あの誰とでも親しげな男爵令嬢をどう思う?
『物事をよく知っている、頭のいい令嬢だよね』
『ふしだらですわ! 考えられないですわ!』
いかにも好奇心に溢れた黒い瞳が特徴的なニッキー・レインズ男爵令嬢に対する評価は、概ね二通りに大別されます。
令息方は概ね高評価で。
相手が男子女子に関係なく、誰とでもニコニコ隔意なく話す方だからだと思います。
ニッキー様が小柄で可愛らしいこともあるのでしょうけれども。
一方で一部の令嬢は大いなる否定派なのです。
こちらもわかります。
ニッキー様は婚約者のいる令息にも近付きますからね。
慎みがないという意見が出るのも当たり前でしょう。
ただわたくしの見るところ、ニッキー様は全方向に交友という感じがします。
令息だけと近いわけではなく、親しい令嬢もまた多くいらっしゃるからです。
話していて感じのいい方であるのは間違いないですし。
「ニッキー様はとっても興味深い対象なのですよ」
「ふうん。アンソニア嬢はそう思うのか」
「はい」
わたくしはアンソニア。
ベルスティーヴン侯爵家の長女です。
本日は王宮で第一王子クリフォード殿下と顔合わせの機会をいただきました。
……今日の顔合わせがクリフォード殿下の婚約者選定に大きく影響するものとは、もちろん心得ております。
クリフォード殿下は覇気のある凛々しい王子様です。
将来ルーゼウス王国の王となるのに相応しい方だと思います。
クリフォード殿下の婚約者候補として語らう場を設けていただけるのは、大変光栄なことですね。
もっともわたくしは王立アカデミーで殿下と同学年同クラスでありますので、時々話す機会もあるのですけれども。
そして今、たまたまあのニッキー様の話題になったのです。
「ニッキー嬢は令息に取り巻かれていることが多いだろう? 総じて令嬢方にウケが悪いものと思っていた」
「うふふ、眉を顰めている方もいらっしゃいますね。わたくしはむしろ、ああいう積極的な生き方は羨ましいなあと思いますが」
「ほう、羨ましい?」
淑女たらんという、クラシカルな貴族の女性像からは確かにはみ出しているのでしょう。
でもニッキー様の行動力は魅力的ですよ。
「風で帽子を飛ばしてしまったことがあるんです。たまたまニッキー様がいらして、ジャンプして取ってくださって。ニコッと笑って手渡してくれたのです」
格好良かったですねえ。
自由で奔放で、それでいて優雅さもあって。
「ベルスティーヴン侯爵家の娘たるわたくしには許されない振舞いです。でも憧れてしまいますね」
「ふうむ、アンソニア嬢はニッキー嬢を肯定的に見ているのだな」
「逆にクリフォード殿下はニッキー様をどう見ていらっしゃるのですか?」
「ニッキー嬢とは幼馴染なんだ」
「そうだったのですか?」
これは意外です。
繋がりなんかなさそうに思えましたが。
「レインズ男爵家は古い家だろう?」
「ルーゼウス王国創始の頃からの家柄とは聞いています」
「男爵家領にはいい狩場があってね。父陛下は狩りが趣味だから、僕も昔から何度か彼の地に行くことがあったんだ。ニッキー嬢とは自然と仲良くなったな」
なるほどでした。
レインズ男爵家には王家からの信頼があるのですねえ。
こういうことは覚えておかないといけません。
「だから今でもニッキー嬢とは割とよく話すな。他に人がいない時はニッキーと呼び捨てているくらいだ」
「それほど親しかったとは」
「レインズ男爵家が新聞屋や商社を運営しているからかもしれないが、ニッキー嬢は市井の物事をよく知っているだろう?」
「ファッションやスイーツのことにお詳しいですよね」
どうしたのでしょう?
クリフォード殿下がややためらいがちですが。
「……ニッキー嬢を嫌ってる令嬢もいるから、これは言わない方がいいのかもしれんが」
「何でしょうか?」
「婚約者がいるのに、ニッキー嬢に近付く令息もいるだろう?」
「はい」
「あれは婚約者に何をプレゼントするのがいいか、ニッキー嬢にアドバイスを求めていることが多い」
「あっ?」
ではニッキー様、何も悪くないではありませんか。
「道理で。ニッキー様、特定の令息と親しいということがないなあ、と思っていたのです」
「男女拘らず、広く浅い付き合いを心がけているのかも知れんな。レインズ男爵家の方針かもしれないが」
ニッキー様の行動は天然ではなくて、計算されているものという可能性が高いということですか。
ですよね。
結構露骨に嫌味を言われてもニコニコと流していますし、思った以上にすごい方なのでは?
クリフォード殿下の評価も高そうです。
わたくしも少しずつニッキー様と親しくしたいものです。
その後はとりとめのない話をして、本日の顔合わせは終了となりました。
ニッキー様のおかげで話題に事欠かず、楽しい時間を過ごせましたね。
感謝です。
◇
――――――――――その日の夜、王宮にて。第一王子クリフォード視点。
今日のアンソニア嬢との顔合わせ以前に、レインズ男爵家から提出されていた報告書にもう一度目を通す。
『アンソニア・ベルスティーヴン侯爵令嬢。家柄:A、学業成績:A、人格:A。人をまとめる力を自然に持つ、調整型の令嬢。慎ましく穏やかな性格で、特に敵を作らない。進歩的な考え方を持たないが、男女を問わず支持が篤い。最もクリフォード殿下の婚約者としての適性あり』
だろうな。
今まで顔合わせした令嬢達の中では一番自然だ。
特に気負うことなく今日の顔合わせに臨んでいたことが察せられた。
報告書の内容と照らし合わせると、僕の前で態度を変えているということもなさそう。
アンソニア嬢の柔らかな微笑みを思い浮かべる。
金髪碧眼で典型的な美しさを具え、またアカデミーの成績から優秀であることはわかっている。
僕の婚約者として、ルーゼウス王国の将来の王妃として、過不足ない令嬢だろう。
報告書の空白になっているところ。
僕から見た印象を記す欄に『A』と書き込む。
これで父陛下に提出だな。
婚約者候補の令嬢達との顔合わせも、今日で最後だ。
よほどのことがない限り、僕の婚約者はアンソニア嬢で決定か。
不満があるわけではない。
貴族の勢力バランスも理解している、が……。
ただ僕の頭の中には一人の令嬢の顔がある。
ニッキー・レインズだ。
あの何事にも積極的でクルクルとコマネズミのように軽やかに動く、黒い瞳を輝かせている令嬢。
君に身分さえあったら。
レインズ男爵家が旧家だということは知られているが、何故爵位を得ているかということはあまり知られていない。
諜報活動に功があった家なのだ。
始祖王が勲功第一に挙げたというが、目立つと役に立てないということで多大な報奨を固辞し、男爵位のみ賜ったという。
ただレインズ男爵家の領地は王都に近く、歴代の王が狩りの名目で訪れて情報を得、また当主の助言を聞いたという。
もちろんその伝統は今も引き継がれている。
レインズ男爵家が新聞社を経営しているのは、情報収集の意味合いがあるのだ。
過去から現在に渡って、ルーゼウス王国の平和と安定に最も貢献している家とも言える。
かつてニッキーに言ったことがある。
君が好きだと。
ニッキーは朗らかに笑って言った。
『私もクリフォード殿下をお慕い申し上げておりますよ』
『では君を……』
『いえいえ、殿下はルーゼウスの王となられる方ですし、私は男爵家の娘に過ぎません。身分が違います』
『ただの男爵家じゃない。誰よりもどこよりも忠実で実績のあるレインズ男爵家の令嬢ではないか』
『次代の王たるクリフォード殿下にそう言っていただけるのは光栄です。殿下がそうしたお気持である限り、レインズ男爵家は殿下のために過つことなく働きます』
過つことなく働くということは、これまでと同じように目立たぬ男爵家であり続けるということだ。
それではニッキーが僕の婚約者となる目などない。
僕はあの時ほど絶望したことはなかった。
『クリフォード殿下。間違ってはいけませんよ。あなたはルーゼウスに繁栄をもたらす王となるのです』
『……その僕にも手に入らないものがあるのか』
『何を仰いますか。私の忠誠は殿下の下にあります』
いつも明るいニッキーだけれども、その時は笑顔に翳がある気がした。
愛が欲しかった。
君が欲しかった。
それは叶わないものと知ったが、ニッキーが僕を慕っているというのもウソではないんだなと感じた。
少し嬉しかった。
ニッキーと握手して別れた。
今後もレインズ男爵家との公言できない付き合いは続くだろう。
しかし僕とニッキーの交わる未来はないだろう。
アンソニア・ベルスティーヴン侯爵令嬢を愛そう。
それがルーゼウス王国のためだから。
ニッキーの思いに報いることでもあるから。
僕は立派な王になるとニッキーに誓った。
ニッキーもまた僕に忠実であると誓ってくれた。
それでいい、それでいいんだ。
前だけを向いて、進め。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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