天使の絵
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自分の人生に誇りを持っている。
父親を継ぎ、レシア家の長男として立派に務め美しい妻も娶った。
貴族にしてはレシア家はあまり裕福ではないが、お金に困ることは無かった。
美しい妻と可愛らしい娘がいれば私は、自分自身のことなどどうでもよかったのだ。
しかし神は優しくはなかった。
娘をお腹に宿した妻は病にかかってしまった。
妻、ヴィオラは元々身体が弱く、何度も寝込むことが今までにも多くあったためそれ程重要視していなかったがその時かかったのは死者が多数いる流行病であった。
どうにかして産まれた娘はあまりにも小さく未熟児であったが妻は気にも留めていない様子だった。
「どうかこの子をお願いします…」
「ヴィオラ……」
「…ルーチェ。この子は私たちの''光''です……」
両手に収まる小さな命はヴィオラによってルーチェと名付けられた。
「ヴィオラ…私……私も…」
『連れて行ってくれ』と言いたかった。
ヴィオラは小さな手を私の方へ伸ばし私はそれを受け止める。
彼女の頬に細く流れる涙は私の気持ちをかき消した。彼女は私が共に逝くことを望んではいなかった。
「ダヴィ…ルーチェ…愛しています」
その一言を残しヴィオラは眠りに落ちた。
両手に収まる小さな命は寝息を立てている。
大声を出しては''ルーチェ''が目を覚ましてしまう。そう思ってはいても私の目からはとめどなく涙が溢れ出し、抑えようとする声が呻きをあげるように漏れだした。膝から崩れ落ちるもルーチェを両手から離さない。幸いにもルーチェは目を覚ましていなかった。
ルーチェとヴィオラ三人で暮らす毎日が崩れ落ちた。落ち込む私を元気づけたのは勿論ルーチェだ。
ルーチェは成長するにつれヴィオラと瓜二つの美しい女の子に育っていく。
だが……ヴィオラと似ていたのは容姿だけではなかった。ルーチェもまた身体が弱く何度も倒れ、外に出ることすらも少なくなっている。
「パパ…私ね、沢山の人とお話がしたい…友達になりたいの。歳や身分も関係なしに色々な人と仲良くなりたい」
ルーチェは毎日のそのように言っている。
夢のように儚げに…叶わないと分かっているようだった。
私は窓を眺めるルーチェの姿に日々心を痛めた。
10歳の誕生日、ルーチェは「パパの仕事について行きたい」とねだった。
「でもルーチェ体は……」
「大丈夫だよ!お医者さんも良くなってるって言ってた」
確かにここ数実はベッドに横になる時間が少なくなった。ルーチェが言っているのも嘘ではないだろう。専属メイドのメアリーからの連絡でも明らかだった
「ルーチェ、パパがこれから仕事に行くところはフィレンツェなんだ……ルーチェにとってとても遠い所なんだよ」
「大丈夫ー!誕生日だからいいでしょう?」
「うぅーん……わかった…その代わりお医者さんとメアリーも一緒だ、それでいいね?」
「わかった!」
ベッドの上で転がり喜ぶ姿を見て本当に元気になってきていると実感し私は安心した。
フィレンツェにいくまでは順調だった。
メアリーにルーチェを任せ、私は仕事を行う。
1週間の滞在後ヴェネツィアに戻る予定だった。
しかしフィレンツェについてすぐルーチェは熱を出してしまい、私はルーチェにヴェネツィアに帰ることを勧める。
「ルーチェ、強がってたってダメだよ。私には分かる」
「大丈夫…だもん……全然平気だよ…」
メアリーも医者も困った顔で私に訴えかけてくる。
立場上強くダメだと言えず困っているのだろう。
「ダメだ、一緒に帰ろう」
「やだ!ここで帰ったらパパの仕事の邪魔しただけになるわ」
「大丈夫ルーチェの事を話したら皆帰ってもいいって言ってくれたんだ」
「……ごめんなさい…でも!一つだけお願いがあるの」
「なにかな」
「ちょっとだけでいいから街を歩きたい」
「ルーチェ…!」
「街を見るだけでもいい……パパが抱っこした状態でもいい…街を見るまで絶対に帰らないから」
そう言われると断れず近辺だけと約束し私に抱きかかえられた状態で部屋を出た。
屋敷の外は大勢の人が飛び交っていた。
芸術の都とあってか服に油絵具がついている若者も多くいた。
「わああ!人がたくさんっ!」
「ルーチェ…大丈夫?」
「うん!」
10分ほどか歩いていると人通りの少ない道へ出た。
誰もいない場所なのにルーチェは何だか楽しそうにあたりをキョロキョロと見渡している。
何もかも新鮮なのだろう
「ねぇ……パパあれ…」
「ん?」
ルーチェが指さす先には小さな子供1人入れる隙間の壁に何か絵が書いているように見えた。
だが壁の奥の方に書いているので全てを見ることは出来ずなんの絵かは分からない。
「あの絵みたいな」
「パパじゃ通れないよ」
「……私見てくる」
そういいルーチェは払い除けるように私の腕から飛び降り素早い動きで隙間に入っていく。
「ルーチェ!」
「……パパ!凄いわ…こんな凄い絵見たことない」
「……え?」
「これより上手な絵は今まで本で見てきたの。でもなんだろう…この天使の絵。今いる自分の残酷な状況から救い出してくれそうなそんな絵……。」
「天使の絵?」
隙間に入ろうと試みるがやはり足を伸ばすだけで精一杯だった。
ただ、ルーチェの足元に多くの油絵具が転がっているのだけがたしかに分かった。
「ルーチェ…とりあえず出てきなさい」
「まって…もうちょっとだけ……」
どうやらルーチェの様子がおかしい
先程まで熱で歩くのもやっとだったはずなのにキラキラとした瞳で壁を見つめている。
私はこの壁の正体を確かめようと早足で表を確認しに行くとその建物から飛び出しぶつかってきたのは少し太った子供二人だった。
「ごめんね君たち」
「……」
私を睨みつけお互いの顔を見合ったあとまた走り去って行った。
再び私は建物の正体を確認するとそこはキリスト教会であり孤児院でもある場所のようだ。
なかなか廃れていて礼拝は行っていないように見える。
このような人気の居ない場所に孤児院というのはなかなか怪しいところである。
「ルーチェそろそろ戻るよ」
「……うん」
ルーチェの元へ戻り私たちはその場から立ち去った。ルーチェはそれからヴェネツィアに着くまでずっとうわの空だった。
「パパ…あの天使の絵私もう一回みたい」
「そんなに凄い絵だったのならきっと凄い人が書いたんだろうね。知りたいに頼って書いた人を探してみよう」
「でも私ね今まで沢山絵を見てきたけどあの絵のタッチは見たことがないわ。あの絵は誰にも習っていない自由に書いているように見えたの」
「そうか……」
ルーチェはその後1週間経ってもずっと忘れずにいた。また、絵を見て元気を取り戻したかと思えば直ぐに寝込んでしまいそこから熱を引くことが無くなった。
「パパ……苦しいよ」
「頑張れ……頑張れルーチェ」
「パパ…私死んじゃうかも」
「じ、冗談でもそんなこと言うんじゃない!」
初めてルーチェに声を荒らげた。
ルーチェの白い顔、ルーチェの手を握りベッドの傍に座り込む今の自分の状況にヴィオラの最期を重ねてしまったのだ。
「状況じゃないよ……パパ、私もし死んじゃうなら……死んじゃう前に最後にあの絵がみたいな…もう1回だけ。」
「わかった……わかったから…あの絵を書いた人を必ず見つけてもう一度書いてもらう。だから元気になるんだよ」
「うん……」
心做しか顔色が良くなったような気がした。
ルーチェが元気になるなら私は何でもしよう。
例え命が尽きようとも必ずルーチェを元気に、普通の女の子のようにしてあげたい。
ヴィオラと同じようには必ずしない。
私は安心して眠るルーチェのおでこにそっとキスをし、再びフィレンツェに向かう準備をした。