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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
四章 箱の中の肖像

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7






 一階の突き当たり。

 そこには、薄汚れてはいるものの瀟洒(しょうしゃ)な扉があった。

 白かったであろう塗装は大半が剥がれ落ちてしまっているが、扉の真ん中に嵌め込まれたステンドグラスだけは、埃でくすんではいるものの鮮やかなものだった。


「多分、この先に神様が居ます」

 両隣から、ごくりと生唾を飲む音が聞こえる。


「行きますよ」

 繋いでいた手を解き、ゆっくりと扉を押し開ける。





 そこは、本館と扉ひとつで隣接した、かつてはガラス張りだったであろう温室だった。


 ガラスを支えていた骨組みは残ってはいるものの、その骨組みは数十年に渡って手入れもされず野放図に育ったウィステリアの添木となっており、骨組みの間を埋めていたであろうガラスは全て内側に破片となって散らばっている。



 正方形が連なるハーリキンチェックタイルの床の所々には、縁石で区切られた花壇があるものの、植物は何一つ育ってはいない。


 それもそのはず。

 何せ日光は生い茂るウィステリアの葉によってほとんど遮られ、温室の中まで届いてはいないのだ。

 かつて花壇に植えられていた植物もとうの昔に枯れ果て腐り、土に還ったのだろう。




 ハーリキンチェックのタイルも無惨なものだった。

 かつては一分の隙もなく敷き詰められていたであろうそれらは、地中から根を伸ばしたウィステリアの隆起により、ところどころ無様に掘り返され、モグラに荒らされたかのように浮き上がっている。


 そんな惨憺たる状態の温室の内、葉の隙間から細い線状に降り注ぐ幾筋の光に照らされる中、その女神像は鎮座していた。

 その光景は退廃的ながら、どこか幻想的な雰囲気を纏う。


 誰も何も言わずとも、神様が何を求めているのか、三人全員が理解していた。





 朽ちかけた温室の中、タイルを掘り返してなお伸びようとする(つた)が絡まり巻き付いた、女神の石膏像に三人は近寄る。

 台座を除けば一メートルにも満たない小さな女神の立像に這う蔦を、ニコラはするりとなぞった。


 台座は既に巻き付く蔦でギチギチと締め上げられ、ヒビが幾筋か走っている。

 立像の本体に這うのはまだ青く細い蔦だが、未来は想像にかたくない。巻き付かれた側に意識があれば、たまったものではないだろう。





「メアトル神。豊穣の神様だね。転じて商売繁盛の神様でもある」

「……流石ですね」


 隣に立つジークハルトを見上げて、ニコラはほうと息をつく。

 ニコラとて神様の怒りを買うのは怖く、この世界の神話は一通り覚えてはいるものの、それが彫像となると話は別だった。

 全部同じように見えてしまって見分けがつかないのだ。

 こういう時、ジークハルトの一度見たものは忘れないという無駄に高性能な頭脳は羨ましい。




 だが、確かに言われてみれば確かにその女神像は胸に穀物のようなものを抱いていた。


 豊穣と商売繁盛。稲荷神社に祀られる宇迦之御魂神と似たような職能のメアトル神は、民衆の生活に直結する分、かなりメジャーな神様だった。

 有名だけあって、メアトル神を祀る神殿も多かったはず。

 恐らくこの立像もそういった神殿から招請して来たものなのだろう。


「一度神様を勧請したのなら、最後まで祀らないといけないし、それが出来ないのならきちんと御返ししなきゃいけないんですけどね……」


 ニコラは今生きているかも分からない夜逃げした邸の主人にため息を吐いて、腕まくりをする。


「さ、この蔦を剥ぎ取りましょうか」

 ニコラがそう言えば、ジークハルトとアロイスも「そうだね」と頷いた。







 蔦を切る人間、剥ぎ取る人間と三人は手分けして、絡みつく蔦を排除していく。


 アロイスは、ニコラが荷物の中に忍ばせていたナイフを使って蔦を切りながら、ふと呟いた。


「ねぇ結局、この絡みついたウィステリアを払うくらい、誰でも良かったんじゃないかい?」

「確かにこんな作業、ニーカみたいな不思議な力を持っていなくても、誰でも出来るだろうね」


 ジークハルトも手を動かしながら頷く。

 確かに、閉じ込めるのは廃墟を度胸試しに訪れる人間でも良かったのだろう。だが───。



「受け取る側に受け入れる準備がなければ、平行線なことも珍しくありませんよ」


 ニコラは像の衣紋の窪みをつつつと指でなぞる。


「力の強い神様本体ならともかく、こういう小さな分霊なら、目に見えないモノなんて存在する訳がないと信じて疑わない人間を相手にしていても、多分一生平行線でしょう。彼らは無機質に蔦が巻き付いていようと、何とも思わない」


 だからこそ、人ならざるモノと関わったことがあり、その存在を知っているニコラたちは神様に期待されて、神隠しに招かれたのだろう。


「それじゃあ僕たち、かなり割を食うことにならない?」

 口を尖らせたアロイスを、ニコラはじろりと睨む。


「だから言ったでしょう。こちら側に関わらずに生きていけるなら、それに越したことは無いって」

「…………君やジークがあの時言っていたことの本当の意味を、今やっと理解したよ」

「だっからもう手遅れなんだよなぁ……」



 ニコラは肩を落とし、ジークハルトが苦笑する。

 以後は黙々と作業を進め、ナイフで切れる範囲を全て排除し終わるのに、そう時間はかからなかった。






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