霊案師
最も素晴らしい目覚めとは何か、俺はその答えを知っている。
分厚い遮光カーテンが生み出した暗闇の中、冷暖房完備な空間でモーニングコールを呑むことだ。
「向井揺人様、おはようございます、八時になりました。いつも通り、ご朝食はお部屋の前で宜しいでしょうか」
「構わない」
「畏まりました。それでは、本日もよい一日を」
恭しいフロント嬢に手慣れた口調なんて、ホテル暮らしが板についてきたようだ。それでもまだ、対人恐怖症は治らない。
このホテルに棲みついて四年、モーニングコール以外でクラークと会話を交わすことはまずない。コロナ禍でマスク社会となれば、なおさらだ。
部屋も清掃員しか入れない。いわば、ホテルヒッキーだ。
オートロックの扉を開けると、もうすでに台車があった。台車には、朝食だけでなく、新聞紙と本ホテルのチラシとそして、小包が一つ載っていた。
小包はクリスマスラッピングの上、ご丁寧にもリボンとメッセージカードつきだ。
こんな贈り物を寄こすのは世界でたった一人しかいない。
部屋に戻り、朝食のロールパンをかじりながらカードを眺める。文章はメリークリスマス、から始まった。
「姉貴のヤツ、何がメリークリスマスだ」
俺の姉、美月はこうしてちょくちょくプレゼントを贈ってくる。前回はハロウィンごろだったか。結構な頻度だ。
何故、ハイペースに引きこもりの弟に贈り物を贈るか。理由は簡単だ。〆切り間近だからだ。
姉は「真鍋沙ら」の名で小説家をしている。ジャンルはミステリー。
端麗な容貌、華麗な頭脳、流麗な文章。「真鍋沙ら」はデビューと同時に、文壇だけでなくテレビでも引っ張りダコとなった。そのお陰で俺もこうしてホテル暮らしが出来ているわけだが、姉には一つ秘密があった。
美月はミステリーが書けない。ただのミステリーオタクの才媛なのだ。
昔からミステリー作家になりたいという夢があったらしく。様々な新人賞には出しては落ちて、出しては落ちてを繰り返していた。
俺自身、読んだこともあった。素人ながら、文章は悪くないな、と思った。ただ、いかんせんトリックが酷かった。今どき、一人二役のトリックだけで長編小説一本挑むのは姉くらいだろう。
見るに見かねて手助けしたのが始まりだ。俺の手助けもあって、姉は女流ミステリー作家として瞬く間にスターダムにのし上がっていった。
以来、トリックや大筋を決めるのが俺の役割となっていった。
そう、俺は姉の霊案師だ。
「で、今度は何なんだよ」
電話を入れると、電話の向こうは案の定、弱っていた。
「あぁ、神様仏様揺人様待ってました。お助けくださいませませ~。もう〆切り間際なのに、頭も原稿用紙も真っ白なの。あ、上手いこといっちゃった。これは座布団十枚は堅いわね」
「おい、ふざけてんなら切るぞ」
「あー、待ってウソウソウソ。ピンチなの大大大ピンチなの」
「でも、〆切りはいくらでも延ばせるって、あんだけ豪語してたろ」
「もう五回はしたわよ。でも、限界。もう玄界灘。ほら、美人のお姉様を助けると思って……また表参道のスイーツ奢ってあげるからさぁ、お願い、おねがいっ。O・NE・GA・I☆」
いっている意味が大半わからないが、好物のスイーツをぶら下げるとは、卑怯な姉だ。が、そんな姉が俺は憎めない。
「わかった、わかった。で、今回のお題は何?」
誓願とともに毎回お題がやってくる。姉貴のお願いであり、編集者様からのお願いだ。
「ありがとう。これぞ、姉弟愛。いやぁ、おねぇちゃんは感動した。揺人も男の子ね。ピンチのときにはやっぱり、男らしく……」
「おい、お題」
「はいはい、お題は今にぴったしクリスマス」
「え、それだけ?」
いくら何でも範囲が広すぎる。広範囲のお題はやりにくい。それほどミステリーの海は広く深いからだ。
「うん。あ、でもケンちゃん……あのいっつも鼻毛がぴょんっと出てる敏腕編集者のケンちゃんがいってたんだけど。今のこの情勢もオプションとして扱えたらいいねって」
「ふーん」
そういって、ホテル備品であるメモ帳とペンを手に取る。もう朝食は食べ終えていた。
「クリスマスと情勢ねぇ……量はどれくらい?」
「十五ページほどの短編だってさ」
「短いな」
短編は個人的には苦手だ。短い間に謎と伏線、解決を詰め込まないといけない。が、苦手分野こそホテルヒッキーの脳細胞が騒ぐ。瞬く間に脳内でシナリオが仕上がってゆく。
「なら、登場人物は最小限であまり場面転換しなくていいように、ホテルの一夜でどうだ。倒叙もので犯人当ては省略して、恋人を殺した犯人と刑事の一対一スタイル」
「わぁお。さっすが。だとすれば、謎と犯人への追い詰め方がポイントよね」
「お、わかってるな。追い込み方がミソだから、大掛かりなトリックより、軽妙なトリックが映える」
「軽いトリック……これがクリスマスと絡めたらいいんだけど」
メモにクリスマス関連単語を書き殴っていく。ツリーにケーキにサンタコス。どれもいけそうだ。
「簡単なのはアリバイか」
「でも、揺人。ここ連続アリバイなんだよね。読者、飽きるかもしれない」
「なるほどな」ふと、先ほどのホテルのチラシが目に留まった。どうやら今夜はホテルイベントの一環でクリスマスプロジェクションマッピングをやるらしい。これはしめた。「なら、ソイツを追い込む鍵にしよう」
「どういうこと?」
「プロジェクションマッピングだ。クリスマスイベントでホテルに文字入りのプロジェクションマッピングを映し出す。当然、該当する部屋はカーテンを閉めないといけない」
「なのに、犯人はカーテンを開けていたってこと?」
「その逆さ」
「逆?」
「犯人は時刻、部屋からそうだな……向かいのマンションにピザ屋の配達現場を目撃したとしてアリバイを確立させといて、実はその時間、プロジェクションマッピングで犯人の部屋はカーテンを閉めている状況じゃないとおかしいシチュエーションにする。さらに、ピザ屋の配達が見えて、なおかつプロジェクションマッピングに当たらない部屋が被害者だけだとすれば、その証言が逆に追い込む決め手となる」
「でも、それって状況証拠。もう一つ、確信がほしくない?」
さすがミステリーオタク。まったく書きもしないくせに、痛いところを突いてくる。
「物的証拠なら、血痕か指紋が妥当だな。被害者を撲殺するとして、血痕をどこにつけるかだが、殺すとき身につけていたのにも関わらず、犯行後、処分し忘れるもの……」
「あ、マスク! マスクマスクマスク!! 今ってホテル内でもマスク常備でしょ。だから、殺しに行った犯人がつけてるのを忘れて返り血を浴びる。普通のマスクなら、自分の部屋に戻ったあとでわかっちゃうけど、紺の布マスクなら付着時、気づきにくいし、時間が経てば同化してしまう」
「なるほど、悪くない。なら、決定だな」
「でもさぁ、もう一つ、謎ほしくなぁ~い?」
急に嬌声だ。普通の男ならイチコロな甘ったるい声だ。この貪欲さが彼女の凄さでもある。毎回、俺が思うシナリオの、もう一個向こうの謎を要求してくる。当然、考えるのは俺だ。
「もう一つ? 例えばなんだ」
「あと残ってるのは殺害方法でしょう。撲殺なら、うーん……凶器消滅トリックとか?」
「簡単にいってくれるな、急に新たなワードを利用したトリックは混雑するし、今の余白だと難しすぎる」
「頑張って、揺人。モンブラン踏破までもうちょっと!!」
なるほど、スイーツのモンブランと巧くかかっている。いや、そんなことはどうでもいい、凶器隠滅ならなんだ。氷なら簡単すぎる。いっそのこと、クリスマス用ロールケーキのホイップの中に丸太仕込んでみるか? いや、そんなトリックすぐにバレるし、周りとのバランスが釣り合わない。あとは……あっ、
「クリスマスツリーだ」
「ツリー?」
「各室にツリーがある設定にして、ほら、ツリーって飾りがあるだろ。例えばリボンのついた小包み、あれ剥がすと中身はたいてい発泡スチロールだ。けど、それを極小鉄アレイに代えて、まとめて布とかに包んで撲殺する。あとは包みをつけてツリーの飾りとして撒いてしまえば、消える凶器の完成だ」
「おぉ、愛しの揺人、完璧ぃ~♡ あとはこっちで巧く調整しとく。I LOVE 揺人、愛してるぅ~」
一方的に電話は切れた。まったく、憎めない姉だ。ここで冒頭に戻ろう。
最も素晴らしい目覚めとは何か。
冷暖房完備な空間で呑む、姉の誓願だ。