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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
最終章 陋劣の果て

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5





 文机に向かい、課題を解いていれば、控えめに自室の扉が叩かれる。

 消灯前のこの時間に、彼らは決まって毎日ジークハルトの部屋を訪れていた。


 ジークハルトは文机の横にあるベッドの小さな膨らみを見遣り、特に誰何(すいか)することもなく招き入れるために席を立つ。



 課題を解く片手間に繋いでいた左手をそっと離せば、繋いでいた華奢な手はするりと何の抵抗もなく解けてしまう。

 握り返してはくれない小さな手を手離す度に、言い知れぬ不安がジークハルトの心を侵食していくのだ。


 あの月夜には確かにあった手の温もりは、今は本当に微かで、その僅かな温もりさえ、手が離れてしまえばすぐに薄れて消えてしまった。





 扉を開ければ、するりとアロイスが隙間から身を滑らせ、エルンストも後に続く。


「ジーク、ニコラ嬢は……?」

 アロイスのお決まりの言葉に、もはや習慣になったように首を横に振ることしか出来ず、ジークハルトは顔を伏せる。


「そう……」

 アロイスとエルンストもまた、沈痛な面持ちで(うつむ)いた。


 呪いの一件から一週間。

 ニコラ・フォン・ウェーバーは未だ目を覚まさない。







 消灯時間になり、アロイスとエルンストを見送ったジークハルトは、灯りを消して寝台に潜り込む。


 そして、生きているのか不安になりそうなほどに冷たいニコラの身体を、今日も抱き締めて眠るのだ。少しでも温もりが移るようにと祈りながら。


 ニコラは元より酷く華奢な身体ではあるが、それでも抱き込めば筋肉のついた男の身体とは違い、柔らかくまろいところもあって、抱き心地は良かったのだ。本人は「そんなはずは無い」といつも否定していたが。


 しかしそれも、今ではすっかり衰弱してしまって、少しでも加減を間違えてしまえば簡単に折れてしまいそうなほどに、日ごと薄く儚くなっていく。


 青く血の気の引いた頬にかかる髪をそっと掻き分けて、祈るように額を合わせれば、ニコラの瞼がふるりと震えた。

 僅かに覗いた深い海色の瞳が焦点を結ぶことはなく、ニコラは掠れた声で「……………ゆ、め?」と囁く。


 ニコラの意識は時折こんな風に、微睡(まどろ)みの中で一瞬の浮上を見せては、また深く深く沈んでいくのだ。


 ジークハルトが小さく頷けば、ニコラは緩やかに藍色の瞳を歪ませて、泣きそうな顔でほんの少しだけ笑った。

「そっ、か」

 そう言ったきり、再び瞳は閉じられる。


 そっと頬を撫でるも、やはり手のひらに伝わる体温は微弱なもので。

 それでもニコラは猫のように少しだけジークハルトの手にすり寄ると、表情をふわりと柔らかく緩ませた。


 ジークハルトはぎゅうっと心臓を握られるような感覚に、ニコラを更に引き寄せる。


「…………夢だと思ってるにしても、無防備すぎるよ。ねぇ、ニコラ」


 自分の顔を見られないように、ニコラの顔を見ないですむように、肩に顔を(うず)める。


「逝かないで、逝くな、お願いだから」


 何よりニコラ自身が生きることを諦めているのが分かるから、ジークハルトは今夜もまた縋るように、弱々しくもニコラを掻き抱いた。






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