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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
二章 rushing to one’s doom.

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 ニコラ・フォン・ウェーバーは、人より少しばかり数奇な人生を送っていた。

 具体的にいえば、前世の記憶を持ったまま、異世界に生まれ直すという経験をしたのである。


 彼女は元々、日本という小さな島国で生まれ育ったのだが、彼女は生まれつき〝視える〟側の人間だった。


 妙なクスリで幻覚を見たのでもなく、はたまた狂人だったわけでもなく、ただ人より感受性が強かったが故に、人ならざるモノたちがよく視えてしまった。

 それが彼女にとっては当たり前の世界だったのだ。



 そんな彼女はあれよあれよという間に才能を見出され、そういったモノたちと対峙する技術を身につけるための専門学校にスカウトされて、怪異と総称されるそれらへの対処法を身に付ける羽目になった。

 そして気付けばそれが生業(なりわい)となっていて、仕事中に殉職したのだ。


 『祓い屋』という、妖怪、幽霊、都市伝説、呪い、その他諸々の人智を超えた現象を総称する〝怪異〟に対する専門家。


 彼女がその、少しばかり他人に説明することが憚られる職業を生業としたのは、ひとえに彼女にはそこそこの適性と才能があり、また危険手当と言わんばかりに給金が良かったことが理由に挙げられる。

 それはもう、一般的なOLなど目ではない程に羽振りは良かったのだ。

 だが若い身空で死ぬ羽目になったことを思えば、後悔が全くないとも言い切れなかった。




 彼女が最後に憶えているのは、()せ返るほどの血の匂いと獣臭、壁や床一面に描かれた赤黒い血文字の文様。

 一般に、動物の血を使用することは邪法も邪法なのだ。動物の恨みを買う上に、運が悪ければ神の怒りも買うためだ。

 彼女はそんな邪法に意図せず巻き込まれてしまったらしかった。


 匿名の依頼を受けて呼び出された彼女が扉を開ければ、そこは何らかの儀式のための部屋。

 一瞬のことだった上に、複数の言語が入り混じっていて殆ど読み解くことは出来なかったが、僅かに一部解読できたのは『贄』を意味する単語だった。


 そこそこ強い霊力を持っていた彼女は、さぞや良い供物(くもつ)になったのだろう。

 享年二十六歳──そうして彼女はニコラ・フォン・ウェーバーと相成った。






 そういう経緯を経て、気付けばヨーロッパ風の異世界に、しがない子爵家の子女として生まれ変わったニコラだったが、何せ幼児期は出来ることも少なく退屈で、今となっては記憶も曖昧だ。


 例えるなら、一度読んでしまった特に好きでもない小説を、もう一度飛ばし読みするような感覚。

 世界観こそ大幅に変われど、子供の成長過程に大きな差異などないのだから仕方がない。


 だからこそ、ぼんやりと過ぎていくニコラとしての人生の中で、最も初めに、そして鮮烈に記憶に残ったのは、とある侯爵家の嫡男との出会いだったのだ。




 ある日、ニコラはどこぞの伯爵家の息子の誕生パーティに、両親共々招かれた。

 それはその日の主役たる伯爵のご子息と同年代の、五歳から八歳の子どもを持つ様々な爵位の貴族を集めたパーティだったのだが、親は親でそれぞれ人脈作りに忙しい。


 子どもは子ども同士で、と早々に広い庭園のガーデンテラスへ追いやられた子どもたちは、それはもう動物園もかくやという程に(かしま)しくはしゃぎ回っていた。


 だが当然ながら、人生二週目のニコラは幼児と同じ熱量で駆け回ることなど出来ない。

 どっと気疲れしてしまった彼女は、トイレを借りようとして迷った体で時間を潰そうと考えて、こっそりと庭園を抜け出したのだ。


 ちなみに余談ではあるが、この世界の下水道事情は割と安定していて、トイレなども問題なく整備されている。

 これはこの世界がヨーロッパ()の異世界だと判断した理由のひとつに挙げられるのだが、ニコラは生まれ変わってからこのことに最も安堵した。

 ヨーロッパの貴族社会におけるトイレ事情が劣悪だったことは有名な話だ。───閑話休題。




 さて、そういう訳で邸内に潜り込んだニコラは、きょろきょろと人目を気にしながら深い臙脂(えんじ)色のカーペットの上を歩いていた。

 使用人などに見つかってしまい、トイレまで案内されてすぐに庭園へ連れ戻されるのでは、意味がない。


 注意深く人の気配を探っていた彼女は、だからこそソレに気付いてしまった。

 カーテンが不自然に盛り上がり、微かに動いているのだ。

 よくよく見れば、カーテンの(すそ)からは子どもの足が覗いている。急病人だとしたら、さすがに無視するのは寝覚めが悪い。


「あの、」

「ッ!」


 ペラりとカーテンを(めく)れば、そこには銀糸の髪を振り乱してしゃがみこみ、頭を抱えてガタガタと震える子どもがいた。

 そして、アメジストの瞳を濡らしてニコラを見上げるその子どもを見た瞬間に、ニコラは二重の意味で絶句したのだ。


 その子どもの容貌は、前世と今世を合わせたとしても目にした事が無いほどに『完璧』だった。

 文字通り瑕疵かしの無い、黄金比と言わんばかりに完璧な造形美を持った、天使と見紛う美少年を前に、ニコラは言葉を失ってしまい、時が止まる。

 そして同時に、視界に飛び込んでくる天使の背後にもまた、息を呑んだのだ。



 それは、控えめに言って地獄。天使は地獄を背負っていた。

 その少年は、前世の記憶を総ざらいしたとしても類がない程に、おぞましい妄執、死霊、生霊、動物霊、妖精その他諸々エトセトラエトセトラを背後に引き連れていたのだから。

 死霊と生霊のキャットファイトなど一生拝みたくもなかったのだが、少年の背後ではそれがダース単位で巻き起こっていて。


「うわぁヤッバ……えっぐ……」


 語彙が溶けるほどの衝撃。

 思わずそんな声が漏れたのは致し方ないことだろう。相手の身分などを考慮する余裕もなく、ニコラは呆然と呟いた。


 その神がかった造形美と、少年の背後の治安の悪さは筆舌に尽くし難く、彼女はしばらく思考を停止した。





「あ、あの……?」


 しばらくして、怖々と声を上げる絶世の美少年にようやく正気に戻ったニコラは、改めて目の前の少年を観察した。

 見たところ、その身体はふた回りほどニコラより大きい。パーティの趣旨を考えると、七、八歳くらいだろうか。


 ニコラは何かしら言葉を返そうと口を開くが、言葉が出てこない。

 逡巡すること幾ばくか。咄嗟に口をついて出たのは、問診のようなものだった。


「あー、えっと。耳鳴りや頭痛、肩こりはありますか?……いや、耳がキーンと鳴ったり、頭が痛かったり、肩が重かったり、とか」


 今にして思えば、確実に五歳児幼女の台詞ではない。

 推定七〜八歳の子供にも分かりやすく言い直せば、少年はただでさえ大きな瞳をさらに零れんばかりに見開いて、おずおずと頷く。


「誰もいないのに、見られているなーと感じたり、声が聞こえたり……あとは物が勝手に動いたり、無くなったり」


 子どもは首が取れそうなほどにぶんぶんと縦に振った。

 (まなじり)から零れた涙がその勢いに散って、窓から入る陽光をきらりと反射させる。


「あー、ウン。デショウネ……」


 ニコラは遠い目をして棒読みで相槌を打つしかない。


 恨み辛み妬み嫉み僻み、憧憬愛憎ごった煮闇鍋の渾沌(カオス)

 それ程のものを背負っていれば、どんなに鈍感で零感(霊感ゼロ)であっても、何も感じないということは有り得ないだろう。恐らく身の回りは霊障のオンパレード。同情しか抱けない。


 少年は、ニコラよりは年上のようだが、前世の記憶がある彼女からすれば、憐れな幼い少年だった。

 老婆心から、ニコラは人差し指を口許に添えて「秘密ですよ」と囁いた。

 それから、すぅ、と大きく息を吸い込む。


『かしこみかしこみも(まお)す、諸の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと(まお)す事を聞こしめせ』


 言葉にはそれぞれ意味があり、声に霊力を乗せることによって、それは意味通りの効果を持つ言霊となるのだ。


 とはいえこの祓詞の願う対象は本来、日本の記紀神話の中の神々であって、恐らくこの世界にはおわせられない。転生後に祓い屋としての術を使うのも初めてのこと。


 効果があるかは五分五分だろうなと思いながらも目を凝らせば、幸運にも渾沌の約一割ほどが消し飛んでいくのが確認できた。おそらくそれはニコラの純然たる霊力と言霊の効果であって、やはり世界を跨いだ分、効果は相応に弱まってはいるらしい。

 だが、前世の全盛期からすればほんの微力ではあるものの、効果があることは確かだった。ニコラは本腰を入れるために改めて少年へと向き直る。

 何せ、数が膨大なのだ。一つ一つは吹けば飛ぶような低劣なものなのだが、その数は頭が痛くなるほど(おびただ)しい。


「あーもうキリが無いな! 祓へ給へ清め給へ祓へ給へ清め給へ祓へ給へ清め給へ祓へ給へ清め給へ祓へ給へ清め給へ祓へ給へ清め給へ…………」


 時に少年にへばりつく生霊を素手でちぎっては投げ、ちぎっては投げ、ひたすら無心に唱え続けること十数分。

 ようやく少年の背後がスッキリする頃には、口の中はパッサパサに乾き切っていた。

 ニコラは仕上げとばかりに少年の背中をぽんと叩く。


 大仕事を終えた気分で、庭園に戻れば飲み物が用意されていたはずだと踵を返そうとすれば、くんっと衣が引っ掛かったような感覚に阻まれた。

 見れば、天使がきゅっとドレスの裾を掴んでいる。


「ねぇ君の名前はっ!?」

「うわ眩しっ」


 美少年は、えげつないほどに整いすぎた顔面をきらきらと輝かせて身を乗り出す。


「名前なんてありませんさようなら!」


 厄介事の気配を感じたニコラはそう叫ぶや否や裾を振り払い、全速力で駆け出した。

 そこで縁は途切れた──はずだったのだ。




 だが、のちにアーレンベルク侯爵家の嫡男だと分かるその少年は、ニコラの見た目からあっという間に彼女の姓名を特定し、侯爵家を通して遊び相手になるよう申し入れしてくることになる。


 吹けば飛ぶような弱小子爵家に侯爵家からの申し入れを断る権利などあるはずもなく、ニコラは泣く泣く身分違いの幼友達として、彼と関わり続けることになったのだった。







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