裏返りの聖戦⑨
上下左右、いわゆる三次元の方向感覚がまったく封じられた闇の中、緑門莉沙は己の勘だけを頼りに、終末を監視する者へ突撃しようとしていた。
だが、パルクールで鍛え、常人よりは恐怖には強い莉沙と言えども、闇の中で砌百瀬の奇能であるカブトムシで跳ね上げられると、流石に戦慄が襲ってきた。
身が竦み躊躇すると却って危険な目に遭う。
そのことを莉沙は知っている。
彼女は雄叫びを上げ、鍛えた精神力で己で己を奮い立たせ、気合を込めた。
その時である。
想定外のことが起きた。
多目的室内での皿井菊美との戦いで切断し、そして彼女の奇能によって再生された莉沙の硬い左腕が、エメラルドのような緑色に発光し始めたのである。
僅かだが闇の中が照らされ、見える。
その腕の光が照射した先に、終末を監視する者の姿がうっすらと浮かび上がった。
(これならいけるかも!)
そう思った莉沙は、再度雄叫びを上げて空中から加速をつけて突撃し、硬い左腕を振りかぶって、終末を監視する者の左の顔に打ちつけた。
顔だけの怪物に莉沙の左腕がめり込む。
グニュグニュとした気味の悪い感触。
それでも莉沙は、より深く、より深く、左腕を内部に侵入させる。
終末を監視する者の左の顔が、闇を切り裂くような悲鳴を上げた。
◇
莉沙の攻撃が成功したのか。
終末を監視する者のおぞましい悲鳴が、贄村囚にもはっきりと聞こえた。
何故、莉沙の身体が緑色に発光しているのかはわからない。
だが、それはいま考えるべきことではない。
やるべきことはこの機会を逃さないこと。
(私は奴の大きさを測る為、中心に立つようにしていた。奴の容貌は左右非対称だが、顔の大きさはおよそ左右対称だった。そして、私は奴の真正面を向いてから、一度も動いてはいない)
贄村は暗闇の中、終末を監視する者の右顔の位置を探る。
(莉沙の発する光は、私の視界約40度。ならば……)
贄村は突如、吠えるように声を上げた。
轟く獣の咆哮。
誰もその姿を目にすることはない闇の中で、贄村の容姿は右半身が赤目の黒山羊、左半身が目を剥いた大鹿の怪物へ変化した。
贄村が姿を変えた怪物は、終末を監視する者の右の顔があるであろう、自身から左前方40度の方向へ見当をつけ、力強く足元を蹴り、暗闇の中を勢いよく飛んでいった。
空中で鋭い爪のついた手を突き出す。
思惑通り、爪先が終末を監視する者に触れると、そのまま爪を渾身の力で食い込ませた。
終末を監視する者の顔面に、爪を深く食い込ませると、やがて指がとても柔らかいものに触れた。
恐らくこれが終末を監視する者の脳だろう。
贄村は再び大きく咆哮し、抉るように爪と指で、その柔らかいものを掴んだ。
終末を監視する者は、先ほどよりも一層大きい悲鳴を上げた。
左右の口から発せられた絶叫が、無明の異次元に轟く。
すると漆黒の闇から一転、異次元空間全体が爆発したかのように、強烈に発光した。




