03
掲示板の前でどの依頼を受けようかと迷う。おそらくC級に上がるには、おつかいクエストをこなすのが妥当だろう。しかしハルトとしてはただ物を運ぶのは性に合わない。何より彼は1度戦闘エリアに行って感触を確かめたいと感じていた。しかしレベル1のプレイヤー1人でモンスターを倒せるのかどうかはわからない。そんな状況で今簡単そうなクエストを受注するか、戦闘エリアとギルドを往復するかを悩んでいた。
「依頼に書かれたモンスターの名前だけ憶えて、1度戦闘を経験しておくか……」
確かに往復は面倒だが、クエストを失敗すると貢献度がマイナスされると聞いている。もし貢献度がゼロの今クエストに失敗したらどうなるのかわからない。聞けば答えてくれるのかもしれないが、身不相応なクエストを受注する気もないのに失敗前提の話をする気にはなれなかった。
そしてハルトはクエストを受けずに町の出入り口である門に向かう。目的はその先にある最初の戦闘エリア「ファーストリア草原」だった。
討伐クエストを見る限りはゴブリンやスライムが主に出現するらしい。魔狼と呼ばれるモンスターも出没するようだが、討伐クエストの要求討伐数を見る限り出現頻度か同時出現数が低いらしい。しかしそういうモンスターは他のモンスターより少し強いのが通例だ。できれば普通にゴブリンかスライムと出会いたい。
ギルドを出た後、彼は町の外へと通じる門へと向かう。
門の前に着くと、そこには2人の門番が待機していたが、彼らは人の往来を止める様子はない。どうやら町に出入りする人々の素性を全て確認しているわけではないらしい。その様子に面倒な手続きがなくてよかったと思いつつ門をくぐる。
この先は魔物の現れる戦闘エリアだ。ハルトは奇襲を受けても対処できるようにとインベントリから短剣を取り出す。
狩人という職業の性質上、装備重量によって動きが重くなると強みがない。そう思った彼は防具屋は覗かなかったが、その判断が吉と出るか凶と出るか。それはこの先のエンカウント次第といえた。
道は舗装こそされていないが、比較的まっすぐと続いている。地図を見る限り、この道なりに進めば次の町に着くようだ。
実際に数度NPCの馬車が道を走っていく光景を目にする。そんな馬車だが、必ず見張りが乗っており、馬車の前後で目を光らせている。クエストの中には彼らのように馬車を護衛するものもあるが、それらは最低でもB級以上と条件が付けられている。
最初の戦闘エリアの護衛ですらB級以上を要求されるらしい。確かに強い魔物が倒せたとしても、馬車や御者、乗員に被害が出れば依頼は失敗になる。そう考えると実力が求められるのも頷ける。
そんな道から外れた場所、そこには森林地帯が広がっている。見晴らしのいい草原では魔物は現れないため、魔物と戦いたい場合はそういった森林に踏み入る必要があるらしい。
ゲームだからか蜘蛛の糸はなく羽虫も飛んでいないが、茂った木の葉で視界は遮られ、先が見えにくい。そんな中、狩人のスキル「索敵」が効果を発揮したらしい。現実では生き物の気配を察知するような特殊な技能を持たないハルトだが、少し離れた場所に居る何かの気配を感じとる。
魔物との戦闘を経験するために森に入ったのだからとハルトはその気配がするほうへと進んでいく。距離が近づき気配が強まっていく。そんな中、突然マップに強調表示された点が現れた。
「近づくと相手の正確な位置が分かるのか」
低レベルの索敵の効果範囲は小さく、こうして相手の位置が表示される距離は短い。しかし気配を感じとるだけであれば低レベルの索敵でもそれなりの範囲をカバーできるらしい。
「それはそうと今は戦闘だ。最初のエリアで気配を消すスキル持ちが出てくるとは思いたくないが、索敵に頼ってると不意を突かれかねないからな」
そう呟き、ハルトはマップの点に接近する。
「最初の敵はスライムか。RPGだと妥当なところだよな」
視界に映ったのは、地面を這いずる粘液。目も口もないゼリー状の存在は、どこか不気味だった。
そんな相手だが、気配に敏感といったことはないらしく、まだハルトには気づいていない。それをいいことに彼はそのスライムを観察する。
「(遠目に見ても弱点とかはわからないな)」
しかし、観察しても有用な情報は得られそうにない。
どんな攻撃が効くのかもわからないというのは不安だが、序盤の敵だと自分に言い聞かせ、彼は茂みから飛び出しスライムにナイフを突き立てる。
揺れた茂みに反応したスライムは飛び跳ねハルトに体当たりを仕掛ける。しかしその動きは緩慢で、ハルトの攻撃が先に当たる。
刃が刺さったスライムは、膜が破れ、地面に体液をまき散らしながら消滅した。
「汚いな……でもまあ、ゲームらしく服が汚れたりはしないのか」
体当たりを食らうより前に倒すことができたが、飛び散った液体を浴びる。
何か状態異常を食らっていないだろうか。そんな不安からステータスを確認するが、体に害が出るほどの毒や酸は持っていないらしい。そのうえ飛び散った体液はまるで気化したようにすぐに乾いてしまった。
とはいえ、体液を食らったのは失敗だ。今回は問題なかったが、体液が有害な相手もいるだろう。ハルトは、投擲武器がない現状、逃げたほうがいい相手が出てくる可能性は考慮すべきだと感じる。
そんな反省もそこそこに、状態異常を確認するつもりで開いたステータス画面でレベルが2に上がっていることに気づく。
「あんな弱い敵でもレベルが上がるのか。それならレベル1っていうのはこの世界だと本当に弱いんだな」
今回は攻撃を食らう前に倒せたが、スライムの体当たりでHPがどれだけ削れるのか。知っておいたほうがいいような気もするが、防具を着けていない今、攻撃を食らうのは怖い。
「とはいえ、スライム討伐の依頼はこなせそうだな。となると、次に確認すべきはゴブリンか。どれくらいの素早さかわからないが、今度こそ攻撃を食らうかもしれないな」
口ではそういいつつ、彼の口角は上がっていた。初めての戦闘がナイフを刺しただけで終わる消化不良気味なものだったこともあり、もう少し挑戦し甲斐のある敵との戦ってみたいという欲が湧く。
――しかし、そう上手くはいかないらしい。
「3回連続でスライムか。ゴブリンはこのあたりだと少ないのか?」
既に飽き始めていたが、今回の相手はまだこちらに気づいていない様子。考える猶予があったせいか、前回と同じように戦ってもつまらないと思った彼は、ふと近くにあった小石を拾い上げ、スライムに向けて投擲する。茂みを揺らせば気づかれかねないため投球フォームを取ったわけではなく、大した速度は出ていなかったが、どうやらスライムの鈍足では回避できなかったらしい。飛んできた石に反応するも間に合わず、液体を覆う被膜が破け中身をまき散らすと、そのまま光となって消えた。
粘液を浴びずに済む方法はないかと考え思いついた戦法だったが、案外うまくいったらしい。フィールドに枝や落ち葉、小石が転がっているリアリティのおかげでこういった戦術もとれるのは面白い。対人戦であれば砂で目くらましするくらいはできそうだと思ったが、すぐに相手も同じことができると気づき、目つぶしをしあう泥仕合なんて面白くないだろうなと思った。
そんなことを考える傍ら、果たしてゴブリンに会うまで森での戦闘を続けるか、それとも1度ファーストリアの町に戻りクエストを受けるべきかを悩む。一応「スライムの粘液」という名前のアイテムは入手しているが、換金したところで二束三文でしか売れないだろう。敵を倒しても直接金を入手することができないシステム上、依頼を受けずにこうして戦闘を繰り返しているのは非効率的だった。
「1度町まで戻るか」
迷っていたのは数秒のことで、そろそろ1度戻ろうと考える。気配を追って森の奥へ奥へと進んでいた。これ以上は戻るのに迷いそうだと考える。
それに何も気配は奥にしかないということでもない。戻る過程で1度か2度戦闘する機会があるだろう。ハルトは楽観的に考える。
そんな帰り道、彼の予想通り索敵に反応が見つかる。正確なところはわからないが、なんとなくスライムとは違う気配だと感じた。
「ようやくゴブリンか」
その姿を見て相手に聞かれない程度の呟く。典型的な小太りで寸胴体系に緑色で斑点の浮いたカエルのような肌。成人男性の背丈の半分くらいの背丈で、棍棒を握っている。そんな相手が一匹空き地で獲物を探すように周囲を見回していた。
ハルトは奇襲できそうだなと感じ、手に短剣を握る。先ほどまでのスライムとの戦闘とは違うヒリついた緊張感とともに、ハルトはゴブリンの背後から首筋に向けて短剣を振り下ろす。しかし物音でこちらの存在に気付いたのか、急所に命中する寸前で避けられ、攻撃は肩のあたりに刺さった。慌てたハルトは短剣から手を放して数歩下がる。
「低レベルだと一撃は無理か」
そういいつつ、ハルトはもう1本の短剣をインベントリから取り出す。予備を持っていてよかったとこの時は素直に思った。
そうやって2本目を取り出している間に、ゴブリンは体に刺さった短剣を抜き、乱暴に投げ捨てる。幸いハルトの方に飛んでくることはなかった。それと同時に、ゴブリンにとって短剣は棍棒にも劣る武器なのだとわかる。確かに振り回すだけの棍棒のほうが扱いは楽だが、当てるだけで裂傷を与えることができる刃物のほうが強いだろう。あるいは、このゲームという状況ではさほど刃物は強くないのかもしれない。斬撃を与えてもエフェクトが出るばかりで体の部位が切り落とされることはない。そんなシステムを考えれば殴るのも斬るのも変わらないのだろうか。
そんなことを考えるハルトの前で、怒り狂ったゴブリンがギーギーと鳴きながら棍棒を振り回す。とはいってもその動きは緩慢で、避けるのは容易だ。それでも一撃で倒せなかった反省から、彼は油断せずに攻撃を避ける。さきほどまでハルトがいた場所を叩き、隙だらけのゴブリンにハルトはもう一撃斬撃を加える。
赤いエフェクトが血しぶき代わりに飛び散り、直後ゴブリンは痙攣、地面に倒れ、光の粒になって消えていく。
「予想は当たりか。スライム相手だと分かりづらかったから、試せてよかった。というよりスライムの破裂は裂傷扱いとは別な反応か? 弱点部位を突いたり条件を満たすと部位破壊が起きる。その可能性は疑っておいたほうがいいかもしれないな」
戦闘が終わった後、ハルトは考察しながらゴブリンに投げ飛ばされた武器を探して拾い上げる。状態を確認すると、刃が欠け根本から折れ曲がっている。このまま使えば次の一撃で折れてしまいそうだ。
「消耗品だとは聞いていたけれど、耐久がゼロになるまで切れ味が変わらない武器じゃないんだな」
上位の素材の武器だと違うのかもしれないが、店の駆け出し冒険者向けの装備品ではこの程度らしい。最初から所持していたゴールドからすると手痛い出費だったが、あっさりと使えなくなってしまった。そのことを残念に思いながら、彼は今度こそファーストリアへと戻る。
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そんなハルトが町に帰る途中の茂み、そこには2人のプレイヤーが潜んでいた。
「本当にやるのかよ?」
「泥臭いアイテム採集なんてしたくないって言ったのはおまえだろ。大丈夫こっちは2人だ。1人には負けねえって」
小声で話す2人はまだ初心者という格好をしている。
彼らの目的はPK、要するにほかのプレイヤーを倒し、アイテムやゴールドを奪う行為だった。
といっても、このゲーム内でのPKのシステムは不明だ。ほかのプレイヤーを倒したところでアイテムがドロップするのか。PKを行ったプレイヤーのペナルティは一体何なのか。PKが許可されているエリアとそれ以外のエリアに分けられているのか。そういったあらゆるQ&Aが放棄されているなか、2人はその未知数のリスクを侵そうとしていた。
「早く出てこい。俺たちが狩ってやるからよ」
しかし彼ら2人はPKのリスク以上に重大な事実を1つ忘れている。それは1人で森に入り、そして生きて帰ってきたプレイヤーに、戦闘経験のないレベル1のプレイヤー2人が勝てるのかということ。彼らは他人を攻撃するという背徳感の前に酔い、そのことを失念していた。
接敵まであと数分、彼らの行動が吉と出るか凶と出るかはその時にわかることだった。