エリスと名乗る少女
読み終わった日記と新聞記事を元の引き出しの中にへと戻す。
もしも推測が正しくあの女性が霊体であるならば、入口が塞がってしまっているこの場所に入ることも容易くできる。無惨な死に方をしてしまった呪縛霊なのかもしれない。
だが、そう考えを纏めたところで明らかにおかしい点があった。
まず一つ目は明らかに実体を持っていることだ。逃げている最中に振り返って見てはいたが、机などにぶつかっているのが見えたからである。
幽霊であるならば物理的な物はすり抜けるはずなのに、あの女はすり抜ける事をせずに一定の速度で器用に物を避けて一定の速度で追ってきていた。
それにもう一つ。実体がある以上にこちらの方が重要である。
あの女が使う茨を操作するあの変な能力は一体何なのかと言うことだ。アニメや漫画の世界ではあるまいし、あんなファンタジー的な要素を持つ幽霊なんか今まで聞いた事も見たこともない。
そもそもあの女の正体や能力の正体が分かったところで、俺がこの場所から無事に出られる保証なんか全くと言っていいほど見当がつかない。
「普通の霊じゃない存在………」
そう考えるしか出来なかった。普通の霊でなければ、何なのかはわからない。明らかに情報不足すぎる………。
「はぁ、勘弁してくれよ。俺はオカルトには疎いんだ。霊であっても、あんなとんでも幽霊を除霊なんかできないぞ」
俺が何もできないのには変わりはなく、チルを探さなくてはいけないのにこの場に留まっているしか無い無力さに嫌気が差し始める。
鈍い痛みは相変わらず左足を刺激してくるし本当に最悪な状況だ。
どうしていいか分からずに体育座りをし膝の中に顔を埋めると、耳に女の声が聞こえてくる。
「………何かお困りですか」
女の声と言うだけで、もしかして先のあの化け物がここに入ってきたのかと顔を上げることを躊躇する。
ヤバい殺される。
明らかに先の女性の声質とは違う声なのだが、気が動転してしまっている俺はそれを確かめる為に顔を上げるという些細な行動さえも躊躇う。
「あのぉ、聞いてますか?」
ちゃんとこちらを気遣うその優しい話し方に、その女性の顔を恐る恐るだが見上げようと一息置いて決心し勢いよく顔を上げる。
するとそこには、綺麗で艶のある金髪に、目は吸い込まれるようなオッドアイを持った少女が立っている。背丈や顔立ちで言うと中学生ぐらいの少女。
外国人………?
あまりにも綺麗で可愛い顔立ちを持ったその少女に数秒ほど我を忘れて見惚れていた。
これは今から死にゆくであろう俺に冥土の土産として、ご褒美として神様が見せてくれた幻覚なのだろうか。だとしたら間違いなく死亡ルート入ったという事ですね………。
なんとも勝手な解釈を独断先行で勝手に巡らせている俺。
そんな事をしているからか、その少女に抱き抱えられていたチルの姿にやっとのこさ気づく。
「チル、お前無事だったのか。探してたんだぞ」
驚きと安堵で勢いよく立ち上がると同時に左足に鈍い痛みが走る。
少女は、
「あっ、この猫さん貴方のだったんですね。扉から入ったメインホールで鳴いてましたよ」と言いながらチルの頭を撫で始めた。
チルも満更そうに、ゴロゴロと喉を鳴らし気持ちよさそうに撫でられるがままになっていた。
チルの事はお礼をしなくてはいけないと思いながら、その少女の言葉に一抹の違和感を覚えた。メインホールで鳴いていたって、あの女は一体どうしたんだ。
あんな訳の分からない奴が動き回っている中を平然とここまで来たというのかこの少女は………。
それに覆われていた茨はどうしたんだ。少女一人通れる隙間もないぐらいに出入り口は頑丈に塞がれていたのに。
不思議そうな俺の顔を見ると、その少女は何かを察しのであろうチルを俺に渡しながら、
「君は一体どうやってここまで来たんだ。そんな顔をしていますねお兄さん」と声を発した。
チルを受け取り困惑する俺に、返答を待たずに続ける少女。
「私はエリス・アルワード。君を偶然にも助けに来た存在。呼び方はエリスでいいよ」と言い終えるとニコッと満面の笑みを浮かべる。
初対面………なのに彼女は俺の名前を知っていた。
どこかで会ったか………いや、こんなインパクトのある髪に整った顔立ちの少女を見つけたら普通は忘れるはずがない。
「どうして、俺の名前を?」
「それは後でね。ここを出てから色々と教えてあげる」
「出るって言っても………」
あの女の事を言おうかと思ったが、出かけた瞬間に口籠る。この子がどうやってここまで来たのかは分からないが、なんの危害も被っていないことを見ると俺自身がタチの悪い幻覚を見ていたんではないかと思ったからだ。
変な事を言って怖がらせるのも気が引けて言い出せずにいた。
口籠る俺を、エリスと名乗る少女は不思議そうに見つめている。
そして、ふと視線を下に向けたエリスは俺の左足の傷に気づいたらしく
「あぁ、お兄さん、左足すごい血が出てますよ」と驚く。
止血はしているものの、ガーゼでは塞ぎきれなかった血がジャージを赤く染めていた。
「あぁ、これね。ちょっと怪我しちゃって」
流石に自分でハサミで刺しましたとは言えなかった。
「痛そうですね。ちょっと待っていてください」
エリスはそう言うと、俺の左足に手を翳す。すると、足の痛みが徐々に引いていくのが分かった。
「はい、これで傷口は塞がりましたよ」
満面の笑みでそう言い放つエリス。
先までの痛みが嘘かのように足を動かしても全然痛くなかった。
「君は一体何者なんだ」
先までは綺麗で可愛い少女という感情しか持っていなかったが、明らかに普通の人間ではないのは分かった。次から次へと一体何なんだと混乱し始める。
もう考えることが馬鹿らしくなる別次元に迷い込んでしまったのだろうと、自分に言い聞かせる。
「これで大丈夫だね。行きましょう」
そう言うとエリスはスタッフルームから出て、廊下をなにも無かったかのように進みだす。ついて行こうとしたが、あの化け物がいることを考えると足が進まなかった。
「ねぇ、どうしたの」
「あのっ、一つ聞かせほしいんだけど。あの、変な女性が。体から血を流していた女性はどこに行ったんですか」
その言葉にエリスはニコッと笑い口を開く。彼女の笑みは、この理解不能な状況下で安心して見られるそんな優しい笑顔だった。
「やっぱり、あなたには見えていたのね。彼女は「魔霊」と言う特殊な霊体。普通の人間には本来見えない存在なんだよ」
頭の中を?マークが満たしていく。一体なにを言っているのか正直掴めなかった。
幽霊と言うことは何となく推測はしていたが、まさか「マレイ」等と言うどんな漢字を書くかも分からない存在だったとは驚いた。
「まぁ、そうなるわよね。今から行く場所にその答えがあるよ。大丈夫よ。貴方は私が守るから」
そう言いながら再び歩を進めるエリス。俺は半信半疑ではあったが、チルの件もあり悪い人ではなかった事からその後を言われるがままについていく。
後をついて行きメインホールまで出てきていた俺とエリス。
メインホールには先ほどの化け物じみた女が茨を出しふらふらと徘徊していた。
「あの人よね。貴方が見た女性って」
気づかれないように小声で俺に話しかけくるエリス。俺は声を出すと気づかれかねないと思い、首を縦に振り声を出さずに返答する。
「そう。今から貴方の周りに結界を展開するわ。いい、絶対にこの結界の中から出ないでね。茨が貴方を認識して、先みたいに攻撃されるから」
そう言い終えると薄い透明な球体のような壁を俺の周りに展開する。
「そこにいれば安心だから」
壁の向こうのエリスの声は遮断される事なく耳にへとちゃんと届いてきていた。手で触ると確かにそこには壁が存在していた。
「あのっ、これは」
「いい?今から貴方が身を投じる世界がどんな世界なのか見せてあげる」
「いやっ、それってどういう事ですか」
「魔霊との戦い方を見せてあげるって言ってるのよ」
そう言うとエリスは何処から出したのか、死神が持っている様な馬鹿でかい鎌を手に握り出した。
大人でも振るうのが大変そうな大きさの鎌を片手で軽々と持ち上げると、わざと音を鳴らしあの女に存在を気づかせた。
「がががががががぁぁギギギぎぎぃぃ」
先よりも理性がなく意味のない雄叫びを上げ、無数の茨をエリスに向けて放出し始める。
エリスはその無数の茨をいとも簡単に鎌により裁断して行き無重力なのかと思うぐらいに軽々く飛び跳ね、サーカス団も驚嘆しそうなくらいにアクロバットに動いていた。
「何なんだよこれ」
チルを抱きしめながら目の前で起きていることが本当に現実として起きている事なのかと信じられないでいた。
「お兄さん、いい物を見せてあげる」
アクロバット戦法を繰り広げて放出された茨を物の数分で全て切り終えたエリスは、俺の前にへと着地しそう口を開いた。
あれだけ動いていて息ひとつ乱れてないことから、体力も相当なものをお持ちなのだろうと感心する。
だが、既に人外的な闘いを目の前で見せられている上でそう諭されてもどう返答していいのか言葉が出てこなかった。
これ以上何を見せてくれると言うのか皆目見当もつかない。
「いい、ちゃんと見ていてね」
そう言うと、思いっきり鎌を横に振るう。すると、振るった大鎌から無数の巨大な三日月型の風の斬撃が放出される。
かまいたち………その現象が頭に浮かぶ。いやっ、かまいたちとしては規格外にもいいところまでぶっ飛んでいる。
本来かまいたちは気づかない内に切り傷が付く現象を指す。だけどこの規模は、切り傷程度では到底収まらないほどの威力を有していた。
エリスが斬撃を飛ばすと同時に、建物を覆っていた茨があの女を守るかのように防御壁を生成していた。
しかし、エリスが連続でその斬撃を振るうとその防御壁も次第に崩されていく。
切るというよりその勢いのまま抉ると言った方が正しい表現だった。茨も崩されてはすぐに別な茨が防御壁にと成り代わっていたが、斬撃の数で押された茨の防御壁が崩壊するのに時間はほとんどかからなかった。
最後の一振りで振るった斬撃が、無数の斬撃であらわになったその女がいるであろう防御壁の核を真っ二つにした。核が割れると同時に、中にいた女の断末魔が聞こえ美術館を覆っていた茨が一瞬にして消失する。
「終わったわね」
エリスが指を鳴らすと俺を覆っていた透明な壁が消える。
「いい?今から主人を失った異霊空間が崩壊を開始するわ。魔霊が見える貴方には、空間が壊れる轟音が聞こえるかも知れないから気をつけてね」
すると耳をつん裂くような激しい音が鼓膜を震わせる。
鼓膜が破れるんじゃないかと思うぐらいの大きな音にチルを床に置きたまらずに耳を塞ぐ。
人よりも耳がいいチルが平然としている事が不自然ではあったが、音が鳴り止むまで耳を塞ぐのに精一杯だった。
轟音が鳴り響いてから数秒後、裂け出した空間が音を立てて勢いよく砕け散った。砕けた空間の後ろから現れたのは先までと同じ景色の空間だった。
一見何が変わったのか分からなく挙動不審となる。
「今のは何だったんですか?」
耳を押さえていた手をどかし、再びチルを抱き上げそうエリスに問いかける。
「今のは、魔霊が作り出した異霊空間と呼ばれる特殊な空間。異霊空間は、そこに住む魔霊の想いから作られる空間なの。魔霊がいなくなればその空間は今みたいに砕け散りなくなるのよ」
魔霊だの、異霊空間だの。一体何がどうなってるのか…。
平凡な日常を送ってきた俺には到底理解ができる現状ではなかった。でも、俺が理解しなくたってそこは問題ではない。
現に俺はこの場所で、異常なまでの体験をしている。それが全ての答えとして表れている。
恐らくエリスの言っていることは本当。
もし言っていることが嘘ならば、俺が体験しているこの現実を説明できない。理解できなくても、実際にこの現実が起こっている以上受け入れなくてはらない。
必然的にそう思った。
「ねぇ、貴方はいつこの場所が普通の場所と違うと気づいた?」
眉を潜めて現実を受け入れようと考えている俺に、そう問いを投げつけて来るエリス。
普通の場所と違うと気づいたのは入る前から薄々は気づいていた。その事を理由づけしそのまま話す。
「貴方はだいぶ感が鋭いわ。だからこそ、この場所に誘われたのかもしれないわね。貴方が言う様にこの場所だけは、辺りが暗闇に包まれている夜にも関わらず建物内まで月の明かりが照らしてくれていた。普通辺りがこんだけ暗ければ、電気の通っていないこの建物内は暗くて見えない。でも、ここは月の光が嫌と言うほど至る部屋の隙間から差しこんでいて肉眼で行動しても大丈夫なくらいにね」
「はい、それは思っていました。異様にここの建物だけ、月の明かりが降り注いでいたので。でも、猫がその光に誘われて中に入って行ってしまい、躊躇はしたものの入ってしまいました」
うんうんと頷くように首を縦に振り俺の返答を聞いていたエリスは、話が終わると同時に辺りを見回しその現象の秘密を見してくれると言い、メインホール中央に置かれている大きな置き時計の秒針をいじり始める。
「確か、右に5回。左に6回だったよね」
声に出しながら言ったその回数分時間を表す短針を動かす。すると、鈍い音を立てながら置き時計がスライドし始め時計により隠されていた地下への階段が姿を見せる。
「だいぶ前の仕掛けなのに動くなんてすごいわね………。いやっそう言うことよね。ありがとう」
悲しげな表情でそうお礼を言うエリス。そのお礼は当然ながら俺に対してではなかったので、誰に向かって言ったのかは不明だった。
「………それじゃ、行きましょう」
階段を見つめ立ち尽くす俺に、そう声をかけたエリスが先導し階段を降りていく。階段を降り終えると、短い廊下と廊下の先に一つのドアが寂しげに設置されている。
廊下の先にあるドアを開けるとそこは土豪のように、土が掘られただけの空洞がある空間になっていた。
そこの空間は、月の光が煌々と照らし夜なのにも関わらず照明無しでも肉眼で見渡せるほど。
「見て」
エリスが指差す先には、茨に絡まれた一体の人が項垂れ椅子の上に座らされていた。茨はその死んでいるのか、眠っているのか分からないでいるその人を拘束するかのように絡まっている。
そして一番驚いたのは、その人物があの新聞記事に載っていたとされる一人の女性と同じだったということ。
そう、姉さんによく似たその女性だった。
「これって、死んでいるんですか?」
生死の所存が分からないでいるその人を見つめ問いかける。
エリスは首を横に振り、
「いえ、ここは特殊な空間になっているの。この人は今は眠っているだけよ」と口を開く。
「そうなんですね」
目の前にいるのが姉さんだとは思いたくはなかった。ただ似ているだけだよな、そう言い聞かせる。
ただ何故死んでいるのかを確認したのかは、もしかしたらそれが姉さんであった時の安心が欲しかったからなのかもしれない。