現場は思ったよりも殺伐としていました。
あれから事務所を出発し、メンコさんが所有する5人乗りの黒い乗用車に乗ると、依頼人がいるだろう。ネットカフェ『クリオネ』へと向かった。
現在、私の格好は、黒いジャージ上下にメンコさんから貰ったスニーカー。しかもすっぴん。今回は、メンコさんと共に、依頼人の護衛なので、多分、何事もなく大丈夫だと。心の中で言い聞かせている最中だ。
「おい」
「はい!?」
「緊張してんのか?」
「それは、多分……」
おまけに、隣にはフードを深く被ったリルドが、堂々と腕を組んで座っていた。相変わらず顔が見えないけど、頬に付いていた傷は見えない。きっと、左頬にだけ付いているのだろう。
「ま。タミコは依頼人の護衛。つまり、今回はメンコのサポートに入るから、彼女の言うことは聞いとけな」
「は、はい……」
「まま。きんちょーしなくていいかんねー。とりま、その、外谷っていうクズエリートに遭遇しないように、私の車に依頼人を送れば良いだけだからねー」
そして、運転席に映る彼女は、いつの間にか、暗めの茶色いロングヘアのウィッグを付けている。服装は普段のラフな格好ではなく、何故か白色のジャージ上下を着ていて、私とほぼ似たような格好をしていた。何の意図があって、ペアルックにしているかは、後で彼女に聞いてみよう。
「それはそうですが……」
だけど、一つだけ、妙に引っかかる何かを感じたが、何だろう。
この依頼人、何で報酬が『父親丸ごと』なんだろう。金銭絡みなら『父の所持品と、全財産の全て』だけ、書けばいい話なのに。
「何か浮かねー顔してんな。どうした?」
「あ。いや。私、ちゃんとできるのか不安で……」
今回の標的である、外谷の事が書かれた紙を見て、何かと腑が落ちないけど、この報酬の『父親丸ごと』に違和感を感じていた。
でも、それを言ってしまったら、私は今度こそ、闇に葬られる……、かもしれない。
「ま。緊張すんじゃねーよ。メンコも何か言ってやれ」
「んー。あ。現場に着いたらさ、アタシからとっておきの物をプレゼントするから、リルドが降りた後、残っててもらえる?」
「え!?」
すると、メンコさんは眩しいほどの笑顔でそう言ってきたので、思わず目をまん丸くしてしまった。
「あ。単純に変装用のアイテムだよ。そんな身構えなくて良いからね!」
「メンコの事だから、てっきり拷問道具でも渡すのかと思ってた」
「はぁ!? ちょっとリルド。後でお仕置き確定ね」
「ふざけんなよ。ほら。もう着いたぞ」
事務所から出て10分程。本当に10分ほどでネットカフェ『クリオネ』に着いてしまった。
「あ。ほんとだ」
派手めな看板にも、堂々と『ネットカフェ クリオネ』と記載されている。
その前をウロウロしている一人のスーツ姿の人がいたが、その人が標的なのだろうか。
まるで町中そこらにいる会社員みたいで、半グレを半分足に突っ込んでいる様な風貌には見えない。だけど、間違って赤の他人に声をかけたら不味いので、確信がつくまで黙りを決め込むことにした。
「とりあえず、ここだと確実にバレるから、裏側に停めるね」
「は、はい!」
「分かった。俺、着いたら先に降りるからなー」
「りょーかい。だけど、あんまり加減を間違えないようにねー。死なせたらダメ。半殺しでよろー」
「分かってる」
そして、クリオネの裏側にある駐車場へ着くと、リルドは颯爽と降りていった。
それと、何でこのペアルックにしているのかも聞いとかないと。
「えっと、まずは、これ。変装用のメガネね。それと……」
すると、彼女はゴソゴソと、ミニバックから黒縁のメガネを取りだしてきた。掛けてみると、度が入ってないので、伊達メガネだと分かった。
「ありがとうございます」
「やーっぱり、似合うねぇ。その黒縁メガネ。伊達で度が入ってないけど、タミコちゃん、変装したら化けそうで楽しみだぁ!」
「えっと、気になってたんですけど、何で私たち、こんなペアルックみたいな格好なんですか?」
ふと、気になったので聞いてみると、彼女は満面な笑みでこう答えてきたのだ。
「あー。一応、仲良しの姉妹。っていう設定で、店長に近づくからね。演技でもいいから上手くやってこう! ねっ!」
「あっ。えっ!? はい」
そして、彼女はニコニコしながらも、私と目を合わせ、両手をぎゅっと握ってくれた。何だか温かいけど、この設定、果たしているのか? と内心思いつつ、更に質問してみることにした。
「その。メンコさん」
「ん? どうした?」
「何か、相手にダメージを与えられそうなアイテムとか、ありますか? 例えば、薬みたいな、自分には無害だけど、相手には有毒になったり、量を超えたら毒になる様な……」
ふと、リルドから貰った果物ナイフだけでは、心もとないと思った私は、何か無いか、尋ねてみる事にした。
「んーー。あ。これ、どうかな? 使い方次第かもしれないけど」
すると、バックの中から、大量の緑色のスティック状の何かを取り出して渡してきたのだ。ざっと見、50はありそうだ。商品名を見た瞬間、納得したが、これは……。
「実はこれ、拷問道具ではなくて、アタシの所持品なんだけどね」
「えっとこれって、まさか……」
「その、『まさか』よ。まぁ、その。市販で売ってる奴よりは、かなり効力が強い奴なんだけど、古い薬だから、いい加減処分したかったのよね。アハハハ」
「それで……」
「そそ。ということで、後はタミコちゃん次第かな!」
「はい。とりあえず、これ、ありがとうございます」
私はメンコさんから、『ソレ』を50本ほど貰うと、チャック付きのジャージのポケットに忍ばせた。
どれほど効くのか分からないけど、まさか、使い方によっては、こんなものまでも武器になるとは。
「さて。私達も行こっか」
「はい!」
そして、私とメンコさんは、リルドが抜けて15分後に車から降りると、その足でネットカフェ『クリオネ』へと向かった。
*
「いらっしゃいませー」
裏口の玄関から入ると、そこには一人の店員が、受付で左右をキョロキョロしながらも、座っていた。
見た目は痩せ型で、筋肉質でもなくて、もやしみたいにヒョロヒョロしてるから、確かに戦闘向けでは無い。だけど、赤茶色で短髪の立派な成人男性だ。見た目は若いけど、この人が先程、リルド達が言っていたチキンの店員?
「はっ! あああ、貴女はまさか!」
「やぁ。栗尾根さん。今日は姉妹で来ちゃったんだ!」
「なんだぁ。貴女でしたか。会員証が無ければ、当店は利用できませんよ」
「そー言っちゃってさ。それ、表向きは。でしょ?」
「いやいやいやいやいや。表向きも何も、こここ、これは規則ですので、いくら同級生の貴女でも、勝手にやられたら……」
彼は酷く困惑しているようだが、メンコさんとは顔馴染みなのだろうか。でも、さっき同級生と言っていたが、まさかな。
「えー! 今日は可愛い妹まで連れてきたのに!」
「あれ? 貴女って、妹さんいましたっけ?」
「あ。ほら! 自己紹介!」
「ええっ!? あ。えっと。初めまして。色々と諸事情があって、あまり会う機会が無かったので、その、今回、お兄さんに会えて、と、とても嬉しいです!」
すると突然、私の方に話が回ってきたので、すかさず笑顔で、妹キャラみたいにあざとさ全開で自己紹介(嘘)をした。
「ふーん。まぁ。良いけど。今回は利用の目的では無さそうだな」
「えっと実は……」
「あ。えっとさ、そこに一時避難している親子いるっしょ?」
「あああ、あのさ! そそそ、そー言うのは、その。だだだ、ダイレクトに、ししし、しかも貴女の通る声で言うべきじゃないと思うんだけど……」
「メンコさん! 静かにしましょうよ!」
「あ。ごめんごめぇーん!」
しかも、突然彼女は躊躇いもなく、彼に本題をぶち込んできたので、思わず制止してしまった。
全く。そういう所はどこか、リルドと似てる部分が多いって言うか。
「まぁ。ここだけの話。先程その親子が来て、一時避難しているのは、事実だよ。しかも、奥側の広い、パソコン付きの部屋にね」
「それじゃ!」
「まま。その前に俺の愚痴も聞いてくれよ。実はさ、こっちも色々とあって、大変な目に遭ってるんだよね」
「はぁ?」
それに、私は一刻も早く、依頼人の所に駆けつけたかったのに。何かと邪魔をしてくる店長には、若干イラついていた。
「まま。例えばだよ。俺が集めに集めまくったコレクションをさ、目の前で壊されたり、ここをラブホ代わりに使われたりしたら、すっげー迷惑だろ?」
「ちょっとまって。栗尾根さん。それって、この男が全部やってたりする?」
すると、彼女は何かを察したようで、標的の顔が映った動画や写真を彼に見せたのだ。
「あああああぁぁぁ! 正にコイツだよコイツ! あんのクソ野郎! 薄い壁から男女の喘ぎ声が聞こえてくる。って苦情も入ってくるから、すっげー困ってたんだよ!」
「そう。だったんですか……」
仮に本当だとしたら、正に獣としか言えないし、ネカフェで不倫とは、心底イカれてる。
内心、怒りを滲ませながらも、握った拳を強く握り直す。
「まじか。実はこの人、さっきこっちに依頼を寄越してきた子のお父さんみたいなんだよ」
「ななな、なんだってぇ!? これは聞き捨てならないな。ありがとう!」
「いえいえ。ていう事でさ、依頼人の所に行っても……」
「おーっと。それは別かな」
しかし、彼は彼女の言葉を遮るかのように言うと、こう提案してきたのだ。
「俺も一応、ここの店長であるから、規則だけはきちんと守って貰いたいのでね。先ずは会員証を作って貰うよ」
「えっ!? それって……」
手続きをするには確か、免許証みたいな、身分証明書が必要なはず。今、無戸籍状態の私じゃ、作れないし、ネカフェも利用できない! 一体どうすれば……。
「んー。これじゃあダメ?」
すると、私の隣にいた彼女は、何故か財布から会員証を取り出し、店長に見せていた。
「あー。それじゃ、その子は入れないけど、良いのかな?」
「でも、噂では、『超絶チキンな店員がいる』て噂があるけど……」
「誰だよそんな、変なことをふっかける奴は……」
そう言いかけた途端、反対側の大きな自動ドアから、ゾロゾロと大人数の男性がこちらに押しかけてきたのだ。その真ん中にはなんと、標的の外谷が腕を組んで、こちらを睨みつけている。
「げげげげっ! あいつ!」
「おいおいおいおい。店長さんよぉー。この親子、こっちで見てねーか?」
しかも、親子の写真を、はらはらと見せつけるかの様に見せてきたのだ。まさに外道と言ったところだ。一人ではなんにも出来ないから、集団で押しかけてきたのだろう。
「ししし、知りませんよ。そそそ、それよりも、わわわ、忘れてないですよね? 『迷惑料』の存在を!」
「はぁぁ!? いつ俺がここに迷惑をかけたって言うんだ。別にネカフェなんだから、こっちの好き勝手にやりゃーいいだろーよー」
「な、ななななな、何を言ってるんだ!? ほほ、本当に警察を呼……」
そう言いかけた瞬間、彼はドンッとカウンターを叩き、ドスの効いた声で、こう怒鳴りつけてきたのだ。
「呼んだら殺すぞ。良いのか?」
「あ……ひぃ。ひゃぁぁ!」
その恫喝に負けたせいか、彼は椅子に座ったまま、気絶してしまったのだ。確かにこの人は、超絶チキン野郎だ。だけど、カウンターを叩いている外谷さんはサラリーマンの風貌をしているのに、まるで中身は半グレのそれみたいで、かなり嫌悪感がした。
「呼んだら殺すだって? その台詞、聞き捨てならないね!」
しかし、その近くにいたメンコさんは、彼の手の上から、拳でドンッ。と叩き返したのだ。
「いだぁ! 何するんですか!? 傷害罪ですよこれは!」
「何が傷害罪だ! このクソ外道が!」
「ひぃぃ!?」
しかも、こんな大声で怒号を放つ彼女を見るのは初めてかもしれない。
彼女は、般若の顔で彼を睨むと、鼻でふっ。笑いながら、指を1、2、3とカウントするかのように立てるとこう話し始めたのだ。
「殺す。と生命に関わる様な脅しをしたら、恐喝罪。親子に暴力を奮うのは傷害罪。ネカフェみたいな、お店にある部品を壊すことを器物破損罪。そして、ヤッて良くない所でヤリまくる公然わいせつ罪。アンタさ、どんだけ罪を重ねるんだよ。そんな奴が傷害罪ってアタシに言う? 聞いてて呆れるわ!」
「おいおいおいおい。そんなデタラメを言うなんて、心外だよ。もう! こっちは行方が分からない親子を探しているだけの、ただの父親だぞ!?」
だけど、彼も彼で、言い訳ばかり言っていて、彼女の隣にいた私は、心の中で嘘つけ。と言っていた。
親子に暴力を奮っておいて、自分のやった事を棚に上げ、挙句の果てには悲劇の父親を演じるなんて。正にクズの極みだ。
そのせいか、私の拳は両手とも強く握っていた。何か物凄いムカつく。
「はぁ? ただの父親がこんな、金で雇われた様な半グレ連れ歩いてる訳ないでしょ? 頭退化してんの? バカなの?」
「何だと!?」
「それに、こっちは全部アンタのこと、知ってるんだからね。嘘は通用しないよ。まぁ。ようやく会えて良かったわ! 外資系企業のペルシアン株式会社勤務の、DV不倫大好きのクソエリート社員。外谷道長さん!」
「ふっ。どっからそんな情報を仕入れたんだい?」
「さぁね。一応、アンタをボコさなきゃ気が収まらないからさぁ。覚悟してもらうよ!」
しかし、彼女の顔は突然、般若から笑顔になって、声色もいつものメンコさんに戻っていたのだ。
それに、次々と出てくる煽りの台詞に、ファイティングポーズをとっているので、戦闘態勢なのは見ていてわかる。
「は。何なんだ全く。まぁいい。テメェら、このクソアマから殺っちまえ!」
『うぃーす!』
すると、彼の背後にいた何人かの半グレ集団が、彼女に襲いかかって来たのだ。
「おりゃぁぁ!」
しかし、彼女は容赦なく回し蹴りや飛び蹴りを入れたり、腹パンをしたり、アッパーやジャブを入れたりと、かなり暴れまくっていたのだ。
「うがぁぁ!」
「ぐはっ!」
「ごはっ!」
そのせいか、ドンッ。とした衝撃音と共に、半グレ達は雄叫びを上げながらも、次々と床に突っ伏したり、壁に叩きつけられてたりしていた。しまいにはガラス張りの正面玄関にも半グレ達を突き飛ばしているんだから、かなり恐ろしい。
ゴエモンさんが言っていた通り、彼女もまた、チンピラを一瞬で壊滅できるほどの武力を持っていたのだ。
「す、凄っ……」
それに、彼女は余裕な笑みを浮かべながら、次々と相手をなぎ倒しているのだ。まるで、鞭を持って拷問をしている女王様みたいで。
あ。いや。ボーッと見ているままはダメだ!
私も彼女のサポートできているんだから、何かしなくちゃ。
そう思い、周囲を見渡すと、通路側にドリンクバーを見つけたのだ。そういえば、このようなネットカフェには、多種多様のドリンクがあって、一定の料金を払えば、ドリンクが飲み放題。というプランがあった気が。
「あ!」
ふと、ある事を思いついた私は、グラスを手に取ると、ポケットから例のものを取り出した。
ぶっ倒れて気絶している人を、『完全に戦闘不能』にすれば、少しは負担が減るだろう。と考えた私は、誰もが手に取りそうなお茶に、規定量よりも2倍の量の『ソレ』を入れ、半グレ達に差し入れをしたのだ。
「……こ、これは!?」
「大丈夫ですか? 良かったらこれ、飲んでください」
「あ。あぁ……」
困惑しながらも半グレ達は『ソレ』入りのお茶に手を出した。彼女は未だに戦闘中だが、外谷はオドオドしては半グレ達の背後に隠れて震えていた。
さて。外谷さんには何本、『ソレ』を入れようかな。
そう考えながら、気絶済みの半グレ達にお茶を差し入れ(無理矢理、飲ませたり)をし、奥にいる依頼人を守るかの様に道を塞いでいた。
「てめぇ。さっきから何コソコソとしてんだァ!?」
すると、1人の坊主頭の半グレが、何かを察したかの様に私の元へと来ると、容赦なく拳を振りかざしてきたのだ。
「きっ!」
「タミコちゃん!」
彼女は驚いた顔をしながらも、私の方へかけ戻ろうとしたが、間に合わない。
どうしよう。殴られる! と思った時だった。
「ぐはっ!」
何故か、私を殴ろうとしていた坊主頭の半グレは、前へ倒れ込み、床に寝っ転がったままになっていた。
まさか。と思い、顔を見上げると……。
「おい。タミコ。怪我、無いか?」
目の前には、黒いフードを深く被ったリルドが、両手をポケットに突っ込みながら立っていたのだ。