8. 人狼と詩人 ―後編―
オリオは、昔から嘘が得意だった。
―――いつからだったか。自分の心にも嘘をつき始めたのは。
✡ ✡ ✡
「オリオ!」
木陰に座り本を読んでいたオリオは、その声に振り向く。その拍子に項で括った癖のある赤毛が跳ねる。
「ディー。どうしたんだ?あ、美女でも口説き落としたのか?」
「俺がそんな自慢したことあるか?あるんだな、これが」
「はいはい。」
「お前から言ったくせになんでそんな冷たいんだよ」
「まあまあ、良いじゃないか。で、どうしたんだ?」
ディーと呼ばれた彼は笑みを浮かべながらも、ヘーゼルの瞳にほんの僅かに寂しさを滲ませた。その瞳は、自分という友との別れを意味しているとオリオは悟り、オリオはもう一度、柔らかく尋ねた。
「······どうしたんだ?」
「······俺、な。天文学者になろうと思って。」
「てんもん、がくしゃ。·············そう、か。そうなのか。」
言われた言葉を口の中で反芻する。そしてぎこちなく頷いた。
そうだ。ディーは昔から星が大好きだった。ガキの頃はよく二人で夜空を見上げては夜に出歩くなと親に拳骨を食らったものだ。
「ここからかなり遠いところに天文観測所があってさ。崖の上に建ってるアストルム天文観測所ってとこなんだけど。············だから」
もう会えないかもしれないから、別れを言いたくて。
すぐに、そうなのか、と笑って頷いた。
オリオは、自分の騒いでいる心を、ちゃんと上手く隠せているか分からなかった。
ディー――ディークは、オリオに別れを告げた七日後、星の降る街へと旅立っていった。
「···········ディー、お前は自分の好きなことしてたくさん楽しめよ。世紀の大発見しろよ。嫌な先輩いたら帰ってこい。手紙のやりとりだって出来るからな、直接会うのは難しいかもしれないけど。」
「ははっ、ありがとオリオ。本当にありがとう。俺にとって、·······っ、お前は最高の親友だよ。」
オリオは明るくいつも通りの口調で友の旅立ちを激励する。心の中は寂しさと葛藤でいっぱいだが、言葉にはしない。
そんなオリオに、ディークは始めは笑うも途中で言葉を詰まらせた。そして心から友への感謝を告げる。ヘーゼルの瞳には涙が溜まっていた。
「じゃあまたな!まじで世紀の大発見するからなー!」
ディークの声が遠ざかって行く。嗚呼、行ってしまう。待って、と追いかけて行きたい。でも、でも。その資格は俺には、きっとないんだ。いや、でも。
「いつか、 」
ディークはオリオに大きく手を振って壮途なアストルムへの道を歩んで行った。オリオも、彼が見えなくなっても手を振った。
――やっぱり、言いたいこと言わなくて正解だ。
お前が好きなんだ、なんて。
俺さ、お前にオリオって呼ばれるの好きだったんだよ。お前の声が好きだ。話し方も、たまに見せてくれる優しさも、機嫌が良い時は語尾が高くなるのも、明るい太陽みたいな笑顔も。緑がかった黒髪も、光を湛えたヘーゼルの瞳も。全部ぜんぶ、好きだったんだよ。
これは恋じゃない。親愛も友情愛も含めた、ただのディークという人に対しての愛。
嗚呼やはり、言えばよかっただろうか。ずっと心の片隅で囁くそんな声。いいや、言わなくて正解だ。やっぱ言った方が良かったんじゃないの?せめぎ合うふたつの感情は。
想いが創り出すものなんだ。
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宿屋の屋根の上。銀糸の髪の若者が夜風を浴びて星を眺めていた。
「やあ。そんなとこにいて、危ないぞー?」
「·········オリオさん。こんばんは。」
別に大丈夫ですよ、と言いながら屋根から降りオリオの隣に立った。
「煙草吸うかい?あ、まだ17だっけ。」
「結構です。恐らく17です。」
そっかあ、とポケットに煙草をしまう。少しの沈黙の後、オリオは唐突に話を切り出した。
「······俺さ、好きな人がいてね。好きになっちゃ······恋しちゃいけない人を好きになっちゃったんだ。·······君は、好きな人とかいるかい?」
リアンは考え込むような仕草をしてみせ、わかりませんと答えるも、ですが、と続けた。
「·········血は繋がっていませんが、兄のように思っている方はいらっしゃいます。··········僕のことを唯一、軍の道具では、なく、たぶん大切に、してくださった方も、·······いらっしゃいます。」
リアンは銀糸の睫毛を伏せた。蒼の瞳が、その人を思っていた。
義兄のルシアンのことは勿論慕っている。
もう一人、リアンのことを、『殺戮人狼』などと呼ばず、ただ一人のリアンとして扱ってくれた。きっともう会うことは叶わない。それ程までに身分が違う。一瞬、リアンは懐古の念に浸ると、またいつもの無表情に戻ってしまった。オリオは何故か残念な気持ちになった。
「·········そうかい。まあ、そのうち分かるようになるかもしれないし、分からないままかもしれないからね。」
そう言ってふっと笑った。
「俺の好きな人はね、俺にとっては親友で、多分あいつにとっても俺は親友で。·······あいつと別れるってなった時、俺は、········俺は。············言えなかったんだぁ。好きだって。言えば良かったかなぁ、なんて思っちゃったりして、後悔してるのかは分かんないけどさ、諦めらんないんだよ。」
ずっと想いを終わらせられなくて、馬鹿みたいだ。そうだ。みんな、みんな馬鹿だ。
想い続けてる俺も、そんな俺をおかしいと言った奴も、普通の世界も、ありふれてるこの感情も。全部ぜんぶ馬鹿ばっかりだ。
俺は、この馬鹿みたいな世界に、「お前たちは馬鹿だ」と、叫んでやりたかったから言葉を紡いでるんだ。こうやって詩にして、世界へ仕返しをするんだ。
みんな馬鹿だって思わないと、俺のこの気持ちが嘘になっちゃいそうで。
恐いんだ。
「――俺ね、多分恐いんだよ。こんな馬鹿ばっかりの馬鹿な世界に、馬鹿だって言われるのが。·········そんな気持ちなんて馬鹿みたいだって、軽く、重く、言われるのが。」
何故、会って間もない、この狼のような少女にこんな、心の声を話してしまっているのだろうか。
『いつか、 』
ディークとの最後の記憶を、夢で想い出してしまったからだろうか。それとも。
「馬鹿なんかじゃ、ないです。·······綺麗事かもしれないし、貴方には上辺だけに聞こえるかもしれないけど、でも。―――·······愛が在るってことは、其処には優しさが在るってことです。おかしいのは、世界です。貴方じゃない。」
掬い上げてくれると、何処かで思ったからだろうか。
「········ありがとう。」
オリオの口元は弧を描いていたが、頬には海味の雫が伝っていた。
『いつか、いつか一緒に星空を見よう。オリオ。』
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とある日の新聞で、新進気鋭の詩人が新しい詩を発表したことを取り上げていた。名はオリオと言い、若者の心を代弁している詩で、いま彼の人気が高まっていると説明書きがされていた。
彼は記者からのインタビューにこう答えていた。
『この詩は、俺が最近出逢った人をモデルに考えた詩で。その彼女の――いや彼かな。蒼い瞳に見つめられた時、本当に、俺の気持ちを分かってくれた気がして。その人に逢えて本当に良かったと思っています。』
そのインタビューの後には、詩が綴られていた。
『あの日みた 白銀色の獣
あの蒼い ぼくをうつす瞳
ぜんぶぜんぶ 見透かされるような
ぜんぶぜんぶ わかってくれるような
そんな気がしたのは ぼくの空想
あのとき知った とうめいな心
あの蒼い ぼくを射抜く瞳
ぜんぶぜんぶ すくわれるような
ぜんぶぜんぶ 認めてくれるような
そんな気がしたのは ぼくの幻想
破壊でも 成功でも 栄光でも 最低でもいい。
誰でもいいから、なんでもいいから。
ぼくの心を みつけてくれないか。』