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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
三章 青くて脆くて淡い

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5





「思い出させたりするんじゃなかった、かもしれない……」


 急に全てが馬鹿らしく思えて来てしまって、ニコラは生徒会室の机に突っ伏した。


 対面ではジークハルトが宙に浮かぶ幽霊を相手に、ニコラとの出会いや思い出話、想いの丈などを語り始め、げんなりしてしまう。

 それらはニコラ自身も、耳にタコが出来るほど聞き飽きたものだ。


 くすくすと笑う声に首をもたげれば、アロイスが机に肘をついて、楽しげにこちらを眺めていた。

 やはり苦手な男だと睨んでも、アロイスは全く気にしていない様子で微笑むだけだ。


「……何なんですか」


「ニコラ嬢はさ、どうしてジークに応えないんだい? ほら、アンネ嬢を捨てた男と違って、ジークが本気なのはさすがに分かっているだろうに。聞けば、十年間も一途に想い続けているらしいじゃないか」


「身分が違うからですよ」


 身分違いの色恋がろくな結末にならないということの最たるエピソードをたった今聞いたばかりだというのに、 一体何を言っているのか。


 ニコラがぴしゃりと言い放てば、アロイスはぱちくりと瞬きをした。


「何ですかその反応は」


「それだけ? いや、てっきりもっと他にこう、ね……? じゃあもしも、その身分の問題さえパスすればニコラ嬢はジークと結婚してもいいと考えているのかい?」


「その問題をパスする前提自体が有り得ないので、その問いに答える必要を感じませんね」


 ニコラは冷ややかに断言する。

 だが、アロイスは悪戯を思い付いた子どものような表情を浮かべて、とんでもない事を言い出した。


「ねぇ、王家として特例で婚約を認めてあげようか?」


 笑えない冗談に、ニコラは思いっ切り眉間にしわを寄せる。


「必要ありません」

「そう遠慮しないで」

「いいですって」

「あぁ、認めてもいいよってことだね」

「結構です」

「認めてもらって結構、ということかい」

「しつこいな!」


 ニコラはとうとう机を叩いて叫んだ。


「ご遠慮します、という意味ですよこの馬鹿王子」

「手強いなぁ」


 はっきりと侮蔑の視線を向けられても、アロイスは動じないどころか嬉しそうに目を細めるので頭が痛い。


 まともに取り合おうとしたのが間違いだったのだと、もう一度だらしなくも机に突っ伏す。

 ジークハルトの方を見遣れば、彼はまだアンネを相手にに惚気け倒しているようだった。


 エンドレスマシンガントークに巻き込まれたアンネも災難だなと思っていれば、案外それは杞憂なようで、彼女も楽しそうにそれを聞いている。


 彼女の頬は半透明でも分かる程に赤く上気してて、ニコラは「分かる、顔良いもんな」と苦笑した。


 今日も今日とて、ニコラの幼馴染のご尊顔は嘘みたいに整っている。お手本のように、あるべき場所に全てのパーツが配置されているのだから、目の保養には持ってこいだろう。


「ニコラ嬢って、ジークの顔好きだよね」


 クスクスとアロイスの揶揄(からか)う声が降ってくる。


「そっ、れは……むしろ綺麗なものが嫌いな人の方が少ないでしょう」


 文句があるかと、ニコラは口をギザギザに引き結んで不満げに見上げた。


「それに、君は何だかんだ言ってジークに甘い」


 腕を組んで悪戯っぽく片目をパチリと(つむ)るアロイスに、ニコラは憮然とする。


「そんなことはありません」


「そうかな? 破損すれば自分にリスクがあるような式神を、ジークには躊躇なく持たせているのに?」


「別に……ジークハルト様があまりにも取り憑かれやすいからですよ」


 だが、怪異に遭遇する可能性はアロイスとて同じ。下手な誤魔化しの自覚があって、ニコラは目を伏せる。


 そんなニコラの反応を楽しむかのように、アロイスは一層笑みを深めた。


「顔が好みの幼馴染に愛されていて、君だって相手を憎からず思っているのに、まったく君も強情だよね」


 厳密に言えば、ジークハルトの顔は好み云々を超越する奇跡の美であって、好みとはまた違うものだ。


 だが、好いた惚れたではなく〝憎からず思っている〟とはまた、意地の悪い表現だった。


 幼馴染としての情なら既に湧いてしまっている。憎からず思っていることさえも否定してしまえば、十年来の幼馴染としての関係までもを否定することになってしまうため、その点には口を(つぐ)んで顔を逸らした。

 

「……それでも私は子爵の娘ですから」

「子爵令嬢、ね」


 アロイスは意味ありげな流し目をニコラに向ける。


「ニコラ嬢、君はエルスハイマー侯の孫にあたるはずだろう?」


 複雑怪奇な貴族の相関図をよくも覚えているものだと、ニコラは苦々しい思いで目を細める。

 アロイスの言うように、確かにニコラの祖父は侯爵で間違いなかった。


 陞爵(しょうしゃく)───爵位が上がるという例は、主に二つある。

 ひとつは貴族が勲功を上げて評価を受けること。二つ目は、親の爵位を受け継ぐことだった。


 一人の貴族が複数の爵位を持つことは、この世界においても珍しくはない。


 実際にニコラの祖父は侯爵位、伯爵位、子爵位の三つを保有しており、既に伯爵位は嫡男に、子爵位をニコラの父に継がせている。


 例えば、現嫡男である父の兄に万が一のことがあり、ニコラの父が祖父の爵位を相続した場合、ニコラは子爵令嬢から侯爵令嬢にジャンプアップする可能性も、無くはなかった。


 ───理論上では。




 ニコラは緩く(かぶり)を振る。


「……祖父の侯爵位はそのまま嫡男である伯父が継ぎます。私には関係ありませんよ」


「順当に行けば、だよね」


「えぇ。ですがそうでもなければ、一家諸共暗殺されかねません。順当に行ってもらわなければ困ります」


 家督を巡る、血で血を洗う争いはこちらの世界でもよくある話だ。


 実際、父の兄にあたる伯父はかなり貪欲な人らしい。どれくらい貪欲かというと、今でこそ嫡男に収まっている伯父は次男で、その上には長男がいたのだという。


 その肝心の長男はと言えば、妻や子ども共々()()()()()()に遭い他界しているのだ。

 そして死んだ長男一家は今もなお、ちゃっかり繰り上がって嫡男に収まった伯父の耳元で日々怨嗟(えんさ)の念を囁いていた。

 何が起こったのかは想像にかたくない。



 ふわりと香った嗅ぎ慣れた匂いに身体が硬直する。


 アンネを相手に心ゆくまで惚気け終わったらしいジークハルトがいつの間にか背後に回り込んでいたらしく、ニコラは慌てて振り返ったが時既に遅し。


 ジークハルトはニコラを猫のように一瞬持ち上げたその隙に、ニコラが座っていた椅子にするりと座り、その膝の上にニコラを座らせる。

 相も変わらず鮮やかな犯行手口に舌打ちが洩れた。


「ビジュアルが良いからって調子に乗らないで下さい」

「容姿を褒めてくれてありがとう」


 舌打ちなど意にも介さないジークハルトは無駄に綺羅綺羅しい花の(かんばせ)を綻ばせるばかりで、ニコラはむくれるしかない。

 

 ジークハルトは一応ニコラとアロイスの会話を聞いてはいたのか、ニコラの耳元でアロイスに向かって口を開いた。


「お義父さんは「お義父さん言うな」ウェーバー子爵はね、欲をかいて家族を危険に晒すくらいならずっと子爵でいいと仰るような、穏やかで欲のない方なんだよ。だから、相続によって私とニコラの身分の問題が無くなる可能性は低いね」


「へぇ? 僕はてっきり、ニコラ嬢が侯爵令嬢になる可能性があるからジークは求婚しているんだとばかり思っていたんだけど」


 意外そうに目を瞬かせるアロイスに、ジークハルトはニコラを抱き込んだまま続けた。


「私たちが結ばれるには、話はもっと単純なんだよ。ニコラも私も貴族であることにこだわりなんてないんだから、爵位を放棄すればいい。私は農民だって、案外上手くこなせると思うんだけどね」


 確かに何でもそつなく平均以上にこなしてしまうジークハルトなら、案外上手くやれるのだろう。


 ニコラ自身、妙な職業にこそ就いてはいたが、元は日本の一般家庭出身の人間だったのだ。確かに貴族であることにそこまでのこだわりはない。


 それでも、こんな美麗な農夫がいてたまるかと、ニコラは恨みがましくジークハルトを見上げる。


 ジークハルトは頭のてっぺんから指の先まで芸術品だ。日焼けして、土に塗れて赤切れだらけの手になるよりは、貴族のままでいる方が似合うとニコラは個人的に思っている。

 

「お義父さんも「だからお義父さん言うな」ウェーバー子爵も、私がニコラを説得出来て駆け落ちするというのなら、ウェーバー領の市民権くらい喜んで用立ててあげると言って下さっているのに」


 ニコラ当人を差し置いて何を勝手に約束しているのかと、この場にはいない父にも沸々と怒りが湧いてきて、思いっ切り顔をしかめる。


 ジークハルトは(なだ)めるようにニコラの頭を撫でるが、元凶が何をやっても意味がない。


 ぺしんと払い除けようとした手はしかし、行動を読まれていたのか反対の手に捕まえられて。ニコラは間抜けな格好でぐぬぬと唸るしかない。


 そんな二人の様子を見たアロイスとアンネは顔を見合わせて、クスクスと笑いだした。

 アンネは何が可笑しいのか、しまいには腹を抱え、眦に涙まで浮かべて笑う。


 ひとしきり笑い終わった彼女はニコラとジークハルトの周りをくるくると飛んだ。


「あはは、笑ったらスッキリしたわ! 私に男を見る目が無かっただけで、身分が違っても真実の愛ってあるのね」

「勘弁してください……」


 〝真実の愛〟などという気色の悪い表現に、ぞぞぞと背筋に悪寒が走る。


 アンネは半透明の頬を恋する乙女のように薔薇色に染めて、少しだけ羨ましそうに目を細めた。

 その身体は少しずつ末端から淡くなっていく。


「……未練はないんですか。捨てた男に恨み言とか」


「あんなくだらない男に関しては、もう別にどうでもいいの。でも、貴方たちを見ていると、私も平民にでもなって、一人で産んで育ててあげればよかったのかも、なんて思うわ」


 アンネはトパーズ色の瞳を伏せて、もう一度お腹に手を添えた。


「たとえ勘当されても、学院を辞めても、死ぬ勇気があれば、もしかしたらそんな生き方も……なんてね」


 貴族として生きてきた女の子がある日一人で平民として放り出されて、一人で子どもを産んで育てる───現実的ではなくても、その空想を否定する気にはなれなかった。


 夢物語には違いないが、現実を生きるニコラたちと違って、既にこの世にない彼女が夢想することは自由だ。


「……貴女のそばに水子は、赤子の霊魂はいません。先に行って、貴女を待っているんじゃありませんか」

「もし会えたなら、まず謝らないとよね。許してくれるかしら?」


 既にジークハルトの目に淡くなっていく彼女は視えなくなってしまったらしく、彼はきょろきょろと辺りを見回し出す。


 そんなジークハルトの周りをくるりと一周して、それからニコラに目線を合わせた彼女は「貴方たちに会えてよかったわ。最後に楽しいものを見せてくれてありがとう」と綺麗に笑った。


 「末永くお幸せにね」などと余計なことを囁いた彼女は、するりと空気に溶けて、とうとうニコラの目にも映らなくなる。


「……彼女は、どうなったんだい?」


 初めて成仏の瞬間を目にしたアロイスは、ニコラを振り仰いだ。


「あるべき所に還ったんですよ」


 ニコラは静かに目を伏せた。

 彼女もまたニコラのように、生まれ変わって別人としての人生を歩むのかもしれない。


 三人共々しんみりと黙り込んでしまった空間は、場違いにも明るい声によって破られる。


「殿下、閣下! 遅くなり申し訳ありませんッ!」


 意気揚々と生徒会室に戻って来たエルンストの手には、先日ジークハルトに渡したばかりの匂い袋(サシェ)がある。


 そもそも匂い袋を手放さなければ、こんなにもすぐに呼び出されることもなかったはずなのだ。


 礼を言ってそれを受け取るジークハルトをニコラはジト目で見上げて「今度こそ手放さないでくださいよ」と念を押した。


 珍しく気まぐれを起こしたせいで無駄に疲れてしまったものだと、ニコラは深いため息をひとつ吐く。


 窓の外から終始こちらを伺うように(うごめ)いていた黒いモノは見なかったことにして、ニコラはぐったりと机に肘をついた。








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