○○国関係者達と解答記録『○○ヤ』
あえて言えば、これは非常に簡単な問題です。
その気になれば読者であるあなたが、主人公より先に答えに辿り着くはずです。
ヨーロッパ東に○○国という国がある。
人口は三千二百万人の共和国で民主的な中小国であったが、治安と政治と経済は安定している。
産業はバランスよくまとまり、主な輸出物である農作物と工業品と天然ガス及び鉱石を西側諸国や東側諸国と共に関係なく両方に輸出、友好関係を持つ。そのため国民の生活は充実し、それに伴い娯楽産業も急激に発展した。
近年においては、○○国出身作家たちの出版業界、○○国製のコンピューターゲーム業界、○○国製映画業界が世界へ伸ばしていた。
首都ボルトスィックィ、チューク区、オセロ撮影所スタジオ。
置き時計と机と椅子と窓があるだけの味気も無い部屋、黒髪の一人の男が椅子に座り、ただ静かに本を読んでいた。
彼は○○国大手のエンターテインメント会社の優秀なプロデューサー、ヴィング・バーグタルである。
読み始めから37ページほど読み進めた辺りでバーグタルは一旦ページから目を離し、○○国製置き時計を見た。続いて自身のスイス製の腕時計を確認してから、本を閉じて立ち上がろうとする。
すると部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
扉にいたのは栗髪と服と顔が乱れたトルコ人の若い男性スタッフ、彼は急いで走って来たのか息を切らしながらドアノブにもたれている。
「プロデューサー!。スキメルス監督があなたを呼んでいます!」
今の時間はオセロ撮影所の昼休み、多くの者が食事をする時間帯である。
もちろん、バーグタルも親友が勧めたロシア料理店へ行こうとしていたが、トラブルを放っておいて食べる食事の味を気にするため、仕方なく現場へ向かった。
トルコ人の若い男性スタッフと共に現場へ入ると、昼休みに入り多数のスタッフが入り乱れ往来していた。中央に空いたスペースがあり、スキメルス監督がいた。
細眼鏡に体形はふくよかで白茶のスーツの紫のネクタイが腹の膨らみで飛び出している。手にはいまだに黄色のメガホンを握り締めていた。
「ああ、プロデューサー。よかった!」
やや大きめの声で言いながらスキメルス監督はバーグタルへ駆け寄る。
「何事だね。監督」
「じ、実はだね。ちょっとしたトラブルがあってね」
スキメルス監督が渋そうな顔をしているのを見て、バーグタルは深刻なトラブルが発生したと感じた。
「どのようなトラブルだ?」
「あそこの彼の事でね」
眼鏡を掛けた顔が示した先には、つい先ほどスキメルス監督がいた中央に一人の男が木製の椅子に座っていた。
男の名はスティーブ・ニューマン、今まさに世界的人気の若い俳優だ。
鷹のように鋭い目でありながらまるで優れた彫刻家が作り上げた顔を持ち、力強さとスマートを両立した体格、今回の映画衣装であるブラウンの無地のスーツがさらに魅力を引き出している。
その彼が引き締まった両手を組んで、威嚇するシェパード犬のような不機嫌な顔をして監督を見ていた。
「あの俳優がどうかしたのかね?」
「昼食の事なんだ」
その言葉にバーグタルは耳を疑った。思っていたほどあまりにも小さいトラブルに額を押さえて呆れる。
「はぁ?。昼食のメニューに問題があるのかね?。○○銀獅子賞と○○グローブ外国語映画賞と○○非英語作品賞の監督にしては詰めが甘いな」
「賞の名をわざとボカさないでくださいよ。それにあんなのは無茶ですって」
「かーん―とーく―、監督!。俺の昼飯はまだー?」
腹を押さえながら声高らかに苛立つウルフドッグを彷彿させる目つきでスティーブは空腹を訴えていた。
昼飯を食い損ねたのは君だけじゃないぞと思いつつ、バーグタルはスティーブの下へ歩いて声を掛けた。
「やぁ、スティーブ。いったい昼食の何が不満なんだ?」
「プロデューサー。不満も何もあいつら、俺が腹減っているのに頼んだ牛丼を用意してくれないんですよ。用意できないなら、俺はこの映画を降りるよ」
牛丼、それは日本料理の代表である。
1991年、○○国の急成長に目を付けた日本の大手外食チェーン『磯野家』が首都ボルトスィックィに一号店を開いて以来、予想以上に二大アメリカファーストフード店並みに爆発的に流行した。1年遅れで『梅屋』と『かも家』が参入して以来、さらに○○国全土へ広まり。ただでさえ○○国料理がトルコとウクライナ料理に影響されているため、国民食がケバブとウクライナ風ボルシチから新たに牛丼が増える結果になった。
現在は日本の磯野家、梅屋、かも家が○○国三大牛丼チェーン店である。
つまり、たかが牛丼一つで映画から降りられてはバーグタルとして困るのであった。
「まあ待ちたまえ、どこの牛丼だ?。スタッフに買いに行―」
「○○ヤの牛丼ですよ」
自身の耳に異常が起きたのか疑い、バーグタルは再び尋ねた。
「…何だって?。どこの牛丼だ?」
「だから、○○ヤの牛丼ですよ。安くて早くて美味いのが○○ヤの牛丼が食べたいんだよ」
別に、バーグタル自身の耳か、スティーブの頭が異常ではない。
○○国の民族的特徴、正確には○○人という人種の奇妙な特徴である。
地理的にも地政学的にも歴史的にも○○国は、複数の文明国に囲まれ何度も支配され、時には迫害の憂き目にあうくらい経験しているため、東西南北複数の人種を混血させた特徴を持つのが多い○○人だが、唯一無二の奇妙な特徴が一つだけある。
それは、○○人は感情を極度に高ぶらせた場合、高ぶる原因となった物の名を必ず○○と表現するのだ。
頭の中では当然ながら物の名を思い浮かべるが、発音は○○となり、紙に書けば○○と書いてしまい、選択する際は物の名と関連性があれば○○に見えてしまうのだ。
人によっては○○の発音が『テュー』と聞こえるが、実際には発声した物の名とは違う。
「その、○○は何だ?」
「○○ヤですよ。○○ヤの牛丼、ほら日本の料理のやつだよ。あの○○ヤの牛丼だって、プロデューサー」
「ちょっと待っててくれ。○○ヤって、三つの牛丼チェーン店のどれだ?」
「○○ヤだが?」
「他二つは?」
「○○ヤと○○ヤだけど?」
「日本の三大牛丼チェーン店だよな?」
「ああもちろんだ。○○ヤと○○ヤと○○ヤだろ」
「試しに紙に書いてくれ」
自身の手帳から白紙の1ページをバーグタルはちぎり取り渡した。
「いいよ」
当然ながら『○○ヤ』と書かれていた。
「今の状態を理解して言ってるんだよな?」
「正直、無茶だと理解しているさ。でもよ、俺はどうしても○○ヤの牛丼が食べたいんだよ」
「なるほど、ちょっと待て」
そう言ってからバーグタルはスキメルス監督に近付き、肩越しに親指をスティーブへ向けながら小声で言った。
「スキメルス監督、彼を降ろせ」
当然ながら○○国内でも、感情を高ぶらせると○○と表現するこの特徴がトラブルの原因になる事が多いため、場合によってはバーグタルがこのような事を言うのも手段を取るのも珍しくはない。
しかしはスキメルス監督は首と両手を横に振った。
「無理ですって。もう既に撮影を9割終わらせて、大事なシーンを撮る手前なんですよ」
「だったら、3DCG部門に話を通して代役を合成させろ」
「いや駄目ですよ。彼は今回の映画の主役なんです。スタント無しのスーパーアクション、世界の名だたる演技賞受賞者達顔負けの超絶演技、どんな撮影でも対応できる豊富な陸海空あらゆる免許を持ち、世界的男性俳優達に匹敵する魅力溢れる優れた容姿、彼以上どころか彼並の俳優はこの国にはいませんよ」
「傲慢さとわがままはゴールデンゴルフボール賞の最低主演男優賞受賞で間違いではないな」
「それでも今回の映画の主役は彼以外には不可能だ」
「……なるほどな、ではもう少し説得しよう」
皺を寄せてバーグタルは不服ながらも仕方なく頷いた。
話の隙間を見つけてトルコ人の若い男性スタッフがバーグタルに声を掛ける。
「あのー、バーグタルプロデューサー。ちょっと質問よろしいでしょうか?」
「ああ、君は確か、新人スタッフのオスマン…」
「オスマン・ギュネイです。ギュネイと呼んで下さい」
「そうだったな。それで質問は何かね?」
気まずいと思いながらもゆっくり、できるだけはっきりとギュネイは質問した。
「彼は本気で言っているんですか、ふざけているわけではないですよね?」
聞いた瞬間、目を見開き驚いた表情をバーグタルは見せたが、すぐに落ち着いた表情を戻して、むしろギュネイへ向けて微笑みを見せながら言った。
「…よかったな、ギュネイ君。ここが公共の場でなく、ましてや聞いたのが私だとな。西ヨーロッパの警察が聞いたら職質か厳重注意を受けるからな」
唯一の特徴が原因で○○人は、古代ローマ帝国やモンゴル帝国には奴隷にされ、十字軍とオスマン帝国には支配され、フランス革命前は迫害と差別を受け、WW2においてはナチスに支配と協力の強制に虐殺されかけたりと、散々な目にあっていた。
戦後において国際連合は歴史的に迫害と差別の憂き目にあう○○人に対して、人種差別撤廃国際条約の第4条において明確な例を加えた。
そのため、公共の場で○○人の特徴について嘲るのは国際的なマナー違反として厳しい目で見られ、国によっては警察に任意同行され書類送検される事もある。欧米では認知度もあるが、アジア諸国だとあまり知られていないためかアジア系の観光客が逮捕されるケースもある。
「えっ、いや、すみません、失礼しました」
自身の迂闊な発言に気付いたギュネイはすぐに謝った。
「気にしなくていい、若い君ならまだ学べるからな」
腰に手を置き、バーグタルは再びスティーブの下へ歩いて声を掛けた。
「なぁ、スティーブ。別に昼食はなにも牛丼じゃなくても、パスタとかステーキとかラーメンだってあるんだ。なんだったら、一緒に3つ星フレンチ料理のシェフを呼んで、最高の料理をふるまってやるよ」
「だからな、プロデューサー。俺はな、○○ヤの牛丼じゃなくちゃ駄目なんだよ。絶対に○○ヤの牛丼の気分なんだよ」
「牛丼、牛丼って言われてもな。だったらフランスシェフに牛丼を作らせればいいだろ」
「駄目だ。俺は○○ヤの牛丼じゃなきゃ駄目だ」
「別にこの時期に牛丼を食べなくてもいいだろう?」
「年末年始、クリスマスにハロウィン、夏秋冬春、いつでも食えるから食べたいんだよ」
はっきりとスティーブは断言した。この事にバーグタルが溜息をつき、まるで教師が聞き分けがない子供を諭すように言った。
「いいか、スティーブ。何だったら、業界団体に話を上げてもいいんだぞ。昼食に駄々をこねて映画を無に瀕した俳優がいるってね」
「構いやしないよ。監督、説明して」
まるで映画のワンシーンのようにスティーブが左手で綺麗に指を鳴らすと、遠慮しがちにスキメルス監督が横から入って解説した。
「えーとですね、プロデューサー。業界団体は彼の莫大な恩恵を見て多少なら目をつぶっていいかな、という考えでして。下手したら保険会社もあのスティーブなら保険金を喜んで払いますし。それに彼なら平気で西ヨーロッパとかアメリカとか移っても、大手を振って大歓迎しますよ。というか、時々よく有名映画制作会社の引き抜き要員が尋ねていますよ」
聞かされた内容はバーグタルの片目を震えさせ、思わず眉間に指を当てて天井を見上げ仰ぐ。やがて、絞り出すように言った。
「……スティーブ、分かったよ。だが○○ヤの牛丼じゃあ、さすがに分からない。少し感情を抑えてくれないか」
「プロデューサー。俺はかなり腹減っているんだよ。これじゃあ感情を抑えるなんて無理だ」
「じゃあ、いったん軽く飯を食おう。黒パンとか食べて、少し空腹を抑えた方がいい」
「駄目だ。俺はな、昼食はしっかりと食べたいんだ。中途半端にせず食べるんだ」
「じゃあこうしよう。別に君が気に入っている○○ヤの牛丼じゃなくても、他の牛丼屋にしよう。三つの店が参入しているんだ。たまには他店の牛丼を食べよう」
「いやですよ。前に俺のマネージャーが試しに他の二つの○○ヤの牛丼を食べさせてもらったんですけど全然違う、米の炊き方や肉の仕上げ方に絶妙な汁加減、まさしく別物だね」
「どこも同じだと思うのですか」
「全然違うよ。俺ならすぐに見分けがつくんだ。だから他店のは絶対に食わんぞ。俺が食うのは○○ヤの牛丼だけだ」
疑う目をしつつ、バーグタルはその場にいるギュネイにパイプ椅子を持ってこさせて、座って質問した。
「店の色は何色だ?」
「マネージャーに買いに行かせてるからわからないよ」
「○○ヤだが、ヤは『家』か『屋』なのかどちらだ」
「あいにくだが、呼び名は知っているが意味は知らないよ。そもそも日本語なんて分からないしね」
「では牛肉の産地は?」
「そんな事を気にしないよ」
「元々すき焼きを売ってなかったか?」
「すき焼きが売っているかどうかなんて知らないよ、いつもマネージャーには牛丼しか食わないと伝えているから」
「じゃあカレーかかつ丼は注文できるか?」
「カレーならカレー屋で注文をするよ、かつ丼は……かつ丼って何だよ、もしかしてアメリカの牛丼か?。ともかく俺は牛丼しか食べないよ」
「どんな容器か分かるか?プラスチックか紙か」
「俺はいつもマネージャーに買ってもらって、俺の皿にいつもよそってくれたのを食べてたからな。悪いが俺は味と匂いと○○ヤという名しか知らねぇんだ」
「七味は何色だ?」
「知らないな、いつも俺の皿に入れてくれる時に一緒に入れてくれたからな。赤かもしれないし、もしかしたら茶色かもしれないな」
「並盛の料金は幾らだ?」
「マネージャーが代金を立替て払うから分からないよ」
「ではそのマネージャーに連絡は?」
首を傾げるスティーブはスキメルス監督へ顎を上げた。スキメルス監督が説明するように身を乗り出す。
「彼はその、手術を受けているみたいですね。なんでも難しい手術だとか」
ため息と共にバーグタルが呟いた。
「連絡は付かないわけか」
何かいいアイデアが浮かんだのか自身の両手を思い切り叩いて、スキメルス監督が人差し指を天に向けた。
「そうだ。あのCMソングは歌えますか?」
「CMソング?。そんなのがあるのか?」
「あっ、いえ知らないならいいです。上手くいけると思ったんですが」
落ち込むスキメルス監督を無視して、今度はバーグタルが自身の手帳から白紙のページ三枚に牛丼チェーン店の名を三つ書いて、千切り取って渡した。
「ではここに三枚に別々の牛丼チェーン店の名が書かれている。君が探している牛丼屋はどれだ?」
「んー、三つとも不思議なことに○○ヤと書かれている。おそらくだけどプロデューサーは真面目に別々の牛丼チェーン店の名を書いたよね」
眉間と腹に手を置いてスティーブは弱ったような顔で言った。
「本当に不思議だ、○○ヤと言っているのに相手に伝わらないどころか、自分が書いても選ぼうとしても○○ヤになるなんてね。こんなんじゃあ、ますますお腹が減ってきたよ」
もはやスティーブは空腹で弱っており、椅子から力なく足をのばし手をだらしなく垂れていた。
何か再び閃いたのか、自身の左手の平にして両手を閉じた拳を叩き、スキメルス監督がバーグタルに小さく言った。
「プロデューサー、試しに探偵に依頼してみますか?」
聞いたバーグタルは驚き戸惑いの目をして、疑うように細めて小声で言う。
「唐突になぜそんな提案をするんだ?。まさか責任を押し付ける相手が欲しいわけじゃないだろうな」
「いやいや、ほらこういうのって、だいたいドラマとか小説とかで探偵に解決してもらうのが当たり前じゃないですか。だったら奇妙な依頼として放り出してやるのもありかなーと」
「専門外の依頼をされる探偵の身にもなりたまえ。いや待てよ、それならば本社に対応できる課があるかもしれんな。試しに連絡して聞いてみるか」
銀白のスマートフォンを取り出しバーグタルが本社に連絡する。
数回ほど頷き、スマートフォンをしまって顔をスキメルス監督へ向けた。
「良い話と悪い話がある。どっちから聞きたいかね?」
「えっと、じゃあ悪い話から」
「そんな課は存在しない」
「良い話は?」
「今回の件を機にさっそく設立することが決まった。我々は記念すべきケース1だ」
「それって、自分達で何とかしろって意味じゃないですか」
「君達ならできるという意味だ」
バーグタルはうんざりしながらもどうにか考えていた。先ほどの態度はどこへ消えたが空腹のスティーブは椅子に押し込むように座りうわごとのようにつぶやく。
「安くて早くて美味いのが○○ヤの牛丼が食べたいんだよ」
「どれも同じ、安くて早くて美味い牛丼屋だ」
パイプ椅子にもたれかけて額に手を押さえてバーグタルは思わず言った。
「そうだな。もういっそ、君が買いに行くのはどうだね?」
「空腹で動きたくないよ」
「奇遇だな、私もだ。……いやそれならありか」
何か思いついたのかパイプ椅子を揺るがすぐらいに、バーグタルは勢いよく立ち上がった。
「いいだろう、スティーブ。だったら私が直々に買ってくるよ」
「えっ!。いいんですか、プロデューサー」
「もちろんだとも、なにせ君は主役だからな」
両手を上げて嬉々として喜ぶスティーブを横目にバーグタルはスキメルス監督を顎で呼んだ。
「プロデューサー、分かったんですか。○○ヤはどこの牛丼屋なんですか?」
目を輝かせ鼻息が荒く好奇心を溢れさせるスキメルス監督に、バーグタルは容赦なく押さえて質問した。
「監督、昼飯は済んだかね?」
「えっ、いやまだだけど」
「よろしい、では彼が食べるまで君はまだ食事をするなよ」
「そんな無茶な」
驚くスキメルス監督の丸い鼻先目前にバーグタルは右手人差し指を突き付けた。
「元はといえば君が予め彼のマネージャーに聞かなかったのが原因だろう、責任を持って彼が食べるまで絶対に君は食事をするな」
それからバーグタルはスキメルス監督が有無や文句を言う前に離れて、その場で見ていたギュネイの肩を掴み尋ねた。
「ギュネイ君、車の免許は取ってあるかね?」
「え…ええはい、撮影現場の移動に運転していますので」
「ならちょうどいい、裏手の駐車場にあるドイツ製でオープントップの赤色の古い車。あれは私の車だから玄関に回してくれ。ほら、鍵だ」
何の躊躇も返事も待たずバーグタルは懐から銀色に輝く鍵を取り出してギュネイへ下から投げ渡した。ギュネイは慌てて受け止めて急いで裏手の駐車場へ走って行き、バーグタルは少し早歩きして玄関へ向かう。
それから、約数十分後。
オセロ撮影所スタジオの玄関前へ、ドイツ製で車種はとても稀少で(数台しか生産されていない)赤い塗装が施された車が速度を保ったまま横へ滑らせ流れ込むように、ドリフトしつつ回り込んで門を通り抜き、敷地内に掠れたタイヤ痕を残しつつ玄関手前で停止した。
車のドアからバーグタルは飛び越えるように降りて、迎えに来た警備員に車の鍵を投げ渡し、入り口の消毒液で両手を除菌しつつ、早歩きでスティーブがいる現場へ向かった。
「買って来たぞ、スティーブ」
白マスクに黒いサングラスをしたバーグタル、右手には縦長に伸びるレジ袋があった。
餓死寸前で椅子に倒れ込むスティーブの整った鼻先が僅かに動くと、すぐさま飛び上がりバーグタルの下へ駆け寄る。正確には右手にある縦長へ伸びたレジ袋を凝視していた。
「おお、そうだこれだこれだよ、プロデューサー。んー、いい匂いだ、ほとばしる肉汁と玉ねぎに染み込むつゆが米に流れ込み、出来立て特有の湯気が旨味の匂いを嗅ぎたてる。やはり、○○ヤの牛丼屋が一番だ!」
今にも飛び出しそうなスティーブを見向きせず、バーグタルは縦長に伸びるレジ袋を木製テーブルの上に置き、牛丼を三つ取り出して並べた。
並び終えると素早くスティーブが目当ての牛丼を掴み取り、喜びが強すぎて天高く持ち上げる。
そして残りの牛丼を二つを見て怪訝な表情を見せた。
「おや、プロデューサー。その二つの牛丼はどうしたので?」
「ああ、君がやたらに牛丼、牛丼と言うから、せっかくだから私も食べてみようと思ってな。まあともかく、スティーブ。撮影を期待しているよ」
「ええ、プロデューサー。任せてくださいよ」
目の前の牛丼を見てから急いで私物の箸を取り出して、スティーブは瞬く間に食事を始めた。器用に箸を使いつつ肉と米を口に捻じり込み、しっかりと味わいつくすようによく噛んで食べるさまはまるで狼の食事のようだ。
眺めつつマスクと黒いサングラスを外すバーグタルにスキメルス監督が歩み寄る。
「プロデューサー、一体どうやって見つけたんですか?」
「とても単純で簡単な事だ、誰にだってできる問題だ。それこそ大の大人どころか素直で余計な事を考えない子供だって分かる簡単な話さ。まったく深く考えていたのがばかばかしく思えるよ」
テーブルにある二つの牛丼を並べてからバーグタルは告げた。
「彼は○○ヤの牛丼ならすぐに見分けがつく、つまり三つの中からから一つを正確に見分けられる。だったら方法は一つだけだ、三大牛丼チェーン店から一つずつ、三つとも買えばいい。後は彼に三つを差し出せば、勝手に彼が○○ヤの牛丼を選ぶことになる」
「なるほど、それなら上手くいけますね。あれ、そうなると他店の牛丼二つはどうするので?」
中身を取り出されしおれたレジ袋からバーグタルは木製の箸を取り出す。
「決まっているだろう。俺達の昼飯だよ、監督」
「え、……そんな、今日は美味い飯を食べようと思っていたんですよ。そりゃあないですよ」
「それならば問題はない。牛丼はいつ食べても美味い飯だ。さあ監督、さっさと食べて撮影しようか」