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だが、一件落着と思いきやそうでは無かったらしい。
そうニコラが知ったのは、彼女の成仏からちょうど一週間が経った頃だった。
「…………西塔に出る幽霊?」
カリンの人脈によってセッティングされた放課後の茶会は、そんな話題から始まった。
「知ってるわ! この学院で自殺した女子生徒が、今も自分を捨てた男に復讐しようと彷徨ってるんでしょう?」
「私も聞いたことある!」
そんな声がニコラの両隣から上がる。知らなかったのは、どうにもニコラだけらしかった。
下級貴族の令嬢と豪商の娘たち数名の飾らない茶会なので、少女たちは作法もほどほどにきゃあきゃあと噂話に興じる。
「わたし、多分その幽霊を実際に見たわ」
そう言ったのは、エルザ・フォン・ラッツェル伯爵令嬢だった。
「本当!? どんなだった?」
カリンは目を輝かせて彼女に続きを促す。
エルザはティーカップをソーサーに置くと、アンバーの瞳で円卓を囲む面々をぐるりと見回して、とっておきの話をするように声をひそめた。
「夕暮れ時にね、西塔の最上階で蹲っている女の子が居たから、声をかけようとしたのよ。確かわたしと同じような癖毛で、髪の色は栗色の女の子。トパーズ色の瞳だったわ」
そう言いながら、彼女は自分のダークブラウンの猫っ毛を指差す。
ニコラはアンネの容姿を思い浮かべて眉をひそめた。
その特徴は、まるで本物のアンネを見て来たかのようにそのままだったからだ。
「それでね、ブツブツと何か言っているから、耳を澄ませたの。彼女、ずっと『許さない許さない許さない許さない許さない許さない』って言っていたわ。それで、よくよく見たら、足が透けていたの! だから怖くなって、声はかけずに引き返したわ」
まぁ! と目を見開いたのはエミリア・ロイス。商人の娘だ。
「絶対にその幽霊じゃない! 声をかけなくて正解!」
エミリアの言葉に、他の令嬢たちも揃って首肯する。
「……ねぇ、ソレを見たのはいつの話?」
ニコラの問いに、エルザは「二日前よ」と澱みなく答えた。
ニコラは一人、首を捻る。
アンネは一週間前に、確かに成仏したはずだった。
だが、目撃談の特徴はアンネと一致するし、出没場所が西塔であるというのも彼女が死んだ場所と一致する。
違和感があるとすれば、目撃されたのがアンネの成仏した日より後のことであることと、その幽霊が自分を捨てた男を今も強く怨んでいることだろうか。
アンネが嘘をついているようには思えなかったのだが、心変わりでもあって成仏出来なかったのか、或いは……。
ぼんやりと考え込んでいれば、隣に座るカリンに腕を揺すられる。
「ニコラ、ニコラったら! 聞いてるの?」
「え、あ……何?」
「だーかーらーっ! この前エルンスト様に話しかけられていたのはどういうこと? 聞いてないフリしたって逃がさないんだから、キリキリ白状なさい!」
気付けば円卓を囲む少女たちの好奇の目はニコラに集中していた。
ニコラは遠い目をして、前世の友人の「女子高生の会話なんてマジカルバナナ」という言葉を思い出す。バナナといったら甘い、甘いといったら林檎、林檎といったら赤い……。
いつの間にか連想ゲーム並に、話題は斜め上に逸れていたらしい。
だが、ニコラでさえよく分かっていないエルンストとの関係性を聞かれても返答に困る。
それに、まさか『主君に近付く胡散臭い人間として威嚇された』などと正直に話す訳にもいくまい。
ニコラは開き直って、作り話をすることにした。
「あの人が好意を寄せている女性と私が知り合いだから、渡りをつける約束をしただけ」
ニコラの適当な回答に、令嬢たちからは落胆の声が漏れる。
落胆の内訳は、想定していたより色めいた話でなかったことを残念がる声が半分、残りはエルンストに想い人が居ることを残念がるものだった。
意外にも彼には知名度と人気ががあるらしいと、ニコラは目を瞬く。
ニコラのそんな表情を横目に見たカリンは呆れたように、こっそりと耳打ちした。
「ニコラ知らないの? エルンスト様、今この学院で一番腕が立つ人で有名よ。婚約者もいないから、結構狙ってる下級貴族の令嬢は多いの」
ふぅんとニコラは気のない相槌を打つ。
あんなに堅物そうなのにモテるとは意外だと思っていれば、またもコロコロと話題は移り変わっていく。
そういえば、とエルザは華やいだ声を上げた。
「エルンスト様と言えばね、わたし達、エルンスト様と銀の君が剣術の手合わせしている所を見たわ! ね、シュザンナ!」
「そうなのですわ!」
エルザはフリューゲル伯爵令嬢シュザンナと一緒に誇らしげに胸を張る。
「わたし達のクラスはあの日授業が早く終わったから、とても間近で見れたのよね!」
いいなぁ〜と、円卓を囲む令嬢たちは色めき立って、口々に黄色い声を上げる。
「私は、優美な見た目の人より、筋肉質な方がタイプ」
「私はそういう人、威圧感があって怖いなぁ」
「あら、それがいいんですわ!」
「分かる!」
「えー?」
きゃらきゃらと好みの話で盛り上がる令嬢たちを尻目に、ニコラは冷めきった紅茶を喉に流し込む。
少女たちの他愛もない談議を適当に聞き流しながら、考えてしまうのは西塔に出るという幽霊のことだった。
翌日の放課後、ニコラは一人で西塔の最上階を訪れていた。
外側から見れば大きな時計が埋め込まれている西塔の最上階の内部には、大きな鈍色の釣鐘が吊り下げられていて、ニコラはその下を歩く。
だが塔の内側を見回しても、採光窓から地上を見下ろしても、やはりアンネの姿はない。
念の為に最上階より下の階層を全て見て回っても結果は同じで、恨み言を吐く幽霊を見つけることは出来なかった。
窓の外からじっとニコラを窺い見る黒いモノには眉を寄せるが、一旦それは放置して、彼女の足はそのまま生徒会室に向かっていた。
生徒会室の扉を開ければ、運良くお目当ての人間はそこにいた。
「ニコラの方から会いに来てくれるなんて、珍しいね」
ジークハルトはことのほか嬉しそうにその玉顔を綻ばせて、ニコラを招き入れる。
ただその傍らにはお呼びでない人間もまた二人いて、内心げんなりするが仕方がない。
エルンストは今日もニコラの姿を見とめた瞬間にがるると吠えたげな形相に変わり、ニコラもまたスッとエルンストから視線を逸らす。
そんな二人の様子を交互に見て目を丸くしたアロイスは、面白いものでも見つけたように笑みを深めた。
だが、生徒会室にいたのは見知った三人だけではなかったらしい。
「あら、お客さま? あら、貴女は確か、あの時の新入生さんね」
二間続きになっている生徒会室の奥の部屋から姿を覗かせたのは、ニコラがアロイスに式神のことなどを説明した日に、空き教室の無断使用を注意しに来た上級生の令嬢だった。
ジークハルトはニコラの手を引いて、その令嬢に引き合わせる。
「オリヴィア嬢、この子は私の幼馴染のニコラだよ」
学院内では出来る限り関わりを隠したいと言ったはずなのに、何をさらっと紹介しているのか。
ニコラはくわっと目を見開いてジークハルトを見上げるも、当のジークハルトは「彼女なら大丈夫だよ」と笑うばかりだ。
「ニコラ、こちらはオリヴィア嬢。リューネブルク侯のご息女で、生徒会の副会長だよ」
リューネブルクと言えば、ニコラでも流石に聞き覚えがあるほど力を持つ権門だった。
「彼女は僕の婚約者でもあるよ」
さらりと付け加えるアロイスに、ニコラは第一王子の婚約者は公爵令嬢ではなく侯爵令嬢なのかと意外に思う。
だがそう言われてみれば確かに、現在公爵家の子女に妙齢の人間はいないはずだった。
オリヴィアは亜麻色の豊かな巻き髪を揺らしてふわりと上品に笑う。
「こんなに可愛らしいお嬢さんが幼馴染なんて、会長も恵まれていますわね。羨ましいわ!」
その「可愛らしい」には、可愛らしい(サイズ)だとかそういう言葉が伏せられているのではなかろうか。
そう穿った見方をしてしまうほどに、オリヴィアは典型的な西洋人体型だった。
人より遥かに小柄なニコラが彼女と向き合うと、制服を押し上げる程たわわに実った果実が大迫力で眼前に迫って、思わず面食らってしまう。
そんな豊満な体つきを前に、ニコラはちらりと自分のちびでガリでぺったんこな身体を見下ろした。
無駄な肉がないと言えば聞こえは良いが、細い肢体に同じように厚みのない手足。胸も尻もささやかなものだ。
ジークハルトもこんな貧相な女ではなく、こういうグラマラスな女を好めば良いのにとニコラは心の中で小さく毒づく。
家格も同じ侯爵家同士でちょうど良い。既にアロイスと婚約してしまっているのが残念でならなかった。
「わたくし、年下のお友達っていませんの。仲良くしてくださると嬉しいわ」
オリヴィアはそう言って、艶やかに微笑んだ。
立派に実った果実のせいで第一印象はその体型に全て持っていかれてしまったが、ニコラは形ばかりの返礼をしながら改めてその顔を見上げる。
ジークハルトやアロイスを見慣れてしまって、ちょっとやそっと整っている程度では何とも思わなくなったニコラだが、彼女は顔立ちもそこそこに整っているようだった。
「わたくしはこのあと予定があって、すぐに出て行くのですけれど、お客さまにお茶だけでも出してから行きますわね。ニコラちゃん、会長にご用があって来たのでしょう? さぁ座って座って?」
オリヴィアはニコラの手を引いて椅子に座らせ、パタパタと隣の部屋に引っ込んで行く。
「学内にいると、どうしても私とアロイスは人に群がられてしまうからね。生徒会活動がない時期にはこうして隠れ場所として使えばいいと、彼女が提案してくれたんだ。以来重宝しているよ」
ジークハルトの声音からは、本当に感謝していることが伺えた。
確かに用事がある人間や招かれた人間でない限り、一般の生徒は出入りしにくい場所だろう。
「私たちは基本的にここで時間を潰していることが多いから、何かあればここにおいで」
願わくばこちらから出向く機会など二度とないといいと思いながらも、ニコラは渋々と頷くしかない。携帯電話がない世界とは、なかなか不便なものだった。
「ところでニコラ嬢。何かあったのかい?」
ニコラの顔を覗き込んで、アロイスは小首を傾げる。
「……西塔に出る幽霊の噂を、聞いたことがありますか?」
ニコラの言葉にジークハルトとアロイスは揃ってアンネを思い浮かべたのか、怪訝そうな表情を浮かべた。
だがその表情を見る限り、彼らは知らなかったらしい。
こういう噂自体を嫌いそうなエルンストの眉間にも、深いしわが寄る。
「僕たちはこうして人目を避けて、いつも生徒会室に逃げ込んでいるからね、どうしても噂には疎くなるんだよね」
アロイスは肩を竦めた。
「あら、皆さんご存知ないんですの?」
ティーセットを持って部屋に戻って来たオリヴィアがそう口を挟むので、全員の視線は彼女に集中する。
「この学院で自殺した女子生徒の幽霊の話でしょう? 今は学院中がその噂で持ち切りですわ」
オリヴィアは紅茶をサーブしながら、全員の顔を見回した。
だが彼女は「でも……」と少し不思議そうに付け足す。
「その噂はちょうど一週間くらい前から急に聞くようになったんですの。それまでは聞いたことがなかったですし、少なくともわたくしたちの在学中に自殺者なんていませんから、どうして急にそんな噂が立ったのか不思議で……」
やはりあの噂はアンネの成仏後に広まった話らしく、ニコラは目を細める。だが、思考は長く続かなかった。
オリヴィアは紅茶を全員分サーブし終えると、何故かニコラの手を取ってぎゅっと握り込む。
「今日はわたくし、もう行かなければなりませんけれど……。せっかくお知り合いなれたのですし、またゆっくりお話したいですわ! ニコラちゃん、今度のおやすみの日にお茶会をしましょう?」
「え、えぇ?…………ハイ、喜ンデ」
グイグイくる押しの強い上級生に、ニコラは困惑しながら頷いてしまった。
「嬉しいわ! また追って連絡するわね」
そう言って機嫌よく生徒会室を後にするオリヴィアの背を呆然と見送るニコラに、アロイスは「ニコラ嬢って面白いぐらい押しに弱いよね」とくつくつ笑う。
余計なお世話だとは口には出さず、代わりに無言で足を踏みつけた。
それから、ニコラはジークハルトに向き直り、とある調べ事を頼んだ。ジークハルトは快く頷いて、奥の間へと姿を消す。
苦手な人間や自分のことを嫌っている人間と同じ部屋に残されるのは痛かったが、背に腹は代えられなかった。
案の定、ジークハルトが隣室に消えた瞬間にアロイスはニコラに絡むので、取り繕うことなくあからさまにため息をつく。
「あ、そういえばニコラ嬢、僕もジークが持ってる匂い袋を護身用にもらえないかい?あれ、やっぱりすごく効果があるみたいだしね」
「嫌です」
ニコラは間髪を入れずに拒絶した。
「だいたい婚約者がいるのに手作りの品なんて欲しがるものじゃないでしょう。普通なら顰蹙ものですよ」
だがアロイスはきょとんと目を瞬かせると、へらりと笑う。
「んー、大丈夫じゃないかな? 僕も彼女もお互いに恋愛感情なんて持ってないし、気にしないと思うけど」
仮にもし本当にそうだとしても、外聞というものがあるだろう。方々に配慮が欠けた発言に、ニコラは呆れ顔になる。
アロイスの斜め後背に直立していたエルンストは、ずいと身を乗り出した。
「お言葉ですが殿下! 護身用というのであれば、そもそも自分がお側におります! このようないかがわしい人間に頼ることなどありません!」
エルンストはニコラを指差しガルガル吠える。だが、ニコラはそれにうんうんと深く頷いた。
「それがいいです。ぶっちゃけそっちの方がよっぽど匂い袋より効果ありますよ」
「「え?」」
これにはエルンストもアロイスも面食らったようで、二人とも間抜けな声を上げる。
「殿下が数年おきに妙なモノを見ていたのは、決まって側にエルンスト様が居ない時ではありませんでしたか?」
「え、うーん……? 言われてみれば確かにそう、かも……?」
アロイスは初めてアレらに焦点を合わせてしまって以降、人ならざるモノが非常によく視えていた。
もともと素質はあったのだろう。しかしだからこそ、よく今まで無事だったなとも思ったのだ。
だが、それはエルンストに会い、彼がアロイスの近侍だと聞いた時に腑に落ちた。
ニコラは改めてエルンストを眺めるが、眩しげに目を細める。
やはり、アロイスがエルンストの側にいる限り、ニコラ手縫いの匂い袋などより余程効果がありそうだった。
「え、なになに? エルンってもしかして人外相手にも強いの?」
アロイスは目を輝かせて背後に立つエルンストを振り返るので、ニコラは少しだけ訂正する。
「厳密に言えば、エルンスト様の守護霊が、ですね。これがハチャメチャに強い」
「守護霊?」
ニコラはこくりと頷いた。
特定の人につきその人物を保護しようとする、霊的存在のこと───ニコラはかつて専門学校で学んだ教科書の内容を諳んじた。
スピリチュアリズム、心霊主義、キリスト教圏、あるいは日本の民間信仰などでしばしば言及される守護霊は、信仰ごとに諸説あり、概念としても非常に曖昧なものだ。
また定義が曖昧なだけありバリエーションも様々で、先祖のように当人に縁ある故人であったり愛犬の霊であったり、はたまた神様と呼ばれる類のモノがついていることもごく稀にあったりする。
「ねぇその守護霊って、僕にもいるのかい?」
興味津々のアロイスが身を乗り出すので、ニコラは反射で身を引いた。
「まぁ、いますよ。気まぐれで仕事しなさそうな奴が」
これには、アロイスの目が点になる。
「えっ? 仕事、しなさそうな……奴?」
「えぇ、多分あっちの調べ物の方が面白そうとでも思ったんですかね。ジークハルト様の方にフラーっとついて行ってるので、今この部屋にはいません」
あっち、とニコラはジークハルトがいる奥の間を指差す。
この分では普段から興味の赴くままに持ち場をフラフラと離れているのだろう。
肝心な時に側に居ないことも多そうだった。
アロイスは何とも名状しがたい表情で「そ、そう……」と呟く。
「じゃ、じゃあ! エルンの守護霊は?」
「……超絶眩しい発光体、ですかね」
「超絶眩しい発光体」
「そう。超眩しい。直視したくないような」
意味もなく復唱するアロイスに、ニコラは白けた目を向ける。
「お前! ふざけてるのかッ!?」
「これが大マジなんだよな……」
食ってかかるエルンストに、ニコラはげんなりと呟いた。
そんなエルンストに呼応して、発光体は余計にペカーッと光量を増すので、ニコラは目元に手を翳す。
普通、守護霊はニコラでも意識して目を凝らさなければ視えないはずなのだ。
だがエルンストのソレは主張が激しすぎて、視ようとするまでもなく視界を灼くのだから厄介だった。
ソレはエルンストがニコラに威嚇する度に、呼応して余計に光るので鬱陶しく、彼女はすっかり辟易しているのだ。
だがそれだけにその守護霊の力は強力で、半端なモノなどは近付くだけで消し飛んでしまいそうなほど。その性質はどちらかというと神に近いのだろう。
「フン! 俺は幽霊だの守護霊だの目に見えないものなど信じないが、俺の守護霊とやらが強いというなら、殿下のこともソレが守るだろう! だからお前は必要ない!」
「……それは、どうですかね。エルンスト様の守護霊は多分、エルンスト様しか守りませんよ」
見たところ、エルンストの守護霊は本人によく似て、守護対象至上主義のようだった。
その守護霊はあくまでもエルンストの身辺周りに妙なモノを寄り付かせないよう守っていただけで、今までのアロイスはそのおこぼれに与っていただけに過ぎないのだろう。
「だから、殿下に出来ることは、エルンスト様の側にずっといることですね」
「四六時中ずっとかい? それはちょっとキツいなぁ」
「そ、そそれはどういう意味ですか殿下ぁ!?」
「アハハ」
「殿下ッ!?」
縋り付くエルンストを「他意はないよ」と宥めながら、アロイスはニコラを振り仰ぐ。
「うん、でもやっぱり匂い袋を貰えないかい?」
「嫌です」
「殿下は自分がお守りします! このような胡散臭い人間を信用しないで下さいッ」
そんな堂々巡りの不毛で馬鹿馬鹿しいやり取りは、ジークハルトが戻って来るまで続くことになった。
「ずるいな、そっちは随分楽しそうだね」
ジークハルトは茶色く日焼けした資料を片手に三人を上から覗き込む。
「うん、すごく楽しい」
「「楽しくなんかありません」」
くくくと笑いを堪えるアロイスに、仏頂面のニコラとエルンストの声が重なる。
これにはジークハルトもくすりと笑って言った。
「本当は二人とも仲良いだろう? 少し妬けるな」
「良くない。仲良くなんてあるものか」
「そうです閣下!」
ほら、と悪戯っぽく笑うジークハルトに、ニコラはジト目になって催促する。
「で、資料は残っていたんですか」
「……あぁ、あったよ」
ジークハルトはその玉顔を微かに曇らせて、日焼けした紙を捲って該当の頁を開いた。
「七年前……」
その頁を流し読みする限り、アンネが死んだのはそう昔のことではなかったらしい。
「……あぁ、なるほど」
アロイスも横からそれを覗き込み、とある文字列をなぞって呟いた。エルンストだけは一人蚊帳の外で首を捻る。
「それからね、ニコラ。調べたけれど、今在学中の人間や学院の関係者に、ビューローという姓の人間は居なかったよ」
「!」
ニコラが何を考えているのかを理解して、ジークハルトは先回りして調べていたらしい。
「そうですか……。ありがとうございます」
ジークハルトはニコラの頭を撫でながら言う。
「危ないことはしないようにね」
「何も起こらなければ、何もしませんよ」
───何も起こらなければ。
前世ではそう願う仕事ほど何かしらが起こるものだったというのに、彼女はそれをすっかり忘れてそんな台詞を呟いた。




