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謎らい玉手箱  作者: 泉柳ミカサ
7/7

女優魂

中井(なかい)柾一(まさかず)先生を殺したのは、あなたですね」


 大池はげんなりしていた。せっかくの非番、映画に観に行こうと思ったのが良くなかった。隣の席に座っていた彼女に、警察官とバレたのが運の尽きだ。

 スレンダーでフレグランス漂う女性に「ちょっと相談があるんです」と言われれば、誰だって付いていってしまう。独身なら、なおさらだ。


「冗談はよしてよ、大池さん」


 彼女は今仲(いまなか)美紀(みき)といった。編集社勤めには勿体ないスタイルとお顔立ち。特に青紫のグロスで塗られたそれには妖艶さえもあった。反面、黒帯で武闘派というギャップがまたいい。その上、自分同様親に捨てらた過去が、より二人を親密化させた。

 魅了されたのも束の間、依頼は同僚の彼氏が担当している先生についてだった。どうやら、自分は当て馬に利用されただけのようだ。

 中井柾一。《闘う弁護士》や《逆境法廷》など、リーガルとアクションものをドッキングさせ、新たなジャンルを切り拓いた古株脚本家だ。マニア層からの支持は高く、《逆境法廷》は深夜ドラマながらも映像化もされた。大池も一度見たことがある。とことんわからないドラマだった。爆発爆発の連続で、しまいには弁護士役のヒロインが弁護人とともに、観覧車から飛び降りる。全くもって、意味不明だ。物語の繋がりなど完全に無視だ。ただ、噂によれば経費の都合上、スタントなしの演技だというから驚きだ。確かヒロインは木南(きなみ)舞佳(まいか)っていう、いまいちぱっとしない無名の女優だったはず。


「私には不可能だわ」


 そんな大先生が最近、筆が止まっているという。原因はストーカーだ。一度、自身の脚本が盗作問題になって以来、誰かに尾けられ、狙われていると怯える毎日らしい。彼女らがいくら気のせいだといっても、中井は耳を貸さなかった。

 全然進まない原稿にいよいよ会社も辟易としてきた矢先、自分が現れたという具合だ。

 現役警察官がストーカーの存在を否定したら筆も進むはずだ、と彼女は息巻いていた。


「だって先生は、密室の中で首を吊ったのよ」


 彼女の案内で辿り着いたが、鍵がかかっていた。ドアを叩いても応答はない。誰も合鍵を貰ってないという。先生はそういう性分だったらしい。

 急いでマンションの管理人に頼んで開けると、その老先生の首吊り体とご対面というわけだ。ずんぐりむっくりな遺体は目立った外傷もなく、首筋の索状痕だけが生々しく残っていた。

 事件は自殺と思われた。部屋はほぼ密室で、開いていたといえば、ベランダぐらいだった。とはいえ、隣のベランダとは壁で塞がれ、避難梯子を使った形跡もない。第一、現場は十五階。ロープを垂らしゆっくり下りれば、真下の駐車場で目撃されるのが関の山だ。

 ほぼ完全な密室の中、先生のワイシャツに垂れた「CUMPLETE ROOM」と刺繍された紺色のネクタイが何とも皮肉じみている。


「大池さんも見たでしょう。現場は完全な密室。合鍵すら貰っていない私がどうやって、密室を創り上げたっていうの」


「完全な密室ではありませんよ。ベランダが開いていました」


「それが何? 隣は壁だし、それを越えたところで隣人に見つかっていまう。避難梯子も使われてなかったんでしょう。逃げ場がないのなら、密室に変わりはないわ」



「それはどうでしょう、木南舞佳さん」



「?!」



「木南舞佳は今仲美紀のアナグラム。あなたのことですね」


 今仲の表情が固まった。端正な顔に翳りが入る。反応を窺おうとも、なしのつぶてだ。大池は構わず続けた。


「あなたはまず、先生に相談があると訪問し、絞殺。この際、背負い投げの要領で背中合わせの状態で絞めたのでしょう。この方法だと、首吊りに似た索状痕が残る。柔道の有段者で高身長なあなただと寸胴な先生は足が宙に浮いてしまう。あとはベランダ以外の鍵を全部閉め、唯一開いているベランダから、身を乗り投げるだけです。観覧車からスタントなしで飛び降りたあなたのことだ、真下にクッション性の高い敷物を敷けば、慣れたもんでしょう。そう、トリックなんて存在しなかった、あったとすれば、それはあなたの身体能力です。まさかあなたがアクション女優だったとは夢にも思わないからでしょうね」


「証拠は、証拠はどこにあるのよ」今仲がいった。大きな声だ。しかし、僅かに上ずっていた。


「先生のネクタイですよ。覚えてますか、《CUMPLETE ROOM》と文字の入った」


「それが何?」


「唇の色、綺麗ですね」


「だから、一体何の――」言葉が止まった。真意を悟ったようだ。


「コンプリートのつづりは普通《COMPLETE》、二文字目はOです。けど、ネクタイは二文字目がUだった……付いてしまったんですね、Oの上の部分にあなたのグロスが。だから文字が潰れてUになってしまった。恐らく、付いたのは首に吊る際。先生を担いだときに、あなたの唇が丁度、ネクタイに当たり、グロスが……」


「もういいわ、降参よ」彼女がいった。「どうせ、唾液とかで色々わかっちゃうんでしょう」


 大池は頷いた。向こうも向こうで、警官の自分を招いたのが運の尽きだと思っているのだろう。


「まだ早い」


「え?」


「アイツ、私にそういったのよ。お前にアクション女優はまだ早い。いろいろ経験しないと演技に味が出ないって。一理あった。仕方ないなと思った。だから、私はいう通りにしたわ。一度、活動を休止し、身体を鍛えながら様々なものに触れた。他ジャンルの映画を片っ端から見て、同業者の先輩から話も聞いて、ときには口には出せない誘いにも乗った。けど、それはすべて演技のため、そう割り切ってたから……割り切ってたか、何だって出来た……なのに、なのに、アイツはっ」


「あなたを切った」


「それに近いわ。アイツはウチの会社に根回しして、復帰した私に仕事が来ないように仕向けたのよ。急いでアイツのところに行って問い詰めたわ。最初は渋ってたけど、酒を勧めるとすぐに吐いた」



《どういうことですか、先生。話が違うじゃないですか》


《しつこいな、君も》


《私、自信があるんです。経験だって積んだし、体型もキープしてます。そして何より、誰よりも巧く、アクションを熟せる自信があるんです》


《遅いんだよ、今さら……いいかい、無名でアラサーの君を起用して誰が見る? 数字なんか取れるもんか。もう若くないんだ。ほかの若い娘と同じ土俵で勝てるわけがない。あと五年、あと五年早かったら、な……それより君、アクションからコメディーにシフトチェンジするのはどうだ。それなら今の君にお似合いだと思うんだが……》



「あと五年早かったら、アイツ、私にそういったのよ。五年前、経験不足を理由に追い払ったくせに……挙句の果てに、コメディーにシフトチェンジしろ? ふざけないでっ。年齢や名前なんか関係ない。今の私なら、どんな役者にだって打ち克つ自信があった」


「実力があれば、先生を殺さずとものし上がればいい。結局、あなたは怖かった。何もない状態で勝負するのが、だから障害である先生を殺し、少しでも自分が優位になるようにした。違いますか」


「わかった風にいわないでっ。あなたみたいな素人に何がわかるっていうのよ。私はコイツに人生を滅茶苦茶にされたのよ。コイツさえ、コイツさえいなければ私は……」


「まだ、わかりませんか」


「え、」彼女が顔を上げた。鼻水交じりの酷い顔だ。


「いくらアクション女優上がりで有段者のあなたとはいえ、成人男性を絞殺するにはかなりの苦労です。一歩間違えれば、あなたが殺された可能性だってあるんです。それほど、正常の状態からの絞殺は難しい。それをあなたはいとも簡単にやってのけた。何故だと思います?」


「……」


「先生が抵抗しなかったからです。絞殺時、普通、被害者は絞められている縄を解こうと手を首にやる。そのとき、どうしても引っ搔き傷に似た爪痕が残ってしまう。しかし、先生の首には縄の痕、索状痕しか残っていなかった。これが意味すること、わかりますか。自分を殺そうとしている者に何一つ抵抗しない相手なんて、この世に一人しかいません。中井先生は、あなたの父親です」


「そんな、ウソよ。そんな……あり得ないわ」


「気づきませんか? あなたと一緒のアナグラムですよ。先生のペンネーム、中井柾一を並び替えると……」


今仲(いまなか)一総(かずさ)……どうして……それなら、どうして」


「アクション女優は常に危険がつきもの。父親なら、なおさら娘をそんな危ない世界に入れたくない。けど、あなたを捨てた身、自分から正体を明かすのは憚られた。だからせめて、娘のあなたには安全な仕事について欲しかった。色んな経験を積めも、裏を返せば、そこから自分に見合った職業を探してくれっていう親心の現れだったのかもしれません。もはや、今となっては確かめる術はありませんが……」


 大池は口を噤んだ。必要がないからだ。彼女に救いの言葉はもう要らなかった。


 女優はもう、前を見つめていた。


「さぁ、行こうか」

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