北海道、千歳の牧場で過ごした一か月 ――牛たちと働き、人と出会い、人生を学んだ高校時代の夏――
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「朝4時30分、北海道の牧場で始まった一日。汗と牛の鳴き声、仲間の笑顔、満天の星空。あの夏の一か月が、35年後の今も私の人生を温めている。」
はじめに――35年前の北海道
今から約35年前、私は高校生だった。
あの頃の私は、北海道という土地に対して、どんな印象を持っていただろうか。
広大な大地、どこまでも続く畑、たくさんの牛が暮らす牧場。そして、テレビや雑誌で見るような雄大な自然。
そんな北海道に、私は一か月間の酪農研修に行くことになった。
研修先は北海道千歳市にある●●牧場。
そこには約300頭の乳牛が飼育されていた。そのうち、およそ100頭が搾乳牛で、朝と夕方の二回、搾乳を行っていた。
学校にも酪農実習はあった。学校で飼育していた乳牛は約7頭。毎日の餌やりや搾乳など、一通りの仕事は経験していたつもりだった。
しかし、北海道の牧場は規模が違った。
300頭という牛の数は、学校の実習とは比較にならない。
これから始まる一か月が、どんな毎日になるのか。期待と不安を胸に、私は香川県から遠く離れた北海道へ向かった。
今になって振り返れば、この一か月は単なる高校時代の研修ではなかった。
働くことの厳しさ、人の優しさ、食べ物を作ることの大切さ、そして仲間と過ごす時間の楽しさを教えてくれた、かけがえのない経験だったのである。
第一章 北海道へ向かう長い旅
北海道への旅は、今のように簡単なものではなかった。
当時はまだ瀬戸大橋が開通していない。
香川県から岡山県へ渡るには、宇高連絡船を利用しなければならなかった。
高松築港から宇野港まで、およそ一時間の船旅。
船に乗り込むと、潮風が頬に当たった。瀬戸内海の穏やかな海を眺めながら、これから始まる長い旅に胸を膨らませていた。
現在なら高松駅から岡山駅までマリンライナーで約一時間。ずいぶん便利になったものだ。
しかし、当時は船を利用することも旅の一部だった。
宇野港に到着すると、今度は岡山駅へ列車で移動する。
岡山駅からは新幹線に乗り、東京を目指した。
当時の記憶では、東京まで約六時間ほどかかったと思う。
車内では、友達と話をする者、眠っている者、ウォークマンで音楽を聴く者、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、私は北海道での生活を想像していた。
東京駅に着いた頃には、すでに夕方になっていたと思う。
そこから上野駅へ移動し、青森行きの夜行列車を待つことになった。
発車までには三時間ほどあった。
上野駅で夕食を取り、駅の中を歩いたりしながら時間を過ごす。
午後9時。
いよいよ青森へ向かう夜行列車が出発した。
列車の揺れを感じながら、私は少しずつ眠りについた。
長い移動の一日目が終わろうとしていた。
翌朝、午前4時頃に目を覚ました。
午前5時頃、列車は青森駅に到着する。
ホームに降りた瞬間、驚いた。
寒い。
香川県とは明らかに違う空気だった。
半袖で過ごしていた私は、慌てて長袖に着替えた。
同じ日本なのに、こんなにも気温が違うのかと驚いたことを覚えている。
青森駅から青森港までは歩いて移動した。
そして、次は青函連絡船で北海道へ向かう。
約四時間の船旅である。
船から眺める海は広く、北海道が近づいてくると思うだけで、胸が高鳴った。
函館港に到着すると、今度は北海道の列車に乗り換える。
そして、ようやく目的地である長沼町方面へ向かった。
最終的に研修先の千歳市の●●牧場へ到着したときには、長い旅の疲れもあったが、それ以上に新しい生活への期待でいっぱいだった。
帰り道には洞爺湖温泉で一泊することになるのだが、それはまだ一か月先の話である。
こうして、私の北海道研修が始まった。
第二章 午前4時30分、牧場の朝
酪農家の朝は早い。
これは学校でも教わっていたが、実際に牧場で生活してみると、その意味がよく分かった。
午前4時30分。
起床時間である。
顔を洗い、作業着に着替える。
まだ外は薄暗く、一般の家庭なら、ほとんどの人が眠っている時間だ。
しかし、牧場では一日の仕事が始まろうとしていた。
午前5時。
作業開始。
最初に行うのは牛たちへの餌やりと搾乳の準備だった。
牛が逃げないように首の部分を固定し、搾乳できる状態にする。
配合飼料を与えながら、牛たちの様子を確認する。
北海道の●●牧場では、パイプラインミルカーという搾乳機械を使用していた。
四本の搾乳カップを牛の乳頭に取り付け、真空の力で牛乳を搾る仕組みである。
搾られた生乳はパイプを通ってタンクへ運ばれていく。
学校では数頭の牛を相手にしていたが、ここでは100頭を超える牛が相手になる。
一頭ずつ丁寧に作業しなければならない。
特に気をつけなければならないのが、乳房炎などの異常である。
生乳の品質を守るためには、搾乳前の確認が欠かせない。
先輩たちから教わりながら、私は一つ一つの作業を覚えていった。
搾乳と並行して行うのが、乳房を拭く作業だった。
温かいタオルを使い、乳房についた汚れを丁寧に落とす。
乳房を清潔にしておかなければ、牛乳の衛生状態に影響する。
また、搾乳前には最初の乳を少量確認し、異常がないかを見ていた。
牛乳は、ただ機械を取り付ければ出てくるものではない。
牛の健康状態を確認し、清潔に保ち、毎日きちんと管理する必要がある。
私はそのことを、実際の仕事を通して学んだ。
第三章 搾乳班と餌やり班
牧場では、仕事を効率よく進めるために二つの班に分かれて作業していた。
搾乳班と餌やり班である。
私は両方の仕事を交互に経験させてもらった。
搾乳班は、搾乳が終わった後に機械の洗浄を行う。
パイプラインミルカーは牛乳が通る機械なので、衛生管理が非常に重要だ。
使用した機械を丁寧に洗い、次の搾乳に備える。
一方、餌やり班は搾乳中の牛たちに配合飼料を与え、その後に乾燥牧草などを与えていく。
さらに、搾乳していない牛たちにも餌を配らなければならない。
稲わらも重要な飼料だった。
束になった稲わらを一定の大きさに切り、飼料用のカートに積み込む。
この作業には二人で約30分かかった。
それを何か所にも運んでいく。
牛の数が多いということは、それだけ餌の量も多いということだ。
学校では経験したことのない規模だった。
さらに、子牛への哺乳も餌やり班の仕事だった。
子牛が哺乳用の器具から一生懸命に乳を飲む姿は、何ともかわいらしい。
大きな牛たちの世話をしていると、子牛の小さな姿が余計に印象に残った。
こうした作業をすべて終えると、ようやく朝食になる。
午前5時から始めた作業が終わるのは、午前8時頃。
約三時間の仕事である。
朝食は本当にありがたかった。
しっかり食べなければ、その後の作業に身体がついていかない。
牧場の皆さんと一緒に食卓を囲み、朝食をいただく。
働いた後の食事は格別だった。
第四章 北海道の畑は地平線まで続く
午前8時30分から9時頃までは休憩時間だった。
洗濯をしたり、部屋を掃除したり、少し身体を休めたりする。
そして午前9時になると、再び作業が始まる。
午前中の仕事は、畑の草抜きなどが中心だった。
北海道の畑は、とにかく広い。
学校の実習で経験していた畑とは比較にならなかった。
見渡す限り畑が広がっている。
遠くには地平線が見える。
最初にその景色を見たとき、私は本当に驚いた。
一列の草抜きを始める。
前を向いて進んでいく。
ようやく遠くまでたどり着いたと思っても、そこから振り返れば、また同じような距離が残っている。
行きも大変だが、帰りも大変である。
機械が入れない場所では、すべて人の手で作業しなければならない。
畑によっては、作業場所に到着するだけで午前中が終わってしまうこともあった。
北海道の農業は、土地の広さとの戦いでもあるのだと思った。
午前11時30分になると、子牛への哺乳を行う。
約30分かけて子牛たちに乳を飲ませる。
こうした仕事が終わると、ようやく昼食の時間になる。
正午。
昼ご飯をしっかりいただく。
午後1時までは自由時間だ。
友達と話をしたり、昼寝をしたり、洗濯物を取り込んだりする。
短い休憩時間だったが、午前中の疲れを取るには大切な時間だった。
第五章 牧草運びという重労働
北海道の酪農で忘れてはならないのが、冬のための飼料の準備である。
北海道の冬は雪が降り、畑で十分な牧草を収穫することが難しくなる。
そのため、夏の間に冬を越すための飼料を準備しておかなければならない。
乾燥牧草を集め、機械でまとめ、保存できる形にしていく。
私が特に印象に残っているのは、乾燥牧草を運ぶ作業だった。
機械で集められ、キューブ状にまとめられた乾燥牧草をトラックに積み込んでいく。
一つの重さは約10キロ。
数字だけを見れば、それほど大きな重さではないように思えるかもしれない。
しかし、それを何度も何度も繰り返すのである。
休む間もなく運び続ける。
最初は何とかできても、時間が経つにつれて腕や握力に疲れがたまっていく。
手に力が入らなくなってくる。
それでも作業は続く。
大学時代にも北海道で研修を経験したが、乾燥牧草を運ぶ仕事は、その時の記憶にも強く残っている。
牧草運びは二、三日続いた。
大変な作業だったが、無事に終わったときには達成感があった。
そして、その日の夕食はご馳走だった。
大変な仕事を終えた後に、みんなで食卓を囲む。
その喜びは、実際に働いた人でなければ分からないかもしれない。
今思えば、冬の牛たちの食料を確保するために、夏の農家の皆さんがどれほど努力しているのかを知る貴重な経験だった。
第六章 雨の日も休みではない
午後1時になると、午後の作業が始まる。
基本的には午前中と同じような農作業を行う。
しかし、北海道の天気は変わる。
雨が降る日もあった。
小雨であればレインコートを着て作業する。
大雨になれば、外での仕事を変更して牛舎の補修などを行う。
錆びた部分を落としてペンキを塗る。
蜘蛛の巣を取り除く。
牛舎の中の藁を整える。
放牧している場所の餌場を掃除する。
牧場には、毎日きちんと管理しなければならない場所がたくさんある。
牛を飼うということは、牛に餌を与え、乳を搾るだけではない。
牛たちが安全で清潔な環境で生活できるように、施設全体を管理する必要があるのだ。
午後3時になると、10分間の休憩がある。
これが楽しみだった。
おやつの時間である。
搾りたての牛乳を火にかけて温め、その後冷やしたものをいただく。
そしてパン。
北海道の牧場で飲む牛乳は、何とも言えない美味しさだった。
毎日牛乳を扱っているからこそ、牛乳のおいしさを改めて感じることができたのかもしれない。
10分間の休憩は短かったが、午後の作業に向けて気持ちを切り替える大切な時間だった。
午後3時10分。
再び作業開始。
そして午後5時になると、夕方の搾乳が始まる。
朝と同じように搾乳班と餌やり班に分かれて仕事をする。
搾乳が終われば機械を洗浄する。
餌やり班は牛たちに餌を与える。
すべての作業が終わる頃には、午後8時近くになっていた。
朝5時から夜8時まで。
途中に食事や休憩はあるものの、牧場の一日は本当に長い。
さらに、牛が出産する時には、夜中でも対応しなければならない。
酪農家の仕事に、決まった休日や時間だけでは片付けられない大変さがあることを知った。
それでも、牧場の皆さんは毎日牛たちと向き合っていた。
それが酪農家の日常だった。
第七章 優しい人たちとの出会い
仕事は大変だった。
しかし、私が一か月の研修を楽しく過ごせた最大の理由は、牧場の人たちとの出会いだったと思う。
高校時代に研修でお世話になった●●牧場の皆さんは、とても優しく、そして仕事には厳しい人たちだった。
牧場には住み込みで働いている従業員の方もいた。
同じ高校生の研修生として、愛媛県から来ていた人もいた。
知らない土地での生活だったが、周囲の人たちに助けてもらいながら、少しずつ仕事を覚えていった。
特に印象に残っているのが、私より三歳年上のお姉さんだった。
牧場で従業員として働いていた人である。
仕事中はしっかり者で、作業にも慣れていた。
分からないことがあると、丁寧に教えてくれた。
私は身体がそれほど大きくなかったので、重労働には苦労した。
そんな時にも、さりげなく声をかけてくれた。
「大丈夫? 無理しないでね」
そんな何気ない一言が、どれほどありがたかったことか。
毎日の作業が終わると、夜にはいろいろな話をした。
学校のこと、牧場のこと、北海道での生活のこと。
今となっては会話の細かな内容までは覚えていないが、一緒に話をして過ごした時間は、懐かしい思い出として残っている。
また、15歳年上のお兄さんとも仲良くなった。
牧場の長女さんや長男さんとも交流があり、夜になると皆で楽しく過ごした。
仕事の時は厳しくても、仕事が終われば笑い合える。
そんな人間関係が、私にとってはとても新鮮だった。
第八章 忘れられないジンギスカンの夜
北海道研修での楽しい思い出といえば、やはりジンギスカンパーティーである。
毎日、朝から晩まで働いていた私たちにとって、みんなで食事を楽しむ時間は特別だった。
ある日の夕方、搾乳と餌やりが終わった後、牧場の皆さんがジンギスカンの準備を始めた。
鉄板が用意され、肉や野菜が並べられる。
北海道らしい食事だった。
鉄板の上に肉を置くと、ジュウジュウという音とともに香ばしい匂いが広がる。
普段の食事もおいしかったが、こうして皆で囲む食事はまた格別だった。
「今日はいっぱい食べなよ」
年上のお姉さんが笑いながら声をかけてくれた。
「はい。いただきます」
私は遠慮なく箸を伸ばした。
一日中働いた後の食事は本当においしい。
肉を焼き、野菜を食べ、みんなで話をする。
普段は仕事の話が中心だが、この夜は違った。
冗談が飛び交い、笑い声が絶えない。
愛媛県から来ていた研修生も一緒だった。
その研修生は二週間の滞在だったため、私たちより先に帰ることになっていた。
そのため、研修生が来た時と帰る時にも焼き肉パーティーを開いてくれた。
人が来た時には歓迎し、帰る時には皆で送り出す。
そんな牧場の人たちの温かさが嬉しかった。
ジンギスカンを食べながら、私は北海道に来て良かったと心から思った。
第九章 北海道の夜空と花火
食事が終わると、今度は花火の時間だった。
牧場の広い敷地の一角で、皆が集まった。
手持ち花火に火をつける。
暗い夜空の中で、色とりどりの火花が広がる。
香川県で見る花火とは、また違った雰囲気があった。
周囲には広い畑が広がり、遠くには牛舎がある。
昼間は忙しく働いている場所が、夜になると別世界のように感じられた。
線香花火を持ちながら、皆で話をする。
お姉さんも一緒だった。
「北海道の夜って、星がきれいでしょう」
そう言われて空を見上げると、確かに星がたくさん見えた。
街の明かりが少ないからだろうか。
空いっぱいに星が広がっているようだった。
仕事の疲れも、その時だけは忘れていた。
花火は決して大きなイベントではない。
しかし、あの夜の光景は今でも記憶に残っている。
第十章 ギターの弾き語り
花火が終わると、今度はギターが登場した。
15歳年上のお兄さんだったか、牧場の誰かがギターを持ち出してきた。
ギターを抱え、弦を鳴らす。
最初の音が夜空に響いた。
そして、弾き語りが始まった。
当時流行していた曲だったと思う。
私は音楽を聴くのが好きだったので、ギターの音色に耳を傾けていた。
お姉さんも近くにいて、皆で音楽を楽しんだ。
仕事の話をしている時とは違う表情が、そこにはあった。
昼間は牛の世話や農作業に追われている人たちが、夜には音楽を囲んで笑っている。
その光景が、とても印象的だった。
ギターを弾く人がいて、聴く人がいて、時には一緒に歌う人もいる。
特別な舞台も、立派な設備も必要ない。
そこに仲間がいて、音楽があれば、それだけで楽しい時間になる。
高校生だった私は、そんな何気ない夜の時間を心から楽しんでいた。
今思えば、あの夜の思い出は、牧場での仕事と同じくらい大切なものになっている。
第十一章 食卓から学んだこと
北海道研修では、朝、昼、夕の三食を牧場の皆さんと一緒にいただいた。
どの食事もおいしかった。
朝から晩まで身体を動かしているので、食事は本当に大切だった。
お腹が空いている時に食べるご飯は格別である。
そして、牛たちに餌を与える仕事を経験したことで、食べ物についても考えるようになった。
牛たちが毎日食べる飼料。
夏の間に準備する牧草。
冬を越すために保存する餌。
どれも簡単に手に入るものではない。
農家の人たちが時間と労力をかけて準備している。
そのことを実際に目の当たりにした。
私たちが普段何気なく口にしている牛乳や乳製品も、こうした仕事の積み重ねによって作られている。
食品ロスについて考えるようになったのも、こうした経験が原点にあるのかもしれない。
食べ物を簡単に捨ててはいけない。
牛たちを育てる人、牧草を育てる人、搾乳する人、牛乳を運ぶ人。
多くの人の仕事があって、私たちの食卓に牛乳が届いている。
そのことを忘れてはならないと思う。
第十二章 帰り道、洞爺湖温泉の思い出
一か月の研修も、いつか終わりを迎える。
北海道に来た時には長いと思っていた一か月も、振り返ればあっという間だった。
帰り道は、行きとは少し違った。
北海道の洞爺湖温泉で一泊することになっていた。
研修を終えた身体には、温泉がありがたかった。
一か月間、朝早くから働いてきた。
搾乳、餌やり、草抜き、牧草運び、牛舎の補修。
いろいろな作業を経験した。
その疲れを温泉で癒やしながら、私は北海道での生活を振り返っていた。
翌日からは帰路につく。
行きと同じように北海道の列車に乗り、青函連絡船で青森へ渡る。
青森から夜行列車で上野へ。
東京から新幹線で岡山へ。
岡山から宇野へ向かい、宇高連絡船で高松へ戻る。
長い長い帰り道だった。
船や列車に揺られながら、北海道での出来事を思い出していた。
牛たちの鳴き声。
早朝の牛舎。
広大な畑。
牧草運びの大変さ。
牧場の皆さんとの食事。
お姉さんとの会話。
ジンギスカン、花火、ギター。
たくさんの思い出が頭の中を巡っていた。
高松に帰り着いた時には、身体がまだ揺れているような感覚があった。
それほど長い旅だった。
しかし、心の中には、北海道で得たたくさんの経験が残っていた。
### 第十三章 35年後の今、思うこと
あれから約35年。
私はもう、あの頃の高校生ではない。
北海道の●●牧場で過ごした一か月を、すべて細かく覚えているわけではない。
どの畑で草を抜いたのか。
どの牛に餌を与えたのか。
毎日の作業の細かな順番。
そうした記憶は、少しずつ薄れている。
しかし、不思議なことに、今でも鮮明に思い出せる場面がある。
朝4時30分の起床。
牛舎の匂い。
搾乳機械の音。
広大な北海道の畑。
10キロの乾燥牧草を運んだ時の重さ。
そして、ジンギスカンの夜。
花火の光。
ギターの弾き語り。
一緒に働いてくれた人たちの笑顔。
特に、三歳年上のお姉さんとの会話は、懐かしい思い出の一つになっている。
今、どこでどう暮らしているのかは分からない。
あの時にお世話になった牧場の皆さんも、今では年齢を重ねていることだろう。
牧場が現在どうなっているのかも、私には分からない。
それでも、あの一か月が私の人生に残してくれたものは大きい。
酪農家の仕事は本当に大変だった。
朝早くから夜遅くまで働き、牛たちの健康を管理し、冬の飼料を準備する。
休みたくても休めない日もある。
牛たちは人間の都合に合わせて生活しているわけではない。
毎日、餌を食べ、乳を出し、時には子牛を産む。
だからこそ、酪農家の人たちは毎日牛たちと向き合っている。
その姿を見て、私は乳製品を大切にしようと思った。
牛乳一杯にも、多くの人の努力が詰まっている。
それを忘れずにいたい。
また、あの研修で学んだことは、仕事の厳しさだけではなかった。
人との出会いが、人生を豊かにするということだ。
知らない土地で、知らない人たちと生活する。
最初は不安もある。
しかし、一緒に働き、一緒に食事をし、笑い合うことで、いつの間にか仲間になっていく。
あの一か月は、私にとってそんな時間だった。
もし今、若い人から「人生の中で何か経験しておいた方がいいことはありますか」と尋ねられたら、私はこう答えるかもしれない。
自分の知らない世界に、一度飛び込んでみるといい。
農業でも、酪農でも、漁業でもいい。
実際に働き、現場の人たちと話し、食べ物が作られる過程を知ってほしい。
そこには、教科書だけでは分からないことがたくさんある。
ただし、農業や酪農の仕事は決して楽ではない。安全や労働条件を確認し、十分な休息を取りながら経験することも大切だ。
それでも、現場でしか学べないことは確かにある。
私自身、北海道での一か月があったからこそ、今でも農業や酪農に関心を持ち続けているのだと思う。
おわりに――あの夏の北海道は、今も心の中にある
北海道で過ごした一か月。
それは、長い人生の中では、ほんの短い時間だったかもしれない。
しかし、その短い時間の中に、たくさんの経験が詰まっていた。
牛たちと向き合った毎日。
大きな畑で汗を流した日々。
重い牧草を運んだ苦労。
そして、牧場の皆さんとの楽しい夜。
ジンギスカンを囲み、花火を楽しみ、ギターの音色に耳を傾けた時間。
あの夜、北海道の空にはたくさんの星が輝いていた。
三十五年が過ぎた今でも、私はあの星空を思い出すことがある。
もう一度、あの牧場を訪れることができたら、当時お世話になった皆さんに会ってみたい。
そして、あの時のお礼を伝えたい。
「一か月間、本当にありがとうございました」
あの時は、まだ高校生だった。
仕事の厳しさも、人の優しさも、食べ物を作ることの大切さも、すべてが新鮮だった。
今になって思う。
あの一か月は、私にとって人生の大切な財産だったのだ。
北海道の大地で働いた経験は、35年経った今も消えることはない。
牛乳を飲む時、乳製品を手に取る時、北海道という文字を見かけた時。
私は、あの夏の牧場を思い出す。
そして、心の中で静かに思う。
あの時、北海道へ行って本当に良かった。
ありがとう、●●牧場。
ありがとう、あの夏に出会った人たち。
そして、ありがとう。
35年前の、まだ何も知らなかった高校生の自分へ。
北海道の千歳で過ごした一か月は、今も私の心の中で、温かな思い出として生き続けている。
あとがきに代えて
今回のエッセイで大切にしたのは、酪農の仕事を単なる重労働として描かないことです。
朝4時30分から始まる仕事、300頭の牛たちの世話、広大な畑、牧草の収穫。これらは酪農の厳しさです。
しかし、それだけでは北海道研修の本当の姿は伝わりません。
一緒に働いた人たちとの交流、食卓を囲む楽しさ、ジンギスカンの夜、花火、ギターの弾き語り。そうした日常の中にこそ、一か月間の研修の温かさがあったと思います。
そして、もう一つ大切なのが、食べ物は決して当たり前に存在するものではないということです。
牛乳一杯にも、酪農家の毎日の努力があります。
35年前の高校生が北海道で学んだことを、35年後の今、改めて文章にして残す。それ自体に大きな意味があると思います。




