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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
五章 人を呪わば穴三つ四つ

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 ニコラはスプリングの効いたベッドの最も上座に座り、なんとも珍妙な絵面を見下ろす。


 ニコラの膝元のすぐ下にはひとつの枕があり、枕をシェアして眠る青年が三人、ほとんど隙間もなく川の字で眠っていた。


 彼らは小指を赤い糸で繋いで、利き手には実用的な剣を握り込む。

 さながら何かの儀式の祭壇のようにも見える何とも奇妙な光景に、我ながら思わず失笑してしまう。


「これ、今もし誰かがこの部屋に踏み込んで来たら、どうなるんだろうなー……。どう考えても、もっと変な噂が出回るよなー」


 ニコラはぼんやり呟いた。





 徹夜明けのアロイスとジークハルトはと言えば、目を瞑るとものの数十秒で深い眠りに落ちた。


 眉根を寄せ、表情は険しいながらも規則的な寝息を立てる二人の胸の上に、それぞれの名前を書いた形代(かたしろ)を三枚ずつ置いてやれば、早速アロイスの形代にピシッと小さな傷が入る。

 蜘蛛の爪が掠りでもしたのだろうが、完全に割れてしまうまでは大丈夫かと目を外す。


 そんな二人の傍らで、エルンストは一人、むくりと身体を起こしていた。

 エルンストはアロイスを挟んだ反対隣に眠るジークハルトの強ばった寝顔を見下ろして、静かに顔を曇らせた。


「……閣下は、殿下の夢の中へ行けたのだな」


 丁度、ジークハルトの胸の上の形代も一枚、ピシリと腕に亀裂が入るのが見えて、ニコラも「そうみたいですね」と小さく相槌を入れた。



 夢に入れなかったのなら、繋いでいても仕方がないからと、ニコラは体を伸ばしてアロイスとエルンストの糸の繋がりを解いてやる。


 エルンストはのろのろと寝台を降りると二人を見下ろし、それっきり黙り込んでしまった。


 ニコラはそんなエルンストからも視線を外して「さて、私も妨害を始めましょうかねー」と独り言を呟いて、にやりと笑う。






 ニコラが枕の中に手を入れゴソゴソと探っても、アロイスとジークハルトは全く目を覚ます兆しも見せない。

 指に掠ったその羊皮紙を、ニコラは掴んで引っ張り出す。言うまでもなく、それは例の死骸を折り畳んで包んだ、アロイスの姿絵だった。


 羊皮紙越しとはいえ、死骸を包んでいると思うと触りたくないという気持ちは拭いきれないが、そこはぐっと飲み込んで、ニコラは羊皮紙ごとびたんと自作のドリームキャッチャーを押し付けてみる。だが、


「あ」


 網目の白い糸の部分は途端に黒く染まり、ブチブチとちぎれていってしまう。


 ニコラは片眉を上げて「ほーん?」と呟いて、それから自覚的に悪どい笑みを浮かべた。


「残念ながら作ったドリームキャッチャーはひとつじゃないんだよなぁー? うぉりゃうぉりゃうぉりゃうぉりゃー」


 ニコラはサイドテーブルから、ごそっと五個ほどまとめてドリームキャッチャーを掴み、それらで羊皮紙ごと(はさ)んで揉んでやる。

 一、二個は糸が切れたが、全てが切れるということもないので効果は一応あるのだろう。



「こちとら授業中も無心で量産したんじゃ喰らえ喰らえ! 追加じゃおりゃー!」


 徹夜でハイになったテンションでどんどんドリームキャッチャーを追加で重ね、ワシワシと挟んでいれば、非常に物言いたげなじっとりとした視線を感じて顔を上げる。


「……何ですか。徹夜明けでテンションおかしいんですよ文句ありますか」

「…………いや」


 だが、返された何とも歯切れの悪い反応に、ニコラの方が調子を乱されて、きょとんと目を瞬いてしまう。

 普段は全ての語尾に『!』が付きそうなほど暑苦しいのに、今日はなんだか妙に(しお)らしいのだ。


 いつもの暑苦しさならば邪険にしても心が痛まないが、今日のエルンストはなんだか叱られた後の犬を放置するようで若干気が引ける。ニコラは渋々と水を向けた。


「……何か言いたいことや聞きたいことがあるなら、聞きますよ」


近くでジメジメとキノコを生やされていれば、こちらとしても落ち着かなかった。




 エルンストはハッと顔を上げて、それから迷子のようにうろうろと視線を彷徨(さまよ)わせる。

 それからアロイスの包帯を巻いた腕に目を落とし、口を開いた。


「俺の目の前で、殿下は負傷されたんだ……。二人しか乗っていない馬車の中で、俺の目の前で、殿下は夢に(うな)されて、そして目を開けられた時には怪我を負われていた。曲者の姿など、何処にもなかった、!」


 グッと眉間に皺を寄せ、エルンストは低く唸る。


「この前だってそうだ……。俺は確かにお前と手を繋いで一緒に廃墟に入ったのに、気付けば俺は一人で屋敷の中にいた……。屋敷中を何時間も探し回ったんだ。温室だって探したはずなのに、お前と閣下はひょっこり殿下を連れて戻って来た……」


 エルンストは悔しげに唇を噛み、胸の内を吐露する。


「今もそうだな。殿下の御身が危ない時に、いつも傍にいられないのは、俺についているという守護霊とやらがいるからか? それなら、そんな守護霊などッ……!」

「こらこら、滅多なことを言っちゃ駄目ですよ」


 ニコラはとうとう割れてしまった三枚のうちの一枚をベッドの下に放り捨て、新しい形代にアロイスの名前を記しながら、首を振って片手間に諭す。


「エルンスト様の守護霊は本当に強い。エルンスト様がもし夢の中に入れていたら、多分この上なく殿下の役に立ったんです。エルンスト様のハイパー強い守護霊がいるだけで、かなり状況は好転したでしょうし、何よりエルンスト様自身の戦力も加われば、こんな悪夢、すぐに終わったと思います」


 エルンストは夢を渡れない可能性が高かったので口にはしなかったが、極論、アロイスは夢の中でエルンストの背後に隠れてさえいれば良かったのだ。

 エルンストを守る強力な守護霊は、結果的に巡り巡ってアロイスを守ったことだろう。


 ニコラには正直武術のことはよく分からないが、それでもジークハルトに敵わないと言わしめるほどの剣の腕だ。

 エルンストも一緒に夢を渡れていれば、ものの数分で蜘蛛退治は遂行出来たかもしれなかった。

 ダメ元でも彼を巻き込もうと思ったのは、エルンストの守護霊と戦力がそれだけ魅力的だったからだ。




「今回、エルンスト様が夢を渡れなかったのは、守護霊のせいなんかじゃありません。エルンスト様自身の問題です」

「俺、の……?」


 ニコラは手遊みにドリームキャッチャーサンドをぎゅむぎゅむと弄びながら、エルンストを見上げて核心をついた。


「エルンスト様は、目を閉じているから、当然なんですよ」


 ジークハルトの胸の上、ほとんど割れかけの形代の一枚を補充しながら、ニコラはエルンストを見据えた。


「エルンスト様は、まだこっち側の世界を拒絶しているんです。心の中ではやっぱり、目に見えないモノなんて存在しないと思っているんですよ。だから、見ようと思っていないもの、信じてないものをいくら目を凝らしても、見える訳ないし、触れる訳もない。……だって目を閉じているんだから」

「………………」


 エルンストは俯いて、握ったままになっていた、出番のなかった長剣をぐっと握り締める。


「でも、世の中には、世にも奇妙で不思議なこともたくさんあるんですよ。案外ね」


 ブチッと糸が切れたドリームキャッチャーを片目に(かざ)して穴から覗き、ニコラは苦笑した。




 エルンストの守護霊は今までずっと、そういった妙なモノからエルンストを遠ざけ続けて来たのだろう。

 だから彼の周りでは不可思議なことなど何も起きなかったし、エルンスト本人もこうして現実主義者として育った。


 だが、エルンストはここに来て立て続けに、アロイスの神隠しであったり、アロイスが目の前でひとりでに負傷するという、常識では説明がつかない奇妙なことを目の当たりにしている。


 信じる土壌というのは、ニコラとの初対面の頃とは違い、多少は育まれてきているはずだった。



「本当に、殿下を守りたいのなら……。拒絶してないで、その目をカッ開いて、主人を害そうとする存在に焦点を合わせてみたら、いいんじゃないですかね」


「目を、開いて……焦点を合わせる…………」


 それっきり、エルンストは考え込むようにブツブツと呟き始め、もうニコラの声は届いていないようだった。


 やはり、どうにも真面目で堅物。

 それでも、さっきまでの萎らしい様子よりは断然マシだった。




 エルンストに妙なことを吹き込むなと抗議しているつもりなのか、エルンストの背後ではペッカーーーーーッ!と目を灼きそうなほど守護霊が激しく光り輝いている。

 それでも、本人が知りたいと望むなら別に良いではないかと、ニコラはそっぽを向いた。


 どうせこちら側と関わったとしても、この守護霊を突破出来るモノなど居ないのだから、問題あるまい。





 ふと見下ろせば、二人の瞼は同時にふるりと震えるところだった。

 強ばっていた表情も眉間のしわもふっと柔らかく緩んで、どうやらあちらも終わったらしいと気付く。

 ニコラもホッとひと息ついた。


「エルンスト様、どうやら終わったらしいですよ」

「そ、そうか……」



 あとは、アロイスとジークハルトの繋がりを解くだけ。

「えーんがちょ、なんてね」


 ニコラが身体を伸ばして糸に手を伸ばした丁度その瞬間に、突然二人の胸上の形代たちがバキバキと派手な音を立てて割れていく。


 ジークハルトの制服のポケットからするりと式神がこぼれ落ち、自発的に顕現(けんげん)した。



 ドッと心臓が跳ねる。脂汗が滲む。

 込み上げる吐き気を押さえ込んで、ニコラは震える手で素早く印を結ぶ。


 咄嗟ながらも何層にも結んだ結界の最も内側で、アロイスとジークハルトは血反吐を吐き、寝台の上で身体を折った。





 ───蜂と、目が合った。





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