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 そうしてようやく新入生の入学式典を終えたその日もまた、ジークハルトは背後から声を掛けられた。

 それは鈴を転がすような少女の声で、決して大きな声量でもないのに凛として響く。


 差し込む夕陽が石畳の回廊を(だいだい)に染め上げる中、ジークハルトは足を止めた。二年生以上の生徒はこの日は休みで、すれ違う者もない。


「先程は案内してくださってありがとうございました。あまりに広くて迷ってしまって……」


 またか、と内心では思いながら、ジークハルトは立ち止まる。学内で迷ったのであれば、恐らく新入生なのだろう。


 彼女は「先程は」と言ったが、式典終了後には講堂の後片付けがあり、彼は新入生に道案内などしてはいないのだから、またいつもの自分ではない誰かの仕業に違いなかった。


 だが、それを新入生に説明して困惑させるわけにもいかない。言ったところで得られるのは理解ではなく不可解だけだろう。


「どういたしまし──」


 仕方なく笑みを貼り付け振り返りかけて、ふとその声に引っかかりを覚える。


 なんて、冗談ですが。


 少女が続けて(こぼ)した呟きを拾った瞬間、ジークハルトは恥も外聞もかなぐり捨てた半泣きの形相になって、少女と一気に距離を詰め、自身よりひと回りもふた回りも小さな体躯(たいく)を掻き抱いた。というよりしがみついた。


「ニコラ……!ニコラだ本物だ!会いたかった!」


 鼻をすんと鳴らせば、真新しい制服の匂いと彼女自身の甘やかな香りが鼻腔に広がる。豊かな黒髪が鼻先に触れてくすぐったい。


 少女の名前は、ニコラ・フォン・ウェーバー。ジークハルトの年下の幼馴染にして、最愛の女性だった。


 常ならば、彼女の声に気付けないなどという情けないミスをする筈がないのだ。

 改めてジークハルトは、自分がかなり精神的に参っていたことを自覚する。


「相っ変わらずちょっと目を離した隙に、ドン引きするほど厄ネタを引き寄せて来ますね。お()かれ様です勘弁してください本当に」


 心底呆れた、面倒くさいと言わんばかりの声音で不機嫌を示す少女に、ジークハルトはどうしようもなく安堵する。


 これこそが彼女の平常運転で、慣れ親しんだぞんざいな扱いにホッと息をついてしまえば、恐怖はあっという間に霧散していくのだから幼馴染効果は凄い。





「……あぁ本当に、どうして私たちは同じ学年に生まれなかったんだろうね。君の入学をどれだけ待ちわびたか……!」


 ジークハルトは口を尖らせる。

 二人の幼馴染の間には、決して縮まらない二歳分の(へだ)たりがあった。

 王立学院は十五歳から入学が許可されるため、ジークハルトは彼女の入学を二年間も心待ちにしていたのだ。


「知りません。そんなの十五年前に私をこさえた両親にでも言ってください」


「ぅ……義理の両親になる方々にそれは流石に言いづらい…………」


「そうなることは未来永劫有り得ないので問題ありません。どうぞ遠慮なく面と向かって仰ったらよろしい。……というかまだ諦めていなかったんですか?」


「当たり前だろう!」


 彼女にしがみついたままガバリと勢いよく顔を上げれば、想像以上に顔が近くにあって、互いに思わず息を呑む。

 鼻先が触れ合いかねない距離にニコラの顔があって、ニコラは「ぅぐ近、顔良……目が潰れる……」などと妙な(うめ)き声を上げる。



 ジークハルトとしてはニコラの深い海色の瞳をもっと覗き込んでいたかったのだが、それが叶うことは無かった。

 彼女に乱暴に押し放された上、頭をぐいぐいと容赦なく押さえられて無理やり(うつむ)かされたからだ。


「ニコラ、痛いよ」

「こっち見ないでください顔面宝具」


 そんな他愛もない小競り合いを繰り広げていれば、いよいよいつも通りの調子を取り戻せた気になって、ジークハルトの口角は久方ぶりに上がる。


 それを見届けたからか無関係なのか、ニコラはすんと真顔に戻って口を開いた。



「それで、何なんです? 妙なモノが徘徊(はいかい)していると思えば、いやに見覚えのある顔面を貼り付けているし」


 同年代の女性と比べたとしても酷く小柄な体躯のニコラではあるが、腕を組み仁王立ちすれば貫禄と凄みが一段と増す。

 ジークハルトはおずおずと答えた。


「…………どうやら、私ではない私がいるらしいんだ」


 それから、初めて気付いたのは二週間程前であること、次第に目撃頻度が高くなっていることなどを(つまび)らかに話す。

 ニコラはそれを、相槌すら打たずにひたすら黙して聞いていた。


 最後に彼女は(おとがい)に白く美しい手を添えて「ふぅん」とだけ呟く。


「『彼』は私の振りをして、一体何がしたいんだろう……」


 愚痴っぽいため息を零して呟けば、一切の表情を削ぎ落としたニコラがこちらをじっと見上げていた。


「真似するだけじゃ、満足出来なくなったんでしょう。違いますか?  ねぇ〝何者にもなれない誰かさん〟」

「え?」


 ひたりと深く蒼い双眸に見据えられ、ジークハルトはトンと指で胸元を押されて僅かかによろける。

 人通りは相変わらず無い。


 (だいだい)だった西陽はいつの間にか朱を通り越して赤黒く染まり、石造りの回廊に影を落とす。

 二人しか居なかった廊下に、カツリカツリと靴音が響く。

 三人目の靴音は、ジークハルトの背後から聞こえた。




「ニコラ、そいつから離れて。そいつは偽物だよ」

「は、」


 ジークハルトは耳を疑った。

 背後から聞こえるのは間違いようもなく自分の声だったからだ。しかも、その偽物はジークハルトこそが偽者なのだと言う。


 言葉の意味が耳と脳を上滑りして、何を言っているのか理解が出来なかった。


「何を言って、私は、私が……」


 自分こそが本物。それは本来疑う余地もないはずのこと。

 だが、偽物を目撃した学院の誰も彼も、ソレがジークハルトではないと気付くことはなかった。


 もしも、ニコラまでもが背後の偽物を本物だと信じてしまえば、偽物になるのは自分の方なのだろうか。


 そう思い至ってしまえば、血の気は瞬く間に引いていき、末端から体の芯まで凍えるような心地がして、くらりと目眩(めまい)がする。


 まるで地面が液状化したように思えて、足元さえ覚束(おぼつか)なくなる。呼吸がだんだんと浅くなっていき、息苦しい。



「ニ、ニコラ……」


 (すが)るように目の前のニコラを見るも、彼女はジークハルトの方を見てはいなかった。

 彼女はジークハルトの背後をじっと凝視して、それからうっそりと笑みを深くする。


 恐る恐る振り向こうとすれば、それは他ならぬニコラから伸びてきた手によって制せられて。


「振り返らないで」


 両頬に白く柔い手を添えられ小さく囁かれて、心臓が跳ねる。普段ならばどぎまぎしていたであろうが、それよりも背後が気になって仕方がなく、素直に喜べない。

 

「やけにチョロいな……。本物の方を偽物だと疑ってみせれば、ダメ元でおびき出せるかなーとは思ってはいたんですが、まさか本当に釣れるとは」


 ジークハルトの背後を見据えたまま、少女は小さく肩を竦めて「わざわざもう一度捜す手間が省けて良かった良かった」と呟く。


「そういうわけで、茶番は仕舞いですよ。下手くそ」


 ニコラは煽るように、(あざけ)るように、不敵な笑みを浮かべて彼の背後に向かって言い放った。


 だが背後の声は尚も言葉を重ね、本物は自分の方だと言い募る。


「ニコラは騙されているん、」

「そんな三文芝居に騙されたりしませんって。だいたいこの人に成り代わりたいなんて、被虐趣味もいいとこなのに……」


 彼女は背後の声を乱暴に遮って、やれやれと呆れたように肩を竦めた。

 ジークハルトはこの時ようやく、ニコラが背後の気配の方を偽物だと判断しているのだと理解する。


「とりあえず、お前にこの人は務まりませんよ。〝茶番は仕舞い〟二度も言わせるな」


 瞬間、背後の気配がぬるりと禍々しいものに変わった。急激に体感温度が下がっていって、かちかちと歯の根が合わなくなる。




 狡 ィ ズ る ィ

 い イ ナ ぁ 、欲 シ イ な ァ

 そ ノ 居 場 し ョ

 ち ょ ウ ダ ぃ ?




 聞こえてきたのは、もはやジークハルトの声とは似ても似つかなかった。

 ぶわりと冷や汗が噴き出して、ガタガタと震えが止まらない。


 縋るように目の前のニコラを見れば、彼女はジト目ながらも背伸びをして「ハイハイ大丈夫、大丈夫ですから」と雑にジークハルトの頭を撫でる。


 だが、想い人に撫でられたところで恐怖の根源たる背後の気配は消え去っていないのだ。


 それでも震えが収まらないのを見てとったニコラは、心底面倒臭そうに嘆息してから、ジークハルトの手をぐいと引いた。






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