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祓い屋令嬢ニコラの困りごと  作者: 伊井野いと@『祓い屋令嬢ニコラの困りごと』3巻発売中
三章 青くて脆くて淡い

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4





 ニコラはいそいそと教材鞄の中から紙を取り出し、その上にYES/NOやアルファベット、数字を書き連ねた。


 そして、ジークハルトには紙の端切れを渡し、手芸セットから取り出した鋏で真ん中に穴を開けるよう指示を出す。


 そんな手元を、アロイスが覗き込んで訊ねた。


「何を作ってるの?」

「洋風コックリさん(もとい)、ウィジャボードですよ」


 と言っても、彼には伝わらないだろうが。

 だが、アロイスの疑問に一から十まで付き合っていれば、日が暮れかねないということは既に学習していたので、詳しく説明してやるつもりも無かった。




 コックリさんのルーツとされる、ウィジャボード。

 コックリさんは狐狗狸と当て字され、動物霊を呼び出すとされているが、元々西洋から伝わってきたウィジャボードは死者の霊魂と交信する降霊術だった。


 ここは西洋風の世界観であるし、やはりコックリさんよりはウィジャボードを使用するべきだろう。



 複数人で文字盤を囲み、参加者全員が文字盤の上に置かれた指示盤に手や指を添える。

 降霊に成功すれば、誰かが質問をすると、ひとりでに指示盤が動き出して回答を文字で指し示す。


 やり方も作用もコックリさんとウィジャボードに大きな差異はないということは、かつて祓い屋としての技能を身につけた専門学校で学んだこと。


 当時は一体なんの役に立つのかと疑問でしかなかったオカルト知識の座学も、案外世界を超えれば無駄ではなかったらしい。


 ニコラは手を動かしながら、ほんの少しだけ前世に思いを馳せた。






 生徒会室の無駄に重厚な机の上に出来上がった即席のウィジャボードを並べてから、ニコラは二人を交互に見据える。


「以前お二人には、名前はとても重要なものだとお話しましたよね」


「うん。モノの本質を表すからって」


「軽々しく名前を与えては駄目なんだったよね?」


 はい、とニコラは大きく頷く。


「だからこそ今回は、漠然としたモノに形を与えようと思いまして。あぁ、私監修の元でしか駄目ですからね、今回だけですよ」


 従順に頷くジークハルトと、やや残念そうに頷くアロイス。


 二人の性格の違いが如実に現れていて、ニコラはアロイスのみをじろりと睨む。

 それから、ジークハルトの頭部周りにまとわりつく黒い(もや)を見遣った。


 そこかしこに蔓延(はびこ)る黒い靄たちのルーツには、種類があるのだ。


 ひとつは人間から漏出した、良くない感情が凝り固まったもの。これは大体のものが、複雑な思考を持たず主に感情で行動する。


 もうひとつは、死者の霊魂だった。いわゆる地縛霊や浮遊霊という奴である。


 死者の霊魂 は最初こそ生前のままに思考し行動するが、それは永久的ではない。

 そういったモノたちは時間の経過とともに己の名前を忘れ、それと共に姿形も崩れて煤けた靄になっていくのだ。


 彼らは靄まで落ちていくにつれて、意思や記憶は次第に薄れて、よりシンプルな感情ばかりが残ることになる。


 要するに、前者も後者も行き着く先は黒い靄なのだが、最初の出発点が違っていた。


 では目の前の黒靄はといえば、ジークハルトに敵対的で、ニコラには親和的。

 シンプルな感情というよりは、その元になった記憶や意思がまだ作用しているように思えた。だから、元は霊魂だったのではないかと考えたのだ。


 もしも推測通りに靄の元が霊魂なら、名前を思い出させてやれば、形を取り戻せるかもしれない。


 ニコラはいつもいつも、ジークハルトに吸い寄せられてくる似たような思考回路の生霊や死霊、靄の有象無象ばかりを祓ってばかりで飽き飽きしていた所だった。

 少しばかり毛色の違う死霊なら、事情を聞いてやるのも(やぶさ)かではない。





 完成したウィジャボードの上に、ジークハルトに作らせた真ん中に穴の空いた指示盤を重ねる。


「これは霊魂と対話するためのツールなんです。今からご本人に名前を教えてもらいましょう。お二人共、指示盤に手を添えて。軽くでいいですよ。動かそうなんて思わなくて大丈夫です。勝手に動きますから」


 ざっくりとした説明しかせずに、指示盤の上に二人の指を置かせる。

 ソレはもう既にこの場にいる。改めて降霊させる儀式などは不要だろう。

 さて、と息を吸って、ニコラも指を添えた。




「早速ですが、名前を教えてください」


 最初の十数秒は何事も起こらなかった。沈黙のうちに二人がちらちらとニコラを伺うのを黙殺して、じっとボードを見つめる。


 指示盤は微かに震え始め、やがてつつつと引っ張られるように動き出す。


「えっ、本当に動いた……」

「指を置いているだけなのに!?」


 ニコラはニッと口角を釣り上げる。

 だが、指示盤はABCのあたりを彷徨ってから、アルファベットやYESやNOも書かれていない欄外でぐるぐると回り始める。


 どうやら、思い出せないらしい。

 ダメで元々。ちょっと横着をしようとしただけで、想定内だった。

 気を取り直して、再び口を開く。


「じゃあ質問を変えます。この学院の生徒だった?」


 それに関しては、スススとYESへ指示盤が動く。

 二人はわぁと声を上げて、食い入るように文字盤を見つめる。


「では、男だった?」


 指示盤はNOを指し示す。これには、おや、とニコラは片眉を上げた。

 ジークハルトの美貌に釣られてきた女の霊は大抵がジークハルトにべったりで、近付く女であるニコラを威嚇することが多い。


 今回はその逆でジークハルトに敵対的だったため、てっきり男の霊かと思ったのだが当てが外れたらしい。


「では、貴族だった?」

 ───YES


「伯爵位より上?」

 ───NO


「子爵家?」

 ───NO


「じゃあ男爵家ですね」

 ───YES


「家族は何人いましたか?」

 ───4


「ご両親と?」

 ───YES


「あとはお兄さん?」

 ───NO


「では妹?」

 ───YES


 彼女が思い出しやすいように、基本的には答えやすい二択で問うニコラに対して、指示盤は時に時間をかけながら、時には迷いなく即座に答えていく。


 ジークハルトとアロイスは固唾を飲んで、じっとニコラと指示盤とのやり取りを見守っていた。


 性格や、好きな物や嫌いな物……彼女を構成していたであろう内面や周辺情報を粗方聞き終えた頃に、ニコラはすっと目を細めた。

 

「ではもう一度問いますね。貴方の名前を教えてください」


 今度は辿々しくも、指示盤はアルファベットの上を滑った。

 A…N…N……指示盤が示すアルファベットを拾って読み上げる。


「〝アンネ・フォン・ビューロー〟貴女の名前は、アンネ。そうですね?」

 

 ジークハルトにまとわりついていた黒い靄はグッと凝縮し、拡散し、ぐるぐると渦巻きながら再構成を始めた。


 己の名前を忘れてしまったモノは形を保てなくなる。そしてそのまた逆も然り。

 忘れた名前を思い出すことが出来れば、(おの)ずと形が成る。


「「!」」


 黒い靄が完全に晴れた時、そこには栗色で猫っ毛の少女が浮かんでいた。

 ニコラと同じ制服を纏った半透明の身体は、彼女が既にこの世のものでないことを明確に表している。


 ジークハルトとアロイスは揃って零れんばかりに目を見開くが、はくはくと動く口から言葉が出てくることはなかった。


 半透明の少女はそんな二人に見向きもせずに、ぽつりと呟きをこぼした。


「あぁ、そうよ思い出した……わたし、アンネよ。わたし、西塔から飛び降りたんだわ……!」


 ふむ、とニコラは顎に手を当てる。飛び降りとは穏やかではない。

 未だ酸欠の金魚のように声もなく仰天しているジークハルトとアロイスは放置して、改めて半透明の少女に問いかける。


「へぇ、そりゃまたどうして?」


 アンネは俯いて、微かに震える声で続けた。


「……わたし、伯爵位の男の人と秘密で付き合いをしていたの……。本気で愛していたし、あの男も愛していると言ってくれていたの、爵位なんていらないから駆け落ちしようって! なのに……」


 ニコラとそう年齢の変わらない少女は俯いて、そっとお腹の辺りを撫でる。


 その先は聞かずとも分かってしまって、ニコラは顔をしかめた。

 ジークハルトとアロイスの驚愕もようやく鳴りを潜めたようで、今度は眉根を寄せて顔を見合わせる。




 学院において、交友関係は確かに自由度が高い。


 身分を超えた友誼が存在していることはジークハルトとアロイスを見れば分かるし、まだ入学して一ヶ月程のニコラ自身も、商家出身の友人も子爵家より身分の高い友人も出来た。


 だがそうした身分を超えた交友関係が推奨される一方で、身分違いの恋愛はといえば、暗黙の了解として禁忌なのだ。


 この世界において貴賤婚、つまり爵位を超えた婚姻は、その夫婦やその子に対しても、法的、社会的ペナルティが科せられる。


 駆け落ち同然の婚姻は不可能ではないが、そんなことをすれば夫婦共々社交界から締め出されるであろうし、その子どもは身分その他の継承権を完全に失うなど、不利益も大きい。


 そんな貴賤婚の萌芽と成りうる身分違いの恋愛沙汰に、世間の目はかなり厳しかった。



 しかしその一方で、未婚の少年少女たちが通う学院内では、遊びと割り切った男女同士の〝火遊び〟が横行していることも確かな事実なのだという。


 巷でも身分違いのロマンス小説が大流行しているらしく、夢見がちな青少年の憧れを増幅しているようだった。


 『身分違いの道ならぬ恋』という設定をスパイスに、仮初(かりそめ)の色恋を楽しむ生徒は存外多いのだと、ジークハルトは憂い顔で語る。生徒会長としては、どうやら思うところもあるらしい。


 わたし達だけは、物語に出てくるような本物の恋だと思っていたの、と少女は小さく呟いた。


「結局最後は、遊びを本気にするとは思わなかったって捨てられたわ。それどころかわたしに執拗(しつこ)く言い寄られて困っているだなんて噂を広められて、学院中から白い目で見られて……。誰にも相談出来なくて、ノイローゼになっていたのね」


 アンネはそう自嘲気味に語るが、その声色には懐古する様子もまた窺えて、意外にも想像していたより悲壮感は薄い。


「馬鹿よね、わたし。身分違いの恋に燃え上がって、あんなどうしようもない男に踊らされて。今なら分かるのに、あの頃はそれが全てだったの」


 ジークハルトとアロイスは返答に困った様子で、互いに視線を交わして口を閉ざす。

 ニコラもまた、彼女の自嘲を否定も肯定もしなかった。


 身分違いの恋愛が上手くいくことなど、おとぎ話の中にしかないのだ。

 夢見がちな、十代の若気の至りで命まで落としてしまった彼女を擁護する気にはなれなかった。


 だが、馬鹿正直に返答して死体蹴り(彼女は文字通り既に死んでいる)をする程、ニコラは心無い人間ではない。

 ニコラは意図して話題を変えた。


「一体どうしてジークハルト様に取り憑いたんですか?」


 その問いには、当事者のジークハルトだけでなくアロイスまでもが身を乗り出して、彼女の返答を待つ。

 アンネは思い出すように少し言い淀んで、それから口を開いた。


「えぇと、確かわたしは西塔の下にいて……。そう、あの男よ。あの男がこの銀髪の美人さんに「火遊びは(わきま)えている女とやれよ」だなんて言っていたんだわ。それで、この美人さんもロクでもない男なのかしらって思って、こっそりついて行ったの」

「あの男?」


 アロイスのオウム返しに、ジークハルトは心外そうに眉をひそめる。


「多分、剣術講師のベルマー卿だろうね。確かに、授業終わりにそんなことを言われたよ」


 ジークハルトの声は苦い。


「そっか、剣術の演習場って西塔の真下だね。それにベルマー伯って社交界じゃ、女性関係がかなり派手なことで有名だよ」


 アロイスはそう言って肩を竦めた。

 つまり、アンネは自分が死んだまさにその場所で、地雷をドンピシャで踏み抜かれたという訳らしい。


 アンネは生徒会室をふよふよと泳ぐように揺蕩(たゆた)い、ニコラの眼前でくるりと回ってみせる。


「それでね、こっそりついて行って話を聞いていたら、この美人さんは侯爵様だって言うじゃない。それなのに、ずぅっと子爵家の女の子がどうとかって話しているから、あぁこの人も遊び人なんだわって。身分が違う女の子を誑かしているロクでもない男は、懲らしめなきゃって思ったのよ!」


「だから取り憑いた、と……?」


 多分ね? そんな気がするわ、とアンネは頬に人差し指を添えて悪びれずに言う。

 

「まったく心外だよ、私は本気なのに」


 ジークハルトは心底不本意だと言わんばかりにため息をついた。


 アロイスはにやりと笑いながら「ジークったら、昼休みはいつも僕に君のことを惚気(のろけ)けるんだよ」とニコラに耳打ちしてくるので、しょっぱい顔になる。


「何だこの茶番劇……」

 ニコラはがっくりと肩を落として呟いた。





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