05
ハルトが目を覚ましたのはまだ日が昇って間もない薄暗い時期だった。随分と早く目覚めたなと思いつつ、ステータスを確認しHPが全回復していることを確認する。
普段寝ているベッドと違う場所で目覚めたことに対して疑問を抱くというようなこともない。それどころか自然にステータスを確認していることに、早くもゲームの世界に馴染んできたなと感じた。
「活動できる時間が長いのはいいことだな」
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。下手にこのゲームにのめり込まないほうがいい。そんな予感から目を背け、服を整える。といっても装備は特にないので鎧の装着はしない。そもそも汗や埃は再現されていないため、ベルトを強く絞めるようなことさえしなければ不快感を感じることはなかった。
扉を開けて宿屋の受付を見ると、まだ人はいない。本来なら一声かけるべきなのかもしれないが、一応まだ部屋を借りている期間内なので問題はないだろう。そう結論付けたハルトは宿の外に出る。
そんな彼の目の前に入ってきたのは、ある意味予想通りの光景だった。
「酷いな」
プレイヤーと思わしき人が路上で布一枚はおっただけの姿で横になっている。予想していたとはいえ、あまり気分のいい話ではない。
そんな路上で寝ているプレイヤーたちだが、防具はいいものを身に着けている者が多いと感じる。一見不思議に思えるが、宿屋の部屋が埋まっていたり、節約しているということでなければ、彼らは装備にすべての資金を投じ金欠になったということ。装備が充実しているのはある意味当然かもしれない。
最初の戦闘エリアでの稼げなさは異様といえるほどであり、装備が整っていたとしても素材の換金だけで宿泊代を稼ぐのは難しい。ではギルドの依頼を受ければいいと思うかもしれないが、敵とのエンカウント率は高くなく、たとえ討伐自体は簡単でも、索敵のようなスキルがなければ1日での依頼達成は厳しいだろう。
そんなことを思いつつ街道を歩いていると、途中で食事を売っている露店を見つける。そういえばゲーム開始から今までろくに食事をしていない。食品がアイテムとして実装されているのなら、空腹状態といったデバフもあるのではないか。そんな根拠はないが一考の価値はある閃きののち、彼は露店の店主に声をかけた。
「その串焼きいくら?」
「3ゴールドだよ」
朝からいきなり串焼きというのは胃がビックリしてしまいそうだが、朝が早いからかほかに露店は見当たらない。声をかけた手前買わないのも気が引ける。NPCに対して気をつかう必要はないのかもしれないが、まるで人が入っているかのようなリアリティのある相手に接していると無機物という感じがしない。なによりNPCだからと軽んじていると、いつか人を相手にしていても無礼な態度をとってしまうような気がした。
考えすぎるのが彼の性分なのだろう。そんなことを思いつつ支払いを済ませ、串焼きを受け取る。
「……質素だが味はあるのか」
アイテムとして受け取るのかと思えば手渡しされた。インベントリに入れられるのだろうかと考えつつ串焼きを食む。味付けはかなりあっさりとしているが、ゲームの中で味を感じる機会なんてこれまでなかった彼には新鮮な行為だった。
「味覚があるなら、現実では味わえないような美味なものや刺激的なものなんかがあってもおかしくないな」
彼はそんなことをつぶやきつつ、ゲームを遊ぶ理由が1つ増えたなと思う。
そんな道草を食いつつ、ハルトはギルドを訪れる。
朝は早いが、魔物を相手にしている職場ということもあり、昼間より人は少ないが営業自体はしているらしい。扉は開けて中に入ると、依頼が張り出された掲示板に向かう。
「【スライム討伐】,【ゴブリン討伐】」
2枚の依頼書を手に取り、カウンターに向かう。演出といえば聞こえはいいが、依頼を受ける動作くらいはウィンドウ上であっさりと終わらないものかと思うが、残念ながらそういった機能は見当たらなかった。
「依頼内容はお間違いないでしょうか」
「間違いありません」
「依頼が開始されます。ノルマの達成報告期限は3日です。条件を達成していた場合でも、報告がない場合は失敗扱いになります。ご注意ください」
受付係員から注意事項の説明を受けつつ依頼を受注する。
達成難易度相当の期限だとすると、難易度の低い依頼でも3日かかると思われているということになる。この最低階級の依頼を何個こなせば上の階級に昇進できるのかはわからないが、ギルドで最低階級のプレイヤーがゲームクリアできるとは思えない。S級がやりこみ要素という可能性はあるが、ゲームクリアにはA級程度の実力は要るだろう。となると1週間でゲームクリアできるゲームではない。うすうす感じてはいたが、予想は確証に変わりつつあった。
果たして現実で餓死してオフラインになるプレイヤーは現れるのか。それともゲーム内時間が引き延ばされていて猶予はあるのか。不謹慎かもしれないが、ハルトは今後このゲーム内で何が起きるのかどうかに興味を抱いた。
その後、ハルトはギルドを出て門をくぐり、ファーストリア草原でスライムとゴブリンを討伐する。ゴブリンも、レベルが上がったおかげか1対1であれば最初のような苦戦はせず、ハイドアンドアサルトの一撃で討伐できるようになっていた。とはいえ、ゴブリン2体となると簡単ではなく、片方は奇襲で倒せても2体目とは正面からの斬り合いになり、多少の反撃を食らう。やはり狩人という職業は正面切っての戦いに向いていないらしい。
「本来はパーティを組むべきなんだろうな」
このゲームにはパーティ編成機能がある。経験値やクエスト報酬などを共有し、FF、要するに味方への誤射のリスクを軽減できるらしい。背中を預けられる前衛、敵を引き受けてくれる盾役、敵を足止めしたり瀕死の敵を倒したりしてくれる後衛、ダメージを受けても戦闘を継続するために必要な回復役、そんな味方がいれば心強いだろう。
しかしパーティを組む相手を探すというのはそれなりに手間だ。それに加えてパーティを組む意思のあるプレイヤーは、1日目ですでにパーティを組み終えている様子。間に割り込むことになったら気まずいだろう。
パーティが組めるに越したことはないが、考えるのが面倒なことは後回しにして今は戦闘を繰り返す。途中で珍しい敵との遭遇を期待したが、依頼目標の5体を倒してもそういったイレギュラーは起きなかった。
「……意外と戦えるか? リスポーン可能らしいし、負けるまではソロを続けるか」
依頼を達成したが、なんとなく物足りなく感じ討伐を続ける。その中で、ゴブリン2体相手にノーダメージで勝ったハルトはそんな感想を零す。
このゲームをプレイしている知り合いなどしらない彼は、ひとまず攻略よりも気楽さを優先することにした。野良のプレイヤーを捕まえてパーティを組むのもいいが、1度PKと出くわしていたせいかほかのプレイヤーを安易に信用していいのかという疑念が彼の心に巣食っていた。
「さて次の敵は……今回はゴブリン1体か」
2体との戦いを経験した後では1体だと物足りなさを感じてくるあたり、強欲だなと思う。とはいえ、貴重な経験値には変わりない。
ハルトは隠密のレベル上げを兼ねて近くの物陰に潜み、相手の隙を狙って一撃を加える。奇襲を受けたゴブリンは対応する暇もなく深々と短剣を突き刺され、HPのすべてを失い光となって消えた。
「そろそろレベルも上がらなくなってきたことだし、次の狩場を見つけたいな」
そういいつつ、高レベルの魔物が居そうな森の深くには踏み入らない。最初の戦闘エリアだからと言って油断していると、適正外の魔物に襲われるかもしれない。そんな予感を肯定するかのように、一定の深度を境に索敵に引っかかる気配が途切れる。索敵を無効にするような隠密スキルを常在効果として持っている相手がいるのではないか。その予想が正しいなら、レベル上げは困難であり、一方的に蹂躙されるだけだろう。
「ただ単にエリアの端に不可視の壁がある、なんて話ならいいんだけど」
格下に数で押されることを嫌う彼だが、同時に格上に蹂躙されるのもごめんだった。せめて一太刀入れられる相手でなければつまらない。
そんなことを思いつつ、日が昇ったところで、ハルトは1度ファーストリアに戻ることにする。ギルドで依頼達成報告をしつつ、可能ならば次の難易度の狩場についての情報も得られればと考えるのだった。
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ハルトが警戒していた森の奥。多くのゲームであれば適当な障害物か不可視の壁、エリア外ペナルティによる長期滞在不可などの措置で侵入防止されるような場所を前に、先へと進むプレイヤーがいた。
「灯台下暗し。俺より先にここに入るやつはいないだろ」
隠しエリアと呼ばれる場所。そこに居るのは何も強敵とは限らない。強力な武器や防具の入った宝箱。それが見つかる可能性を秘めている。
そのプレイヤーは期待に胸を躍らせながら、エリアに足を踏み入れる。
物理的な壁や不可視の壁はなく、警告文も表示されない。しかし彼は確実に一つの境界線を踏み越えた。わずかな長さの境界面を過ぎる頃には、森の木々は一段濃さを増し、薄暗くおどろおどろしい気配が一帯に広がる。
「ほ、ホラー演出かよ。ベタすぎるぜ。こんなもんで俺が怯むかよ……俺は、周りを出し抜いて輝かしい栄光を手にするんだ……」
そのプレイヤーは、虚勢を張って先へと進む。この時彼がもっと臆病で、恐怖に耐えきれず逃げ帰っていたならば、この先の不幸は起きなかったのだろう。
【ボスエリアへの侵入を確認。エリアボス『ヒュドラー』が目覚めます】
システムが一文を表示し、大いなる悪意が呪詛とともに起き上がる。
【ヒュドラー:Lv.30】
瘴気が一帯を満たし、触れた弱者を冒す。
「っ、苦しい……」
気づいたときにはもう遅い。
不思議と周りの景色が見えない。まるで夜だ。そう思ったのは、何故だろう。
視界から色が失われていく。瞬きができない。目を擦ろうとした手は、どうにも目の前に届かない。
びちゃり
何の音だろう。そう思った時には、そのプレイヤーの意識は途切れる。
次に目覚めたのは、このゲームで最初に訪れる場所。ファーストリアの町にある中央広場だった。どうやら彼はリスポーンしたらしい。
しかし、そのことに気づくまでにやけに時間がかかった。というのも、彼はまるで自分が小人になったかのように低い視点で周囲を見ていたからだ。そのうえやけに視界が悪い。まるで涙ぐんでいるときのような、あるいは周囲の光景がすべて解像度の低い写真のようにぼやけて見える。
彼はその不快感に叫ぼうとした。しかし、声は出ずに穴から空気が吐き出されるばかり。口も麻痺したようにまともに動かない。
そんな彼の体に起きている異変。それは、全身が液体状に溶け、腐り、水たまりのようになるというもの。しかし彼は死ぬことはなかった。この世界の死はHPが0になることであり、リスポーンした彼のHPは1も減っていない。そんな彼は、まるでスライムのように這い動き始める。誰かに助けを求めるために。
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リスポーン可能という事実に、プレイヤーたちの多くは安堵していた。しかし彼らは2つのことを失念している。1つはリスポーンにはリスポーン地点が必要なこと。もう1つはリスポーンペナルティの存在だ。
といっても、通常のリスポーンペナルティはゲーム内時間で10分間のステータス半減というもの。10分が長いか短いかは人によるが、安易に死に戻り、所謂ゾンビと呼ばれるようなプレイスタイルを許容せず、知恵を使い、全力を懸けて敵を倒すことを推奨されているに過ぎない。
しかし、そのペナルティが重くなるとしたら?
【エリアボスが目覚めました。防衛イベントが発生します。標的となるリスポーン地点はファーストリアです。防衛に失敗した場合、リスポーン地点が消失します。繰り返します……】
そのプレイヤーのリスポーンの直後、大規模なアナウンスが全プレイヤーに通知される。
未知のイベントに加え、リスポーン地点の消失という一文は恐怖を駆り立てる。なぜならプレイヤーたちはまだ次の町にたどり着いていない。
そのうえ、リスポーンしたプレイヤーの姿は、それを見たプレイヤーたちに恐怖と嫌悪感を刻み込む。
肌や血肉、骨までも溶け、這いずるように動く何か。それがエリアボスと対面したプレイヤーの成れの果てだった。
エリアボスが何なのかは不明だが、ボスという名前から低レベルのプレイヤーでは勝ち目がないことを察する人は多い。引きこもりふさぎ込んだプレイヤーたちの中には座して死を受け入れるものもいたが、死にたくないという理由で引きこもっていた人の中には急いでファーストリアを離れなければと考えはじめる。
大規模な混乱の中、停滞していたかに見えた状況は一変し、新たな局面を迎えようとしていた。