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旅の目的

 明かりとりの魔法を使っても暗闇を払うことはできなかった。

 抜け穴ネズミの魔法でも出口が見つかることはなかった。

 ミナは相変わらず鼻先も見えない闇の中に閉じ込められていた。


「おっかしいなあ……?」


 さすがにじっとしていることにも飽きて、今は恐る恐る歩いてみている。

 かなりの距離を移動したはずだが見えるものは何も変わっていない。

 書庫がこんなに広いわけがないので、これはきっと何らかの魔法の仕業なのだろうと思えた。


「お婆ちゃんのイタズラ防止の魔法かな?」


 昔、師匠の道具に勝手に触ろうとしてひどい目にあったことがある。

 当時の痛みを思い出してミナは震えた。


「お婆ちゃーん。降参。ごめんごめーん」


 適当な方向に呼びかける。

 本当に老婆の魔法であればそれで終わりだろうと思ったのだが。

 闇はピクリとも動かなかった。


「あれぇ?」


 そろそろ冗談抜きでお手上げだった。

 足の痛くなったミナは、ため息をついて座り込んだ。


「……どうしよ」


 と。


「君は」


 不意に声が聞こえて、ミナははっと振り返った。


「君は……誰?」


 男が一人、そこいた。

 いつの間に現れたのか、ミナには全く分からなかった。


「わたし? ミナだけど……」


 立ち上がりながら答える。

 声が尻すぼみになったのは奇妙に思ったせいだ。

 なんでこの暗闇の中なのに相手の姿が見えるのだ?


 それにもうひとつなんだか変だった。

 男には体はあるのに顔はなかった。頭部が闇ににじんで消えている。まるでそこはからっぽで、何もないかのようだった。


「あなたは?」


 警戒しなかったわけではない。

 が、魔法にかかわっているとこれくらいのことは珍しくもないし、やはり好奇心が勝ってしまうのだ。


「僕かい? 僕は……」


 男は答えようとして、言葉に詰まったようだった。

 悲しそうにうつむく。


「……僕は、誰だっけ。忘れてしまった」

「名前を落としちゃったの?」


 そういうことはたまにあるのだとは聞いたことがあった。

 悪魔に奪われたり、自分の魂と離れてしまったりした時に人は名を失う。

 男はうなずいた。


「そうかもしれない。前はとても素敵な名前があったと思うんだけど。歪みの中に呑まれてしまったから……」


 その言葉の意味はミナにはあまりよく分からなかった。

 だが、ひどくしょげた様子の彼を見て、ミナはいてもたってもいられなくなった。


「ねえ、あのさ。名前がないならわたしがつけてあげようか?」

「ありがとう。でもそれは無理だ。名前は血が通うものだからそう簡単にはいかないよ」


 そっか、とミナは腕を組んだ。

 なかなか難題ということらしい。


 と。

 ふと思いついて彼女は顔を上げた。


「じゃあわたしの名前をあげるよ」


 血が通っている必要があるならば、自分の中に息づいている名前をそのままそっくり譲ればいい。

 男は驚いたようだった。


「それは駄目だ。そんなことをすれば君が君ではなくなってしまうよ」

「そうなの?」

「名前はその人そのものではないけれど、ひどく近しいものなんだ。損なえばその人自身にも害がある。そんなに簡単にあげるなんて言うもんじゃあない」


 言われてミナは少しの間考え込んだ。


「……わたしは」


 そこで少し違うと気づいて首を振った。

 言い直す。


「『ミナ』は、十年前に一度死んでいるよ。今の『ミナ』はある人に分けてもらったものなの。だから本当のことを言うとわたしのものじゃないの」

「それは、一体……?」


 あの日の土砂崩れを思い出す。

 寒さと空腹。痛みと寂しさ。

 こぼれていく魂は優しい手のひらに受け止められた。

 あの人に救われたのだ。


「だから、わたしも誰かに分けてあげなくちゃ」


 全ては語らず、ミナは微笑んだ。

 男の沈黙は長かった。

 もしかして立ったまま眠っちゃったのかなとミナが疑い始めたころになって彼は言った。


「本当に、いいのかい?」


 おずおずとした口調だった。

 ミナはなんだか安心した。

 この人なら譲った名前をきっとすごく大事にしてくれると思ったからだ。


「うん! 今度はなくさないでよ」

「そうか……分かった。ありがとう。本当にありがとう」


 ほっとしたような声と共に、ざわりと闇がうごめいた。

 こちらへ向かって何かが勢いよく這い寄ってくる。

 ミナの足へ腕へ首へと巻き付いて視界を覆って全てを呑み込もうとする。


 それなのになぜだかあまり怖くはなかった。

 この人を助けるのはとても大事なことに思えたからだ。

 この人はあの日のミナに似ている。

 そしてミナを助けてくれたあの人にも。


 ミナは力を抜いて闇に身をゆだねた。


「ミナ!」


 その時誰かの声がした。

 その声は薬草のにおいと共にやってきてミナの手をつかんだ――




     ◆




「……あれ?」


 目を開くと見慣れた天井が見えた。

 ベッドの中のようだ。自分の部屋の。

 先ほどまで書庫……というより闇の中にいたはずなのだが、いつの間に戻ってきていたのだろうか。


 なんだか体がだるかった。

 まるで風邪をひいた時のようだ。


「あの人は……」

「この馬鹿もんが」


 起きようとしたところで額を冷たいものに押さえつけられた。


「お婆ちゃん」

「起きるな。寝てろ」


 険しい表情をした老婆は、ミナの額に濡らした手ぬぐいを当ててくれていた。


「……ありがとう」

「ありがとうじゃないよこのたわけが。お前自分が何をやったか分かってるのかい?」

「……」


 勝手に立ち入り禁止の書庫に入った。勝手に魔導書を読もうとした。師匠の言いつけを破ってしまった。


「ごめんなさい……」


 体を縮こまらせて謝るが、老婆が怒った顔を崩すことはなかった。

 舌打ちが聞こえる。


「それも大した裏切りだ。追い出したいところだが呪いがあるから戻ってきちまうのが惜しいところだね。だが本当に責めたいのはそこじゃあない。お前自分の名前を売ろうとしたね」


 彼女は手振りで家の奥を示す。


「あれはね、ここにある中でも一番危険な魔導書なんだよ。中には……化け物が棲んでる。歪んだ自然の理の中に巻き込まれて、名前を失った化け物がね」


 化け物と言うときの老婆は少しつらそうな顔をした。


「軽々に名前を譲るなんて言うもんじゃない。お前がお前でなくなってしまうよ」

「うん。あの男の人もそう言ってた」

「じゃあどうしてだい」

「似てたから……」

「うん?」


 怪訝そうに顔をしかめる老婆の目を見てミナは言った。


「あの日のわたしに。それから、お婆ちゃんに。悲しそうで。一人で……寂しそうだった」

「……」


 老婆は押し黙ったまましばらく何も言わなかったが、やがてゆっくりとため息をついた。


「まあいい」


 座り直して咳払いした。


「これに懲りたらもう二度と書庫には入るんじゃないよ」

「………………」

「おい!」

「だって呪いを解くには……」


 ミナがそうこぼすと老婆はようやく察したようだった。


「なるほどあんた、旅に出るための掟破りだったわけかい。とすると、また性懲りもなく繰り返すかもしれないってことか……」


 顎に手を当てて考えた後、老婆はこちらを向いた。


「そういえばいままでまともに答えてもらったことはなかったね。何でお前は旅に出たいんだい?」


 言われてミナは答えに窮した。

 答えられないわけではない。ずっと答えは胸の中にあった。

 だがこれはミナだけの秘密のつもりだったのだ。


「……」


 長く長く迷った。

 それでも今が言うべき時だと思った。


「旅に出て、お婆ちゃんを嫌ってる人たちに、お婆ちゃんが本当はすごく優しい魔女だって教えたいから。それがお婆ちゃんに拾ってもらったわたしにできる、たった一つの恩返し、だから」


 老婆は。

 夜闇のメリエルは無言だった。

 しばらくしてこう言った。


「馬鹿だね」


 そしてこちらに木の器を差し出してこうも言った。


「飲みな」

「なにコレ」


 ミナはどす黒い液体に怯えた。


「さっき作ってた薬だ。元気になる。明日から忙しいからね。よく休みな」

「……忙しいって?」


 薬の苦味に顔をひきつらせながら訊ねる。

 魔女は小さく笑っただけだった。

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