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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
四章 箱の中の肖像

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5






 飾り柵から建物まで、庭を横切らない分近いとはいえ、それでも六、七メートルは獣道を進まなければならなかった。


 雑草を払い進み、建物が近付くにつれ、遠目では青々としていたウィステリアの木々の所々に狂い咲きの花房が垂れていることに気付く。

 そんな花房の周りに煌めくモノたちを見つけ、ニコラは目を見開いた。





  まただね。

 めずらしいね

  またきてるよ、

 おともだちが。

 


  くすくす、へんなお面。

 こんなところ、よくくるね。

  よくくるよ。

   ふふふ、ものずき。




 西洋風の文化圏の異世界なだけあって、この世界にはもともと日本より遥かに妖精が多い。

 そんな小さきモノたちが、季節外れに返り咲いた花房に無数に群がっているのだ。


 きらきらと光る鱗粉を撒きながら踊り飛び交う様子はなかなかにメルヒェンだが、だからこそ感じる違和感にニコラは足を止める。




 数年前のこの廃墟は確かに、近くを通っただけで産毛が総毛立つほどの禍々しさを放っていたはずだった。

 こんな風に妖精が寄り付くことなど有り得ないほどに、瘴気を放っていたはずなのだ。


 だが、改めて建物を見ることで、ニコラが以前に感じた、近くを通るだけでゾッと悪寒が走るような感覚が無くなっていることに、ようやく気付く。


 目を(つむ)って感覚を研ぎ澄ませば、弱々しいながらも神々しい気配は今も変わらず在るのが分かる。

 だが、以前通りかかった時に覚えた、背筋が凍るような、ニコラをしても近付きたくないと思わせるような瘴気は、無くはないが薄くなっていた。

 ───残滓(ざんし)、出涸らし、とでも言えばいいだろうか。


「あの禍々しさは、神様が堕ちたからじゃ、なかった……?」

「ニコラ?」


 急に足を止めたニコラを振り返ったジークハルトが不思議そうに首を傾げるので、ニコラは妙な胸騒ぎを一旦脇に置いて、獣道を小走りに走った。






 小さな勝手口を前に、三人はウィステリアに覆われた館を見上げる。


「見れば見るほど、壮観だね……」


 勝手口の周りから僅かに覗く外壁はウィステリアに締め上げられ、節くれだった幹を起点に亀裂が蜘蛛の巣のように走る。建物の悲鳴が聞こえて来そうなほどだった。


 ウィステリア──藤という植物は生命力が凄まじいのだ。

 蔦を伸ばし他の植物を締め上げ、そうして日の当たる方へと葉を伸ばし成長していく。そして、巻きつかれた樹木は最悪の場合、枯れてしまうらしい。


 儚く優美に見えて、その実かなりしたたかな植物なのだ。余談だが、その性質により林業においては有害植物という認識だという。





 ジークハルト、ニコラ、エルンストの順で横並びになっているため、代表して真ん中のニコラが勝手口を引き開く。


 鍵は掛かっていないらしく、ギィーッと不快な音を立てて軋みながらも難なく扉は開いた。


「せーので入口の境界を踏み越えましょう」


 そう言って、ニコラははぐれないように両隣の手を握る。

 片や慣れたようにぎゅっと握り返され、片や不意打ちを受けたようにビクリと跳ねるが、気にせず深く握り込む。


「行きますよ、せーの」


 踏み超えた一歩が床に接した瞬間に、まるで足を踏み外したかのような浮遊感に襲われる。

 前後左右上下、その感覚がブレたような不快さ。ぐらりと揺れる視界。

 無理やり引っ張られるように離れて行く片手の温もり。


「──っ!?」

「っ、なんッ!」


 たまらず立ち止まったニコラの横でジークハルトも踏鞴(たたら)を踏む。

 不快感をやり過ごす間に目だけを動かして周囲を探れば、そこは厨房らしき場所だった。

 入って来た勝手口は既に閉まっており、エルンストの姿はどこにもない。





「やっぱりエルンスト様は無理でしたか」


 ゆるく頭を振って、吐息を吐く。

 ダメ元で背後の扉を開けようとしても、今度はびくともしなかった。ジークハルトが試してみても、結果は同じ。

 さっそく異界にお招きいただいたらしい。


()()()()。ここから先は、不用意に真名を呼ばない方がいいと思います。私の名前はニカでもニーカでも、お好きに呼んでください」

「じゃあ、ニーカと呼ぼうかな。探し人はそうだね……アローでどうだろう」


 怪異と関わってきた場数からか、話が早くて助かる。

 ニコラはこくりと頷いてから、剥き出しの石畳に膝をついた。


 ぺたりと冷たい石床に右の掌を押し当て、囁くように失せ物探しの呪言を唱えて割り出すのは、空間内にある気配の大凡(おおよそ)の場所だ。


 気配のざっくりとした方角を特定するまでに、さほど時間はかからなかった。

 掌についた埃を払いながら、ニコラはすくっと立ち上がる。


「まずはアロー様を回収しに行きましょう。ジーク様も離れないでくださいね」


 目を離した隙に連れて去られでもしたら更に面倒だと声をかければ、のしっと背中にのしかかられる。


「これでいい?」

「いいわけあるか。……重い、歩けん、やめてください」

「私の愛の重さだよ」

「だっる……ほら、早く行きますよ」


 くつくつと笑いながらすぐに離れるあたり、聞き分けは良いが。ニコラはふんと鼻を鳴らす。




 ジークハルトの手を引いて、こじんまりとした石造りの厨房を後にして廊下に出れば、カビと埃の入り混じった実に廃墟らしい匂いが一層強くなって、ニコラは思わず顔をしかめた。


 廊下には赤いカーペットが敷かれていたのだろう。

 だがその上には埃が雪のように降り積もり、ひどくくすんでしまっている。

 窓の外はびっしりと蔓延(はびこ)るウィステリアによって完全に覆われ薄暗い。


 僅かな隙間から幾筋かの細い光が差すことで辛うじて目は見えるものの、そこは非常に閉塞的な空間だった。


「こんな不衛生なところ、早く出ますよ。サクサク行きましょう、サクサク」


 ぐいぐいとジークハルトの手を引くが、とうのジークハルトは恐る恐る歩を進めるため、引っ張るニコラの方ばかりが疲れてしまう。


「大丈夫です。ここには何にも居ませんから」

「嘘だろう……? こんないかにもな場所なのに……!?」


 信じ難いといった表情でニコラを疑いの目で見るジークハルトに、ニコラは仕方がないかとため息をつく。

 視えないというのは、余計に恐怖心を煽られてしまうのだろう。



 ニコラはよく視えすぎてしまうせいで、昔は随分と怖い思いをしたものだった。

 そんなニコラの目には今、非常にクリアな風景が見えていた。とはいえ見える景色は朽ちかけの汚らしい廃墟だが。

 しかしだからこそ、ここには何も居ないと断言出来る。


 だが、ジークハルトは違う。ジークハルトの目には、よほどくっきりはっきりしたモノ以外は映らない。それ以外は常人の目と同じなのだ。



 この、いかにも何かが居そうな朽ちた廃墟の中で、視えないが故に、居ないという確証を得られない。

 在りもしないものを見たような気になり疑心暗鬼になって、天井や壁のシミに空目をしたり、風に吹かれた物音が異様に大きく聞こえたりする。


 幽霊の正体見たり枯れ尾花、つまりはそういうことなのだろう。


 特に、ジークハルトは人ならざるモノがこの世に確かに存在することを知っているにも関わらず、視えないのだ。

 居るかもしれないし、居ないかもしれないというスタンスの人間より、恐怖も一入(ひとしお)なのだろう。



 だが、理解は出来るがそれはそれ。

 ニコラは一刻も早くこんなところを出たい。そのためには、ジークハルトにちゃっちゃか歩いてもらわなければ始まらない。


「ここ、本当に何も居ませんから大丈夫ですって」

 安心させるようにぎゅっと手を握る力を強めてやる。

 安心させるためと言いつつ、本当にここには何も居ないのだが。




 廃墟の内部は、ニコラからすれば異様な程に、いたって清浄だった。いや、清浄というには語弊があるだろうが。

 異様な程に何も居ないのだ。


 いい土にはミミズが来るように、良い廃墟には本物が集まる。

 どんな廃墟も、本来ならば人ならざるモノたちの溜まり場になるのが普通だ。それなのに何も居ない廃墟というのは、ニコラからすれば異様という他ない。


  ───その原因は明白ではあるのだが。



 ニコラは廊下の窓の外のもっさりと茂ったウィステリアを横目で見遣り、それから歩みを止めてジークハルトと向き合って、面から覗くアメジストと目を合わせる。


「いいですかジーク様。私が毎年この季節に渡している匂い袋(サシェ)の中身は、ウィステリアの花を乾燥させたものです。ウィステリアという植物自体に魔除けの効果があるんですよ。花は摘んでしまっているので匂い袋(サシェ)の効能は一時的ですけど、こんな風に枯れずに地面から養分を吸収し続けている限り、ウィステリアの魔除けの効能は持続します」


「だからウィステリアに覆われたこの廃墟に、妙なモノは入って来れません。ここには本当に何も居ませんよ」

「なるほど…………?」

「分かったなら、さっさと進みますよ」


 再びジークハルトの手を引いて歩き出す。

 廊下を抜ければ、中央の階段が存在感を主張する吹き抜けの玄関ホールに出た。

 ニコラは隣を歩く幼馴染をちらりと横目でうかがう。


 先程よりは繋ぐ手に抵抗を感じなくなりはしたが、それでやっとニコラと同じ歩幅なあたり、まだ恐怖心が完全に消え去った訳では無いのだろう。


 ホールの天井からは壊れかけのシャンデリアが垂れ下がり、さすがに真下を歩くのは怖く避けて通る。

 壁際に寄れば、剥がれ落ちた壁紙から煉瓦や木の梁が覗いていた。




「……いつもは」

「え?」

「いつもは、着いて来ようとなんてしないでしょう。どうして今回だけ着いて来たんですか? 私が昔、この場所を危ないと言ったから……?」


 ジークハルトはニコラに対しては強引なこともあるが、それでも引き際はきっちり(わきま)えていて、ニコラが本気で嫌がることはしない。

 ニコラの領分では足手まといになることをきちんと弁えているが故に、引くべき所では引く人間だった。


 だからこそ、今回のように無理を通して着いて来ようとしたことが意外だったのだ。

 昨晩も雑面(ぞうめん)を作りながら、何がジークハルトを怒らせてしまったのかをずっと考えていたのだが、ついぞ答えは出なかった。





 ジークハルトは立ち止まる。手を繋いでいたニコラもつられて足を止めた。


「ニーカ、ここは神様がいるかもしれない場所である前に、廃墟だよ。浮浪者やゴロツキが入り込んでいるかもしれないと、少しでも考えたりしたかい?」

「………………いえ、考えませんでした」


 言われて初めて、自分の迂闊(うかつ)さに思い至る。

 浮浪者からすれば、ニコラは金品を持っていそうな貴族の小娘だ。ゴロツキの中には人身売買に手を染める輩もいる。


 そんな連中からすれば、一人でのこのこ廃墟にやってくる女など確かに格好の餌だ。


 唇を引き結んで黙り込んだニコラに、ジークハルトは苦笑したのかため息を吐いたのか、小さく面を揺らす。


「ニーカが人外のモノに対してとても強いことは、嫌という程に知っているよ。でも、ニーカは人と見えている景色が違うからかな、時々、考え方が危ういと思う時がある」


 ジークハルトの言葉に、ニコラは何も言い返せなかった。


「君の生身は華奢なただの女の子だよ。生身の人間に対して、もう少し警戒心を持つべきだ」


 (たしな)める声とは裏腹に、頭を撫でる手もニコラを見つめる視線もひどく優しいものだ。

 何だか気恥ずかしくなって、ニコラはふいっと横を向く。


「まぁ、ニーカの警戒が薄いところは、私が補うからいいのだけれど」

「…………そんな面をつけて言ってちゃ格好つきませんよ」

「ふふ、だろうね」


 コミカルな表情の面にしておいて良かったと、ニコラは心底昨日の自分に感謝した。






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