異質な空間
眠りについてどれくらい経った頃だろう。俺はふと意識を戻されるかのように目を覚ましていた。
眠っていた際に妙な夢を見た。
知らない場所、知らない少女。俺は、少女に何かを訴えていた。
何を訴えていたのかまでは鮮明には覚えてはいないが、必死に訴えかけ説得をしているような光景であった。
しかし、その場所やその少女に全くの心当たりがない。
夢というのは本来、その人が見たり聞いたりした記憶から生成される。だとすれば、あの場所もあの少女も俺は見ているという事になる。
でもわからない。一体何処でだ………。
寝起きで頭が回らない中、必死にその答えを見つけようと記憶を探ってみるがやっぱり思い出せない。
それどころか、寝る前まで確かにいたはずのチルの姿が周りを見ても何処にもいない。
「チル。チル」
名前を呼ぶが鳴き声も聞こえない。
「全く、何処に行ったんだよ」
いや、チルは猫だ。目を離し眠ってしまった俺の責任か………。
再び猫探しを、美術館内で開始する。この際にふと思ったのだが、寝る前には確かにあった茨の棘によって切れた傷が完全に塞がっている。
立ち上がる際に机に手の平を置いたが痛みがなく、不自然に思い確認したのだ。
「こんな短時間で治るような傷だったか………」
今までも時折怪我の治りが他の人より早い時があったが、それは第三者が見てそう言っていただけのことであり自分自身は普通だとあまり気にする事はなかった。
だが、今回の傷の治りは早いにも程があり俺自身ですら不自然でならない。
「まぁ、いいか。それよりチルを探さなくちゃ」
怪我の治りが早い事は腑に落ちなかったが考えていても仕方ないので、一階にはいないことを確認し終え二階にへと向かう。
そして二階の『第二展示室』と書かれた大きな部屋にへと到達した時点で、明らかに一階部分とは違う雰囲気が漂ってくる。
廃墟ではあるが、一階では感じ取れなかった程の肌寒い空気が一瞬にして体を包み込む。
「さっむ。一体なんだよ」
ガンガンに冷房を起動しているんじゃないかと思うぐらいに冷え込んでいる一室は異常と言う言葉以外当てはまらないぐらい異質な空間だった。
そんな異質な空間に戸惑い気づくのが遅れてしまったが、人影みたいな影を一室内に確認する。
一体何処から………。
入り口や入れなさそうな場所は茨に覆われ、出入りができないのは確認済みである。
二階から入ったのだとしても、一階部分の高さがそれなりにある造りから梯子などが無いと二階部分の窓には届かない。
もしかしたら何処かに梯子が掛かっておりそこから出れるのではないかと、一階から出るのが絶望的なこの状況に一筋の光明が差したような気がした。
きっと俺が知らない出入り口があるに違いない。俺はそれを聞こうと女性に歩み寄り話しかける。
「あの、すいません。何処か出入り口を知らないですか?入って来た入り口が塞がれてしまい、出られなくて」
しかし、この判断が全てを狂わす間違いだった。いやっ、もしここで話しかけていなくてもチルを探している以上この先にいかねばならなかったから見つかっていたが………。
女性はそんな俺の問いかけに最初は無反応だった。聞こえていないのか………。
「あのぉ、すいません。出入り口知ってたら教えて欲しいのですが」
再び問いかける。すると先程は無反応だった女性がゆっくりと此方にへと振り返る。
振り返った女性の姿が月の光によって見る見る鮮明に映し出されていく。そして、全てが見えた瞬間俺は背筋が凍った。
「うっ、うわぁぁぁぁ」
咄嗟に悲鳴を上げる。一瞬にして足がすくむ。
その女性は全身から血を出しており、その顔は原型を留めてはいなく見るに耐えない顔だった。顔は殴られたかのように大きく腫れていて、右まぶたも腫れ右目は隠れてしまっている。
「みぃ〜つけたぁぁぁぁ」
女性は不適に笑いそう言葉を発する。足がすくんでしまい動かない。
くそっ、何だよ、動けよ。いくら体にそう言い聞かせても、脳が体にへと信号を出すのを拒絶して足が動く事はなかった。
ゆっくりと俺の方にへと近づいてくる女性。
やばいやばいやばい………。
逃げ出したいが完全に目の前の恐怖に身体が言うことを聞かない。このままだと殺される。
そう感じた俺は、スタッフルームから拝借していたハサミを上着のポケットから取り出し左足に目掛けて突き刺す。
激痛と共に足のすくみが完全に取り除かれ一心不乱に足を動かし始め距離を取り逃げ出す。
走るたびに激痛が左足を襲ったが今はそれどころではない、必死に痛みを堪え深傷を負っている足を酷使し走り続ける。
何とか足を引きづりながら一階にあるスタッフルームにへと難を逃れ避難することに成功した。
俺がスタッフルームに来るまでに、美術館を覆っていた茨が幾度となく俺を襲ってきていたが茨が俺に届くその寸前で、何か特殊な力に弾かれるように茨が何度も仰け反っていた。
一体あれは何だったんだと考えを巡らせるが、非日常な事が起こり過ぎていて纏まるものも纏まらないでいる。
それに、今まで何もなかった茨があの女と出会った直後から俺を敵対物だと認識し始め襲ってきた。
考えたくはないが、あの茨は間違いなくあの女の意思で動いている。
見た感じ明らかにヤバい感じの奴が、人知を越えた力を使ってくるのは反則じゃないのか。と血だらけになった左足を押さえながら机の影に身を潜め続ける。
幸いにもスタッフルーム内に置いてあった救急セットを使い一次的に止血を試みた後であった。廃墟にある救急セットなんて使えたもんじゃないかと俺自身も初めは思ったが、中を開けたら真新しい救急道具が入っており神のお助けなぞと大袈裟に感謝する。
それにあの化け物はなぜかこのスタッフルームの中までは近づいて来ない。寸前の廊下までは来るが、何故かそこから引き返してしまう。
ここのスタッフルームには特殊な力か何かが働いているんではないかと感じるが、お札らしき物も貼ってある形跡は見当たらないので全くの謎である。
まぁ、幽霊じゃあるまいし、お札如きでどうにかできる様な相手だとは到底思えないが、あいつが来ないだけでも身の安全は保証できる。俺にとってはありがたいことだ。
どっちにしても、こうなってしまっては無闇に動き回りチルを探すこともできない。茨が俺を見付けては攻撃してくるのでは尚更。
それにこの足では長時間力を入れて走ったりするのは困難。落ち着いて考えればあの方法以外にも何かしらいい方法は必ずあったはず、しかしあまりに唐突すぎる出来事で俺自信はあの方法しか思いつかなかった。
「はぁ」
後々の事を考えてなかった自分が浅はかすぎて、自らハサミを突き刺したことを後悔し大きなため息を出す。
これから一体どうすればいい。
相手は人間ではない何か。普通の知識でどうこうできる相手ではない。
何をすることもできずに、無情にも時間だけが過ぎていく。今思えば、他にもいくつも部屋があったのにも関わらずこの場所に一直線に来たのは運が良かった。
あいつがこの場所に入って来れないなんて事は知らない上で来たのだから、運はまだ見放しいないと捉えても過言ではない。
ただ、このままでは失血多量で死ぬ可能性も出てきてはいるのだが………。
「そういえば………」
あの化け物の顔を思い返しているとふとあることに気づく。それは、俺が最初にここの場所に来たときに見つけた一枚の新聞記事とその記事が挟まれたとある一つの日記だった。
初めは何か茨を切る物はないかと物色していただけなのだが、その際に見つけていた。
俺は再び机に入っていたその日記を手に取り日記を開く。先は流し読み程度にしてしまったが、自分の記憶は正しかったとすぐに優越感に浸る。
「やっぱりだ」
新聞記事に載せられた写真は、あの化け物の女性に似ていた。
いやっそれどころか、この顔って姉さんの顔に似てないか……。
先のあれは顔があまりにも酷い状態でそうは思えなかったが、この記事に映る一人の女性の写真はいなくなった俺の姉さんにそっくりだった。
そしてその中に俺に顔が似ている男性の顔写真もあった。
「……まさかね」
姉さんがいなくなったのは三年前。この記事自体それ以上の物だしありえない。
「似ているだけだよな……」
姉さんかどうかは定かではないが、ただ単に似ているだけという事を考えてもこの記事の女性があの女性で間違いはないだろう。
そしてもしもその女性であるなら間違いなく生きている人間ではなくなる。
この新聞記事は今から六十年ほど前の物であり、ここの美術館で起きた大量殺人事件の事件の概要を書いた記事であるのだから。
しかし、それと同じく置かれていたこの日記は一体誰に宛てて書いた物なんだ。こんな場所にひっそりと隠しておいて……。
そう思いながら日記の一ページ目に目を向けた瞬間、脳内に映像が流れ込んでくる
「なんだ、これ」
この日記を書いた人の記憶なのだろうか……。
一周目ー
時代が戻ったのだろうか?
恐らくそうだろう。
前の時代の記憶はほとんど覚えていない。ただ、私が直前までいた日付よりも遡っているのは分かる。
そしてこの場所に来たのは何故だか分からないが、勝手に体がここにへと来ていた。
廃美術館となってしまったこの場所に何で来たのかは正直分からない。もしかしたら、直接この場所に飛ばされたのかもしれない。
でも、この場所が大事な場所だと言うことは薄々分かる気がする。これから欠けたピースを集めに行かなくてはいけない。
ここに日記を隠しておこう。
また同じ目にあった時にここにくれば、もしかしたらこの日記が役に立つかもしれないから……。
そうだ、この事件の記事が役に立つかもしれないから一緒に挟んでおこう。
二周目ー
また時代が戻った。
また止められなかった。今度は寸前まで行ったのに、結局彼の能力でまた振り出しに戻ってしまう。
彼とは一体誰だ?
いやっ、そんなことはどうでもいい。まずはこの日記が大丈夫なことだけ確認できたのは良かった。
この日記に全てが消える前に記入できるから……。
また激しい頭痛がしてきた。忘れる前に書かなくては。
この世界の崩壊を止めるのは……。
あれっ、何を書こうとしていたんだ。
三周目ー
間に合わなかった、また間に合わなかった。
今回はこの美術館で起きた事件が問題だと分かった。だからこそ私は、彼の能力を利用してこの事件よりも前に行こうとしたがこの有様だ。
でも今回は自分の能力を割り込ませたことで、以前よりも記憶が定着している。
ごめんね。こんな駄目なお姉ちゃんで。
必ず貴方をちゃんと救い出す。また駄目だったとしても、私は諦めないで救い出すから。
四周目ー
何度、何度やっても終わりにできない。
日記に直接、前の時代の重大な事を書こうとすると激しい頭痛に襲われる。
頭が勝ち割れるようなそんな痛みだ。恐らく痛みを我慢して書き続けたら最後、記憶どころか脳までも持っていかれる。
だからこそここには書けないんだ。でも、次こそはちゃんとやるから。
待っててね。お姉ちゃんが必ず救い出してあげるから。
その瞬間に映像がプツンと途切れる。日記が終わっていた……。
いやっ、違う。意図的に次のページが破られているんだ。事件に関係あったとも思えないような殴り書きの日記を破る理由とは一体なんだ。
誰かがこの日記を俺より先に見つけているのは間違いなかった。でも、なぜこの日記が破られているのか。
それにお姉ちゃんって……。誰のお姉ちゃんが残した日記なんだ。それに破られている理由は一体どうして破られているんだ。
考えるには考えたのだが、どうしてもある一点の推測にしか行き当たらなかった。
この日記を先に見つけた人は、この後の文章に見られてはまずい何かが書かれていたのを知っていたからこそ破り捨てた。
そう考えれば考えるほど、破られているページには一体何が書かれていたんだと言う疑念が出てきていた。