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ひよっこ魔女は旅に出たい

 ミナの一日は『旅立ち』から始まる。

 森を出ようと無為にあがくことを、彼女は独自にそう呼んでいる。


 前日から荷物をまとめて朝になれば森の家を勢いよく飛び出す。

 老婆も最近はわざわざ止めなくなってきたが、それでも勉強を放り出して飛び出せば昨日のように怒るぐらいはする。

 もっとも、やめろと言われてもやめる気はないが。


 ミナは信じていた。

 諦めなければいつかは本当に旅立てるということを。

 旅立ちたいのには理由がある。

 今は誰にも秘密だが。

 ミナの中だけの、大きな大きな計画なのだ。




     ◆




 ある日のことだ。

 その日やるべき勉強や日課の『旅立ち』を終えたミナは、森の切り株に座っていた。

 やることのない自由な時間。

 膝に頬杖をついてため息をつく。


「ねえ、どうしたらこの森を出られると思う?」


 訊いた先は足元のリスだ。

 が、彼は手元のクルミを割るのに忙しく、こちらの話を聞いてすらいなかった。

 まあそもそも答えを期待しての問いかけではないが。

 これはきっと、自分自身で解決しなければならない問題なのだから。


「木に印をつけて歩いても駄目だったし、箒で飛んでも戻ってきちゃう。もういっそのこと森を焼き払っちゃう手もあるけどお婆ちゃんきっと怒るだろうな。すっごい痛い魔法がくるんだろうな」


 師匠の体罰魔法のバリエーションはなぜだか異様に多かった。

 夜闇の魔女の名前は飾りではないということなのだろうが、それにしてももう少し手加減してくれてもいいのにと思う。


「はぁ。出たいよぉー、森……」


 気分が沈む。


「呪い、か」


 リスが顔を上げた。

 割ったクルミの半分をこちらに差し出してくる。


「ありがとう」


 受け取って取り出した中身をかじりながらしばらくぼうっと考えた。

 どこまでも続いて脱出を阻む森。

 自分たちにかけられた呪い。

 夜闇のメリエルでさえも解くことのできない強固な封印の術。


 それに直接挑んだことはない。

 負けるのは目に見えているからだ。

 無駄なことを試すのは無意味だ。時間は浪費したくない。

 とはいえ……


 ミナの頭に疑問が生まれる。

 本当に無意味なのか?

 打てる手は何もない?


「……よし」


 そこまで考えてミナはスカートをはたいて立ち上がった。

 足元のリスが首を傾げた。




     ◆




 家に入ると、かまどの方では老婆が鍋の中身とにらめっこしていた。

 何か薬を作っているようだ。薬草の苦いような香りが部屋に満ちていた。


「ただいま」


 返事はないがいつものことだ。

 こうなれば師匠が集中を途切れさせることは絶対にない。

 ずっと一緒に暮らしてきてそのことはよく分かっていた。


「……ちょっと書庫入るねー」


 本当は何も言わない方がよかったかもしれないが、後のアリバイ作りのために一応小声で言っておいた。

 奥の書庫は立ち入り禁止なのだ。


 この森の家にはミナと老婆の部屋のほかに、居間とそれから書庫がある。

 今の奥の扉を開いて手前からミナの部屋、次に老婆の部屋。最後に通路の奥の暗がりに小さな扉がある。

 そこが書庫への入り口だ。


「ごめんくださーい……」


 扉を細く開けて中を覗き込む。

 掲げたランプが照らす広い室内はそれでも暗闇を完全には追い払えておらず、何かが息づいていそうな薄気味の悪さがあった。


 中に入って扉を閉じる。傍らにあった机にランプを置き、見回した。

 あるのは壁に沿って置かれた本棚と、そこに収められた無数の本だった。

 すべて魔導書だ。


 ここは『メリエルの書庫』。

 彼女が集めた魔法に関する知のすべてがここに集められている場所なのだった。

 ミナは力強くうなずく。


「ならこれを試さない手はないよね」


 ここにある魔導書の力を借りれば、呪いの一つや二つ造作もなく解けるに違いない。


「うわあわたしってば天才。なんで今まで思いつかなかったんだろ」


 無論老婆のお叱りが怖かったからだが(そしてこれがバレれば今までにないくらいひどい罰をくらうに違いなかったが)、そこはあまり深く考えないことにした。

 さあてどれにしようかな、と指さし指さし迷っていると。


「ん?」


 気になる本があった。

 背表紙が黒く、だが何も書かれていない本だ。

 何となく気になって引き出した。


 目についた中では一番大きく分厚い一冊だったので机まで持っていくのには苦労した。

 あらためて見下ろすとやはり黒い無地の表紙。何も書かれていない。


「……なんの魔導書なんだろ」


 その時誰かの声が聞こえた気がしてミナはあたりを見回した。

 もちろん誰もいなかったが、その響きだけは耳の奥の方に残ってミナはなんだか妙な胸騒ぎがした。

 開けない方がいい気がする。

 ごつい留め具がついているのも見ていてなんだか不安だった。


「……」


 だが、結局好奇心の方が勝った。わくわくには逆らえない。

 それにだ。

 先ほどの声は、なんだか助けを読んでいるようにも聞こえたのだ。

 ミナは留め具を一息に外して初めのページを開いた。


「……?」


 開いたところには、何も書かれていなかった。

 文字もない。汚れもない。

 いや、それどころかあるべきはずの紙も本自体も、何もなかった。


「え……?」


 暗闇の中にミナはいた。

 ランプがなく、書庫の中でもない。

 何もなくなってしまっていた。


 そこはどこまでも続く虚無の中だった。

 呆気にとられたミナは周囲を見回すことしかできなかった。

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