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謎らい玉手箱  作者: 泉柳ミカサ
2/7

権兵衛 ①

 月は満月。大徳院の鐘が鳴った。結局、幻と化した東京オリンピックを悼むかのような寂莫としたナリだ。

 両国。アパートの一室にて、()(がり)(ぬま)()は免許証を数えていた。どれも入狩のものではない。人様を殺し、盗った免許証だ。数はゆうに百を超えている。毎月二十四日に一人。ただ一つのルールだ。未だに一度も破られていない。

月がスカイツリーで隠れたのを合図に、入狩は免許証を片し始めた。部屋は真っ黒。電気は点けない性分だ。

 免許証をプラスチックケースに容れ、床に就く。最近ネットで購入した煎餅布団が丁度いい硬さだ。しかし、安眠はすぐに崩れた。

途端に窓際で何かを感じた。黒い物体。人型だ。

「誰だっ」

 入狩は枕下に置いてあった、愛用のコロンビアナイフを手に取り、ノーモーションで刺しかかる。殺陣のごとく、動きに無駄がない。が。

 刃に感触がなかった。空を切ったかのようだ。また、満月が現れる。

「夜分遅くにすみません。ここは入狩沼垂さんのお宅ですか」

 月灯りで見えたのは、トレンチコートを羽織った、どこにでもいるサラリーマンだった。格好の割に声が高い。

「あんた、いったい何者だ」

 入狩は性分を捨て、電気を点けた。部屋に明かりが満ちても結果は同じだった。年齢は五十ほど、ヨレヨレのトレンチコートにナイフが刺さった状態――肉感はまるでないが――でなおも立っていた。

「わかりません」

入狩はナイフを抜き、鞘に納めた。「わからない?」

「ただ、あなたに逢いに来たんです」

 そこまで聞いて、ピンと来るものがあった。

「あんた、俺を殺しにきたのか」

 殺しを始めてはや十数年、月一で人を殺めてきた。内一人の遺族が復讐しにきても、何ら不思議でない。逆に今まで、よくなかったとさえ思う。

「いえ、違います。私はただ、あなたに私が誰か、突き止めてほしいのです」

「突き止める?」

「私には生前の記憶がほぼありません。自分がどこの誰で、どんな人生を歩んできたか、何も憶えていないのです。死んでしまった以上、これらの情報は必要ないのですが、ただ、」

「ただ?」

「妹の結婚式があるんです」

「結婚式?」

一向に話が見えてこない。

「今、残っている記憶です。私には妹がいて、結婚式を控えています。当然、名前が何で、何歳で、どんな妹だったかは記憶にありません。ですが、私にとってかけがえのない妹だったと漠然ですが、憶えています。ですから、入狩さんには私が誰だったか、教えてほしいのです。それがわかれば、自然と妹のことや、結婚式のことも思い出せるはずなのです」

「知ったことか。そもそもなんで俺なんだ、そんなの探偵か警察に任せろよ」

「探偵や警察が、死人のいうこと聞いてくれますか」

 確かにそうだ。浮遊霊の戯言などに耳を貸すわけがない。

「それは俺だって一緒だろ、記憶喪失の名無しの権兵衛を救う義理がない」

「記憶はもう一つあるんです」

「何?」

「私は病死とかではなく、誰かに殺されました。日にちも憶えています。二十四日です。もちろん、誰にはわかりませんが、殺されたのは明白です」

 ようやく意味がわかった。狩り日と同じだ。

「なるほどな。そこで俺の出番か。数打ちゃ当たる。サイコの俺がお前を殺ったのかもしれない。あんた見かけによらず頭がいいな。殺したやつの顔なんざぁ、いちいち憶えてないが、免許証と照らせば一発だ。よしっ顔は憶えた、待っとけ」

「いや、あのう」

 プラスチックの容器を出す背に声がした。慇懃無礼で歯切れが悪い。

「何だよ、今あんたの顔探してんだ。もう少し待ってろ」

「これ、私じゃないんです」

入狩の手が止まった。振り返ると、困り眉でこちらを見つめている。「どういう意味だ」

「魂は私なのですが、躰は別なんです」

「はぁ?」

 さすがにフィクションが過ぎる。

「抜けたとき、近くにあった抜け殻に憑依して……当然、私がどんな顔だったかも、記憶がございません」

「おいおい、ふざけるなよ。じゃあ、無理だ。ほかを当たれ」

「私にはもう入狩さんしかないんです」

「いや、無理だろ。顔も名前も殺された場所さえもわからない名無しの権兵衛をどうしろってんだ。俺に東京中を練り歩けっていうのか」

「東京かどうかも……それに練り歩いている暇はないんです。明後日なんです、結婚式」

「無理だ無理無理。諦めろ、そんなもん。そもそも、朧気なんだろ。顔すら浮かばない妹の結婚式、出席する意味がどこにある」

「理由なんていります?」権兵衛がいった。先ほどの腑抜け面と打って、真一文字の熱誠面だ。

「兄にとって、妹は特別なんです。だから、今も記憶として残っている。残念ながら、顔は忘れてしまいましたが、大事な妹なんです。どうか、どうか、この通りです」

 急な土下座に、入狩は言葉が詰まった。脳裏に、「花穂」がよぎる。彼女の「ゆるさない」と動いた唇が再熱した。

「顔を上げろ、土下座なんて気分が悪い。わかった、つき合ってやる。ただ、保証はない。変な期待はするな」

入狩はそれだけいって、布団にもぐった。遠くでありがとうございます、と声が聞こえてきたが、返事などする余裕もなく、目を閉じだ。

 その日、悪夢を見た。過去の正夢だ。


 朝になると、やはり権兵衛がいた。寝たのか――死人に寝る習慣があるかわからないが――昨夜と違って、顔色が明るい。

 入狩はまず、軽く朝食を摂り、身支度してから家を出た。今日は二十四日、コロンビアナイフはもう懐の中だ。念のため、例のプラスチックケースも携帯している。

出がけに、一通り免許証に目を通したが、男の顔はなかった。

 まず入狩は急ぎ早に、両国駅へ向かった。

 一切の手がかりがない今、頼れるのは目の前にいるトレンチコートの男だけだった。権兵衛曰く、躰は阿佐ヶ谷付近で拾ったそうだ。

「どうやら、俺以外でもお前を視えるようだな」

入狩は積極的に話を振った。会話の端々で、記憶が蘇るかもしれない。

「まぁ、生身の躰ですから」

「服の傷口からして、刺殺だろ。風穴どうなってるんだよ」

「さぁ、私に聞かれましても」

「ここで供養してもらった方がいいんじゃないのか」入狩は大徳院を指差して、笑った。

「結婚式に出席してから、そうさせていただいますよ」

せっかくのジョークをまともに返され、会話が止まった。次の話題を考えているうちに、駅に着いた。

二人はICカードで改札を抜けた。

「定期券があったのか」

「えぇ、コートに。これだけでしたが」

 区間は代々木、新小岩間だった。名前はナカニシノボルと記載がある。財布も見たが、空同様で、住所を特定出来るものはない。

「この人の特定も難しいそうですね」

「まったくだ」入狩は財布を返し、やって来た普通電車に乗った。久しぶりの普通。鈍行は性分に合わないが、今日はしかたない。

 両国から阿佐ヶ谷までは、中央・総武線一本でいけた。阿佐ヶ谷までの三十分ほど、車内でいろいろ話を振ってみたが、一縷の記憶も蘇ることはなかった。

「やっと、着いたか」

 入狩は取り敢えず、北口に出た。

 入狩自身、阿佐ヶ谷は数年前に使ったっきり、ご無沙汰だった。以前同様、北口周辺は平日に関わらず、賑わいを見せている。天気もいいし、狩場には打ってつけだ。だが、依頼を片す方が先だ。

「ここら辺に見憶えは?」

「いいや……」権兵衛が首を傾げた。

「本当に阿佐ヶ谷なのか? こんな洒落た街に、そう都合よく死体が転がってるとは思えないが」

「うーん。確かに、こんな派手な感じじゃなかった気がします。もっと、地味だったような……死体は入狩さんと同じです」

「俺と?」

「はい。この人、通り魔にやられたんだと思います。財布も抜かれていましたし。丁度、通り魔に遭ったところで、私が乗り移ったわけです」

「なるほど。だが、それが阿佐ヶ谷だったかどうかの保証がないだろ」

「絶対です。近くのマンション名に阿佐ヶ谷ってありましたし」

 入狩は思わず、ため息を漏らした。「そんな大事な情報、先にいえよ」

「すみません、中々いうタイミングが見つからなくて」権兵衛は謝りながら、マンション名を告げた。

スマートフォンの地図アプリで検索をかけると、すぐに赤いピンが刺さった。目的地は地下鉄南阿佐ヶ谷付近だった。

「地下鉄の方か、どうりで記憶がないわけだ」

商店街抜けると、すぐに駅が見えた。阿佐ヶ谷駅ほど賑わいこそないが、洒脱な景色が広がっている。

「あのマンションです」

「どこだ」

 権兵衛の指差す方向には瀟洒なマンション群があった。

「あれですよ、あれ」なおも指差したまま、目当てのマンションへ走っていく。マンションの定礎が見えたところで、入狩も確認出来た。

「となると、現場はこの辺か、血痕とか残ってないな」

「当然ですよ、殺されたのは昨日今日の話じゃありませんからね」

「何か思い出さないか」

「そういわれても……」そういって、権兵衛が辺りを見渡す。

「その男に憑依(うつ)ってからの記憶はあるだろ」

「でも、似たマンションが多いですし、仮に思い出したとしても、私に関係がある情報かどうか……」

途端に声が止まった。

「おい、どうかしたのか」視線を追うと、青壁の建物にぶつかった。「区役所……」

「思い出しました。何故かは忘れましたが、私、死ぬ前に区役所にいったんです。ここではありませんが。けど、」

「けど?」

「何か物足らない気が」

「物足らない?」

 改めて区役所を見たが、何の変哲もない、青く小高い建物だ。

「まんまの建物じゃないから違和感があるのは当然だ。中に入ったら、さらに記憶が蘇るかもしれん」

 区役所は西棟、東棟、中棟の三つに枝分かれされており、西棟に至っては十階まであった。二人は入狩の案で、取り敢えず、所内を虱潰しに回ることにした。

 だが、どのフロアを訪れても権兵衛の表情は芳しくなかった。生前、訪れていないから、仕方がないのかもしれない。

「コガネキヨシさん」

 これといって収穫がないまま、役所をあとにしようとした途端、権兵衛の足がぴたりと止まった。視線は受付に向いている。受付では女性が一人、キョロキョロと視線を泳がせていた。

 本来、番号で呼ぶが、中々いない来客者に痺れを切らしたのだろう。女性が再度、名前を呼んだところで、コガネキヨシと思われる男が受付へ歩いていった。

「あの女、知り合いか」

「いえ、知りません。ただ、コガネキヨシ、どこかで聞いたことがある気がするんです」

「本当か。それ、お前の名前なんじゃ」

 一縷の望みにかけて見たが、権兵衛の顔は曇り空のままだ。

コガネキヨシ、入狩自身も聞き憶えのある名前だった。これまでの被害者の中にいるのかもしれない。

「ぱっとしねぇな」

悪態を吐いたところで、入狩の腹が鳴った。素通りとはいえ、全フロア回っただけにお腹の空きが早い。

「メシだメシ。腹も膨れりゃ、何か思い出すだろ」

「そうですね」

 権兵衛も賛同したところで、二人は先ほど抜けてきた商店街へ戻った。

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