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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
最終章 陋劣の果て

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4






 ニコラはアロイスの寝台の上で、静かに式神との視覚と聴覚の共有を切って、彼らが戻って来るのを待つ。


 彼らは一度ニコラの部屋へ寄り道するらしい。ニコラが今手元に欲しい、足りないと思うものをきっと持って来てくれるはずだった。

 




 ニコラは手持ち無沙汰に、ジークハルトの頭を撫でる。

 常ならばサラサラと指通りの良い銀糸は、今は高熱による汗を含んでしっとりと重い。


「ねぇ、ここ、ゲームの中なんですって。ジークハルト様も攻略対象キャラらしいですよ。駆け落ちルートなんかがあるから、あんなに駆け落ちしたがってたんですかねぇ……なんて」 


 ニコラはぐっと唇を噛んだ。

 死んで生まれ変わり、この世界で過ごした十五年間を、ニコラは二度目の人生だと思って生きてきた。


 今更彼らがゲームの中の登場人物だと言われても、ニコラにとって彼らはもう、等身大の人間でしかないのだ。

 怪我をすれば血が出て、心臓が止まれば死んでしまう、生身の人間だった。




 苦悶の表情を浮かべるアロイスの顔を汚す血を拭いながら、ニコラは二人の胸の上にある形代を見遣る。

 残りはそれぞれ二枚きりで、その他はもう、みんな割れてしまった。

 ニコラもいよいよ、腹を括らなければならないのだろう。



 形代が全て割れてしまえば、ジークハルトとアロイスは再び血反吐を吐くのだろうし、ニコラの霊力が尽きて結界が維持出来なくなってしまえば、彼らは死ぬ。

 リミットはすぐそこまで迫っていた。






 十分とかからず、エルンストと式神はアロイスの部屋に戻って来た。

 エルンストの手には、オリヴィアの部屋からくすねて来たらしい、(くだん)のガラス瓶が握られていて、ニコラは式神を無言で見遣る。


 互いの考えていることは手に取るように分かるのだ。

 エルンストにそれを回収させたということは、式神もまた既に覚悟は決めているのだろう。

 




 ニコラはベッドを降り、ふらふらと結界の境界に近付く。


「ごめんね私」


 結界越しに、自分の分身とそっと手を添わせて、コツンと額を合わせた。

 式神は目を閉じて笑う。


「いいよ。式だしね、分かってる」

 ニコラと式神は揃って、寝台の上を振り仰いだ。



 ───十年だ。

 いつだって甘ったるく蕩けた声と表情でニコラの名前を呼ぶ、年上の幼馴染。

 完璧主義の割に、ニコラの前でだけは甘えたになって、無邪気に全幅の信頼をおいて慕ってくる存在に、(ほだ)されないわけがなかった。

 アロイスにだって、罪はない。罪があるとすれば、それはオリヴィアとニコラにある。



 守れるものには限りがあるのだ。

 己の力で全てを救えると過信したことなど一度もない。

 ニコラは今も昔も、手の届く範囲以上には手を伸ばさないと決めていた。

 命の優先順位はとっくのの昔に決まっているのだ。死なせるわけにはいかなかった。

 

 自分とそっくり同じ顔の式神は、励ますようにニッと笑って言う。

「私から言えることは一つだけ。揺れるな」

「ごめん、お願い」

「うん、分かった。任せろ」


 ───今できる最善を。

 ニコラは傲慢にも、命の天秤を傾けた。





 式神のニコラはエルンストからガラス瓶を受け取ると、中身のアロイスの髪を全て捨てて呪言で清めると、その空瓶で蜜蜂をひょいと捕えた。


 呪いの媒体は、呪われた人間しか眼中にない。

 アロイスを狙ってホバリングし続ける蜜蜂の背後から瓶をかぶせて捕まえることは、ニコラの身体能力でもそう難しいことではなかった。



 式神は瓶に軽くかぶせた蓋をズラした隙間から、先程オリヴィアに掴みかかられた時にくすねたものであろう亜麻色の髪の毛を入れると、完全に蓋を閉める。


 ニコラが行ったのは〝呪詛の上書き〟

 これにより被呪者はオリヴィア、呪者はニコラへと塗り替えられた。


 そっと蓋を開ければ、蜂はもうアロイスたちには目もくれず、開けっ放しになっていた部屋を迷いなく出て行く。

 部屋の空気がフッと軽くなる。

 これから蠱毒の向かう先は、オリヴィアの元なのだろう。


 蠱毒とは、生き残るための生存本能が土台にある。あの蜜蜂はただ生き残るために、密閉空間の中に入れられた相手を殺しに行くのだ。





 呪いの基本は、呪いの媒体自体を破壊か焼却がセオリー。

 だが、媒体にあたる蜂をエルンストが斬っても、呪いは終わらなかった。

 エルンストが蜂を殺せなかったのは、恐らくあの蜂を殺す資格を、瓶の外にいるエルンストが持ち合わせていなかったから。


 蠱毒とは、あくまで生存をかけた殺し合いだ。

 あの段階で蜂を殺す資格は、瓶の中に入れられたアロイスと、彼と夢で繋がっていたジークハルトの二人しか持っていなかったのだろう。





 そして今新たに、あの蜂を殺す資格は、瓶の中に入れられたオリヴィアへと移った。


 ニコラとしては、あわよくば彼女があの蜂を殺してくれることを願うが、アレは既に被呪者に近付くだけで血反吐を吐かせるほどの禍物に成っている。おそらくは無理だろう。

 ニコラは静かに目を伏せた。



 被呪者であるアロイスが死んでしまえば、蠱毒は報いとして彼女に必ず立ち返る。

 ニコラがアロイスたちを無限には守り通せない以上、どの道オリヴィアが助かる方法はなかったのだ。


 そして、オリヴィアの呪殺が終われば、あの蜂はニコラを殺すために戻って来る。

 人を呪わば穴二つ。法則からは逃れられない。

 



「おい、ウェーバー嬢。そろそろ説明してくれ!」


 完全に蚊帳の外に置かれたエルンストが苛立たしげに催促するが、ニコラは敢えてそれを無視して、端的に今後の指示を伝えていく。


「あの蜜蜂はもうすぐ、こちらに戻って来るでしょう。そうしたら蜂を殺してください。それでこの呪詛は終わります。今度はエルンスト様でも殺せるはずです」


 呪いが成就し報いが呪者に返れば、蠱毒はいったんフラットに戻る。

 資格云々が関係なくなれば、今度はエルンストでも蜂を殺せるはずだった。


「……分かった」

 ニコラはアロイスとジークハルトを振り返る。


「二人を看病するなら、高熱には解熱剤や氷枕を。悪寒があるようなら暖めて。そんな感じの対症療法でかまいません。すぐに快方へ向かうはずです」


 机の上の万年筆と羊皮紙を失敬して、さらさらと走らせる。

 カタカタと手が震えるのを左手で押さえ込んで、梵字を幾つか記した。


「こういう文字が書いてある紙を、式神が私の自室から持って来たはずです。それを枕の中に仕込んであげて下さい。似たような文字がたくさん混ざっているかもしれませんけど、間違えないで下さいね」


 ニコラは普段、自分自身が見ればひと目で分かるため、作り置きしている呪符は効能ずつに仕分けたりはしていない。

 ニコラの性格上、きっと式神はそれらを全てゴソッとまとめて持って来ているに違いなかった。






 ゾクゾクと、高熱を出した時のような悪寒が走り出す。


「あぁそれと、ウィステリアの匂い袋(サシェ)の予備も多分持って来たんじゃないかと思います。それも二人の枕元に置いて下さい。無いよりマシでしょう」


 式神は手に持つ鞄を指差して、エルンストに向けて掲げて見せた。

 エルンストはぎゅっと眉間にしわを寄せ唸る。


「一気に喋るな覚え切れん! 大体アレが戻って来るんだろう!? そんなのは全部終わってからでもいいんじゃないか!?」


「……それじゃ、遅いんですよ」


 部屋の空気がまた変わった。

 空気の流れも、温度も。

 ──────来た。





 穴が空いた人型の紙は、パサりと力なく重力に従って落ち、端から火がついたように焦げ落ちていく。

 自分の姿を模した自立思考する式神は、自分の分身。ダメージもまた、ほとんど等価だ。


 せり上がる嘔吐感と悪寒、鼻に抜ける鉄錆の臭い。

 抑えた手の隙間からボタボタと生温い鮮血が(ほとばし)る。

 



 なんだか無性に手を握っていて欲しくて幼馴染に手を伸ばしたけれど、綺麗なものを汚してしまうのは少し躊躇われて、その手は宙を彷徨(さまよ)った。

 ぐらりと視界が揺れる。力を失ったのは伸ばした手が先か、身体が先か。


 きっとたくさん悲しませてしまうだろうから「ごめんなさい」と言おうとして、開けた口からはこぷりと血が溢れ出た。





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