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蒼狼の旅路  作者: 蒼春
第一章 旅での出逢い
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11. 夢を追う青年と狼 ―後編①―



『·········母さん?どこ、どこにいるの?』


 幼い少年のディアが、ボロボロの家が並ぶ街で母を探して彷徨っていた。

 どこなの、どこ行っちゃったの、おいてかないで。

 ()()()()()()()()()母親を求めて、ふらりふらりと見知らぬ道を歩く。


『ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい········っ。』


 ひたすら謝罪を繰り返す。許しを乞うような、断罪を待つ罪人のような、悲痛な謝罪。空腹と、見放された悲しさと、知らない土地にいることの不安でディアは狂い出しそうだった。焦点の合わぬ視界の中に、大きな建物が見えた。大人がいる。たくさんの子供が庭で走り回っている。

 あそこに、行こう。あそこに、行かなきゃ。


『たすけてっ········。』


 掠れた声で発したその言葉を最後に、ディアの意識は一度途絶えた。




 次に見たのは見知らぬ天井。知らない大人が側にいて、ここは孤児院であること、孤児院の前で倒れていたことを教えてくれた。その大人はディアに優しく接してくれて、なんだかおれの母さんとちがう、とディアは感じた。

 その大人はディアに色々と質問をした。


「お名前は、なんて言うのかな?」

「·······なまえ?」

「そう、名前。きみは、なんて呼ばれていた?」

「おいとか、お前とか。でもね、母さんはたまにおれのこと、『ディア』って呼んでたときもあったよ」

「·······そう、なのね。」


 その大人――リュゼと名乗った彼女は、琥珀にも似たキャラメル色の瞳を翳らせると、一層柔らかな声で「ディアというのね。」と言った。


「ディアは今何歳なの?」

「じゅっさい。」

「体の具合とか、どこか気持ち悪いとかないかな?」

「ぐあいはね、悪くないよ。おれげんきだから!」


 そう言うとにぱーっと笑いながら拳をぐっと握りしめた。リュゼはその子供らしい無邪気な仕草に、顔を綻ばせた。が、ディアの体に見つけたものを見て、最も気になることを聞くことにした。


「ディアは、ここがどこか分かる?迷子?お母さんやお父さんは?」

「······あのね、おれが悪い子だから、母さんがおれを『いらない』って言って、ここ全然しらないとこなのにおいてかれちゃったの。········おれが、母さんの言った通りに、できなかったから。」


 ディアは、その時の悲しみを思い出したのか、大きなセレストブルーの瞳に涙が溜まる。ずび、と鼻をすする音がリュゼの耳に届いた。

 要するに、ディアは母親に捨てられたのだ。それに加え十歳の割には小さく細い体躯と、ぼろぼろの服から覗く殴打の跡から、ディアの母親はディアに虐待を行っていたことが伺えた。

 リュゼは、この小さくて脆いディアを守ってやらねばと、心に決めた。


「········あのね、ディア。良い?もしかしたら、貴方はもう、お母さんに会えないかも。貴方のお母さんは、ディアを悲しませちゃったから。でもね、ディア。貴方のお母さんはディアの全てじゃないの。ディアの生きたいままに生きていいからね。でも、もしもお母さんが恋しくなったら、私を呼んで。代わりにはなれないけど、たくさん愛するからね。」

「·······そうなの?お母さんには、会えないの?おれがわるいこで、お母さんはおれを悲しませちゃった?」

「·······ディアは悪い子じゃないわ。·······ディアを見て分かっちゃったのよ、『ディアは悲しんでる』って。でもね、大丈夫よ、きっと。」


 ゆっくりと、優しくリュゼは伝えた。ディアが悲しまないように、と決意した。「だいじょうぶなの?」と、リュゼの姿を映す綺麗な天空の色の瞳も、やわらかな珈琲色の髪も、何かを信じられる澄んだ心も、リュゼは守り愛することを。


「大丈夫よ。きっとぜんぶ、大丈夫。」




     ✡     ✡     ✡




「―――ディアにぃ!あそんであそんで!」


 シビュラにある小さな孤児院の中の小さな庭で、無邪気に笑いながら子供たちが走り回っている。孤児院といっても、生まれたばかりの赤子から遊びたい盛りの十五歳の青年まで、広い年齢層の孤児が二十人ほど暮らしていた。

 そんな賑やかな庭の一角で、言葉も覚えたてで喋りも拙いような幼子が、青年に遊びを乞うていた。青年は十五歳という年齢より大人びた雰囲気を纏っている。足にまとわりついてくる少女の頭を優しく撫でると、「いいぞ、ジュラ。何して遊ぼうか?」とまた優しく問い掛けた。


「おままごと!ディアにぃは、あかちゃんとおかあさんとおにいちゃんとおねえちゃん!ジュラはおとうさんね!」

「おれの役多すぎない······?」


 ディアにぃと呼ばれた青年は苦笑いを浮かべるものの、断る素振りは見せない。ディアはジュラを微笑ましいという表情で見下ろし、ジュラも、ディアに対し親愛の気持ちを抱いているのが見て取れた。


 母に捨てられ泣いていた小さなディアは、いつしか孤児院にいる子供たちにとって兄のような存在となっていた。負った傷の痛みに泣く子の手当てをして抱きしめ、腹を空かせた子に自分の食べ物を分けてやった。折檻で皮膚を穿つような激しい痛みも、胃に穴が空きそうな程の空腹も知っていたから。

 あれから、五年の月日が流れていた。


 その五年の間、変わったことがあった。どうやら国の統治者が代わって法律や経済状況も変わったらしく、孤児院や貧困街に住む国民の生活が楽になるようにしていく方針を取っているのだそうだ。そのおかげで孤児院で暮らす子供たちは教育や娯楽を、基本的に無償で受け取れるようになった。学校に通えて、演劇や音楽会を観れて、好きな仕事に就けるのだとか。

 それが本当なら、みんなが生きやすくなるといいな、とぼんやりと想像する。本当にそんな素晴らしいことが起こるのならば、早くなってほしいものだ。


 その政策は早くもディアたち孤児に影響を齎した。なんと、無償で演劇が観劇できるらしい。貧しい暮らしを強いられている子供たちにとって、演劇とは無縁のものだった。なので全員大はしゃぎだ。勿論、普段テンションが平原なディアも例に漏れず楽しみにしていた。


 初めて劇場に足を踏み入れた瞬間は、なんと煌びやかで美しいのだろう、と感嘆した。そして、このきらきらとした美しい場所で、物語が演じられるのだ、とも興奮した。


 演目は、この国に伝わる神話『シビュラ神話』を土台とし冒険譚風に書き換えた、子供に人気の作品らしい。主人公のピスティが、神々をモチーフとした人物たちと共に世界を冒険する物語で、友情や勇気といった感情を軸に描かれているようだ。彼は貧しい村の生まれながらにして正義感が強く、その不屈の精神に仲間たちは心惹かれ、旅を共にする―――というあらすじだそうだ。


『俺の心臓は、最後の一打ちまで俺のものだ。この世に生まれた時からも、今この一秒さえもだ。誰も俺を所有できないし、侵害できない。俺は、俺だけの為に生きるんだ!』


 なんてかっこいいのだろう、と思った。

 きらきらしてて、かっこよくて、―――強くて。

 これは演劇で、架空の物語と人物で、神さえも本当にいるかは分からない、観る前にそう思っていたことは意識の遥か外に消し飛んでいった。


 そっか。おれって、おれだけのものなんだ。母さんの物でも、大人の物でも、国の物でもなくて、おれだけの。


「―――すごい!かっこいい······!!」


 おれは自分でも気づかぬうちにそう言っていた。いまこの瞬間、憧れという感情を人生で初めて抱き、一生忘れられない程の大きさで知った。

 心臓がバクバクとうるさいくらいに早鐘を打ち、全身に喜びが巡っていく感覚。もう今は彼のこととその言葉しか頭になかった。おれは、おれだけの為に生きても良いんだ。その言葉が、夜の闇を白く裂く朝日のように、鮮烈な光として心を照らした。


 おれもこんな、誰かの光になりたい。


 ディアは心に、夢を刻み込んだ。



 

 劇が終わったあとも、ディアの興奮は冷めなかった。全身が熱く、頭の中で心臓が脈打っているようだった。『俺だけの為に生きるんだ!』という、光と強さに満ち溢れたあの声が、鮮明に焼き付いている。

 

「あのげき、おもしろかったね!ディアにぃ!」

「········ああ!そうだな!」


 ジュラの声に驚いたのかディアは目を丸くさせるも、すぐに楽しげに笑う。すると、何か異変を見つけたかのようにディアの顔を凝視してきた。


「あれっ?ディアにぃ、お顔あかいよ?かぜ?おめめもきらきらしてる······」

「え?そうなのか?······いや、風邪じゃないけど、そうかもな。」


 心配そうにディアを見上げるジュラの頭を、わしゃり、と撫でる。いつも通りに温かい掌に、ジュラは目を細める。その様子を見た他の子らもディアにわらわらと集まり、頭を撫でてと騒いだ。


「ははっ、いいよ」


 ここは世界一あたたかい場所だと、そう思った。

 今まで一欠片も興味のなかった『夢』が、綺麗で輝かしいものだと、思っていた。



―――現実は、暗く、厳しく、涙も涸れるような、渇いた世界だった。




     ✡     ✡     ✡




 また、同じ夢だ。


 まだ闇に包まれている狭い部屋、自分の荒い呼吸音、目尻に浮かぶ涙、ぼんやりと霞む頭、そして額に載せられるあたたかさ。

 その手が伸びている右側へ視線を遣ると、蒼い瞳と視線が交わった。普段は眼帯に隠されている右目には痛々しい傷跡が走っているが、その傷さえも美しい人だ。いつも通り変わらない表情からは感情は読み取れないな、と困惑していると、リアンは寝起きだからだろうか少し掠れた声を発した。


「········大丈夫ですか。うなされていました。·········苦しい夢でも?」

「ううん、苦しくは········ないよ。起こしちゃったのならごめんね」


 涙を拭い、笑いながら謝罪をした。心配してくれることが嬉しかった。リアンは「いえ、私は大丈夫ですが」と首を振る。「でも」と続けると、ディアの瞳の奥を覗く。


「私にできることがあれば、教えてください。今のディアは、大丈夫ではないように見えます。」


―――大丈夫じゃないの、分かっちゃうんだなぁ。


 思わず笑いが溢れた。その拍子に涙も溢れてしまい、何故かそれさえも楽しかった。

 昔の夢を見て、隣に自分を案じてくれる人がいて、自分が笑って泣いている。絶望とは真逆の感情。これを幸福と呼ぶものなのかは知らないし、意味も分からない。それでも、自分は今、計り知れないほど大きな世界の中で生きている。そのことが、とても素晴らしいことのように思えた。

 普段はそんなことを考えることもない。むしろ、この広い世界で自分はなんと小さな存在だろうと失望さえもした。


「あのね、リアン。」

「はい」


 浅く、小さく、息を吸った。


「おれ、役者になりたいんだ。」


 とうとう、言ってしまった。

 鼓動が早鐘を打っていた。声も震えていただろうし、表情も強張っていただろう。

 が、一世一代の大告白かというほど緊張していたというのに、リアンの反応はあっさりとしたものだった。


「知っています。」

「え、おれ言ったっけ?」

「いえ。ですが、劇場の横を通り過ぎたり、有名な俳優たちの肖像画などを見る度に目を奪われていたので。」


 そんなに分かりやすかったのか、と恥ずかしくなり目を泳がせた。彼女の鋭い観察眼もあるだろうが、それでも傍から見て分かる程だとは思っていなかった、と肩を竦める。「何故、そのことを私に?」とリアンは尋ねる。

 ディアは薄く微笑むと、囁くように言った。


「リアンだからだよ。」


 そんなこと思ったのは初めてなのだ。こうやって誰かを信じること、自分の夢を話すことが。だからこそ、たまらなく怖い。でも、言うと決めたのだ。


 また息を小さく吸い、大きく吐く。


 少しずつ、言葉の糸を編むように。ディアは語った。

 自分の夢を。




 

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