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高校生であること②

 粛々と入学式が執り行われている。

 学校関係者各位が簡潔または冗長に、同じ内容をそれぞれで語り、新入生の間に漂っていた緊張感が退屈により緩和されていく。

 山偕高校一年生の面持ちを、一年一組一番の座席から見渡す。比較的校則の緩い学校なので、個性を髪やアクセサリーに表現する生徒が半分を占めていた。在校生の方を見ると、気合の入った新入生よりは落ち着いているものの、宇宙人みたいなのが一部見受けられた。青や赤や緑の髪が地毛ではないことが現実の残念なところだが、髪の色や身につけたアクセサリーはその人が選び抜いたものであるため、見た目の装飾が性格にある程度反映されているところが、彼らを観察する上で面白い部分ではあった。

 彼らを差し置いても目立つのは、俺が座るべきだった主人公席に居心地の悪そうに座っていたあの巨漢だ。新人類かあるいはUMAを疑うほど周りとの体格差は歴然。俺の彼への憎しみがそう見せているだけかもしれないが、喧嘩を挑んで勝てるような相手ではないことはこの距離からでも本能で解した。しかし、あいつの懐にさえ潜り込めれば、日野茜と、その他ヒロインへの繋がりが出来るのだ。ああいった男は案外可愛いものが好きと相場が決まっているので、愛玩動物や甘味の話題でも引っかければひょいひょい食いつくのではないか。

 壇上に目を向けると、一年のクラスを担当する教員が紹介されていた。先程教室でも紹介があったのだが、一年一組の担任は、婚期を逃して焦りを感じている年齢不詳の少女体型美人教師、ではなく、薄毛の目立つ小太りの中年男性だった。必要事項以外は話さず、常時機嫌と体調の悪そうな顔をして、それは体育館で壇上に上がったときも変わらなかった。

 新入生代表を名乗る女の子が登壇した。この学校は入試の主席合格者が新入生代表を担い、ほぼ俺の気持ちを代弁してくれた。そうそう俺も、少しの緊張と不安とともに、これからの三年間に新たな出会いと成長を期待してしまうんだよな。しかし、あんな間の抜けた、喋っていることで頭がいっぱいそうな女の子が主席合格とは。人というのはわからないものである。とはいえ、キャラクターとしては立っているので、ヒロイン候補の一人ともとれる。話してみるのが楽しみだ。

 入学式はつつがなく終了し、俺を先頭に一年生が退場する。期待と不安の天秤はやや不安に傾いているが、それでも、憧れの学校に入学し、ヒロイン候補の女の子との未来を夢想するだけで、歩く足がふわふわした。


 担任の山野(やまの)先生の事務連絡が終わると、高校最初のホームルームも終了した。クラスメイトの自己紹介も無いままである。山野が教室を去ると、生徒は気恥ずかしさを湛えつつ、話したい相手を見つけて親交の第一歩目を踏み出し始めた。俺はすぐに、かの大男に近づき、おもむろに教室を出ようとしていた彼の背中に自分の名前を投げかけた。

「葦原志郎という者だ。末永くよろしく頼む」

 彼は少し止まって、顔だけこちらに向けたあと、「おう」と言ってまたその場を去ろうとする。

「まあ待ちたまえ。この状況で気が内に向くのも分かるが、名乗られれば名乗り返すのが道義というものだろう。違うかね」

 こういう男は心根の優しい小心者と決まっている。俺が適当なことを言っておけば、次の瞬間には「ウン」と縦に頭を振っているのだ。上記の問いかけの場合は「ウウン」が正しいが。

「死ね」

 え⁉

 あ、いや違うか。流石に初対面の人間に対して死を願う訳はなかった。

「なるほど。三重の出身か」

「死ね!」

「ほう、伊勢とな」

 実に張り切って地元を発表してくれるので、俺もと思ったが、その前に彼は教室をさっさと出ていってしまった。余程の人見知りらしい。彼はひとまず諦めて日野茜に声を掛けようかとも思ったが、入学初日に威嚇しておかねば知らぬ間に主人公の座を取られかねない。それだけは避けねばならない。

 俺は彼の背中を追いかけて廊下を出る。

「止まれ! さっきは仲の良いふりをしたが、その実はお前に忠告があるのだ」

 大男は一瞬立ち止まってこちらを一瞥したが、すぐに歩き出した。足も長い彼は歩くのも速いため、走って彼の正面に回り込む。

「そ、そうだ。この学校にウサギ小屋があるのは知ってるか。案内してやろう。可愛いだろ、うさぎ」


 我が人心掌握の巧みさに感心さえする。

「どけ」

「あぎゃ!」

 彼の巨大な胸板に轢かれる。

 あ、あれ。強面の大男は人見知りを忘れるほど可愛いものに目がないと決まっているのに。この男、何か変だ!

「ま、待ってくれ! せめて名前だけでも言って帰れ!」

 のしのしと歩く足に掴まり、ずるずると廊下を雑巾のように移動する。

「離せ」

「教えるまで離さん!」

 もちろん、こんなことをしてまでこの男の名を知る必要は、俺には無い。今すぐ教室に戻って日野茜、ひいては誰かしらのクラスメイトと仲を深めた方がずっと有意義である。しかし、男が男に勝負を挑んでしまった。ただその事実が我々二人の間に屹立し、それを無視することは恥ずべきことだった。

 全ての決着には、つけるべき理由と意義がある。

 下駄箱前の廊下まで引きまわされ、掴んだ足が急速に前へ蹴り出される。そのあまりの勢いに手を離してしまい、廊下をつるつる滑ったあと、下駄箱に背中が激突し、黒々とした靴の雨がばらばら降ってきた。

 俺が痛みに唸っていると、彼は俺の頭とお尻に乗った靴を手に取り、それを履いて歩き去っていく。外の雨は止みかけ、彼は閉じた傘を持って小雨の静けさに消える。

 くそお……見たままのめっちゃ怖い人じゃないか……! あんな真正面から「死ね」と言われたのは初めてだ。

「おい、君大丈夫かい!」

 振り向くと壇上で見た校長が心底困惑した表情で、靴を踏まないように気をつけながら俺に近づいてくる。

 校長とは今日が初対面ではない。この学校の試験には面接行程があり、彼が面接官の一人を務めた。筆記試験の芳しくなかった俺は面接時、息は浅く、肩も強張らせていたが、彼の柔和の表情と話し方に幾分か救われた。

「平気です。ちょっと言い争っちゃって」

「言うだけでは済んでなさそうだけど……」

 俺が立ち上がると、校長は背中とお尻を払ってくれる。清々しいほど禿げきった頭と、瞳の輝きと、たばこ臭さは、幼い記憶の中の曽祖父を思い起こさせる。穏やかな声としわくちゃのスーツは、大男との争いで昂った気持ちを何故だか落ち着かせた。

「君は……葦原くんだね。誰と喧嘩してたの」

「同じクラスの……一組のすごくデカいヤツです」

 俺が言うと、彼は思案する隙も無く「ああ、(わたり)くんか」とすぐに合点した。

「入学式から元気なのは良いことだけど、怪我されちゃ困るよ」

「すみません」

 我々は散らばった靴を下駄箱にいそいそと戻す。どれがどれかは曖昧である。

「どうして靴箱にぶつかるようなことがあるんだい」

「詳しく話すと長いのですが、要約すると彼との対話を試みたんです」

「それでこうなった?」

「はい」

「そう……そうだね、まあ少し、亘くんは粗暴な節があるからね」

 粗暴な節? 粗暴の権化の間違いだ。

「……あの、僕はこの学校の教育方針には同意しているのですが、彼の入学を受け入れた経緯を伺ってもいいですか」

 校長は少し笑ったあと、「詳しいことは言えないけどね」と付けて、声を落として話してくれた。

「筆記が問題無かったのももちろんだけど、彼のこの学校への想いは君と同じくらい並々ならぬものだったんだ。絶対ここに入らないとダメだって強い意志でね。もちろんそんな子はたくさんいるけど、彼はなんていうか……面白い理由だったから」

「面白い……」

「気になるなら本人に聞いてみるといい」

「そしたらまた同じ目に遭いますよ」

「そうだね」と笑って、靴を片付け終えた校長は廊下の奥へ消えた。「入学おめでとう」


 いそいそ教室へ退散すると、既に仲良しの輪を形成した連中と、さっさと帰った連中に二分され、要は教室内には仲良しこよし以外の人間は、俺を除いて一人もいなかった。

 大男の一匹も得ず、教室の輪にすら入れず、そもそも亘とかいう男を捕まえている時間など無駄で、しかもそのせいで痛い目見るし、校長に意味深なことを言われるし、こんなめちゃくちゃなラブコメの始まり方などあるものか。

 教室を埋め尽くす楽しげな表情と笑い声が、己が惨めさをより助長させる。俺は今、世界中の誰よりも孤独だった。

 ぼやける視界。泣くまいと閉じた瞼の裏に俺の大好きなアニメが映る。俺にラブコメを教え、今でも理想であり続ける。目からこぼれ落ちるのは、涙か理想か。

 左肩を優しく叩く手があった。

「泣いてるんですか?」

「熊谷さ……じゃなくて、くまちゃん」

「大丈夫?」

「あ、うん。泣いてないよ」

「そうですか。ティッシュ使ってください」

 くまちゃんはスカートのポッケからティッシュを取り出して目の前に差し出す。俺は渋々受け取って、抜き取った一枚で目元を拭く。

「あの男の子、知り合いですか?」

「あ、いや……と、友達になりたくて……」

 嘘でもあの男と友達になりたいなどと言うのは、歯茎から血の出る思いだった。だって、友達になりたくないから。

「あら、いいですね」

「あいにく振られたけど」

 苦笑いすると、くまちゃんは手に持っていた携帯電話を俺に差し出した。

「交換しましょう。みんなそうしてるみたいですし、こまちゃんいまちゃんとは交換済みなので」

「そうですね。あっ、そうだね」

 あんまり丁寧に喋るものだからつられて敬語になる。

「赤外線飛ばしてください」

 俺はお尻ポッケから携帯を取り出して開き、犬のストラップとぬいぐるみをたくさんつけたくまちゃんの携帯に近づける。

 ふと日野茜の現在の動向が気になり、ちらりと振り向くと、ヒロイン候補たちと楽しそうに談笑していた。携帯も手に持っているので連絡先の交換も済んでいるのだろう。そう、彼女は誰とでも友達になれるのだ。基本的に人のことが好きで、誰にでも心を許してしまう。だからこそ、彼女と最初に出会った俺が守ってやらねばならないのだ。

「気になりますよね」

 くまちゃんの鋭い一言に背骨が一瞬直線になる。

「は、はい? き、気になる? 違いますよ。見なさいあの窓外を滑空するツバメ。我が子への給餌のためせっせと往復する健気さ」

「分かりますよ。なんだかあの子、輝いてます。私も目で追っちゃうんです」

 落ち着いて言いながら、くまちゃんは日野茜を見つめている。ツバメの話ではなさそうだ。

 なんだか底の知れない人だなと彼女の真っ直ぐな瞳を見ていると「あ! これはこれは葦原志郎くん!」と、これまた真っ直ぐ通る声が俺の背中を貫き、ぎょっとする。振り向くと、日野茜が嬉しそうに近づいてくる。

「同じクラスだったね」

「うん」

 歩くたび、濡れた髪が彼女の額の上を踊る。

「髪がぼさぼさだ」

 日野茜が俺の頭髪をじろじろ見ながら言う。同じことを考えていたらしい。

「君が言えたことじゃない」

「そうだった」と彼女は、何か嬉しいことがあったみたいに笑う。惚れ惚れするほど完璧な笑顔で。そしてはたと、くまちゃんの存在に彼女は気づいた。

「あれ、ごめんなさい。私邪魔だったね」

 申し訳なさそうに眉と目線を下げ、その場を去ろうとする。

「ううん、私ちょうどあなたと話してみたいと思ってたんです」

 すかさずくまちゃんが前に出て、素直な気持ちを伝えている。

「へ、そうなの……! えへ、あの、私日野茜!」

「熊谷智子です。日野さんはどこから来たんですか」

「茜でいいよ! 私はね……」

 俺が二人の間に立っているのが居た堪れなくなるほど眩しいやり取りだった。二人の少女の友情の萌芽(ほうが)をここでいつまでも見守りたいとは思ったが、一応二人とは初対面ではないので、会話に混ぜてほしかった。二人は互いの話に夢中で、俺の心が遠く離れていってるのに全く気づかないようだった。

 機会を伺って参加すればよいものをと諸君は思うかもしれないが、小学五年まで何の考えなしに人生を歩み、小学五年から変な人間として変な人間との交友関係に明け暮れた俺には、歪みの無い美しい心を携帯する彼女ら二人の間に割って入れるほどの度胸は持ち合わせていなかった

 二人は辺りの女子生徒をも伴って、いよいよ俺は蚊帳の外だった。また、男子の輪にすら入ることもできず、いつの間にか俺は一人廊下を歩いていた。

 う、嘘だ。これは、現実じゃない。だって、だって今頃俺はこれから登場予定のヒロイン全員と出会い、彼女らの心に多大な印象を与えたあと、親友と部活見学して、活動内容の不明な怪しい部活動の美人の部長に熱烈に勧誘されているはずなのだ。

 たはは、こまったなあ……などと妄想に逃げては不気味に笑っているところに、ある少女の姿を俺の視界が捉えた。少女、と言うにはその下駄箱に肩を並べる身長には相応しくないが、俺に向くそのあどけない目と口元、猫背気味の背中と内股が、少女と呼ぶに相応しい風貌を湛えていた。

 かつて俺が登校中の電車内で見初めた二人目のヒロイン候補。腰まで伸びた二つ結びの髪が玄関扉から吹き込む春風に揺れている。雨はもうすっかり止んで、雲間から差す日を濡れた地面は精一杯に反射している。

 何故俺を見るのだろうと不思議に思ったが、下駄箱に近づいてすぐ思い至った。そうだ。俺と校長が乱雑に片したせいで靴の配置がバラバラなのだ。戸惑いを共有したいのだろう。

「靴が違う」

 隣に佇む彼女が小さく呟いた。

「本当だね。俺も違う人の靴が入ってる。実に不思議だ」

 実際、自分のスペースに自分の靴は無く、きょろきょろ眼球を動かす。嘘は無い。

「よければ靴の特徴を教えてほしい。一緒に探せば早いだろう。ちなみに俺のは黒の運動靴で……靴紐があって、えー……なんか、あみあみがあって……」

 己が言語能力に失望する。自分の靴の特徴ひとつも満足に言えないのか。とはいえ同じような靴がこの世には溢れ返っているので、これといった特徴を表すのは難しい。

「一番かわいいローファー」

 それを彼女は短い言葉で難なく乗り切った。冗談を言ったつもりもなさそうな彼女に俺は、「了解した」と言うほかない。そしてそれはすぐ見つかった。大きな黒いリボンがついた黒のローファー。確かにこの中で「一番かわいい」ローファーはこの靴だ。個人の相対的価値観を超えた、共通認識としての「かわいい」だ。

 はい、と渡すと、彼女も見つけてくれたらしく、黒の、靴紐のある、あみあみの、俺のではない運動靴を渡してきてくれた。仕方のないことだ。俺が黒のリボンでも付けなかったのが悪かった。

「ありがとう」

 彼女はローファーを受け取りながら言うので、俺もそれを「こちらこそ」と受け取る。俺は彼女がそのローファーを履いている隙に自分の靴を急いで探し出し、瞬時に入れ替えた。二十人のクラスなのですぐ見つかる。

「確か同じクラスだよね。名前聞いてもいいかな」

 彼女は片足をあげて靴を履く俺をじっと見つめながら、手をもごもごさせている。

「あ、俺は葦原志郎。えっと、趣味は寝ることかな」

 趣味は余計だったかと思うが、もし今日クラス内で自己紹介があったとしたら趣味くらいは言っていただろうと思い直す。ちなみに俺は、夜一度寝たら昼間眠くなることはない体質だが、ラブコメの主人公は授業中や休み時間などで居眠りする描写が多く、それを倣うことにした。アニメやゲームと言って好感度を下げるわけにはいかない。

「……みよく」

 澄ました表情から緊張はしていないように感じるが、互いの手を握るように組んだその手の爪先は、白くなっていた。

「みよく? みよくさん?」

 みよくさんはこくりと頷く。それが苗字なのか名前なのか。どの漢字がどう当てはまるのか。それを尋ねるには、まだ早いと感じた。慎重になりすぎているわけではない。彼女の声の様子や落ち着きの無い仕草から、そうした方がいいのではないかと感じた。

「それじゃあみよくさん。明日また会 おう。俺はこれから部活の見学に行く。雨も止んだみたいだし」

 彼女は再び頷く。俺が手を振ると小さく振り返してくれた。

 知り合って間もない、いかにも友達のいなさそうな男と一緒に帰らせるわけにはいかんと気遣って部活見学に行くなどと言ってしまったが、孤独で回る部活見学ほど寂しいものはない。とはいえここで何か出会いもあるかもと思うと足を向けざるをえない。

 運動部に入る気は毛頭無いが、校舎から出てしまったので一応見てみることにした。どんな活発健康色黒少女がいるか知らん。野球部とサッカー部は、まだグラウンドの地面が水浸しなのでそこにはいなかったが、テニスコートには、人がそこそこ散らかっていた。全部で四コートあり、男女で半分ずつ使っている。硬式テニスらしい。フェンス越しに群がる見学者に紛れ、56gの玉の行方をぼけーと眺める。

「アッシーくん」

 聞き慣れない俺の新しい呼び名だったので、二秒ほど反応が遅れて振り向いた。そこには、俺とのファーストコンタクトを取った、関東のだんご三姉妹こと、くまちゃん、こまちゃん、いまちゃんのうち、こまちゃんといまちゃんがいた。よく見るとその後ろには、俺を睨む女の子がいた。一人目のヒロイン候補だ。いかにも才色兼備といった金髪編み込み。

 俺を呼んでくれたのはいまちゃんらしく、親しく手をあげている。

「テニス興味あるの? 私たちは適当に回ってるだけなんだけど」

「ああ、いや俺もそんなところ。この学校にどんな人がいるんだろうって思って」

「へー、そう。もう入る部活は決めた? 私はまだなんだけど、こまちゃんはもう決めてるんだよ。見学も私に付き合ってくれてるんだ。ね?」

「は、はい。えと、美術部に……」

「美術部か。絵が好きなの?」

「あ、まあそうですね。ほどほどかな」

 なるほど。絵の心得があるのか。初対面のときはあまり話してくれなかったので、こまちゃんが健気に話す様を嬉しく思う。

「ところでその、後ろの……えっと、同じクラスだよね?」

 俺が金髪編み込みのことを言及すると、いまちゃんは優しく彼女の腰に手を当てて、俺の前に対面させる。鼻血でも出たのか、片鼻にティッシュを詰めている。

「葦原志郎です。よろしく」

白玖乃々歌(はく ののか)。よろしくね」

 そのとき、妙な違和感を覚えた。その顔と声、そしてその名前、たしかどこかで……。

「さっきそこで会ったんだけど……」

 いまちゃんの補足が入るが、俺は白玖乃々歌がどの時期の記憶に仕舞われているのか気になって仕方がなかった。そしてふと、あるイメージが頭を過ぎる。青い背景にカメラを睨みつける不機嫌な表情。その顔が切り取られた四角の枠の下に並ぶ「白玖乃々歌」の文字列。そうだ、小学校の卒業アルバム。彼女は同郷だったのだ!

 記憶が開いた瞬間突如蘇る白玖乃々歌との数多の記憶……! は、それほど無かった。精々小学五年でウサギ小屋の世話をする飼育委員を一緒にやったくらいだった。あまり世話に来ない彼女の代わりに俺が懸命に働いていたという嫌な感情が湧いてきて、頭を振るう。

 これはまたとないチャンスではないだろうか。俺は常々ラブコメの主人公にも関わらず、家が近い異性の幼馴染がいないことがコンプレックスだった。全国から生徒が集まるこの学校においてのみ、学区が同じという条件下では、俺と白玖乃々歌が幼馴染ということになるとしても不思議ではない。

「あの、もしかして四雀小学校の出身じゃ……」

「違うけど」

 俺の言葉の終わらぬうちに彼女は即答する。

 なぜ嘘をつく。俺のことを覚えていないと言うなら分かるが、自分の通っていた小学校自体を否定するのは変だ。それもそんな即答して、目を泳がせていては、俺だけでなくいまちゃんやこまちゃんにも嘘を勘付かれる。この気まずい沈黙が答えだ。

「あれ、そうだっけ。記憶違いかな、アハハ……」

「それじゃ、私は帰る」

 動揺のためか、白玖乃々歌は妙な歩き方で校門へ向かう。俺は二人としばし目配せしたあと、彼女を追いかけることにした。

「待って。君のことはよく覚えてるんだ。俺の記憶違いじゃないって確信がある」

 本当のところは「よく覚えている」というのは嘘なのだが、こうしてハッタリをかましておかなければ、記憶があやふやな人間は嘘をつくと決めた人間に優位に立たれてしまう。

 白玖乃々歌は足を止めて、少し躊躇したのち振り向く。

「同姓同名の似た人がいたのよ。それかあなたの思い込みが激しいか」

「なにをそう隠したいことがあるんだ。詳しく説明する必要はない。その理由だけでも教えてほしい。せっかく同じ小学校に通ってた同志と出会えたのに、これからお互い知らないふりするなんて寂しい

 俺の必死の訴えも虚しく、彼女は苦い表情で俯いたあと「ごめん」とだけ言って走り去ってしまった。

 白玖乃々歌の背中が見えなくなってから、俺の反省は始まった。彼女なりの、誰にも話したくない事情があったはずなのに、それを分かっていながらずけずけと土足で踏み込んで、ましてや説教まがいの言葉を投げかけるなど、ヒロインに対しての接し方として言語道断ではないか。

 反省が反省を生み、ついには自己嫌悪まで始まったところで、前方から駆け足の二人がこちらに向かってくる。どうして事情を説明したものかと顔を上げると、いまちゃんとこまちゃんは俺を通り過ぎて、背後を駆けていく。不思議に思って振り返ると、遙か後方の校門で、白玖乃々歌が倒れていた。俺もぎょっとして、彼女に駆け寄る。

 ざわざわと白玖乃々歌を人々は取り囲み、校門前に立っていた教師が「大丈夫か!」と彼女の肩を叩く。すると彼女はむくっと起き上がり、「大丈夫です」と今にも泣きそうな、喉の詰まった声を出したあと、右足を引きずりながら、校門を出ていこうとする。どうやらこの辺りでこけたらしいと分かると、野次馬はぞろぞろ解散していく。教師といまちゃんが白玖乃々歌を慌てて止めた。

「乃々歌さん、保健室に行こう? ほら、肩に手、まわして」

 いまちゃんに支えられながら、白玖乃々歌は「ごめんなさい」とぼそぼそ呟く。二人の背中を見送っていると、隣で同じように二人を見るこまちゃんに気づき、お互いはっとしたあと、こまちゃんはわたわたと何か言おうと慌てて、結局何も言わずにいまちゃんを追いかけて行ってしまった

 ひとり取り残された俺は葛藤の末、帰路につくことにした。これ以上学校に残っても、俺の期待する展開は訪れない気がした。


 今日の一日をやり直したい気持ちが、今日の行動を振り返るたび積もる。もっと上手くできる筈だったのになんて、考えるべきじゃないとは分かっている。ため息をはあはあつきながら歩く自分が、自動車と同じ仕組みみたいで少しおかしくなる。しかし、次の瞬間にはまた後悔。

 石ころをこつこつ蹴っていると、あるとき蹴り方を誤り、石ころがあらぬ方向へ転がる。こんなふうに、きっと自分の考えるような方向には物事は進まない。むしろ、これの連続で、方向の軌道修正に専心しているうちに高校生活が終わるのではないかとすら思う。なんだか恐ろしくてしばらくその石をじっと見つめていると、それはぽーんと高く上がって、下り坂をしばらく転がったあと、側溝に落ちた。

「あ、ガーター」

 石を高く蹴り上げた彼女──日野茜は、許してくれるよねという照れ笑いで、俺を見つめる。

「日野さん……」

 後ろを振り返るが、彼女と一緒に帰っているような様子の生徒はおらず、少し不思議に思う。

「葦原くん、なんだか背中寂しそうだったよ。石ころなんて蹴っちゃってさ」

「日野さんは……誰かと一緒に帰らないの?」

「まあね。人混みが得意じゃなくてさ、今日はちょっと疲れちゃったかな」

 あんなに人懐こいのにと、意外に思った。でも、それがなんだかいっそう、彼女の魅力たり得た。

「そういう君も、誰かと一緒に帰らなくてもいいの?」

 彼女にそう言われてぎくっとする。本当は、俺は今、今日のいつかどこかで出会った親友と、部活見学か帰路をともにして親睦を深めている筈だったのだ。でも隣には……あれ、今俺の隣にはメインヒロインである瑞稀桜がいるではないか。あ、日野茜。

「いいんだ。だってもう君と帰ってるからね」

 などと気障(きざ)に言えたら少しはマシな一日だったろうか。

「あっ……あ、確かにね、そうだね、ね」

 え? なにが? と言いかけたが、どうやら俺は虫唾が走るような先の台詞を口に出していたらしいと気づいた。

 全身に冷や汗が滲んだが、俺の虫唾に対する日野茜のリアクションは、案外悪いものではなかった。動揺からなのか、発する言葉はどもり、少しだけ頬と耳が赤い。

 こ、これは……!

 いや、違う。違うぞ。ここでそれを心にでも思ったら、その展開にはならない気がする。俺が歯の浮くようなことを言ったから気分を悪くしたのだ。そうに違いあるまい。

 まあ、それはそれとして、この気まずくも心地の良い日野茜との沈黙を誰にも邪魔されたくないので、このまま読者諸君は、頭に浮かべる我々の映像のカメラを徐々に引いたのち、フェードアウトしていただく。

 ラブコメは、何も入学式からじゃなくたって始められる。そんな当然に、この瞬間まで気づかなかった。

 最強のラブコメはいつからだって。

 ただし、高校生活の間だけ。

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