約束
過ぎ去りし王はもう一度わが地を踏む。
おぞましさすら感じるその不格好な4本脚を従えて、かの残虐でいて慈悲深い王は我々に剣を振り下ろす。
盲目には光を、耳の聞こえぬ者には音を、希望を持たぬ者には道を。
そして、悪を渇望するものには純然たる死を与える。
我々は、依然としてその時を待っているのだ。
この街には、瓦礫が降る。
大きな地響きを携えて降ってくる塊は、僕の住む町にたくさんの凸凹と穴を作り出した。
人々は、瓦礫の王の再来だと噂し、分断を生み、迫害している。
本当のところは誰にも分からない。
人は未知なるものに恐れを抱く。たとえそれがどんなに非現実的なことだったとしても、人は事柄に名称や理由をつけて現実に引きずり込もうとしてくる。
でも仕方がないんだと思う。それほどにこの瓦礫たちが残した穴は深いもので、埋められなくて苦しんでいるから。
それは、ぼくもそうだ。あの日、両親と妹を瓦礫が押しつぶした日、僕は確かに感じた。
埋めることのできない大きな喪失感とそこに生じる絶望の深さを。
放課後、2年4組の教室には誰にもいなくて、僕だけがポツリと座っていた。
最初から一人、何をするでもなく、息をして、空気を吐いて、頭に酸素を送っている。
それはただの条件反射。教えてくれるものは、何もない。
教室は、夕日を吸っては吐くように、ひどく明滅していた。
「あれ高杉、まだいたのか」
廊下のほうから声が聞こえてくる。
そこには、担任である日島隆二が立っていた。
ポッケに右腕を刺して、けだるそうにこちらを見ている日島の目には隈ができていた。無精髭を生やし、アイロンもかけていないようなシワだらけのワイシャツを着るその姿は、教師然としたものではなく、よく廊下でほかの教師から小言を言われるのを目にする。
「すいません、まだ帰りたくなくて」
困り顔で話す僕の顔を見て、日島はため息を吐く。
これもいつもと同じ光景だった。
「別に、鍵返すの忘れないんだったら、学校終わるまでいてもいいけど。でもさ、いつまでもここにいるわけにもいかないし、叔父さんと叔母さんも心配してんだろ。」
「あの人たちは僕のことなんて気にしてないですよ。僕のこと罪人の息子だとか言って罵ってきますし」
叔父さんと叔母さんだけじゃない。瓦礫の災厄に遭った人間をこの街は恐れて、忌み嫌っている。
「そうか…、お前も大変だな」
日島は頭を掻きながら天井を見上げる。
「この街も昔とはだいぶ変わっちまった。瓦礫なんて降ってもなかったし、町の人たちにも人情や意欲があった。それが今じゃ瓦礫の王なんて昔話持ち出して、一連の被害は王様の怒りに触れたからだっていって遺族を村八分だぜ。まったくおかしい話だよな」
そう言い放つ日島の顔は、珍しく真剣で、この街の現状を本当憂いているようだった。
「人間は未知なるものを怖がる。だからこそあらゆる事象を解明し、名称や理由をつけて現実に引きずり込もうとする。父がよく言ってました。今なら、僕もわかる気がします。まさか、自分がその理由づけに使われるとは思わなかったですけど…」
そういいながら自嘲気味笑うと、日島は複雑な表情を浮かべる。
「悪いな、色々思い出させちまって」
せっかく話してくれてるのに自虐的な話で片付けようとする自分に嫌気がさす。
「いいんです、特に気にしてませんから。そろそろ、行きます。ずっといても先生に迷惑かけちゃいそうなんで」
そう言って机の横の鞄を取って席を立つ。
「お、おう。そうだ、帰る前にお前に渡すものがあったんだった。」
そう言って日島が右手に持っていたクリアファイルから取り出したのは、A4サイズのチラシだった。
一枚の集合写真と何やら短い文章が書かれたチラシには、「瓦礫被害者の会」と書かれていた。
「お前と同じ奴らが集まってる会が定期的に開かれているらしい。まあ、なんだ。行くか行かないかは任せるが、同じ境遇の人間と話したほうが感じ方も違うだろ。ずっとここにいるのももったいないし、行ってみてもいいんじゃないか」
被害者の会...。
自分と同じような人間と出会って、傷の舐め合いをする気にはなれなかったが、日島の厚意を無下には出来ない。
チラシを受け取ると、感謝して教室を出る。
時刻は16時、いつもは部活動に明け暮れる生徒がいるはずの校庭も、最近頻発している瓦礫落下の影響で休止になっており、風で砂煙が待っているだけの無人と化していた。
砂煙は、校庭の中心で円を描き、地面を暗く染めながら、空へと運んでいく。
運ばれた砂がどこに行くかなんてわからない。それでも、僕も砂みたいに軽ければ、ここじゃないどこかへ飛んでいけるのだろうか。
こんなことを考えてしまうのは、今の僕がナイーブで感傷的になっているからなのか、それとも元々こんな性格だったのか、忘れてしまった。
瓦礫が落ちてきた瞬間、僕の時は止まってしまったのだから。
瓦礫の王なんて話がなければ、まだ歩いていられたのかもしれない。
そうだ、最初はみんな優しかった。僕のことを、本当の家族のように迎え入れ、何も心配はいらないと言ってくれた。いつか、昔みたいな幸福感や温かさが帰ってくるんだろうと思っていたんだ。
でも、彼らは気づいてしまった。何が原因で起きたかもわからない、この状況に理由を、答えを、安心感を与えてくれる。そんな話に。
瓦礫の王は剣を振り下ろす、悪を渇望する人間に。
気づけば、周りは僕を避け始め、罵って、怒りをぶつけた。
手に入れるはずだった理想は、もろく崩れ去り、残ったのは鉄球のようにまとわりつく罪人のレッテルだった。
足は自然と入口のある一階ではなく、階段を一段、また一段と上がっていき、気付けば4階の屋上に続く扉の前まで来ていた。
ドアノブに手をかけると、所々さびているせいで動きが悪く、金属と錆の削れる音が辺りに響く。
扉を開けると先ほどより赤みを増した夕日が僕の体を迎え、眩しさで目の上に傘を作ると、雑草がコンクリートからはみ出して、転落防止用の柵に囲われた薄汚れた屋上が現れた。
特別な理由がない限り入ることのないこの場所は、生徒が隠れてタバコを吸ったりしていたが、今は誰も訪れていないようだった。
町の中でもひと際高い丘の上にある吾妻東高校の屋上からは町の全体を見下ろすことができ、瓦礫落下によって倒壊した建物が更地になって、所々クレーターみたいに空いた穴を見ていると、幼いころに図鑑で見た月面みたいだった。
そして、街の少し外れには、増えすぎた瓦礫を集めるための巨大な廃棄施設があり、煙突からこぼれ出る黒ずんだ煙は、生き物のごとくうねうねしており、施設へいたる道にはトラックが忙しなく行きかっていた。
こんな異様な土地になっても、人々は普段通りに暮らしている。
いや、それはただの偏見で、皆心のうちに恐怖を宿して、それでも目を背けているだけなのかもしれない。
赤ちゃんを抱えて歩く母親、学校帰りの学生たち、駅に向かって歩くサラリーマン。
普通の生活は、彼らを守るための大事なフィルターで、境界線。
そんな普通の生活も失った僕は、消えることのない負の感情に流されるまま、目を背けられず、静かに押しつぶされていく。
そんな理不尽に腹を立てても、帰ってくるのは、静寂と自己嫌悪の塊だけだった。
気持ちを紛らわすために屋上に来たのに、こんな気持ちになるんじゃ意味がない。やっぱり先生が言った通り、被害者が集まる会に行ってみてもいいかもしれない。
そう思っていた矢先、声が聞こえた。
「そこで何してるの?」
陽気で、可憐で、儚い。鼓膜でこだまするその声は、確かに僕の中の何かを揺らした。
自然と体が声のほうに向いていく。
そこにいたのは、青白い貌。人間というよりは、亡霊の類ではないかと思えるほど肌色が少なく、繭のように輝く黒髪とその笑顔が、ひどく不釣り合いに見えた。
「君は誰?」
彼女は僕の隣にやってきて、柵に体を持たれかける。きしんだ柵は、情けない音を出して外側に優しく曲がっていく。
甘く、優し気な香りをくゆらせながら僕に笑いかける。どうやら、彼女は問いに答えてくれるらしい。
「私、白峰コクイ。あなたは?」
彼女の口ずさんだ言葉は、小鳥のさえずりみたいに軽やかで心地が良い。
「僕は、高杉颯太。ねえなんで、こんなところにいるの?見たところ、うちの学生ってわけじゃなさそうだけど」
彼女は一瞬考えるそぶりを見せた後、こう答える。
「私は、死にに来たの」
彼女は静かに、柵に手をかけていく。この街を見下ろすその顔は、このまま死んでいく人間とは思えない程、穏やかなものだった。
ああ、そうなのか。
納得するはずのないその答えも、今の僕には当たり前のように感じられた。
彼女は、柵に手をかけ、この下に落ちていく。
多分それは、彼女の青白い肌とあいまって、きれいなグラデーションを作っていく。そこに、不純物は無くて、ただ寂しげに見下ろす僕だけが映っているんだろう。
「なんで、そんなに穏やかな顔をしてるの?死ぬのが怖くないのかい?」
無粋な質問をしているのは分かっている。それでも僕は知りたいと思ったから。
「この街のすべてが見下ろせる場所で死ねるなんて、贅沢じゃない。ベッドの上で死ぬなんかより、ずっと幸福で、幻想的。あなたはそうは思わないの?」
「それだけ?もっと、ほら、死んだ後に何が待ってるかとか、そういうの考えると怖くなるだろ」
「あなたはとても怖がりなのね」
心の奥底がすっと冷え込む。見られることのない何かを彼女に見破られて、僕はなんだか泣きそうになる。そんな僕を見て、彼女はフッと笑った。
「死んだ後にあるのは、無だけ。なんてことはない、この世界に既にあるものなのよ。そこに怖がるものは何もない」
彼女は恐れてなんかいない。彼女にとって死は救済であり、事実。理解のできない物などでは、到底無かった。
死をそんな風に切り捨てる彼女に、僕は知りたいと感じた。聞いてみたいと感じた。知ってほしいと感じた。だから、死なせたくないと感じてしまったんだ。たとえ、彼女の意思を捻じ曲げようと。
「だったら、教えてくれないか?君が死のうとしている理由を。そんな肝っ玉なのに、死ぬ理由なんてどこにもないように感じるけど」
彼女は自分の着ている服をまくり上げて、その肌を露出させる。そこに広がるのは、全身を覆う青白い肌と骨ばった肉体だった。
「その体は?」
「もう長くないの。瓦礫の中で生き残ったあの日から、私の体は弱っていってる。お医者さんの話だと、もう半年もないって」
「だから、飛び降りる」
うなずく彼女は、冷静で落ち着いている。彼女の意思は固く、理路整然としていた。僕に、彼女を止めることなんてできるのだろうか。
最早何の手立ても考えられなくなっていた僕は、一言、がむしゃらに言葉を吐く。
「あのさ、僕も一緒に飛び下りてもいいかな?」
突拍子もない、計画性もない、その言葉に、彼女はわからないといった顔をする。
「どうして?今のあなたに死ぬ理由があるとは、思えないし。それに、あなたには無理よ。やろうとしても、どうせ飛べない。だって怖がりだもの」
「確かに、今のままじゃ僕は飛べない。だから、お互いをもっと教え合うんだ。そうすれば、きっと僕も君と一緒に落ちていけるはずだから」
「それに、一人より二人のほうが、きっと楽しいよ」
彼女は、少し呆れた顔をする。それは、僕の本心を見抜いてか、それともこの馬鹿らしい提案に対してか。そんなのは分かりっこない。
今重要なのは、彼女をもっと知って、僕のことを聞いてもらう。それができれば、後の事なんてどうでもいい。
本当に、彼女と飛んでもいいかもしれない。本気でそう考えていた。
柵にかけた手を放し、彼女は僕に相対する。
「いいわ、でも条件がある。一週間、それ以上は待たない。それまでに、色々と交友を深めていきましょう、高杉君」
一週間.....。
それは時の止まっていた自分にとってはひどく間延びした時間だったが、今となっては取りに足らない時間に感じた。
初投稿です。
読んでいただいてありがとうございます。良かったら、アドバイスや感想お願いします。
*大幅加筆修正いたしました。




