幼きウェンデルの悩み
その街は、しんと静まりかえっていた。店は扉を固く閉めており、通行人の姿もほとんど見えない。
今の時刻は昼の二時だ。いつもなら、ほとんどの店が開いている。様々な人種が行き来し、話し声が聴こえているはずの時間帯である。
にもかかわらず、なにゆえここまで静まりかえっているのか。それは、街一番の危険人物が出歩いているからだった。
ララーシュタインの身長はニメートル、体重は百三十キロという巨漢である。毛皮のベストを素肌に直接着ており、長く太いチェーンをネックレスのように己の首巻き付けている。もじゃもじゃの黒髪は肩までの長さで、髭もぼうぼうに伸びている。腕力は異常に強く、オーガーを素手で殴り倒したという逸話の持ち主だ。
しかも、この男は魔術師なのである。一時期は魔術の天才と謳われていたほどで、帝国魔術師団の一員でもあった。しかし、魔術師の長とトラブルを起こし、必殺魔法のサンダーボールで建物を破壊した挙げ句に自ら魔術師団を退団……という恐ろしい伝説を持つ男である。
そんなララーシュタインは、今日も街中をのしのし歩いていた。住人たちは、みな窓を閉め扉に鍵をかけている。この魔術師とかかわって、いいことなどひとつもないからだ。
道のど真ん中を歩くララーシュタインの視界に、妙な者が入ってきた。どうやら、旅をしている冒険者のパーティーらしい。ブロードソードを腰から下げ胴鎧を着た若い戦士、温厚そうな顔の僧侶、中年の盗賊、不健康そうな痩身の魔術師、弓と細身の剣で武装したエルフの女、バトルアックスを持ったドワーフという面々である。
ララーシュタインの目つきが鋭くなった。険しい表情で、ずんずん歩いていく。向こうの冒険者パーティーも、道を空ける気はないらしい。こちらを睨みながら歩いてくる。
その光景を、街の住人たちは窓の隙間から覗いていた。八百屋のジョンは、大きな溜息を吐く。
「あのガキども、ララーシュタインのことを知らんのか。また犠牲者が出るな」
ララーシュタインは、肩をいからせ道のど真ん中を歩いていく。
冒険者たちも、引く様子はない。異様な格好の魔術師を睨みながら、どんどん前進している。
やがて、両者は立ち止まった。手と手が触れ合わんばかりの位置で、じっと睨みあっている。
「邪魔だ。道を空けろ」
先に声を発したのは、ララーシュタインであった。すると、ブロードソードを下げた若い戦士が威嚇するような表情で近づいてくる。
「誰に向かって言っんだよ、このジジイ。暑苦しいカッコしやがって──」
言った瞬間、ララーシュタインの足が伸びる。強烈な前蹴りを食らい、戦士は吹っ飛ばされた。宙を飛んでいき、ばたりと倒れる。
唖然となる冒険者たちだったが、ララーシュタインは既に行動を開始している。エルフの髪の毛をひっ掴み、ゴミでも捨てるようにブン投げる。そう、ララーシュタインは悪の天才魔術師である。相手が女でも容赦しないのだ。
さらにドワーフを蹴飛ばし、魔術師にヘッドバットを食らわせ、僧侶と盗賊をダブルラリアットでまとめてぶっ飛ばす……一瞬にして、全員が倒れていた。
「つまらん。ウォームアップにもならん」
吐き捨てるような口調で言うと、極悪魔術師は去っていった。
その様子を窓の隙間から見ていた肉屋のアンジェラは、顔をしかめて首を横に振る。
「まったく、どうしょうもないろくでなしだね。早く出てって欲しいよ」
やがて極悪人の帰宅を確認し、肉屋を開けたアンジェラ。すると、さっそく客がやって来た。
「アンジェラさん、グリフォンの肉を二包みください」
そんな注文をしたのは、小柄な少年であった。髪は金色で肌は白く、可愛らしい顔立ちだ。白いシャツと黒い半ズボン姿である。肩掛け鞄をぶら下げ、にこにこしながら立っている。
「おや、ウェンデルじゃないか。学校は終わったのかい?」
アンジェラもにこにこしながら、肉を包む。代金を受けとる時、顔を近づけ囁いた。
「あんた大丈夫かい。あの悪の変態魔術師に、変なことされてないかい?」
「されてませんよ。ララーシュタインさまは変態魔術師じゃなくて、天才魔術師ですから」
朗らかな顔で答え、ウェンデルは肉を持って帰っていった。
残されたアンジェラは、顔をしかめ呟く。
「かわいそうな子だよ。あの変態魔術師、絶対にウェンデルに変なことしてる。でも、固く口止めされてるんだろ」
そのかわいそうなウェンデルは、町外れの屋敷に到着した。
「ご主人さま! ただいま帰りました!」
たいへん元気よく挨拶した。すると、奥からララーシュタインが出てくる。こちらは、たいへん不機嫌そうだ。
「帰ったか。ったく、奴隷の分際で学校など行きおって。さっさと仕事しろ」
「はい! わかりました!」
またしても元気よく返事をすると、ウェンデルは自室に鞄を置く。エプロンを付け台所に行き、調理の準備を始めた。
やがて、テーブルに皿が並べられていく。上には、パンやスープや唐揚げが乗せられていた。
「今夜は、ご主人さまの好きなグリフォンの唐揚げですよ」
にこにこしながら、ウェンデルは椅子に座る。その時、ララーシュタインの表情が険しくなった。
「今回は、何が狙いだ?」
「は、はい?」
うろたえるウェンデルを、ララーシュタインは鋭い目で睨みつける。
「前回、学校に行かせてくれと頼んだ時は、キマイラのステーキだった。やれ健康に気をつけろ、やれ野菜を多く摂れと口うるさく言ってくるお前が、肉料理を多く出す……何か目当てがあるのだろう?」
「そ、そんなこと──」
「俺の目ををごまかせるとでも思ったか。さっさと言ってみろ」
ララーシュタインに言われ、ウェンデルは下を向いた。もじもじとためらう仕草の後、意を決した表情で顔を上げる。
「ぼ、僕は……怪我をしたいんです!」
「はあ?」
唖然となるララーシュタインに、ウェンデルは必死の形相で訴える。
「学校の同級生は、みんな怪我をします! でも、僕は怪我をしません! みんなと同じように、怪我をしてみたいんです!」
その途端、ララーシュタインの表情が険しくなった。
「何をバカなことを言っているんだ! お前は完璧な新造人間だ! 人類を超越した存在なのだぞ! 凡人と同じになる必要はない!」
そう、ウェンデルは普通の人間ではない。悪の天才魔術師ララーシュタインが超魔法で作り上げた人造生物なのだ。ウェンデルの皮膚は柔らかいが丈夫であり、刃物で刺されても傷ひとつつかない。
だが、幼い少年は不満のようだ。
「で、でも、僕は……」
口ごもり、下を向いたウェンデルに、ララーシュタインはさらに怒鳴り付ける。
「お前は、私が全身全霊を込めて作り上げたのだ! 新しい人間の第一号であり、パーフェクトソルジャーでもある。さらに、新人類のアダムともいうべき存在なのだ! 怪我などする必要がない!」
その時、ウェンデルは顔を上げる。
「ぼ、僕はそんなものになりたくありません!」
「何だと?」
「僕は、普通の人間になりたいんだ! パーフェクトソルジャーなんかなりたくない!」
叫ぶウェンデルの目からは、涙が流れている。さすがのララーシュタインも怯んでいた。だが、彼は悪の天才魔術師である。こんなことを言われて黙っているわけにはいかない。
「貴様、奴隷の分際で──」
「ご主人さまの、ばかー!」
怒鳴った直後、ウェンデルは自室へと逃げ込む。ドアをばたりと閉めた。
そっとドアに耳を当ててみると、啜り泣く声が聞こえてきた。
数時間後。
ララーシュタインは研究室にいた。書物を読んでいると、ドアをノックする音がする。
「先ほどは、奴隷の分際で失礼なことを言ってしまい本当にすみませんでした。今から入浴します」
ウェンデルの声だ。
「ああ」
短く答えただけだった。ララーシュタインは、ふたたび書物に目を落とす。
やがて、彼はすっと立ち上がった。風呂場に行き、ドアを開ける。
目の前には、体を洗っているウェンデルがいる。当たり前だが全裸だ。突然の魔術師の乱入に、驚いた顔をしている。
「ご、ご主人さま、どうしました?」
ララーシュタインは無言のまま、ウェンデルの腕を掴む。
そのまま、力任せに引っ張っていく──
「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!」
思わず叫ぶウェンデルだったが、ララーシュタインは恐ろしい顔つきて一喝した。
「黙って言う通りにしろ! 奴隷の分際て逆らう気か!」
その途端、ウェンデルは悲しそうな顔で口を閉じた。黙ったまま、ララーシュタインに手を引かれ歩いていく。
ララーシュタインは、研究室へと入って行った。ウェンデルを抱き上げ、室内の中心にある台の上に乗せた。ミスリル製で、不思議な光を放つ台である。人ひとりが横になれるくらいの大きさだ。
ララーシュタインは、仰向けのウェンデルに向かい口を開く。
「今から、お前に怪我機能をつける」
「ケガキノウ?」
訳がわからず首を傾げるウェンデルだったが、次の言葉に表情が一変した。
「怪我をする機能だ。これで、お前も普通の人間のように怪我をするようになる」
その途端、ウェンデルは上体を起こした。ララーシュタインの手を握りしめる。
「ありがとうございます! 僕、すごく嬉しいです!」
「わかったから、おとなしくしていろ。これから、お前は俺の魔法により眠りにつく。その間に、全てを終わらせるからな」
翌日。
ララーシュタインが目を覚ますと、既に昼間になっていた。ウェンデルの姿は見えない。学校に行ったのだろう。
あくびをし、立ち上がる。腹が減った。何か食べよう……とリビングに歩いていこうとした時、タンスの角に足の小指を思い切り打ち付けた。痛みのあまり悶絶する。悪の天才魔術師でも、足の小指は痛むのだ。
ややあって、ララーシュタインは立ち上がった。リビングにて、グリフォンの唐揚げの残りを平らげる。
「こんなもの、知る必要がないだろうが……」
己の足の小指を見ながら、呟くララーシュタイン。怪我になる必要などない、そう思っていた。だから、ウェンデルには強靭な体を与えたのだ。刃物でも傷つかない強い皮膚と、痛みを感じない神経を。
しかし、ウェンデルの望みは違っていた。
「痛みは生きている印、か」
かつて聞いた言葉が蘇る。そう、ウェンデルは生きているのだ。魔法で人工的に作られた生命体とはいえ、彼も人間である。人間である以上、痛みを知るのも必要かもしれない。
「俺は、間違っていたのかも知れんな」
やがて、ウェンデルが学校から帰って来る。だが、その姿を見た途端──
「お前、どうしたんだ!? 誰にやられた!?」
ララーシュタインは、慌てて叫んでいた。だが、それも当然だろう。ウェンデルは傷だらけになっていたのだ。頭には大きなこぶ、顔にはあざと鼻血、手にはやけど、膝には擦り傷……集団リンチに遭ったような姿である。
凄まじい形相で、傷ついた少年を睨むララーシュタイン。
「こんなことをしたのは、どこのアホウだ!? 正直に言え! 俺がひとり残らず地獄に叩き落としてやる!」
すると、少年は慌てて首を振った。
「ち、違います! これは自分でやったんです!」
「な、なんだとお?」
唖然となるララーシュタインに、ウェンデルは照れ臭そうに告白した。
「あのう、痛いっていう感覚が新鮮だったので……その、自分でぶつけたり火であぶったりしました」
「貴様、このバカものが! ブタ! タコ! コブラ!」
罵詈雑言を浴びせつつも、ララーシュタインはウェンデルを担ぎ上げた。そのまま研究室に連れていき、傷の手当てを行う。
「いいか、今後は自分で自分を傷つけるな! これは命令だ!」
「ご、ごめんなさい」
その二月後。
「ご主人さま、今日は、シーサーペントの蒲焼きですよ!」
言いながら、ウェンデルはテーブルの上に皿を並べていく。と、ララーシュタインの表情が険しくなった。
「おい……貴様、次はなんだ?」
「あ、あのですね……次は風邪をひいてみたいなあ、なんて……」