待ち合わせ
この街に、最後に虹がかかったのはいつだろう。
10年前、瓦礫が降ってきてから一度も、虹が姿を見せたことはない。朝のニュース番組でそう言っていたのを聞いて、僕の脳裏をそんな感想が走っていくが、その考えもこれから起こることの前では些細な事だ。
白峰コクイとの出会いから一夜明けた今日、僕の心は久しぶりに胸躍るものになっていた。
薄汚れた無人の屋上、月の光のように青白い彼女の姿を思い出すと、鼓動が目に見えて早くなっていく。
彼女と交わした約束は、誰の目から見ても歪なものだろうし、今思うと、自分の必死さかげんに、呆れを通りこして感服する。でもそれも仕方のないことだと僕は思う。
彼女と出会った時の衝撃、あふれ出る自分の感情は驚くほど素直なものだった。彼女を理解し、僕のことも知ってほしい。あれほど、純粋で切実な感情を抱いたことは、今までの中であっただろうか。掘り起こせる限りの記憶を思い返しても出てくるものではない。
それに、あまり掘り返してしまうと、この高揚感も消え失せてしまいそうで、思考をそこで中止する。
せっかく彼女と出かけるというのに、その前にいたたまれない気持ちになるのだけは避けたかった。
そう、あの日の続き、僕は彼女ともう一つ約束をしたのだ。
辺りは暗くなりはじめ、赤みがかっていた大地は街のネオンに照らされて、煌々と輝いていた。
明かり一つない屋上で、彼女の青白い肌がぼうっと浮き出ているのがなんだか不思議な感覚になる。
「お出かけ?」
「そう、君の話はさっき少し聞いたけど、僕の話はほとんどしてない。だから、一緒にこの街を回って、それぞれの過去とか、思い出を共有するんだ」
せっかく彼女と親交を深められるんだ。たとえ期限付きであったとしても、この機会を見逃すわけにはいかなかった。
彼女は少し考えた後、短く答える。
「それは確かにいい案ね」
僕は、胸の中で軽くガッツポーズをする。女性を誘うのが初めての経験だった僕には、この大きな一歩を超えれたことに非常に大きな意味があった。それに、彼女の声は、どこか嬉しそうで、家族で遊園地に行く約束をした子供みたいな、そんな無邪気さを感じた。
もしかしたら、彼女も誰かと話をしたかったのだろうか。そう思うのは、僕が彼女に惹かれているからかもしれない。
怖がりなの、彼女は僕にそう言った。だからこそ、彼女が本当はこの提案を嫌がっているのかもという考えを頑張って塗りつぶそうとしている。僕は嫌われることが苦手だった。
何やらゴソゴソしている彼女のほうを見ると、着ているキャメルのダッフルコートに手を伸ばし、ポケットから封筒とボールペンを取り出して、裏面に筆を走らせている。
封筒は薄く膨らんでいて、中にはなにかが入っているようだった。
書き終えた彼女が差し出してきた封筒の表面には、11桁の数字の羅列と吾妻東総合病院と書かれた文字があった。
「私の住所と電話番号、これから会うなら必要でしょ?」
予想以上の成果に、僕の胸は躍るを通り越して、どこかへ飛んで行ってしまいそうだった。
帰ったら、机の引き出しにそっとしまっておこうと、そう確信する。昂る気持ちを抑えながら、思考を現実へ戻していく。
吾妻東病院、余命少ないと言っていたからもしやとは思っていたが、まさか病室を抜け出してきたりはしていないだろう。それだと色々問題が発生してしまう。まあ、そこは彼女が何とかしてくれる、いや、そうすることを願っている。
そういえば先ほどから気になっていた、封筒の中身は何だろう。触り心地からして、紙が折りたたまれて入っているようだ。封筒ごと渡してきた彼女の態度からして、そこまで大切なものではないのだろうが気になって彼女に聞いてみる。
「この封筒、中身が入ったままだけどいいのかい。特にいらないっていうならこのままもらっちゃうけど」
彼女は、心底どうでもいい口調で口を開く。
「いいわよ、どうせ今日はもう使わないし。一緒に死ぬ人が増えたんなら、それ用にアップデートしなきゃいけないから」
「それって、もしかして?」
「遺書よ、やっぱり自殺するならちゃんと準備していきたかったしね」
そう淡々と告げる彼女を見ていると、彼女は遺書という存在を記念品の類とでも勘違いしてるんじゃないのか。そう思うのは、僕と彼女では、感性が違うからなのか。
「高杉君、君の連絡先も教えてくれる?」
そう急かすコクイに、僕もスマホを出して電話番号と住所を教える。どうやら、彼女は携帯を置いてきたらしく(自殺しに来たのに携帯なんていらないか)鞄に入っていたノートの切れ端に書いて渡す。
「ひとまず明日は、今日と同じこの学校の前で落ち合おう。両方確実にこの場所を知っているからね。時間帯はどうする?できればそっちに合わせるけど」
「別にいつでもいいわ。どうせ病室を抜け出してきてるし」
やっぱり抜け出してきてたのかという感想は飲み込んで、時間帯の案を告げる。
「じゃあ放課後、16時くらいかな。待ってるから、もし間に合わなかった連絡してよ」
「ええ、それじゃあね高杉君、また明日」
コクイは手をひらひらと振ると、扉を開け、階段を下りていく。
残っているのは、秋特有の枯れた風と、存在を消していたかのようになり始める鈴虫の鳴き声。
まるで、夢のような時間だった。もしかしたら、これはただの幻想で、コクイなんて女の子はいないのかもしれない。そんな不安も、連絡先一覧にある『白峰コクイ』の文字を見ると薄霧のように消えていく。
これは、一週間だけのつながり。多分僕が飛ばないと言っても、彼女は一人で実行するだろう。
だからこそ、どこか寂しさを感じるのも事実だった。
放課後のチャイムが鳴る。
日島が帰りも気を付けるようにと言って教室を出ていくと、周囲は喧騒に溢れていく。
朝のどんよりとした空気とは変わって、浮足立った気持ちが波及するかのように、生徒たちは思春期特有のエネルギッシュさにあふれていた。
教卓の前では、女子生徒が楽し気にこれからの予定について談笑をしていて、楽し気な表情を浮かべている。しかし、ふと僕と視線が合わさると、まるでそこには何もいないかのようにスッとそらして会話を続ける。
やだ、高杉と目が合っちゃった。あんた呪われるかもよ。ちょっとやめてよ。
彼女たちの笑い声が、喧騒の中に消えていく。
学校での僕の扱いはこんなものだった。大人たちの広めた瓦礫の王に影響されて、みんな僕を化け物みたいな顔で見てくる。そんな自分に話しかけてくれるものなどおらず、空間からはじかれる様に教室を出ていく。それでも今日は憂鬱な気持ちなど微塵もなかった。
廊下を歩いて、昇降口から外へ出る。日の落ちる速度が短くなって、すでに瞼を閉じかけていた夕日は、帰りを急ぐ生徒たちの背中に細く長い影を作り出していた。
正門の横まで来てみたが、彼女はまだいないようで、腕時計を見てみると針は15時40分。
どうやら予想以上に早くついてしまったようだ。まあ、さっきまで学校にいたのだから、当たり前のことかもしれないが。
レンガ調の壁にもたれかかって彼女を待つ。丘の上にある吾妻東高校は、正門を出ると左右に伸びるような坂があり、生徒たちはそこから街へと歩いていく。薄オレンジ色のブレザーも、マフラーやジャケットなどの防寒具に包まれ、色鮮やかな色彩にあふれていて、秋の訪れを到来させるような気持ちにさせてくる。
その中に、男はいた。
細い長身に色白の肌、煌めく黄金の髪を揺らして歩く男は、色鮮やかな群れの中で逆行して、どこか異質な雰囲気を放っている。彼の踏みしめる一歩は、倒錯的で、まるで後ろに進んでいるようだったが、その足は確実に僕の後ろにそびえたつ、吾妻東高校の正門に近づいていた。
悪魔の行進、殺人鬼、はたまたプレゼントを配るサンタクロースか。明確な何かに例えることは出来なくても、誰かが、男をそう定義すれば僕はそれを信じてしまう。そんな得体の知れなさが未知への恐怖を駆り立てていく。
坂を上り、正門の前まで来たところで、男はこちらに喋りかけてくる。
彼の向ける青い目は、奥に巨大な怪物でも宿しているかのようで、ひどく息が詰まる。
「ソーリー、少年。少し聞いてもいいかな」
ひどく乾いた声だった。
男の言葉には、馴染みのない独特のアクセントが入っている。それは男の風貌とあいまって、異国の人間であることを強調していた。
「私は、エリヤ・シャペウ。少々この学校に用があってね。君は、日島隆二という人間を知っているかな」
どうやらこの男は、うちの担任に用があるらしい。うまくまとまらない思考の中で、僕は勇気を出して聞いてみる。
「あの、日島先生のお知合いですか?」
そう聞くと、男は少し苦い顔をして、学校の校舎を眺めている。今年で創立100周年のこの建物は、所々ひびが入り、はがれた外壁に広がる植物が、さびれた雰囲気を出している。
「イエス。彼と僕とは、古い友人でね。最近は疎遠だったんだが、話がしたくなってね」
先ほどの鋭い視線とは裏腹に、遠い過去を慈しむような表情は、先ほどの異質な感覚とは程遠いほど、彼が人間であると定義しているようだった。
その言葉に嘘は無いように感じられた。
その姿を見て僕は安堵する。さっき抱いた感情は、彼女に会うのに緊張しすぎて生み出してしまった虚像であり思い違い。何より、初対面の人間に抱くものには、得体の知れなさだってあるはずだ。
自己解決をすますと、僕は日島の居場所を共有する。
「だったら、今は職員室にいると思いますよ。そろそろテストもあるんで、その準備をしていると思います」
「センキュー。助かったよ、この恩は忘れない」
恩は忘れないだなんて大げさだな、最初の印象との違いに気の緩んでいた僕は、そんなことを思いながら男を見守っていると、校内へ足を踏み入れたあたりで足を止め、こちらへ振りかえる。
どうしたんだろうと思った僕の思考が、すぐに別のものに塗り替えられる。それは恐怖、人間の原始的な感情であり、体のすべてに完全な鍵をかけてしまう。男の吸い込まれそうな青い目には、確かに一つ怪物が住み着いているようだった。
「君の番もあと少し。楽しみたまえよ、彼女とのデートを、ね」
体にゾクリと震えが走る。なぜ、彼がそのことを知っているのだろう。昨日の夜交わしたはずの約束を、こんな異国風の男が聞いていたとも思えない。
問い返したいはずのなのに、体が言うことを聞かない。今の僕は、瞳孔を見開いて、生まれたての小鹿見たいに情けなく震えている。
言い寄れぬ恐怖が体を支配する中、男の後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。
さっきまで抱いていた高揚感は消え失せている。
残されたのはエリヤ・シャペウと名乗った得体のしれない男への恐れと、いつかまた会うことになるであろうという予言めいた感覚だった。




