5. 人狼と花嫁 ―前編―
私の左胸の鼓動は、あなたと共にいるためにに打ち続ける。
私の右の脳は、あなたを愛するために考え続ける。
私の両腕は、あなたを抱きしめるためにある。
私の声は、あなたの名を呼ぶために。
私の足は、あなたと歩むために。
私の命は、あなたと生きるために。
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「あ!たびびとさんだ!」
そんな声に、ふとヘレナは振り向いた。柔らかそうな金糸の髪にオリーブ色の瞳の若い女性だ。ヘレナにとって妹のような存在の、亜麻色の髪に同色の瞳のアンが指差すのは、アンが言った通り旅人だった。革でできたトロリーバッグを持ち、大きな旅行鞄を背負っている。青年の旅人は、とても整った風貌をしていた。
新雪を染め込んだような白銀の髪に、空と海をとかした蒼色の瞳。左眼には眼帯がつけられている。身長は高いが恐らく10代と思われた。
彼――正しくは彼女――は黎明とした、耳に心地よい少し低い声で言葉を紡いだ。
「すみません。旅の者なのですが、この村に宿はありますでしょうか。一晩泊めていただければと思っているのですが」
そう聞かれたヘレナはハッとしたように答えた。
「え、ええ。ぜひ泊まっていって。でも、この村に宿はなくて·······。私の家に泊まっていって、とも言えないのよね。」
そう言ってヘレナは言葉を切ると、少し恥ずかしそうに理由を言った。
「私、明日に結婚式を挙げるのよ。だから、申し訳ないのだけれど、他の方に頼ってみて。」
つまり、見知らぬ男を家に泊めるわけにはいかない、ということだろう。それでもここの村人は旅人も家に泊めてくれるらしい。とても親切だが警戒心が薄すぎやしないかと思ったが、人の善悪はなんとなく分かるのだという。
「結婚式ですか。おめでとうございます。·····そんな素晴らしい日に、いいんですか?僕は余所者なのに村に居て。」
彼は、そんなおめでたい日に自分のような余所者がいることを懸念しているようだった。その心配はいらないわ、とヘレナは微笑む。
「この村では、結婚式を挙げるときは村全体で盛大に祝うの。旅の人や通りすがりの楽団とかも誘って、ね。
私はヘレナ。ヘレナ・ヨークよ。明日からはヘレナ・バートレットになるわね。」
「そうなのですね。では、僕もぜひ祝わせてください。
僕はリアンです。姓はありますが今は旅人なのでただのリアンです。」
そう言って彼――リアンは少し微笑んだ。
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「なぁ、さっきの人、旅してんのか?」
リアンはヘレナと会話を交わしたあと、泊めてくれるというアンの家に向かっていった。
ヘレナにそう聞くのはヘレナの結婚相手、シルヴィ・バートレット。濡羽色の髪にブルーグレーの瞳の、まだ顔に青年らしさが残っているがヘレナと同い年であり、本人は童顔であることを気にしているらしい。
「ええ。リアンというらしいの。3ヶ月前に旅を始めて、色々なことを学んでいるんですって。」
ヘレナは楽しそうに答えると、シルヴィの態度に違和感を覚えたのか、首を傾げた。
「どうしたの?変な顔して。いつも通り目つき悪いけど。」
「お、ヘレナさん。それ悪口っすね?·······いや、別に。·······嫁さんが俺以外の奴と楽しそうに話してたら、ちょっと妬いちゃうだろ。悪いか。」
シルヴィは照れ臭そうに言う。ヘレナはきょとんとしたあと、こちらも照れ出す。いちゃいちゃしやがって。
「ま、まあでも、リアンは実は女の子らしいし、まだ16歳らしいし。全然大丈夫だよたぶん」
シルヴィは何故か衝撃を受けたような表情を見せたあと、ぼそりと呟く。
「あんなイケメンなのに····?男の立つ瀬ねーじゃん····」
ヘレナは苦笑いを浮かべた。
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リアンはアンの家に入るなり、アンに質問攻めをされた。
「ねえねえっ、お名前なんていうのっ」
「······リアン。」
「リアンにぃにはなんでたびびとさんなの?」
「知りたいことを知るためだよ」
「なんで片方めがないのー?」
「怪我したんだ。だから見えなくなった。·····左の腕もなくてね。機械なんだ。」
リアンはそう答えると、両手にはめていた黒手袋を外した。
「うわぁー·····!すごいすごい、どーなってるの?」
そのあともたくさんの質問に答えた。
「いまなんさい?アンはね、6さい!」
「6歳か、僕は16歳。10個上だね。」
「えぇ!リアンにぃにって女の子だったのー!?うそだぁ、こんなにかっこいいのに」
「そう?ありがと。」
最初のうちは素っ気ない返答だったリアンも、会話をするうちに少しずつやわらかい話し方になっていった。
子どもか、かわいいなぁ。次第にはそんな思いも芽生え始める程に。アンの頭をよしよしと撫でてやると無邪気に喜んだ。
前編と後編で分けて書いていきます。