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旅立ち

 次の日からの勉強はいやにスパルタだった。

 朝から晩まで魔法のお稽古。

 水のない所で水を探す魔法なんて使う機会がないと言うと師匠は、


「これからは必要になることもあるだろう」


 意味が分からない。

 家のそばの井戸が枯れることなんて絶対に起こり得ないというのに。

 これが一ヶ月も続くとさすがに嫌になってきた。


「ねえ、一体何が起こるの? 天変地異? 世界最終大戦争? 地下室は用意しとく?」

「それなら天空の家がいいね。地上のことは気にせずに優雅に暮らしたいよ」


 床一面に広げた着替えや携帯食の中心で、使えるものとそうでないものをより分けながらの問いに老婆が答えた。


「……できるの? 天空の家」

「試したことがないから分からんがいけるだろ」

「そうじゃなくてさ!」


 たまらずミナは声を張り上げた。


「なんなの!? よく分かんない詰め込み教育一週間もさ。そろそろわたし変になりそう。理由くらい教えてよ!」

「おや。言ってなかったかい?」


 下を向いていたためにズレた眼鏡を直しながら老婆が言う。


「旅支度だよ」

「旅?」


 わけの分からない答えだ。


「お婆ちゃんどっか行くの?」

「いや」


 老婆はそれしか言わなかった。

 しばらくは無言でのより分け作業が続いた。

 が、すぐに堪えられなくなってミナは口を開いた。


「でもさ、森の外には出られないよね?」

「出られるよ」

「……」


 また沈黙。

 手渡しした燻製肉の包みが、かさりと小さく音を立てた。


「え、いや待って待って。言ってることが全然分からないよ!」

「さっきからうるさいね。これくらいの作業黙ってできないか」


 いや、でも、とミナは思う。

 こんなの黙っていられるはずがないじゃないか。

 老婆の手から小鍋をぶんどってミナは彼女と向き合った。


「どういうことなの?」

「だから旅支度だよ。お前の」

「わたし!? いつ!?」

「明日」

「明日ぁ!? 聞いてないよ!」


 わめくこちらにうるさそうに顔をしかめながら老婆は小鍋を奪い返した。


「だから、わたしは確かに言ったよ」

「覚えてない!」

「なら聞いてなかったんだろうね。もしくは聞いたのに理解しなかったか。外を切望しながら、その実出られるなんて思いもしてなかったんだ」


 痛い所を突かれた気がした。


「だって呪いがあるから……」

「へえ。だから諦めてたのかい」

「違うよ! ただ、えっと」

「ただ、なんだい?」

「……分かんない」


 視線をそらしてうつむくと、老婆の手がミナの頭を撫でた。


「なら、旅はやめとくかい?」

「やだ。行く」


 その答えにだけは迷いはなかった。


「それでいい」


 老婆はそう言って微笑んだ。




     ◆




 その日の早朝も空は快晴だった。

 鞄を背負ってミナは家の前に立った。


「おうちさん。いままでありがとうございました」


 深々と頭を下げる。


「何やってんだいあんたは」


 声に顔を上げると、玄関口から老婆が出てきたところだった。


「お婆ちゃん」

「ああ」


 見つめ合ったまま立ち止まる。

 しばらくそうしていたが、不意に老婆が笑いだした。


「な、なに?」

「そんな神妙な顔はあんたらしくない」


 失礼な、と思ったが、確かに言われてみれば師匠に弟子として向き合ったことはない気がする。


「いままでありがとうございました、師匠」


 頭を下げると笑い声がやんだ。


「……」


 顔を上げると老婆はもういつものようにしかめ面をしていた。


「ミナ。風邪ひくんじゃないよ」

「うん」

「食事はきちんととるんだよ」

「うん」

「気を付けて。行ってらっしゃい」

「うん……っ」


 目に涙がにじむのが分かる。

 いままで何度も『旅立って』きたが、こんなに胸が張り裂けそうなのは初めてだった。

 その意味で、自分はいままで一度も旅立ってなかったんだなと知った。


「お婆ちゃん……!」

「泣くな」


 長く一緒に暮らしてきたが、抱きしめられたのは初めてだ。

 その人は春風と同じ匂いがした。


「いいかい、行きたい方へ真っ直ぐ飛びな。呪いはわたしが何とかする。後ろは振り向くんじゃないよ。これは絶対だ」

「分かった……」

「あんたはわたしの誇りだ。わたしの汚名をすすいでくれると言ったね。だがそんなものはどうでもいいよ。あんたを育てあげられたこと、これがもうすでにわたしの名誉なんだから。あんたはあんたの道を行け」


 背中に回された腕が離れた。


「それじゃあ、行ってこい」

「行ってきます」


 背を向けて箒にまたがる。

 地面を蹴って飛びあがろうとしたところで。


「おっと忘れるところだった」


 振り向くと何か大きなものが飛んできた。

 受け止めると、重い。


「それも持って行ってやってくれ」

「これは……」


 あのときの黒い本だった。


「そいつも外に出たがってると思うからね。頼んだよ」

「いいの?」


 わたしがもらっちゃってもいいの?

 危険な本だけどいいの?

 いろんな「いいの?」が混じった問いかけだったが、老婆はごく軽くうなずいた。


「開かなければ問題はない。それに、もうそろそろ解放してやらなくちゃね」


 よくは分からなかったが、ミナはうなずいて魔導書を鞄にぎゅっと押し込んだ。

 師匠が言うなら間違いないのだろう。


 今度こそ飛び立つ。

 ぐんぐん空に近づいて、どんどん家から離れていく。


 また涙があふれてきた。

 だが言いつけ通り後ろは絶対振り返らない。

 無理やり声を張り上げる。


「進路は東南東!」


 今は空元気でしかなくとも。


「面舵、いっぱーい!」


 ミナは拳を思い切り振りかざした。

 昇ったばかりの太陽が、遠くの山並みの上で輝いた。

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