夏の思い出。
久しぶりに書く気が出たので、超短編をひとつ。
ピンポーン.......ピンポーン.......
少し錆び付いたような無機質な音が、ある夕暮れの空に響いた。音を鳴らした主は友人の家の前に立ち、無意識に前髪をくるくると回している。
反応が無い、もう一度。
2度目の呼出音からしばらくして……家の内側からバタバタと慌ただしい音が聞こえたかと思うと、扉が開いた。
「もぉ、遅いよエミ」
その待ち人の少女、もといマイは、むぅと頬を膨らませる。エミと呼ばれたもう1人の少女は、不機嫌になったマイに申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんごめん、待たせちゃったね」
エミはそう言い、マイに右手を差し出す。
「行こっか、もうお祭り始まっちゃってるもんね」
「うん」
2人の少女は、手を繋ぎながら夕焼けで赤く染った街を元気よく駆けていく。マイにとって今から向かう神社で催されるお祭りは特別なものだ。もうすぐ夏が終わる。マイにとって、夏が終わった後は決まって嫌な気分になる。萎れたヒマワリ、地に転がるセミの死体……元気いっぱい輝いていた生き物達が夏が終わると次々に居なくなっちゃうのを見ると、マイは悲しくなる。それはお祭りだって例外じゃない。これは今年最後の夏祭り。これが終わればまた夏が来るまで夏祭りに行けなくなる。それなら、大好きな友達と思いっきり楽しまなきゃ。マイの手に無意識に力が入る。
「マ、マイ?ちょっと手が痛いよ」
そう言われ、マイははっと手を離す。
「ごめんっ、つい……」
マイは再びエミの手を取り、走り始めた。
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ようやく辿り着いた頃には、空は夕暮れを越え紫がかっていた。マイとエミはお祭りを沢山楽しんだ。といってもお互い500円玉しか持ってなかったから、どこで使おうかと2人で話しながら屋台を練り歩く時間が大半だったけど。1時間程回った結果、2人の500円玉はりんご飴とわたがし、それと小さな透明な袋の中に入った金魚に変わった。くじ引きもやってみたけど、2人とも残念な結果に終わってしまった。
お祭りも終わり、2人はすっかり暗くなった夜道を歩いていた。
「きょうはたのしかったね」
りんご飴を頬張りながら、エミは笑った。
「うん、たのしかった、すごくたのしかったよ」
マイはそう言いつつ、まだ頭の中ではお祭りの……夏の余韻に浸っていた。本当はまだ帰りたくなかった。いいや、ずっとあそこに居たかった。あの楽しいお祭りの雰囲気のまま時間が止まってしまえばいいとさえ思った。そう思っていると、次第にマイの心の中に影が差す。夏が終わる。終わってしまう。私はあと何回、楽しい夏祭りにエミと参加出来るだろうか。あと何回、エミと一緒に夏を迎えられるだろうか。
「……こわい」
気付けばマイの口から、か細く言葉が漏れた。
「マイ…?大丈夫、オバケなんか居ないよ」
マイが暗い夜道に怯えたのかと思ったエミは、マイの手を握る。マイはエミの手の暖かさを感じて、少し安心すると同時になんともいえない、怖いような、切ないような感情が沸きあがる。
「オバケ…もそうだけど、ちがうの」
マイは頭の中に浮かんだ感情を必死に選び、たどたどしく言葉にしていく。
「わたし……おおきくなるのがこわい。なつがおわるたびに、たいせつなことをわすれていくきがして、こわいの……!」
マイが表現出来たのはこれが限界だった。エミは怯えるマイをじっと見つめている。その目すら、今のマイにとっては怖いものだった。夏が終われば、セミの命もお祭りも終わる。そしてその夏の記憶は次第に薄れていく。だとすれば、いずれエミは私の事を忘れてしまうかもしれない。私もあのセミの死体みたいに、誰からも忘れられちゃうの?
「……マイ」
長い静寂の後、エミはゆっくりと口を開くと、マイを優しく抱き締めた。
「だいじょうぶだよ、マイのこわいものは、わたしがなくすから」
「エ、エミ……」
エミの優しい言葉に、マイの視界が滲む。怖いものが無くなったわけじゃないけど、まるでお母さんと寝ている時みたいな安心感に包まれた。
「なかないでよマイ、わたしはマイとずっといっしょだよ」
エミはマイの頭をくしゃくしゃと撫でる。いつもよくされる事だった。苦手な算数のテストで100点を取った時も、お化け屋敷で泣いちゃった時も、エミが乗ってるベッドの傍に居た時も、エミはそうしてくれた。マイはエミの手にいつも勇気を貰っていた。
「エミ……エミぃ……!」
「マイ……そうだ」
エミは持っていたナップサックの口を開けると、中からペンダントを取り出した。マイの好きなウサギの形をしているそれを、そっとマイの右の手のひらに乗せた。
「これ、マイにあげる」
「え……?」
「わたしはエミがおおきくなるところをみれないかもしれないけど、そのときは、このこがわたしのかわり」
そう言うと、エミは目いっぱい笑った。
……このウサギのペンダントが、エミのかわり。
マイはそう思うと、手のひらに収まっている小さなそれは、何故かとても暖かく感じた。
「エミ……ありがとう」
マイは左腕で溢れた涙を拭う。こんなに沢山泣いて、私はあかちゃんみたいだなって思ったけど、恥ずかしくて口には出さなかった。
「もう、帰ろっか」
エミはいつものようにマイに手を差し出す。マイは右手をウサギのペンダントを握りしめ、左手でエミの手を取った。いつの間にかマイの心の中からあのなんともいえない恐怖は無くなっていた。二人の少女は、暗い夜道を行きと同じように元気よく帰路へ進んでいった。
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今日は8月29日。私にとって憂鬱な時期だ。
夏休みが終われば本格的に就活を始めなきゃいけない。昔から話すのが苦手な私にとって、非常に厄介な問題だ。それ以前に課題が残っている。期日までもう僅かな日数しかない。精神的に追い詰められた私は気分転換代わりに窓を開け放った。涼しい風に混じって
、薄い夏の香りが漂ってきた。そういえば少し前まで喧しく騒いでいた蝉の声も、最近はめっきり聞こえなくなっている。
「憂鬱だな……」
感情がつい口に出た。夏の終わりは本当に嫌だ。虫が嫌いな私にとって、玄関やベランダに蝉の死体が転がっているのを見るのが本当に苦痛だ。
蝉の……死体……
私の手がはたと止まった。私の脳を後押しするように吹いてきた強い夏の風で、私はあの時の事を思い出した。咄嗟に勉強机の引き出しを開ける。それは少し埃を被っていたが、それは……あの夏の思い出は、確かにそこあった。
「……エミ」
その名前を口にするのは何年ぶりだろう。ついこの前まで忘れていた記憶が、次々と息を吹き返していく。
「エミ、ごめんね……エミは私の事忘れないって言ったのに」
懐かしいウサギのペンダント。あの時感じた恐怖を消してくれたエミのペンダント。私はもう居ないエミにギュッと抱擁するように、両手でそれを握り締めた。
「私……もう怖くないよ」
冷たいはずのペンダントが、あの時みたいに暖かい熱を持っている気がした。
「ありがとう」
読んでいただきありがとうございました。