狙われたのは、私でした。
天海愛華。24歳の無職。
その辺の記憶が何故か曖昧なんだが、テーブルに置かれている写真付きのマイナンバーカードには、そう書かれていた。
ついでに言うと、私の写真もついているから、きっと、そうだと思う。
それと、私は現在、黒いノート型PCを開いて、ある事を単独で調べようとしている。
どんなのかというと、ある日忽然と消えてしまった無二の大親友 竜宮多美子の失踪前日の行動や、SNSでの発言を隈なく探していた。
傍から思えば、執着心強くて『危ない人』かもしれない。見た目も上下の黒ジャージに茶髪のロングヘアー。陰湿かもしれないけど、そこまでしないといけないのには理由がある。
それは、彼女が居なくなる前夜、約束の時間になっても家に来なかった。だから、こっちからかけてみたら……
『助けて! 殺されちゃう!』
と大声で助けを求められたが、それ以降、連絡が途絶えてしまった。
「急にどうしたの!? ねぇ! ねえってば!」
この時、泣きながら叫んでいたが、プー。プー。と切れた音が耳元で響いていた。
もしかして、事件に巻き込まれた? と思った私は真っ先に警察に連絡し、捜索願いも出してきたけど、未だに犯人の足取りさえ、全く掴めていない。
おまけに彼女の家の周辺にある防犯カメラを見ても、人影すら映っていなかった。とまで言われ、身震いしたのを二週間経った今でも、鮮明に覚えている。
「そういえば……」
ふと、彼女の家に遊びに来た時、愛用の黒いノート型PCで見ていた、あるウェブサイトの存在を思い出した。
私は「そんなの、気味悪いから止めといた方がいいよ」と、口酸っぱく言っていたが、彼女は調べたがりな性格だった気がする。そのせいか、忠告を無視してまでも、かなり没頭していたんだよね。
確か、ウェブサイトには大きく、4つ程層が分かれているんだっけ。そして、そのメモをたまたま持っていた私は復習がてら、読んでみることにした。
・サーフェス……普段の検索媒体でも、検索可能なウェブサイト。例)ヤヒーやアオハトの様なSNSや検索サイト。
・ディープ……ログイン認証が必要だが、閲覧可能なウェブサイト。例)裏掲示板や会員制のサイト等。
・ダーク……入るには、普通の検索エンジンではなく、『Tor』という玉ねぎの形をした特殊なツールを使用しないといけない。匿名性が高いせいか、警察沙汰レベルの違法のサイトも存在しているウェブサイト。
・マリアナ……最下層。ハッキング集団が集う犯罪の無法地帯。
まぁ、分かることといえば、その構図はまるで、海面と深海の様に、下に行けば行く程、真っ暗くて不気味だという事だけだ。
ちなみに最下層のマリアナウェブに関しては、通称『ネットの海底都市』とも呼ばれている。
噂によると、そこにも深海生物(ネットの住民)が住んでいるらしい。その為、素人が気楽に入って良い場所では無いのは明白だ。
もしかしたら、多美子は興味本位で行ってしまったのかもしれない。と思うと、心臓がバクバクとしてしまう。
そして、私は合鍵を使い、玄関から家へ入ると、彼女の部屋に唯一遺された、ノート型PCを見つけた。なので、持ち帰って、私の部屋で検索をかけてみることにした。というのが、今の私だ。
「お? これは……」
ふと、玉ねぎのマークが目印の検索画面が出てきた。なので、試しに『多美子』と検索してみる。
「何これ!?」
すると、謎のサイトのURLを見つけた。だけど、『人体オークション』と記載されているだけで本当に気味が悪い。そのせいか、タッチパッドに触れる手が微かに震える。
怖いけど、これも、親友を見つける為。
なので、心にそう言い聞かせながら、恐る恐るクリックすると、画面が突然、真っ黒に暗転した。と同時に、『Now Loading』と白い文字が浮かび上がってくる。
「ふぁっ!?」
驚きの余り、変な声が出た。
内心、恐怖で押し潰れそうだ。
「んん?」
そして、画面は陰湿な監禁部屋へと変わっていた。
「何これ……」
ふと、部屋の壁側を見ると、とても異様だった。値札みたいな番号が付けられた女性が4、5人程並んでいる。まるで別の国の地下牢の景色を見ている様な気分だ。
「あれ?」
すると、女性の中に見慣れた姿の人を見かけた。彼女はモデルみたいで、目鼻立ち整っていて可愛い子だった。そのせいか、他の女性よりも値札は高く、かなり目立っている。
「多美子!? 多美子!」
これ、人身売買だよね。警察に言わないと!
なので、証拠として、刺さっていたUSBメモリーに保存しようとした時だった。
「あれ? 最小限と×が消えてる!」
何処を探しても、何故か右上のアイコンが消えていた。嫌な予感しかしない。
「ええっ!?」
すると、画面が突如変化し、不気味な白い仮面を装着した男がこちらを睨みつけてきた。性別までは分からないが、黒いフードを深く被っており、見るからに怪しい格好だ。
「まさか……」
この時、削除キーを押しても全く動かない。そう。このノートパソコンは、画面にいる謎の人にハッキングされたのだと察した。
そして、心臓の鼓動が止まらぬまま、画面を凝視していると、謎の人は口を開き、こう告げる。
『お前の行動は、全カメラを通して、監視している』
謎の人はロボットみたいな声で答えていたが、私は相手に気取られない様、変わらない態度で話してみる。
「えっ? それ、倫理観疑いますよね?」
『それより、お前はやってはいけないことをしたな』
「はぁ!? それは貴方ではなくて?」
怒りが収まらなかった私は、捲し立てるように言い放つが、謎の人は淡々と話し続ける。
『それじゃあ、何の用があって、こんな所へ来た』
「私は、そこに映っている親友を助けたいの!」
『それはダメだ』
「なんでよ!」
私はこの時、思いっきりパソコンを壊したかった程頭にきていた。辻褄が合わない謎の人の話には正直ついていけない。
『それに、お前は既に、国家機密を握ったようだしな』
「国家機密?」
つまり、彼女はそれをうっかり握ってしまって、巻き込まれた。という事?
突然の言葉に動揺を隠せない。
『なので、お前の住所、特定しといた』
すると、謎の人が妙な事を口にし始めた。
「どういう……」
思わず唖然としてしまったが、住所なんて、ネット上の何処にも晒していないし、このパソコンは私のでは無い。なのに……。
『ここに来たと言うことは、意味、分かっているんだろうな?』
「さぁ?」
はぐらかそうとしたが、怖い怖い怖い。
「まさか!」
実は、このノートパソコンにもインカメが付いていた。つまり、私の顔が、謎の人にも見られている状態だったのだ。
『せいぜい、足掻くがいい。お前はいずれ、死ぬのだからな』
そして、男は最後に勝ち誇ったかの様に言い放つと、画面から姿を消した。
――ブツッ。
あぁ! もう!
まさか、顔まで特定されることになるとは思っていなかった私は、ため息混じりに思いっきりノートパソコンを閉じる。
――ピンポーン。
何故か玄関のチャイムが鳴った。
「なに?」
何となく時間を見たら、既に深夜を回っている。夜中の3時。一体誰だろうか。近所迷惑もいい所だ。恐る恐る玄関へと向かおうとした時だった。
――ガチャガチャガチャガチャ
「ひぃっ!」
突然、ドアノブを強引に回す音と、チェーンを掻き切る音が響いてきた。
「まさか!」
あの男の言う通りなら、本気で殺しに来たって事?
身の危険を感じた私は、寝室にあった大きな窓を全開に開け、逃げる準備をした。
「あれ? これはまさか……」
ふと、彼女のノートパソコンに刺さっていたUSBメモリーを見つけたので、それを引き抜くと、ポケットに忍ばせた。
――ガシャーン!
「ひぃ!」
物を盛大に壊す声が聞こえてきた。
まさか、すぐ近くまで来てるってこと!?
なので、私は勢いよく飛び降りようとした時だった。
――ガシャーン!
「ふぁっ!?」
驚いて背後を振り返ると、全身グレーのパーカーとジーンズを着た大柄の男性が、此方に向かって歩いていくのが見えた。
顔はフードを被っていたせいか、頬には三本の傷がついていて、右手には鋭利な斧が握られている。
こいつがまさか。多美子を……。
いや。その前に生きないと。逃げないと。
私はパニックになりながらも、窓から脱出しようとしたら、背後で変な事を呟き始めた。
『お前は、誰だ? 天海愛華じゃねーだろ』
「はぃ? 私は……」
恐る恐る言葉を返すと、彼は斧を近くに放り投げ、怪しげにこう言い放った。
「天海愛華は行方不明だが、あの画像の通り、人体オークションにかけられているはずだ」
「人体オークション……」
これがまさか、国家機密という事なのだろうか。
日本人は、世界一難しい言語『日本語』を巧みに話せる特異まれな知能と、黒髪黒目な上、かなりの値が付くらしい。と、前にどこかで聞いたことがあるが……。
「それなのに、何故、お前が天海愛華と名乗っている?」
「はぁ!? 私はこのマイナンバーカードの通り、天海愛華なの! 何を言って……」
「おいおいおいおい。お前、何で偽造のマイナンバーカードで名乗ってんだよ。あまりにも可笑し過ぎるだろ!」
すると、彼は呆れ気味に笑い始めていた。
だけど、テーブルの上に置かれていたマイナンバーカードが偽造と聞いて、一瞬固まってしまった。
「え? どういう……」
「まぁ。口で言っても分かんねーだろうから、ちょっとそのカード、俺に寄越せ」
「あ……。うん」
なので、彼に言われるがまま、マイナンバーカードを渡すと、彼はスマートフォンを取り出し、カードを画面にかざしていた。
「やっぱりな。このカードは『偽造』だ。名前は天海愛華なのに、写真はお前のが使われている。それに、このカードに書いてあるセキュリティコードを打っても全く読み込まねぇ」
「えっ!? じゃあ、私は一体……」
「俺も知らねーけど、確実に言えるのは、お前は『天海愛華』じゃないって事だな」
「て言うことはつまり……。私が、行方不明だったはずの『竜宮多美子』だと言うこと?」
「正解だな。つーか、何であの時オークションに売り飛ばしたはずなのに、ここにいるんだよ。竜宮多美子」
「え? ちょっと待って。オークションに売り飛ばしたっていうのはどういう……!?」
「その様子だと、あの会場で何かあって、記憶喪失になって廃棄扱いになっちまったんだろうな。まさか、自分自身が『天海愛華』と騙ってしまう程、個人情報まで失っちまうなんてな」
「……」
この時、私は何もかも分からない状態になっていた。
私が探していたはずの『竜宮多美子』だって?
だけど、あの人体オークションに映ってる人は紛れもなく『多美子』だ。訳が分からない。
「まっ。俺がついでに教えてやるわ」
「は……、はい。それと、本物のマイナンバーカードは……」
「恐らく、アイツが商売目的で持っているだろう。近いうちに取り戻すとして……」
「どういう、事、ですか? 私は何もかも分かんないっていうか。この状況すら飲み込めないっていうか……」
私は後退りながら、恐る恐る答えると、彼はこう言ってきたのだ。
「結論を言うとな、お前はな、あの仮面野郎と愛華達に利用されたんだよ。己の私利私欲の為に、記憶を抹消され、身分を証明する物全てを、闇サイトに売られた。ってとこだな」
「えっ……」
驚きのあまり、思考が停止してしまった。
「だから、今のお前は『存在しない人物』となっているんだ。それと、自己紹介遅れたな。俺は仮面野郎の依頼で来た殺し屋。名はリルド」
「……」
「本当は依頼通り、お前を殺そうと思ったが、そのアホ面を見て気が変わった」
「アホ面って、あのね!」
なので、私は思わず怒って言い返そうとしたが、彼のフード越しから微かに見えた、翡翠色の目が綺麗だった。
その目はどこか、寂しそうな色をしていたせいか、言葉を失ってしまう。
「お前は知りたいか?」
「えっ?」
「こうなっちまった、原因だ。あの欲の権化と化した二人を放っておく訳にもいかねーからな。第二のお前が出てくる前に、俺はターゲットを変更してそっちを殺す事にするけど……」
そして、彼は目線を合わせるかの様にしゃがむと、パーカーのポケットから果物ナイフを取り出し、こう提案してきたのだ。
「俺と共に来るか? お前の復讐も兼ねて、手伝ってやる」
「……うん」
こうして、私はマリアナに堕ちた『私』の真相を探すため、『闇社会の住人』として、ナイフを受け取ったのだった。