しろのぺーじ
何かを忘れている気がするのに、掌からこぼれ落ちた〝それ〟を取り戻すことはないのだろう。そう、自覚している。
僕にぽっかりと開いた穴は、何を詰めてもさらさらと流れ落ちてちっとも埋まってくれやしない。いつかの日には、この違和感すら消え失せて当たり前になる時が来る。
「まるで死んでいるみたいだ」
身体に穴が空いて、手の先からじわじわと〝何もない〟が侵食していく。何者かに食べられているような、自分が違うものになっていく感覚だ
「しんでしまうのですか」
何処までも白い〝いきもの〟が、幼声でそう聞いた。
「そうかもしれない」
僕は死んだことがない。だから、そうだろうと云う根拠のない予想しか出来ないのだが、このまま僕の全部が〝何もない〟になれば、死んでしまうのかもしれない。
「死んだら、記憶は何処に行くんだ」
記憶も死んでしまうのだろうか。死体のように、色が抜けて、干からびて、味気なくなって、そんなふうに白地んで消えていくのだろうか
「なにか、おわすれになってしまわれたの?」
「そうらしい」
もう、それすらも曖昧だが
「どうでもいい事だったのかもしれない」
こうして悶々と考えあぐねているが、概要すら思い出せないのだ、もしかすると思っている以上に、そうでもない答えなのかもしれない。なんせ忘れてしまうような事、なのだから。
「ちがいますわ」
答えを得たように〝それ〟は首を横に振った。
「きっとたいせつなことなのです。だからわすれてしまったに、ちがいないのです」
「大切ならば忘れんだろう」
「いいえ。いいえ」
〝それ〟がここまで頑なになる事は殆どない。僕は不思議になってその先の言葉に耳を傾ける。
「たからものは、たからばこのおくにかくすものです。きれいなものほど、よごれるのをおそれるように
きれいなまま、とじこめたいほどに、たいせつなものだったのでございましょう」
身体に詰め込まれていた何か、僕の一部だったもの。零れ落ちて捨ててしまったそれは汚くて醜いものよりも、尊くて美しいものの方が良いに決まっている。
「お前がそう云うのなら、そうなのかもしれないな」
真実はさておき、そうならばいいと思った。そんなものを一瞬でも持っていられたのなら、僕は生きた甲斐があっただろう。
「僕が死んだら、記憶も死ぬのか」
そうなら、消えてしまうのは勿体ない。
「どうでしょうか」
〝それ〟はとても曖昧に微笑む。
「こたえがわかりましたら、かならずおつたえいたしますわ」
思い出す時は来ない。だからその答えがわかる日も来ない
その微笑みを見ながら、そう思った。