいいだろう。

 本題に入る。


「リコ……俺を『彼方』へ連れて行ってくれ」


 俺は覚悟を決めてここへ来た。

 きっと行くことが出来るだろう。


「……『彼方』に行って澪に会うならば、代償が必要となる……」


「代償? 何が欲しいんだ。俺が持ってるものならどんなものでもやる」


「祖父母や涼香、湊に関しての記憶……」


「……え?」


 ちょっと待て。何を言っているんだ。

 記憶を差し出したら、俺はこちらへ帰って来る意味が無くなる。

 その時、頬にポツリと雫が落ちる。雨が降り出した。

 次第に雨は強くなり、俺の髪や制服はびしょびしょになる。


「帰って来れるなんて甘い考えは、邪魔なだけ」


 雨の中、リコの冷たい言葉が胸に響く。


「……姉ちゃんも……その代償を払ったのか?」


 もしもそうだとするならば、再会出来ても姉ちゃんからすれば俺は初対面の相手になってしまう。


「いや……澪が払ったのは……自分自身」


「え……?」


「澪は望んで『彼方』へ行ったわけじゃないから……」


「じゃあ……どうして姉ちゃんは……」


「それは……」


 リコは少し間を空けて言った。


「空弥のため」


「俺の……ため?」


「元々澪は、お願いをしに来た」


「お願い?」


「空弥に大切な友達が出来ますように、そんなお願い……叶えるのには数年かかってしまったけれど。そしてその代償に、澪は『彼方』に自分の身を投じた」


「……そんな……ことが……」


 姉ちゃんは最後の最後まで俺のために行動してくれていた。

 そのことを知り、言葉を失う。

 

「今の空弥は……祖父母や涼香、湊を大切な存在だと思っている……」


「……それが代償になるのか」


「そう……そうすれば空弥は『彼方』へ行き、澪に会える」


 そういうことか。

 俺は、姉ちゃんと皆を天秤にかけなければいけないらしい。

 正直、俺にとってはどちらも大切だ。

 俺は涼香さんと澪の手を離した。それなのに、今はどうしようもなく大切だと自覚している。


「空弥、もう一つ教えておく……空弥は湊を一番大事に思っている。だから、天秤にかけるならば……澪と湊ということになる」


 湊。

 姉ちゃんの願いによって出会った存在。俺を変えてくれた恩人。初めて俺の友達になってくれた少女。

俺はいつの間にか、湊を大切に思っている。

 いや、それも少し違うか。

 俺は湊のことが好きなんだ、だから今こうして決断出来ずにいる。

 どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。大好きな女の子を傷付けここへ来たことを姉ちゃんがしったら必ず怒るんだろうな。


「……そんなの……」


 その時。

 ガサガサと草が擦れる音が聞こえる。そして、現れたのは俺が初めて心を奪われて、愛しいと思っていた大好きな女の子だった。


「湊……」


「空弥さん……一緒に帰りましょう」


 湊は俺の目をしっかりと見つめて言った。髪と制服は雨に濡れ、制服は汚れ、綺麗だった白い肌は草による切り傷でボロボロだった。

 辞めろよ。ますます、好きになってしまうじゃないか。ますます……失いたく無くなってしまう。


「……俺は……やっぱり、『彼方』へ行く」


「っ……空弥さん!」


「分かってくれ……湊。俺は七年間、一日も姉ちゃんのことを忘れた日は無い……そのくらい大事なんだ」


「でも……!」


「自分勝手なのは分かってる……けど、ここまで来たんだ……もうすぐ姉ちゃんに会えるんだ」


 俺は泉へ向かって歩き出す。


「行かないでください! 空弥さん!」


 俺は後ろから聞こえてくる声に振り向かない。

 少しずつスピードを速め、水に飛び込む。水を掻き分けるようにして進む。


「空弥さん!」


「――!!」


 体が動かない。いや、動けない。

 湊が俺を、後ろから強く抱きしめていた。

 


「湊……俺は……たとえ記憶を失っても、お前のことは絶対に忘れない……」


「……っ」


「俺は湊のことが好きだ」


「えっ……空弥……さん?」


「神だろうがなんだろうが、俺が湊を好きだって気持ちは消せない……だから、離してくれ……」


 湊の腕には更に力が篭る。

 

「……嫌です……だったら、尚更離しません……」


「どうしてっ……」


「簡単なことじゃないですか……」


「え……?」


 言いたいことはなんとなく予想がついた。


「僕も……――」


「……雨で……聞こえねぇよ……」


 小さな声だったが本当は聞き取れていた。

 でも俺は、はっきりと聞きたかったんだと思う。だから、もう一度言って欲しい。

 今度の湊の声も雨の音に掻き消されそうになりそうだった。が、しっかりと聞き取った。


「僕も……空弥さんのことが好きです」

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