6
ジークハルトに手を引かれて走り、角を曲がれば、すぐにそれと分かる建物が目に入る。
ごみ置き場は、煉瓦を積み上げただけの非常に簡素な小屋だった。
その隣には同じく煉瓦造りの、大きな竈のような焼却炉のような、なんとも形容し難い建造物がある。
恐らく小屋にある程度ごみを貯め、隣にある大きな竈のようなものでまとめて焼却しているのだろう。立派な煙突がついているし、月明かりの下でも煤けているのが分かる。
この一帯だけは草木や植木もなく、窯炉の隣には薪が大量に積んであるので近付いた。
「ジークハルト様、得物使います?」
「さすがに鋏を相手に丸腰は避けたいね。借りようかな」
比較的長く細いものを手に取り、ジークハルトは何度か軽い素振りすると、得物を定めたようだった。
「じゃあ、小屋で待ち伏せしましょうか」
小屋の中は、外観から想像するに違わぬ、ただの四角い空間だった。
休日に焼却したばかりなのかごみは案外少なく、覚悟していたキツい悪臭もほとんど無い。
扉を閉めてしまえば、光源は採光窓と換気口から入る月光ばかり。
それでも今日が満月だからか、何も見えなくなるほど暗いわけではなかった。
ニコラはジークハルトの持つ薪に『金剛符』と書いた呪符をぺたりと貼り、ジークハルト自身には『封』と書いた呪符を手渡す。
「完全に四肢も頭も胴も破壊してしまうか、隙を見てこのお札をあの子の身体に貼るか、どちらかで大丈夫です。巻き込んでおいて今更ですけど、お願いできますか?」
ジークハルトは「任せて」と不敵に笑む。
いつも学院内ですれ違う彼が浮かべているような、それこそ人形じみた微笑よりずっと年相応で好ましい笑みに、ニコラもまた頷いた。
───コンコン。
戸を叩く音は、やはり足元から聞こえてくる。
ニコラは扉のドアノブを掴み、扉の死角に隠れた。ジークハルトも薪を両手で構え、扉の斜め前に立つ。
顔を見合わせ頷き合って、ニコラは扉を勢いよく開けた。
足元からとんでもない跳躍を見せたその西洋人形は、両手で裁ち鋏を構え、真っ直ぐにその切先をジークハルトの目に突き立てようとする。
だがジークハルトは薪の一振りの元、それを軽々と弾き飛ばした。
小屋の壁に叩き付けられたビスクドールには筋肉もバネもない筈なのに、やけに機敏に起き上がるので、ニコラは敬意を込めて「チャッキーか」と呟いてしまう。
だが、決着は映画のような劇的なものではなく、拍子抜けするほどあっさりと勝敗は着いてしまうもので。
ビスクドールが裁ち鋏を振りかざす先は、終始徹底してニコラだった。
初撃以外は執拗にニコラばかりを狙い続ける人形を、ジークハルトは人形より遥かに長い腕と武器でいなすのだ。はなから勝負になるはずも無い。
弾き飛ばすこと数回、人形の手から裁ち鋏が零れた瞬間に、ニコラは裁ち鋏を蹴り飛ばし、ジークハルトは『封』の呪符をビスクドールの顔面に貼り付ける。
ビスクドールは最後に四肢をびたんと跳ねさせ、それからぷつりと糸が切れたように動かなくなった。
「ありがとうございました」
「役に立てたなら良かったよ」
ジークハルトは息すら乱さず、嬉しそうにあどけなく笑った。
やがて、動かなくなったビスクドールを掴んで片手持ち上げようとして、ニコラは思わず体勢を崩してしまう。
「え、重っ!?」
ビスクドール───磁器製人形ということを差し引いても、ソレは想像以上に重量があり、貧弱なニコラでは片手で持ち上げることも難しい。
両手でズリズリと煉瓦の窯炉の前まで引きずったニコラは、「ゴメンネー」と形ばかり謝ってから、その頭をむんずと掴む。
捻じりながら引っ張ること数秒、ゴキっと音を立てて、頭は外れた。
ジークハルトが隣からドン引きしたような顔を向けてくるが、黙殺する。
人形の首から覗くのは、ぎっしりと詰まった麦。
「何だこれ……」
足首を両手で掴んでひっくり返し、わっさわっさと振ると、胴いっぱいに詰め込まれているらしい麦がザラザラザラザラと重力に従って落ちる。
一緒にベルベットのドレスがべらりと捲れ、その胴が赤い糸で腹巻きのようにぐるぐる巻きにされていることに気付く。
ニコラは何となく嫌な既視感を感じて、表情が強ばった。
「……ジークハルト様、さっきの裁ち鋏、持って来てくれませんか?」
二つ返事ですぐに手渡されたその裁ち鋏で赤い糸を切って行けば、どうやらその人形は磁器の腹部がかち割られているようだった。
赤い糸を幾重にも巻き付けることで、ぽっかり空いた割れ目に蓋をしていたらしい。
ニコラの眉間にはますます皺が寄る。
「ひとりかくれんぼの亜種かこれ……?」
ニコラはボソリと呟いた。
ひとりかくれんぼ───それは2000年代に流行した都市伝説で、自身で用意した人形とかくれんぼをすることで怪奇現象を体験することが出来るという口コミで、爆発的に拡がった怪談だった。
その、ひとりかくれんぼを始める前の下準備というのが、どうにもこのビスクドールと似通うように思えて仕方がないのだ。
ひとりかくれんぼにおける下準備は以下の通りで、①用意したぬいぐるみに名前をつけ、②ぬいぐるみを裂いて中の綿などを全て取り出し、③綿の代わりにぬいぐるみの中に米を詰め、爪切りで切った自分の爪、あるいは髪の毛か血を入れ、④最後に赤い糸で裂いた部分を縫い合わせ、糸はある程度の長さをぬいぐるみに巻き付けて括る、というもの。
この人形に名前があるのかは分からないし、磁器製人形である以上縫い合わせることも出来ないが、なんともひとりかくれんぼを彷彿とさせる部分は多い。
ニコラは無言で顔をしかめた。
詰められていた麦は全て出尽くしたのに、人形を振ればまだカサカサと音がする。
ニコラはそうっとその割れ目に指を突っ込み、中を検める。
指先に触れた、折り畳まれた紙片を引っ張りだしてそれを開いたとき、ニコラは不覚にも息を飲んだ。
それは、小さな分厚い羊皮紙だった。
王立学院の制服を着た黒髪の少女の肖像画で、裏面を見れば他ならぬニコラの名前と生年月日が記されている。
手のひらサイズの紙片に肖像画を描かれる機会など人生においてそう何度もあるものではない。入学時に提出させられた姿絵だとすぐに分かる。
ジークハルトがそっとニコラの肩を抱いた。
「誰がこんな、陰湿な…………」
ジークハルトが「陰湿」と表現するのも分からなくはなかった。
ニコラの姿絵は、顔の辺りがナイフか何かでぐちゃぐちゃに切り裂かれていたのだから。
不幸を祈る手紙なんぞよりよっぽど明確にニコラを呪おうとする意思に、少しだけ背筋が寒くなる。
正直、ジークハルトの温もりはありがたい。ニコラは肩に乗った手をきゅっと握り込んだ。
それにしても「陰湿」その通りだった。
漠然と浮かんだイメージを表現するのに丁度いい言葉を探しながら、ニコラはうろうろと視線を彷徨わせた。
「……何かこう、そこはかとなく、こう…………?そう、嫌らしさに日本的な湿度を感じる、というか……」
口に出してしまうことで、その考えはより鮮明になってしまい、ニコラは瞠目した。
脳裏に過ぎる考えに蓋をして、ニコラはバチンと両頬を叩く。
「うん、燃やそう。燃やすに限る」
まるで放火魔のような台詞を呟きながら、ニコラは勢いよく立ち上がった。
ニコラはジークハルトにも指示を出しながら、薪を窯炉の前で井桁型に組んでいく。
出来上がったのは、さながら小さなキャンプファイヤーの土台のようだった。
その中心に人形を添え、庭師が剪定したらしい枝をザクザクと突き刺し、最後にマッチで火を付ければ、それは瞬く間に激しく燃え上がる。
「火って古今東西、破壊と再生の力があると言われいて、不浄を浄化して清浄なものへと変える力があるんですよねー」
───あぁァあああぁぁああああアあぁァァぁぁあああアアアあああああぁぁァッ!
火中の人形からこの世のものとは思えない断末魔が響き渡るが、ニコラは静かに目を伏せるだけで、同情はしなかった。
「……少しだけ、小さい頃を思い出したよ。ニコラに出会う前は、よく人形も動いていたような気がする。いつの間にか忘れてしまっていたけれど」
火を見つめながら、ジークハルトが小さく呟いた。
「まぁ、人形というのは元々念が込もりやすいですからね。頭があって、両手両足があるのに、中身が空洞なんですもん。今回みたいに誰かを呪おうとしていなくても、勝手に動き出すことだって、珍しくありませんよ」
「もしかして、昔うちの屋敷にあった妹のビスクドールたちも、ニコラが何とかしてくれていたのかな」
「…………えぇまぁ」
ニコラは初めてアーレンベルク邸を訪れた時のことを思い出す。
それはもう、とんでもない化け物屋敷になりかけていて、ニコラは頭を抱えて発狂しそうになったものだった。
「一体一体こっそり頭を外して、片っ端から呪符をねじ込んでやりましたよ」
「道理で頭を外す作業が手馴れてると…………今更だけど、ありがとう」
ジークハルトはふにゃりと整い過ぎた相好を崩す。
だらしなく緩み切った顔を引っ張ってやろうとして、いつもの隙のない仮面のような微笑よりマシかと、ニコラは鼻を鳴らした。
「あぁ、そういえば」
ニコラはごそごそとポケットを漁り、不幸を祈る手紙を最後にその焔のてっぺんに焚べる。
もう断末魔さえ上げなくなった人形の上に落ちたその紙片もまた、端から焦げ落ちて、ほろほろと崩れて行った。
「ジークハルト様、人を呪ったりすることだけは、しないでくださいね。人を呪わば穴二つ。誰かの不幸を望めば、その不幸はそっくりそのまま、必ず自分に返ってきます。法則からは逃れられません」
「…………この人形の送り主も、かい?」
「それは…………残念ながら、いいえ」
ニコラは揺らめく炎を見下ろして首を振る。
「呪いは、成就した時点で報いとして跳ね返ります。この人形は私を害せなかった。成就しなかったので、呪者に跳ね返ることはありません」
「そう……ニコラの不幸を願うような人に報いがないのは、少しだけ残念だけれど。分かった、私は人を呪ったりしないよ」
「そうしてください」
そう忠告はしつつも、正直な所、ニコラはそこまで心配はしていなかった。
望まぬ好意を向けられては、人の負の面ばかりを怪奇現象としてその身に受け続け、それどころか神様や妖精にもちょっかいをかけられてしまう幼馴染を、ニコラは静かに横目で見上げる。
それでもジークハルトがそういうモノたちを一度も恨んだことがないことを、ニコラは知っていた。
何だかんだでお人好しなのだ。だからこそ、この先何かを呪うこともないのだろうと、ニコラは無条件に信じられる。
気付けば妖精が数匹寄って来ていて、炎の周りを楽しげに飛び回る。
光る鱗粉と揺らめく焔がきらきらと光って、とても綺麗で。
それを見せてやりたくなって、ニコラの方から手を握ってやれば、目を見開いて息を飲んだジークハルトは子どものように目を輝かせて、「綺麗だね」と笑った。
♢ ♢ ♢
次に眠った時が最期かもしれない。
そう思うと居てもいられなくなって、夜通し歩いていれば眠らずに済むだろうかと、ふらふらと寮を抜け出した。




