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1. 作戦名『絶海の羊飼い』(前編)

「空の英雄を殺せ」


 3か月前に雇われたばかりの整備兵ノーランに与えられた極秘任務は、単純明快かつ地獄の片道切符だった。


「……っ?!」


 ノーランは一瞬何を言われたのかわからず、出されたお茶を吹いた。この島の特産の花茶が、ノーランの染みだらけのつなぎに染み込んでいく。 


 絶対におかしいだろ?!

 俺は整備兵だぞ?!

 なんでよりもにもよって俺を選んだ! バカか!


 ノーランに命令を下したのは、トマス・ニェッキ中尉。

この辺境の島の空軍基地の総司令官で、胸には女の子のぬいぐるみを抱いていた。


 動揺したノーランが自分の脇に立つ同じくらいの若い兵士を横目で見る。彼の緑色の目と視線がかち合った。若い兵士はノーランと同じように動揺を隠しきれていない。


 直接の面識はないが、ノーランをここまで連れてきた案内役の男だった。


 現地民らしい鮮やかな赤髪をしていて、それが目につく。


 こいつも知らなかったんだな。


 自分だけじゃないことにノーランは妙な安心を覚えたが、次の瞬間には足元から恐怖がせり上がってくる。


 命令を聞いた以上、断ることは出来ないし、生かして返す気も無いはず。


 上官命令には絶対服従と教えられていたが、とうてい受け入れられない。


 「あぁもちろん。君に選択肢はない。君の意見は初めから求めていない」


 ノーランは口を開こうとしたが、ニェッキ中尉から穏やかにさえぎられた。ご丁寧にぬいぐるみの両腕を口の前でクロスさせる。ノーランは考えが読まれた気がして、ニェッキ中尉の態度にイラっとする。


「……何で、ですか? 理由を聞く権利くらいはあるはずだ」


 だからノーランは口火を切った。ぶわっと背中に汗が吹き出し、二の腕にはぷつぷつと鳥肌が立つ。ノーランはいくら考えてもわからなかった。


 空の英雄とは、帝国空軍の誇るエースパイロット。


 ザッカリー・フォン・ハーロウ大佐のことだったからだ。帝国皇族の血を引く大貴族でありながら、先の大戦で初の空軍部隊を組織し先陣を切った生きる伝説。


 ノーランの憧れのヒーローであり、はるか上の階級に居る『味方』だった。


 つまりノーランに下された指令は『味方殺し』


「俺は整備兵です。暗殺部隊ではありません」


 隣の若い兵士から袖を引っ張られたが、ノーランは足を踏みしめて、両手を後ろに組む。顎を少し上げて震えているのがばれないように、胸を張った。


 整備場の隅でガラクタを整理するのがノーランの仕事だった。整備の腕が買われて、ノーランは運良く軍属になれたが、故郷に流れてくるのは旧式の古い機械だけ。


 軍の最新式の機械は全く勝手が違った。読み書きも自己流で覚えただけで学校に通ったこともない。専門の工場で修行もしたわけでもない。


 ノーランが出来ることは限られていた。だからこそノーランは、首にされないため、


「なんか仕事ありますか? 俺、なんでもしますよー」


 と、ヘラヘラしながら、あちこちゴマをすって回っていた。まさかこんな任務が言い渡されるなんて思っていなかった。


 何のためにこんな指令を出す?

 俺は確かに何でもするって言ってた。

 でも絶対選び間違えている。

 俺は射撃がど下手くそなんだよ!


 ノーランが銃の訓練をすると、なぜか周りから人が消える。自分の前の的を狙っているはずなのに、なぜか遠く外れた壁に当たって跳弾する。最終的には上官から銃を持つことを禁じられた。


 だがこれが手の込んだジョークではないことは、ノーランにも分かっていた。


ノーランが本部に呼び出されたとき、すでに長テーブルは満席だったのだ。立派な肩章や飾緒、房飾りの付いた職業軍人たち。中尉の腹心の部下であり、司令本部の顔ぶれが一同に揃っていた。


 室内の密度が高いのに、痛いほどの沈黙が支配する。



「ノーラン、それでも君は軍属だ。平時には蛮勇(ばんゆう)の英雄は要らないんだ」


 中尉の答えはひどくシンプルだった。


「君は花祭りで自爆テロを起こす。狙撃の腕は関係ない。これは決定事項だ」

「だったら軍を辞めてやる!」


 ノーランは叫んだ。


「俺は英雄を殺したくない! 大佐が南部を救ってくれたんだ!」


 隣の若い兵士がノーランの腕を強く引っ張った。それでもノーランは止まらなかった。


「あの日、大佐が試作機で出撃しなければ!! あの英断がなければ! 南部は! 俺の故郷は持たなかった……!」


 ノーランは過去を思い出して目を細めた。かつて砂埃の舞う絶望の底で、光を見たのだ。


 当時、蒸気機関の新型ターボエンジン試作段階。陸軍所属の航空部隊は飛行機と名ばかりの簡易的なグライダーに乗って低空での斥候が主任務だった。


 飛行機のパイロットになること。

 それは危険で実入りの少ないハズレ任務だと職業軍人からは軽んじられ、総司令部は飛行機の有用性を全く意識してなかった。


 しかし空の英雄だけは早くから制空権の必要性に気づき、初陣として選んだのが当時の激戦区である南方戦線だ。


 結果としてノーランが救われ、ハーロウ大佐は一躍、英雄となった。

南方戦線での大勝利が停戦への大きな足がかりとなったのは間違いない。


「まだ完全に平和は戻ってきていない。あくまで停戦状態なんだ! 空の英雄の力がまだ必要だ!」


 部屋の沈黙を武器にノーランは語り続ける。


 ちょうど歴史の変わり目。潮目の大うずが時代と人を飲み込もうとすぐ後ろに迫っていた。


「君は彼の地の出だったな」


 中尉から相槌を打たれ、ノーランは敬語を使うべきだったことを思い出した。


「そうです! 塹壕では死を待つばかりでした。少年志願兵は銃を持てないので」


 ノーランはかの砂漠地帯の民特有の浅黒い肌に灰色の髪、あちらではありふれた黄色と緑の入り混じった目をしていた。


 だが今ではほとんど自分と同じ容姿を見かけることはない。


 砂漠には遮蔽(しゃへい)物がない。


 南方戦線は戦争の主流である塹壕(ざんごう)戦となったが、それすなわち歩兵の消耗戦だ。


 物資が足りず、土嚢袋の代わりに死体を積み上げたときの絶望感。腐りゆく仲間。ネズミが柔らかい目からかじり取っていき、ぽっかりとした虚ろな穴が開く。


 次はお前だと言われているようだった。


 あの恐怖たるや、ノーランは今でも悪夢にうなされるほどだ。


 最終的には、非戦闘員も含めほぼ8割が虐殺された悲劇の地。それがノーランの故郷だった。


 ノーランも孤児になって、志願兵という名の徴兵にあった。

 すでに物資は欠乏。

 食料も火器もなく、死の影だけが豊富だった。


 ノーランにとって空の英雄ハーロウ大佐は命の恩人であり、平和と希望の象徴。

生き神様みたいな存在だった。


「ハーロウ大佐がいたからこそ、空軍編成が出来たんだ」


ノーランはつぶやいた。  


大佐に近づきたくて、必死で勉強して整備兵になった。


憧れの人だ。殺したくない。それに俺だって死にたくない。


ノーランはかつて地獄を生き抜いた者として自分の命も大切だった。


「ノーラン。君はハーロウ大佐の黒い噂は知っているだろう」

「知っていますが、信じられません」


ノーランは即答した。

光が強ければそれだけ濃く影ができる。


ザッカリー・フォン・ハーロウ大佐の名声が広まれば広まるほど、ゴシップ新聞にはハーロウ大佐を中傷する記事が書かれた。


いわくハーロウ大佐は女装趣味の男色家である。特に少年を好み邸宅に囲っている。

いわく暴力的で殺人に快楽を覚える。


ノーランもハーロウ大佐についての記事は気になっていちいち読んでしまうが、どれも胸糞悪かった。


「なぜだ?」


中尉から聞かれ、ノーランは憤慨(ふんがい)して答える。


「嘘ばっかりじゃないですか。英雄がそんな人のはずありませんから」

「なぜ言い切れる?」

「ゴシップ記者が、空の英雄に直接会えると思えません」

「ではノーラン。君はどうだ? 君だって会ったことがない相手だろう」


ノーランは虚をつかれて、押し黙った。




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