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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
最終章 陋劣の果て

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7

 




 暖かい何かに包まれている、強ばって棒切れのようになった肢体に、ゆっくりと息を吸って空気を取り込む。

 鼻腔に嗅ぎなれた、香水によるものではない甘やかな香りが届くと、途端に力が抜けてふっと身体が弛緩(しかん)した。


 この香りを自分はいつから落ち着くものだと思っていたんだろうかと、ニコラは記憶を遡ってみるも、明確な区切りは思い出せずに瞑目(めいもく)する。


 あの日伸ばしたけれど、握ることを躊躇してしまった手は、今はしっかりと幼馴染の手のひらに包み込まれていて、ジークハルトの空いた片腕は痛みを感じない絶妙な力加減できつくニコラを抱き締めていた。


 その温もりを知覚した瞬間に、あぁ、生き残ってしまったのだなとどうしようもなく実感してしまい、喉の奥がぎゅっと狭くなる心地がする。鼻の奥がつんとして、ニコラは(こら)えるように唇を噛み締めた。






 首を僅かに巡らせると、カーテンの隙間からは日の光が差し込んでいて、鳥の(さえず)りから朝なのだろうと判断する。


「……いや、そもそも何で同衾(どうきん)してるんだ」


 そう言ったつもりだが、音になっていたかは怪しい。口の中は砂漠のように干上がっていて、声はガサガサに掠れていた。


「…………?」


 不明瞭な(うめ)きを洩らして、眼前の傾国の(かんばせ)は長いまつ毛を震わせ、微かな吐息と共にうっすらと目を開ける。毛穴さえ見えない透き通る肌と、僅かに覗く紫の極上。


 互いのまつ毛同士が触れ合いそうなほどの極々至近距離で、無言で見つめ合うこと十数秒。ジークハルトは紫眼を零れ落ちそうなほどに見開いた。


「ニコラ!?」


 必要最低限の繊細さと丁寧さで両手を引かれて、上半身を起こされたかと思えば、全身ごと抱き(すく)められる。

 前以上に細く、体力も落ちてしまったニコラには、へばりつくジークハルトを引き剥がす気力も膂力(りょりょく)も無く、されるがままになるしかない。


 ジークハルトは壊れたようにニコラの名を連呼しながら離れず、ニコラを圧迫死させそうな勢いでぎゅうぎゅうと抱き締めては、ニコラの肩をしとどに濡らす。


「ジークハルト様、苦しいです」


 そう言おうと思ったが、口にするのは止めた。

 隙間が一部もない程に密着しているのだ。その身体が酷く震えていることに気付かないふりは出来なかった。



 ひどく緩慢(かんまん)な動きで、泥のように重い腕をゆっくりと持ち上げて、己の肩口にある銀色を撫でる。

 指通りのいい髪に指を滑らせるも、なめらかな手触りは長くは続かず、ニコラの右手はすぐにするりと空を切る。


 背中まで流れていた豊かな癖のない銀糸は、いつの間にか随分と短くなってしまっていて、ニコラは静かに目を閉じた。


「……メアトル神に、供物として捧げたんですね」


 〝本物の神様〟〝借り〟〝供物〟

 貸しがある神様など、ニコラにはあの廃墟で蔦に巻き付かれていたあの一柱以外に思い当たるものはない。

 髪の毛が神への供物になりうることをジークハルトに教えたのは、他でもないニコラだった。


 ニコラの肩に頭を埋めたまま、ジークハルトはくぐもった声を上げる。


「〝人ならざるモノに頼み事をする時は、報酬まで自分で決めること〟私の意思で願って、差し出したよ」


 そっとニコラから身体を離したジークハルトは、存在を確かめるようにニコラの輪郭をなぞった。


「生きて、いるんだね……」

 そう言って、ジークハルトは安堵の息を洩らす。


「………………生き残ってしまいました」

 ニコラは小さく呟いて、視線を落とした。


「ニコラ、私を見て?」


 柔らかい物言いの割に、有無を言わせない響きにのろのろと顔を上げれば、アメジストの双眼と視線が絡む。

 ジークハルトは柳眉を寄せて、まるで痛みを我慢しているような歪な表情を浮かべたまま口を開いた。


「ごめんね。ニコラの覚悟も、ニコラが望んでいないことも、分かっていたよ。それでも私は、私たちは、贖罪(しょくざい)なんかよりニコラに生きていて欲しかった。他ならぬ私たちのエゴで、そう願ったんだ」

 

「だからね、ニコラが生きることを願った私たちも、一緒に背負うよ」


 あぁ、ジークハルト達はもうニコラの罪を知ってしまっているのだと悟って、ニコラは(たま)らず顔を歪ませる。


 あの人形を燃やした月夜に、ジークハルトには人を呪うとその不幸は呪った人間にそっくりそのまま返って来ることを教えてしまっていた。

 エルンストが見聞きした断片を繋ぎ合わせれば、オリヴィアが何を行い、ニコラが何を行ったのか、すぐに察しはついたのだろう。


 ぎゅっと唇を噛み締めて身動(みじろ)げば、何故かベッドからパキパキと硬いものがが割れる音がする。それに、何だかやけに寝台もガタガタ凸凹(でこぼこ)(いびつ)な感触がして硬い。

 それはまるで、無数の木の板の上に座っているような感覚だった。


 恐る恐る布団を(めく)れば、そこには(おびただ)しい量の形代(かたしろ)の板が敷き詰めてあって思わず目を(みは)る。

 ざっと見渡すだけで三百枚は下らないだろう。それらの全てに、ニコラの名前が書いてあった。


「これ…………」


 掠れた声のまま呟けば、ジークハルトは僅かに表情を緩めて言った。


「アロイスが、ニコラが使っていた物と同じ香木を探して来てね。エルンストが人型に加工して、アロイスが一枚一枚名前を書いたんだ。多分、王都中どころか周辺の街の香木も全部買い占めちゃったんじゃないかな」


 ジークハルトは苦笑してそう言うが、ニコラは思わず絶句する。


 形代は便利だが、資材となる香木の価格はかなり高額なため、ニコラでも余程のことがない限り使わないのだ。それをこれほど大量に。恐らく少なく見積もっても、馬車一台を優に買って尚お釣りがくる金額だろう。

 もちろん金額だけではない。かなりの手間を掛けているのが分かるから、ニコラは俯いて唇を引き結ぶ。


 少しずつ作り置きするのとは訳が違うのだ。この膨大な作業を、彼らはニコラのために行ったというのか。




「私だけじゃなく、アロイスとエルンストも、こうしてニコラが生きることを願ったんだ。ニコラが生き延びてしまったのは私たちの所為だから、ニコラの覚悟を台無しにした私たちのことを恨んでいいよ。(なじ)っていいよ」


 ジークハルトは、今度はそっと柔らかくニコラを抱き寄せた。


「私たちのせいなんだから、ニコラが今生きていることに、罪悪感を覚えたりしなくていいんだよ。悪いのは私たちだ。ニコラじゃない」


 幼馴染のすっかり見通しの良くなった肩越しに、布団に散らばる無数の形代が見える。

 なりふり構わずニコラの延命を願った証がそこにはあって、ニコラは歯を食いしばった。





 泣く資格など、ニコラは持ち合わせていない。

 それでも込み上げるぐちゃぐちゃの感情は、(まなじり)から溢れた熱となって冷えた顔の輪郭を伝い、顎の先端にひと時留まると、雫となって落ちた。


 そんな資格はないのにと思えば思うほど、一度決壊した涙腺からは後を追うようにぼろぼろと大粒の雫が落ちて、幼馴染の肩を濡らす。



 ニコラはその日、この世界に生まれ落ちて以来初めて、声を上げて泣きじゃくった。






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