ラッキーといっしょ!
早朝。日が地平線から顔を出し周囲を照らすまさにそのとき。とある家の寝室で、平凡な少女が目を覚ました。
一つあくびをこぼした彼女は、ゆっくりと起き出した。トイレを済ませてリビングに向かう。誰もいないリビングはがらんとしていて広く感じられた。
彼女はキッチンへ足を向けた。朝食を食べようと思ったらしい。米をよそい、卵を取り出す。卵かけご飯だ。
コンコン、パカッ。軽快な音が響く。卵の殻を割り、米に黄身と白身を落とした。
「___?!!!!!」
つんざく悲鳴。思わず我が目を疑った彼女を、誰が咎められるだろうか。
ほかほかの米に落とされ、目に涙を浮かべて痛みと熱さを訴える、首の長い爬虫類___恐竜が、卵の中から生まれ落ちたのだから。
「これ、有精卵だったのー?!」
彼女の声が、静かな部屋に響き渡った。
いっけなーい!遅刻遅刻!私、ピッチピチの14歳!名前はシュラ!私、今遅刻の危機なんです!空を飛ぶ鳥に追い越されるのを見ながら走る速度を上げて私は駆けていく。早く行かないと怒られちゃうよー!!
ドォン、ドォン、という音を背中に聞きながら、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す。な、なんとか間に合った…!いつもより僅かに重い鞄を抱えなおして、私は教室に向かった。
「おはよシュラ」
「おはよ〜ハク」
お馴染みの挨拶を交わして、私は席に着いた。後ろの席に座る彼女の名前はハク。超がつくほどの美人さんで、白い肌に黒い髪が魅力的なの!え?私?私は深緑色って言うのかな?緑っぽい黒色。いや黒っぽい緑色?
「にしても、珍しく遅かったね?」
ハクにそう言われて、私はあははと苦笑い。そうかな〜、なんて一応、濁してみる。
「…何か持ってきた?」
伺うように私の瞳を覗き込んだ彼女の、黒檀の瞳が好奇心を宿して煌めいたように見えた。ハクは私の親友だから、やっぱり隠し事なんて出来ないなぁ。
「実はね……」
「へぇ、恐竜がねぇ」
ことの全てを話した私は、ハクの疑うような視線に居た堪れなくなって、鞄に手を突っ込んだ。手に触れたソレを、私は丁寧に取り上げる。ソッと机にソレを置いてハクの顔を見ると、驚愕に目を見開いていた。やった!ドッキリ大成功だね!
「シュラ、あんたソレ…」
「そう!生まれたてほやほやの恐竜ちゃん!」
机の上にいるのは、今朝、お米の上に産み落とされた可哀想な竜脚類。
ブラキオサウルスだ。
「名前、どーしよっかなって思って、連れてきちゃった!」
「連れてきちゃったじゃないけどね」
「えへ」
「えへ、じゃないよ。先生にバレたらどうするのさ。食べられちゃうんじゃないの」
「流石の先生だってそんなひどいことしないよ!」
「どーだか。あの人の考えることなんて私たちにはわっかんないじゃん」
「う、確かに……」
話をしながら、「バレないように気をつけなよ」とアドバイスしてくれるこの親友の言葉に従って、竜脚類ちゃんを鞄に戻した。ごめんね、家に帰るまでの辛抱だから!下手したらあなたの生命の危機なの!
「で、結局何がしたくて連れてきたの?」
「んーとね、まず名前をつけるでしょ、あとあの子を育ててあげたくて」
「…まぁ育てたいなら名前つけないとだもんね?」
「でしょー?!だよねだよね!名前つけてあげないとだよね!」
わかってくれたことが嬉しくて、ハクの手を取って笑う。ハクは苦笑して、私の手を握り返してくれた。
「ブラキオだっけ?」
「多分ね!」
「卵かけご飯を作ろうとして生まれたと」
「そう!」
ハクは少し黙り込んだ。真剣に考えてくれてるのがわかって、ハクの顔を見つめる。こういう真面目なところも、彼女の美点の一つだ。
「んー…"ラッキー"とかは?」
ハクが、そう言って私の目を見た。私は小首を傾げた。
「ラッキー?」
「そう。ブラキオサウルスって名前と、シュラに出会った経緯が由来。だって、有精卵とか、すごい"ラッキー"なことじゃない?」
ニヤリ、と笑った彼女の言葉に、私は笑みを返した。
「それだ!」
鞄の中で不思議そうにこちらを見上げる小さな恐竜に、私は笑って声をかけた。
「君の名前はラッキーだよ。これから、よろしくね」
ラッキーは、頷くように一つ鳴き声を上げた。
ドォン、ドォン、と音が聞こえて、学校の終わりを知らせてくれた。空を見ていた目を正面に向け直して、先生の締めの言葉を聞き届けた。これで面倒な学校はおしまい!はいしゅーりょー!早く帰りたーい!
「また怒られるよ、シュラ」
「ハク!お疲れ!」
「お疲れ、シュラ」
ハクが、後ろの席からそうして声をかけてきた。私は振り返ってハクに答える。教室には、もう私とハクの二人だけだった。みんな忙しいから、当たり前ではあるけど。
「とりあえず、バレてなさそうでよかったね」
「ね。うー、なんか緊張した」
あはは、と笑い合って、ハクがふと空を見上げた。
「あ、もう帰らないと。じゃあねシュラ」
「うん!またねハク!」
にこやかに手を振りながら、ハクは教室を後にした。私もそろそろ帰らないとな。
「これから帰るからね、ラッキー」
肩に担いだ鞄の中の可愛い子にそう声をかけた。ラッキーは心得たと言いたげに鳴いた。
帰宅!ご飯!と、いうことで私はお昼ご飯の準備中です。鞄の中から解放されたラッキーは、私の足元でウロチョロしててとっても可愛い。
「んふふ、ちょっと待っててね。ご飯用意するからね〜」
ラッキーはブラキオサウルスだけど、地面に生えてる草でも大丈夫かな?…高いとこの葉っぱは、取るのも命懸けになっちゃうし、あんまりやりたくないんだよね……
「ラッキー、ご飯の材料取ってくるね!いい子にしててよ!」
言えば理解できたのか、ラッキーはやっぱり一声鳴いてその場に留まった。あまりにもいい子。早くご飯を食べさせてあげたくて、私は外に駆け出した。
無事に美味しそうな新鮮な草を採集してきた私は、目の前で私の取ってきた草を美味しそうに食べるラッキーと共にお昼ご飯を食べている真っ最中だった。
「おいしい?」
頷くラッキーが可愛くて、思わず顔が綻んだ。可愛いなぁ。ラッキーを眺めながら、私は干し肉を噛みちぎる。ハクに「食べ方が豪快」と言われるけど、仕方ないよね。だって固いんだもん。私はどうせ不器用でーす。
ラッキーは食べ盛りみたい。まぁ生まれたばかりだもんね。当たり前か。私よりもずっと早くに食べ終えたラッキーは、私の周りをぐるぐると駆け回る。元気いっぱいな姿になんだか安心した。お米、炊き立てだったし熱かっただろうに火傷の痕も見られなかったのは、やっぱり恐竜だからなのかな?肌が強いのかな?そんなことを思いながら、私も食事を終えて立ち上がる。これから始めるのは夜ご飯と保存の効く食事の用意。ちょうど食料を切らしちゃってたからなぁ。
「ん、ラッキーも行く?」
立ち上がって玄関に向かった私の足にタックルをかましてきたのは、何を隠そう可愛いラッキーだった。私がラッキーを抱き上げてそう問いかけたら、ラッキーは今日一番の元気な声を上げた。この子は元気溌剌な子なんだな、と改めて実感したんだ。
ドスン、とお腹に衝撃を感じて目が覚めた。何本か骨が折れたかと思ったけど、幸いそんなことにはならなかったみたい。感覚的にそう判断して、衝撃の原因を探ろうと目を向けた。
可愛いラッキーが、小首を傾げて曇りなき眼で私を見ていた。ダメだ可愛すぎる。骨が折れる可能性のある攻撃なんてもうどうでも良くなってきたな。お腹減った?そうだな?きっとそうだな?わかった朝ごはんを用意しようね。
でも、その前にやらないといけないことがあるんだ。私はソッとラッキーを抱き上げた。すっかり馴染んだこの行動に、ラッキーも慣れた様子。まぁ、最初から抵抗なんて一切なかったけどね。
「おはよ、ラッキー」
ラッキーは挨拶の代わりに、一つ鳴き声を上げた。
朝日の差し込む部屋の中で、ラッキーの瞳がキラキラと輝いていた。
今日は学校のない日だった。一日自由に過ごせる日だった。だから、私はラッキーを連れて散歩に出かけた。
私の住む場所は、自然にあふれたところ。見渡す限り高い木と草が生い茂って、赤い花が咲き誇っている。ラッキーを抱っこしながら家の周囲を歩いてみれば、ラッキーは長い首を目一杯動かして周りを見渡していた。好奇心旺盛なのも、すごく可愛い。ふふ。
腕の中のラッキー。深緑色の皮膚に、長い首。頭の一番高いところについた鼻。長い前足とちょっと短い後ろ足。滑らかに降っていく肩の傾斜。丸いつぶらな瞳が、特別に可愛く見えて。なんて思ってたんだけど、ふと親バカみたいな思考回路だと思って声を上げて笑った。
「ねぇ、ラッキー。海とか見に行く?それとももっと大きな森を見ようか。どうしたい?どこに行きたい?」
私の顔の前にまでラッキーを掲げて、真正面からラッキーの顔を見据えた。ラッキーはわかってないみたい。無邪気な顔で、私を見返すばっかり。答えなんて、言えないのわかってたけどね!
「よーし、じゃあ海に行こう!」
ラッキーは、私の言葉に鳴いて答えた。
海。海といえば、広大な青い絨毯、というような見た目の場所だけど。こうして見ると、青というよりも緑に見えるよなぁ、と私はぼんやり思ってた。私の腕から降りたラッキーは、初めての海に大興奮。きゃっきゃと嬉しそうに水飛沫をあげようと尻尾を振り回し跳ね回る。それなりの重さと大きさのラッキーがそんなことをしているもんだから私の全身には塩辛い海水がビッシャビシャにかかっていた。
「おわぁぁぁぁぁ?!!!!!!!!!」
目に、目に海水が!!目が焼ける!!痛い痛い!ちょ、目玉を洗わねば死ぬ!!私が死ぬぞいいのかラッキー!!
痛みに転げ回る私を見ているだろうラッキーの笑い声が聞こえてきた。なんてこった悪魔だアイツ。私を見て笑ってるなら悪魔だし、私を気にしてないならそれはそれで悪魔だ。どうしよう。これまで天使一択だったラッキーを形容する言葉に天使とは真反対の単語が増えちゃったよ。
しばらくして痛みが引いた私はようやくそっと目を開けた。まだちょっと痛いけど、まぁ我慢できないほどじゃない。そして周りを見渡して、私は首を傾げた。
___ラッキーいないな?
そういえばさっきまで聞こえてた笑い声も聞こえなくなっていた。…あれ?どこ行ったのあの子。
「も、もしかして……」
私は、最悪の可能性に思い至って愕然とした。焦りのあまりにパニックになっていた。そんな私を現実に引き戻したのは、左手に広がる広大な海。その水面の、パシャン、という音だった。その後もピチャンパシャンと音が続く。弾かれたようにそちらを見た私の視界に、この2日で見慣れた深緑色の皮膚が見えた。
「やっぱり沈んでるじゃんッ!!!!」
叫ぶのと同時に、私は先ほど目をやられた海水に考えもなく飛び込んだ。
結果?あはは。ラッキーは無事だったよ。抱きしめながら2時間くらい痛みに転げ回る羽目になったけどね!
日が沈み切った数刻後、ようやく私たちは家に帰ってきていた。そんな私に残念なお知らせがあった。
家がぶっ壊れている。なんだろうな。怪獣の通り道だった?と疑いたくなるくらい原型さえなくなっていた。なんだこの瓦礫の山は。うーん今日の寝床どうしよう。
「ねぇラッキー。私たち家なくなっちゃったよ」
困ったね、と声をかければ、ラッキーもそうだね、と言うように鳴き声をあげた。ラッキーは賢いブラキオサウルスだった。
「うーん。ハクのとこ行こっか」
ラッキーが笑ってるように見えて、私も落ち込んだ気持ちが少しマシになった。
「と、いうことなんだけど……」
そろりとハクの顔を見上げて、私は言った。なんというか、突然来て「泊めてくれ」は流石の私も非常識すぎて申し訳なくなってくる。くそぅ、どこぞの怪獣のせいだ。
「それは別にいいよ。そんな気にしないでさ。それに、よくあることじゃん。お互い様だよ」
「は、ハクぅ!」
やはり持つべきものは理解ある友人だ。美人だと目の保養にもなる。実に素晴らしい!
「それにしても」
私がハクの優しさに涙していると、ハクがそう言った。
「運が悪かったね」
「うんほんとに…。出掛けてたせいで対策出来なかったしね」
腕の中のラッキーを見て、浮かれていた今朝の自分に想いを馳せる。拝啓、今朝の私へ。出掛けるのは良いけど遅くまで家を放置するのは良くないですよ。まぁもう無意味な警告だけどね!もうこれからの教訓として心に刻むしかない。
「明日からどこに住もう」
「新築だっけ」
「うん築五ヶ月」
「うわショックデカいね」
「でしょ〜?もうほんと辛い……」
ラッキーは、私が落ち込んでるのを感じ取ったみたいで、座ってハクと話をする私の膝に乗って頭をすりすりしてくる。はい可愛い。お前が優勝だよ。
「ラッキーが無事なことだけが救いだよぉ!」
「これは運がいいのか悪いのか」
「うーん部分的に良い」
「一部だけ良くても仕方なくない?」
「その分濃縮率が違うから」
「濃縮率……?」
ハクは頭がいい。聡明と呼ぶべきなのかもしれない。だから私のバカな会話について来れないことがある。そんなハクの顔は本当に珍しい。些細な私の楽しみである。
ご飯までご馳走してもらっちゃった。ハクのご飯は私が作るのと比べ物にならないくらい美味しい。ラッキーはご飯の草を残さず完食して、満腹になったからかさっさと眠っちゃった。まぁ、今日はたくさん遊んだもんね。
「今日は本当にありがとね、ハク」
「だから気にしないでいいってば。それよりも、新しく家作ったら行かせてよ。それでおあいこ」
「ハク…」
ハクの性格が良すぎて流石に申し訳なくなってくる。早く家を作ってハクを招かないと。モチベーションも十分。これなら明日のうちには作れちゃうよ!
「おやすみ、シュラ」
「…うん。おやすみ、ハク」
見えた空には、綺麗な星空が広がってて。そのうちの一つが、大地に向かって流れていくのを見ながら、私の意識は沈んでいった。
ひどい物音で目を覚ました。跳ね起きるように起き上がって辺りを見回せば、ハクも似たような反応をしていた。私のそばにはラッキーが擦り寄り、不安そうに体を震わせている。私は空を見上げて状況を理解する。
それは流れ星だった。いや、そんな綺麗なものじゃない。石、とにかく大きな石、いや岩?が、地面に降り注ぐ。___隕石、だ。
ヒュッ、と喉から空気が抜けていく不穏な音が漏れて聞こえた。それが自分のものだと気づくのにほんの少し時間を要した。ラッキーが不安そうに鳴いている。ごめんね、ラッキー。ちょっとあなたを安心させてあげられる余裕がない。
「ハク」
「シュラ、ラッキーを」
「わかってる」
ラッキーを抱き上げて、いつもよりも強く抱きしめる。下手したら、今日でこの星は終わるだろう。そんな、絶望的な予感に包まれていた。少なくとも、私と、ハクと、幼いラッキーは。
「下手に逃げるのはダメだよね」
「あれは、屋根あるとこじゃないと」
「うん、こっち。ラッキー、守らないとでしょ?」
そう言って不敵に笑いかけてきたハクのおかげで、バクバクとうるさい心臓が、少し落ち着いた。
ラッキーを抱きしめて、そんなラッキーに覆い被さるように私も身体を丸めた。ハクが、そんな私を抱きしめるようにして一緒にいてくれる。
音が、大きくて。一つ一つ、赤い火を纏う石が、たくさんたくさん流れてくる。地面に落ちて、轟音とひどい揺れに酔いそうになる。あぁ、早く終わってくれ。世界の終わりなら、早く私を連れていって。ラッキーを、怖がらせないで。お願い、お願い。
腕の中で、ラッキーが小さく震えている。お願い、お願い…。
すぐ近くに、隕石が落ちる。落ちる、落ちる。ラッキーが、怯えるような声を漏らした。安心させたくて、腕に力を込める。ごめんね、こんなことしかできない。
3日だ。生まれて、卵の殻から出てきて、まだ3日。なのに、こんなのあんまりだ。
ラッキーの体が震えているのか、私自身の体が震えているのか、もうわからなくなっていた。
「ッ…」
ハクの、息を呑む声が聞こえた。その声に顔をあげて、後悔した。
遠く遠くに流れていく、本来ならば見えるはずもないほどに遠い空を、目を凝らすまでもなく視界に飛び込んでくる大きさの隕石が落ちていく。
___あ、終わるんだ。
せめて。せめて、ラッキーだけは。
そう思いながら、私は隕石を見送った。
現代。何億年も昔のことは、科学の進んだこの時代でも、わかっていることの方が少ないままだった。そんな中、とある土地の深い深い地面深くにて、ある化石があった。それは、つい最近掘り起こされ、古生物学界隈に大きな影響を与えた。
二人分の人のような化石と、そのうちの一人に抱きしめられる形で現存していたブラキオサウルスのものと思われる化石。付近を調べれば、広範囲に人に似た形の未確認生物と思われる化石が見つかっていた。
恐竜が絶滅した原因と考えられている一つ、巨大隕石の衝突。ちょうど、その頃の地層に残されていた不明瞭な化石。白亜紀末の示準化石と同層準において多く発見されるその種は、総じて知恵があったようだった。付近にて見つかった生活の痕跡から、それは明白であった。
その化石は、まず最初に疑念を生んだ。「混入に決まっている」「動物の化石と間違えたのではないか」というミスを疑うものから始まったそれは、大層慎重に行われた再現研究によって、覆しようのない証拠が時間と共に積み重ねられた。反証は常に試みられたが、しかしその全てが、この仮説を否定するに至らず、やがて困惑だけが広く浸透していった。
常識の大幅な改変が行われる大混乱を引き起こしたその化石たち。ソレらがその形で生涯を終えることになった、その当時の恐怖に想いを馳せる酔狂な者は、生憎といるはずもなかった。




